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小娘つきにつきまして!  作者: 甘味処
終幕 愛情の噺
18/23

#17 補うに充たすと書いて

 苦あれば楽あり、などとカルタで描かれているような格言があるけれど、ここ最近のスケジュールは、苦行ばかりで埋め尽くされている気がする。もし、僕に日記をつける習慣があったとしたら、この苦行だらけの惨状を客観的に見て、自分自身を憐れむことができただろうか。苦難が続いた後に、必ずしも安楽が訪れるというわけではないらしい。


 いや、ひょっとすれば、あれは束の間の安楽だったのかもしれない。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 時刻は八時二〇分。授業開始を告げる鐘が鳴る三〇分ほど前。まだクラスメイトは、半数ぐらいしかいなかった。


 ストーブによってよどんだ空気を換気するために、教室の窓は開放されていて、そこより吹き抜ける冷たい風が僕の頬を撫でる。普段ならば、嫌悪感しか抱かないその風が、今日に限っては、僕の心を落ち着かせてくれているような気がして、少しばかり心地よく思えた。


 登校し終えた生徒たちが、バイトの話や、ファッションの話、色恋の話で談笑している。そんな教室内、僕だけが真っ青な顔をして立ちつくしていた。右隣には坂土泰誠さかつちたいせいがいて、足元には小娘()き、沙夜さよがいる。


 場所で言えば、教室の後ろに設置された黒板の横、掲示物が張り出されている深緑のスペース。そこに僕の名前が浮かんでいた。泰誠の同情する声が、すぐ横から聞こえてくる。


〈藤堂敦彦〉


 僕の氏名と処罰を告げる紙が、掲示板に張り出されていた。沙夜の笑い転げる声が地面でのたまっている。


〈補充授業該当生徒:一年A組、藤堂敦彦〉


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 補充授業というのは、知識が足りていない生徒のための救済処置であり、これをしっかりと受けなければ、もう一年、学園生活サービス、といったような大変、好ましくない処罰が下される。いわば落ちこぼれのためにおこなわれる授業なのである。その該当生徒として、僕の名があげられたわけだった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 いや、待て待て。こんな奇天烈きてれつな現状をぬるりと受け入れられるはずがない。なにかの間違いだろう? そうに決まっている。


 しかし、ここに張り出されているとなれば、まごうことなき現実なのだ。どれだけ目をこすろうとも、どれだけ頬をつねろうとも、変わることのない現実なのだ。


「うそ……だろ…………」


 己の潔白を示すように両手を上げて、後ずさりながら泰誠の横顔をうかがった。泰誠はあわれむような、さげすむような、悲しむような、あいまいな視線を僕に投じながら、なにを伝えたいのか知らないが、首を細かく上下に動かしている。視線を落とした足元では、沙夜が、さも愉快です、と主張するように、呼吸困難になっているんじゃないか、と心配してしまうほどの大爆笑をくり広げていた。


「待て待て待て待て……」


 この間までの僕は、可もなく不可もなく、という成績の生徒だったはずだ。超人的な知性を持っているわけでもなければ、致命的に頭が悪いわけでもない。それに学校を休んだ回数だって平均的に見れば、少ない方だと思う。補充を受けなければならないほどの罪を犯したことなど、身に覚えがない。身に覚えが――。


 ふと、もう一度プリントに目をやり直せば、プリントの末端に、『対応教科、数学』と書いてあることに気が付いた。そこで、生ぬるいお湯を襟首付近から注がれたような、ぞくぞくとした気持ち悪さに襲われる。




 ――20点。




 身に覚えがありまくったのだ。そして、その原因は、床の上で抱腹絶倒ほうふくぜっとうしているこの忌まわしい憑きものにあるわけだが――、当人は一切合切、気にしていないらしい。沙夜の甲高い“思い”が僕の頭に響く。


『あはははははっ! 補うに充たすと書いて、補充! 補うに満たすと書いて、補充!  足りてない! ご主人様、知能、足りてないっ! こりゃ笑っちゃいますねっ! すみませーん! あはははははっ!』

『なにがそんなにおかしいんだよ! お前のあるじが窮地に立たされているんだぞッ!』

『だって、ご主人様。これは擁護する余地もありませんって! あははははっ!』

『い、言っておくが、お前のせいでもあるんだからな!』


 悄然しょうぜんと落ちた僕の肩に、泰誠がぽんと手を置いてきた。


「貴様といた数か月……、悪くなかったぜ」

「おい、泰誠……。それはどういう意味だ。そのセリフは、よほど深刻な時にしか使用してはいけないセリフだぞ」

「馴れ馴れしいぞ。これからは、坂土先輩とでも呼んでもらおうか」

「は?」

「初めに知り合う後輩キャラが、あっちゃんだというのは残念極まりない話だが、それはそれでいいだろう! よぉーっし! 君は、下級生を俺に斡旋あっせんするという役割を担ってくれ!」

