#13 グラフィティ・ハート
沙夜を目前にして、どんな表情を作るべきか、僕は考えあぐねていた。ベッド上で布団にくるまりながら、僕のようすをうかがう小娘憑き。
第一声はなんと言おう。「やあ」となにごともなかったかのように、しゃべりかければいいのか、それとも、「悪かった」と昨日心をずたずたに切り裂いてしまったことを詫びるべきか。しかし、謝るのは不本意だ、というか納得できない――。
ぐるぐるぐるぐると思考が回る。しかし、打開策を見つけようと思案していた僕だったが、先に口を開いたのは沙夜だった。布団にくるまったまま、ゆっくりとうなだれた。
「本当に、申し訳ございません……。色々な方に迷惑をかけてしまって……」
「……べ、別にかまわない」
思わず横目で睨むようにして発言していた。わざと険悪さを出しているのではない。自然と放つ言葉に毒々しさが帯びてしまうのだ。表情筋が硬直しているのか、和らいだ表情を作ろうともできなかった。
心持ちを入れかえようと、白々しく伸びをして、息をついた。
「そんなことよりも寝てなくて平気なのかよ?」
「平気です。ご主人様がそばにいてくれたので、よくなりました」
「そりゃ、よかったよ」
彼女の言う通り、せき込む素振りはなくなったし、リンゴのように赤くなった顔色も元に戻っていた。
沙夜は首を傾げながら僕のことを見ている。僕もつられるように彼女の方へ顔を向けた。久し振りに沙夜と目があった気がして、どうしてだか、反射的に僕の方が目をそらしてしまった。気まずさからか、目を見ていられない。
上ずった声が沈黙を破る。
「……なぜ、ご主人様は私のために、学校を休んでくださったのですか?」
「……はぁ?」
問いかけの意図が汲めずに困惑させられた。そのようすを察して沙夜が続ける。
「いえ、どうしてだろう、と疑問に思いまして……はい……」
消え入りそうな語気と、思いつめたような沈痛な面持ちで、弱々しく述べた。どうしても、思惑った彼女を見ていると、胸にもやもやが募りだす。
これではダメだ。せっかくの春風パワーが無為になってしまう。心の平穏を取り戻そうと、僕は目を瞑った。すると頭の中で、『平常心を意識して、穏やかな心で――』とオーケストラのコンダクターの指示が響いた気がした。
「わ、わからないのかよ?」
「それがわからないんです……」
平常心を意識して――。穏やかな心で――。
指揮者のタクトが振り上げられる。
「…………いや……わかれよ」
「…………意味が……わかりません」
いつまでも、うじうじとしている沙夜を前に、僕の平常心は巻き上がるように吹き飛んだ。途端、タクトが粉砕する風景が頭に浮かんだ。僕は勢いに任せて、頭をかきむしりながら、一息にまくし立てた。
「あああああっ!! あほらしいっ!! お前、本当に人間の気持ちがわからない憑きものだなッ!!」
悶えるように身を乗り出して、僕は沙夜の目をじっと見据えた。沙夜は困惑しているらしく、痙攣するように目をしばたたかせた後、きょとん、と音を立てるように目を丸くした。
「気を遣ったからに決まってるだろっ!! お前のことを思って僕は学校を休んだんだっ! なんでわからないんだよっ! 言わせるんじゃないっ! こんなことっ!」
「……で、でも、どうして、気を遣ったんですか?」
「……え、それは多分、きっと。お前のことが心配だったから……」
発言しているうちにバカらしくなった。そんなことは恩着せがましく口にすることではない。
言葉を受けた沙夜は不思議そうな顔をしていたが、そのうち目を伏せ、顔を曇らせた。唇を結び、しかめっ面なのか、ぐずね顔なのか、どちらともとれるような表情をしている。喜んでいる時の彼女の表情は誰よりもわかりやすいのだが、怒っている時や悲しんでいる時は表情が読めない。ドラマに出ている役者の本当の心境を汲み取れ、というぐらい難しいことだと思った。
「う……嘘です! だってご主人様、私の主になりたくないって、この間、おっしゃっていたじゃないですか!」
「そ、そんなこと言ってないだろっ!」
「言いましたっ!」
「言ってないッ!!」
確かに近いニュアンスの発言はしたが、細かく分析すれば、『なりたくない』とは言っていない。僕がますます声を張り上げると、受けて出るように沙夜も声を張り上げた。
「私のことが嫌いだと言いましたッ!!」
「言っていないッ!!」
「痴女憑きだとも言いましたッ!!!」
「そんなこと…………言って……」
それは言ったかもしれない。いや、確実に言った。――というか、本当に調べたのかよ。よく見れば、ベッドの枕元に広辞苑が転がっている。
「私があの言葉でどれほど心を痛めたか、ご主人様にはわからないんですよっ!!」
「わ、悪かった。痴女憑きって言ったことは詫びる……。……すまん」
「そっちじゃありませんっ!! ご主人様こそ、憑きものの気持ちがわからない人間じゃないですかっ! 私、毎日毎日が不安で……、ここ最近、ご主人様の機嫌も悪かったですしっ!」