「後輩……って。嘘だろ! バカな! バカげている! そんな次元の話なのか! そんな事態になる恐れがあるほどなのか!?」

「うちって確か相当、厳しかったはずだよ~。ふ~ん、やばいね、これは」


 隣で僕らの話を聞いていた女子生徒が、眼鏡のフレームを指で撫でながら、泰誠の意見に同調した。彼女は手嶋美代子てじまみよこ。前髪がぴしっと切り揃えられていて、後頭部付近から両肩を縁どるように二対の三つ編みが流れている。五十音順で僕よりひとつ前の生徒であり、試験時、僕の前列に座っていた生徒だ。


 彼女は生徒会に所属している、とても真面目な生徒である。きっちり膝丈のスカートを着用し、髪の色も混ざり気のない黒色。学年一位の成績で、当然のように、無遅刻無欠席。別称として、『品行方正の権化ごんげ』と言われている、都市伝説のような真面目っ子だった。よって、彼女がほらを吹くとは思えない。いよいよ、僕の留年説に信憑性が帯びてきた。


「でも、落ち込まないで、あっちゃんくん」

「人のことをトムヤンクンみたいに呼ばないでくれ」


 あっちゃんくん、とはどうやら愛称らしい。彼女は渾名あだなの上から敬称をつける癖があるようだ。


「僕はわりと熱心に落ち込んでいるんだ」

「あはは、落ち込むだけじゃダメだよ~、転んでもただでは起きないように心掛けて置かないと。転んだ時には何かを拾えってやつ? オズワルド・アベリーの言葉なんだけどさ」

「その偉人は、落第した場合には、なにを拾えばいいのか、ってことまで言っていたか?」

「言ってないよ。格言ってのは、占いと違って、ヒントだけなんだよ~。後は自分で考えなさいと」

「それはずいぶんと、手厳しいな……」

「ピンチはチャンスだよ~。なにごとも挑んでみるべきなんだって」

「それでダメだった場合は?」

「結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ。バイ、マハトマ・ガンジー」

「はは……、つまりは諦めろってことかよ」

「だいじょ~ぶだって。しっかり補充を受けてれば、難なく進級できるから」


 手嶋は、ひとさし指をピンと突き立てて、僕を励ましてくれた。優しいのはいいのだけど、現実を認められない偏屈へんくつな僕としては、『落ちこぼれは落ちこぼれなりに頑張りなさい』と、ある種の太鼓判たいこばんを押された気分になり、空しさ極まりない。いや、それは、ひねくれすぎだろうか。


『あはははは。ご主人様、おめでとーございます! もう一年、一年生なんですね!』

『お前は黙ってろッ!』

『よかったじゃないですか! これで、ご主人様の愚かな頭も少しはまともに……ひゃうっ!』


 僕はできるだけ自然な挙動で、沙夜を思いきり突き飛ばしてから席に着いた。無邪気に笑い、無邪気に僕を蔑む、そんな沙夜の顔を見ていると、昨夜の出来事が夢だったかのようにすら思えた。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 あれから――。


 暗い夜道を歩いて、僕らは家に帰った。もちろん、ふたりで、だ。


 その後、僕の部屋に戻り、とりあえず、がっつり身体を休ませることにした。沙夜は沙夜で疲れているだろうし、僕は僕で、翌日筋肉が働かないのではないかと心配してしまうほどの疲労がたまっていた。


 特に相談やら、会議やらをしたわけではないが、ふたりで打ち解け、笑い合い、そのまま、何事もなかったかのように眠りについた。結局、沙夜と僕は今までのような生活を続けることになった。


 ――それと、これは翌朝のことだが。


『おはようございます! ご主人様!』

「え、あ、お、おはよ。なんか……お前、やけに元気な」


 過去のことに踏ん切りがついたのか、沙夜の表情が極端に明るくなった。僕はその態度の翻し方に仰天させられたが、それと同じぐらいに、いや、それ以上に、安心していた。


「ほらほら、さっさと支度してくださいよ! 時間がもったいないですよ!」

「は? 支度するって、なんのだよ?」

「あはは、嫌ですよ、ご主人様。寝ぼけているんですか? 今日は月曜日ですよ。学校へ行きましょう!」


 なんと、彼女は学校へ来ると言いだした。


「あほか、昨日の話を聞いて、お前を外に出すわけにはいかない。迷惑かけているんじゃないかとか思うなよ。僕のことなら気にするな」


 当然、僕は反対した。危険な目に遭わせるわけにはいかない、そう思えたからだ。


「大丈夫です。私はもう、割り切りましたから。怖くありません、はい」

「と言ってもだなぁ……。危険なんじゃ……」

「決心しましたから!」


 それでも沙夜は、決心したのだから、と言って聞かなかった。相も変わらず、押しに弱い僕は、我が強い沙夜に押されるまま、学校へ登校したのだった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「あー……しんどー……」


 久々に受けた授業は、苦痛でしかなかった。細胞分裂の話をしていたはずの生物の授業がいつのまにか、生殖活動についての話をしているし、数学に至っては、知らぬ間の内に他の生徒が新たな技術こうしきを体得していた。なんといっても、授業が終わった後に、補充授業を受けに行かなくてはならないという億劫なオプションが、余計につらさに拍車をかけているのだろう。


「ははは。あっちゃん。死んだ金魚みたいな顔してんぞ」

「泰誠。なんで、お前はそんなに元気なんだよ……」

「七限目の体育が男女混合だったから、そこで精力をチャージしたんだ」

「どれだけ燃費がいいんだ、お前は……。思春期の中学生かよ……。憑きものよりも扱いやすそうだな」


 ちらっと沙夜の顔をうかがう。彼女は所在なげにツインテールの先っぽをいじっていた。当然、僕の言葉に泰誠は怪訝そうに首を傾げている。


「……憑きもの? なんだそれ?」

「誰もがお前みたいに楽観的ではないってことだよ」

「あっちゃんよ。そんな堅物な君に、素敵な言葉を授けよう……。『女子の顔、やる気に変えての、男道』だ! 女好きってのは、デメリットも多いが、メリットがその分多い。気だるさあふれる女子高生の太ももだけで、ご飯三杯はいける」

「あー……。そうかい」


 弁当のご飯の割合がおかずよりも圧倒的に多い気がしたのは、気のせいではなかったらしい。


「んじゃ、頑張れよ、補充授業該当生徒」

「ああ。そう言ってもらえると、幾分か心に負担がかかるよ」


 荷物をまとめて、さっさと教室を出ることにした。


 僕はひとり(沙夜を伴い)、前代未聞の八限目を受けに、学校の一棟一階にある生徒指導室へ向かった。『生徒指導室』と、聞くからに重苦しい部屋に入るのは初めてのことだった。もちろん、勉強をしにいくのに、楽観的もなにもないだろうが、入ったことのない部屋に入るという特別な状況が、緊張感を誘い、僕の鼓動を波立たせる。


 本日は一般入試の会場作りのために、部活動が執り行われないことになっていた。そのせいか、廊下は、帰宅する生徒ばかりで慌ただしくもあり、晴れやかでもあるような気がした。「この後どうする?」と下校後の計画を練る声が至る所から聞こえてくる。


 一棟と二棟を繋ぐ、二階の渡り廊下を横断する最中で、沙夜が言った。


『あのー、ご主人様……』

『どうした?』

『ご主人様が勉強している間、ちょっと席を外してもいいですか? すぐに合流しますので』


 沙夜はそう述べる。僕は虚脱状態で返事をした。


『えー……? なんかあったのか?』


 元気がない僕とは違って、沙夜は精彩を放った顔で、飼い主にじゃれつく猫のように僕のわき腹をつついてくる。今までよりも、馴れ馴れしさが増しているような気がした。至極、うざい。しゃくに障ったが、続いた言葉に納得させられる。


『も~。女の子がわけを伝えずに辞去する理由なんて、ひとつしかないじゃないですかっ!』

『あー……』


 食事をとるぐらいだし、きっと憑きものもトイレに行くのだろう、と妥当な解釈をした。女子トイレの前で、僕が手持ち無沙汰に、沙夜のことを待っているわけにはいかない。翌日、この出来事が、『うちの学校にも花子さんが出た!』などと、怪奇譚として語られないことを願おう。


『道わかるか?』

『ええ、把握してます。大丈夫です、はい』

『一棟の一階で待っているからな、じゃあな』


 沙夜にそれだけ告げ、僕は階段を下り、生徒指導室の前に立った。ここで深呼吸を何度か繰り返しておこなう。これから先のことを考えると、心境は、お先真っ暗と言ったところだった。


 目と鼻の先が異様にテカテカと輝く、数学教師、竹内の顔を想像する。まずは、詰られることは確定している。それだけならまだしも、きっと彼の性格上、してやったり面で、落ちこぼれた僕を見下してくるに違いなかった。あざけられるよりも、仏頂面で叱られた方がまだマシだ。


 そのように危惧感を抱いていた僕だったが、冷たいノブを握り、白茶けたドアを開けた瞬間に、驚きに胸を突かれることとなった。


「グッドアフタァヌゥウンッ!」


 溌剌はつらつとした声が一室に反響する。あまりの声量に、僕は咄嗟とっさに耳を両手で覆っていた。


「……って、あれ?」


 この声に聞き覚えがあった。というよりも、六限目の英語の授業に、この声を聞いたばかりだった。つまり、待っていたのは、竹内、ではなく、


「ミスター、トウドウッ!」


 外国人教師、マリア・フランクリンだったのだ。


「マリア……さん?」


あと4話で完結させるつもりでしたが、所々分割することにしたので、あと6話ぐらいは続きます。


次回 ⇒ 12/24

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