「それは、お前が――」
――僕になにも相談してくれないから、と続く言葉を腹に収めた。あの時、沙夜の心が遠く離れていくような気がして不安になった。だから、理由を言ってもらえなかった時、怒りに似た悔しさを感じた。結局その感情を腹いせするようにまき散らしてしまったのだ。――そんなことは、とてもじゃないが、気恥ずかしくて言えない。
「私が……、どんな思いで……」
沙夜は下唇を噛んで震えている。情けないことに、怒っているのか、悲しんでいるのか、僕には判別できなかった。その両方なのかもしれない。あまりの沙夜の迫力に、なぜか僕の方が気圧されていた。僕という人間は、人を信用しないくせに押しに弱いのだ。
「……お、お試し期間ってやつ、だよ」
僕は取り繕うべく、ひとりごとのような声量でそう言った。
「……え?」
「だからな。世の中には、クーリングオフっていうものがあってだな」
「は、はぁ……」
「送られてきた商品が不良品だった場合な、購入してからしばらくの間、返品できるんだ。返金もしてもらえるんだぞ。つまりお前は、…………それと同じようなものなんだよ」
「ひ、人をなんだと思っているんですかッ!!」
「だからお前は人じゃなくて憑きものだろッ!! 人間ってのは勝手な生き物でな! 自分以外の生物は物扱いするんだよ! 犬は器物扱いだし、ドッグもイットなんだッ!!」
「む~~~!! また私を犬扱いしていますねッ!!」
沙夜はやりきれないと言いたげな表情を湛えながら、「結局――」と小さく口を開いた。「――ご主人様は、なにが言いたいんですか?」と続く。
困惑した目でこちらを見る沙夜から、僕は目を背けて、壁にかかる時計辺りを見た。咳払いをして、声の調子を整える。
「お前と暮らし始めて今日でちょうど一週間が過ぎた。問題ないようなので、なんだ、その、僕は――」
きっと、この先の言葉を述べてしまえば、もう後戻りができなくなる。『それ以上、言ってはならない!』と内側に潜む藤堂敦彦が決死の思いで泡を飛ばす。もっともな意見である。でも、その予感を胸に溜め込みつつも、浮き出たイメージをかき消すように、あえて明晰とした声色で言った。
「――正式にお前の主になるよ」
時計の方へ目を向けたまま、二度、頭をかいた。シンプルな作りの黒時計がカチカチと音を立てて時を刻んでいる。時刻は午後三時を回っていた。
沙夜はどんな顔しているんだろう、と気になり、彼女を見た。そして、目を見張った。沙夜の眸にじわりと涙が溜まっていたのだ。その涙は、そのまま頬を伝い、白いカーペットを灰色に染めていく。
「はぁ!? そんなことで泣くなよ! お、おい、おま、どんだけ涙腺が弱いんだよ!」
「えぅ、泣いてなんていませんよぅ……」
彼女は必死に涙を隠そうと、それぞれの手で両目を覆うのだけれど、しきりにあふれ出す大粒の涙が、おおった指先をぬらし続けている。
「な、泣くわけないじゃないですか!」
泣きだしたと思ったら、威嚇するように僕を睨みつけた。それでも、つり上げた目には涙が浮いているようで、きらりと光っている。僕は屈伸運動するように屈んで、彼女と視線の高さを合わせた。
「なんだ、嫌なのか?」
「いいえ。嬉しくて、嬉しくて。だって私……ご主人様に迷惑かけてばかりでしたし……。てっきり嫌われてしまったのだと思っていました……」
随分と居心地の悪い思いをさせてしまっていたようだ。
「でもさ、最悪、僕とじゃなくたってよかっただろ?」
「……え?」
彼女は少し首を傾げ、頭に生えているツインテールをメトロノームのようにゆらゆら揺らす。
「そんなに僕に不満があるなら、さっさと見切りをつけて、別の人の元にいけばよかったんじゃないのか? 憑きもののことを好んで欲しがるやつだっているだろ? 僕よりも、……僕よりもお前を大切にしてくれる人だって、いるはずだろ?」
意地悪く尋ねたわけではなく、純粋に思っていたことをそのまま口にした。すると、沙夜はぶんぶんと大きく首を振って、あの日のように僕の手を両手で握った。そして、座ったまま宣言する。ベッドが軋む音が部屋に震動した。
「確かに、憑きものを欲しがっている憑きもの筋の方々はたくさんいます。でも、そんなことは関係ありません……。私はあなたがよかったんです!」
「ま、真面目な顔してそんなこと言うなよ!」
誠意を持って真情を吐露されて、照れくさくなった。
「それに……」
「それに?」
「あの日感じた不安の正体がわかりそうなんです」
「あの日って? 不安?」
この表情は、取引きを持ちかけてきた時の表情と似ている気がした。粉薬を無理やり飲まされた子供のような苦々しい顔をしている。沙夜は黙り込んだ。何度か聞き返したが、それ以上は答えようとしない。
「少し、昔の話をさせていただけますか?」
と突然場を仕切るように言い、呼吸を整えるように胸を上下させた。決心を固めているのだろうか。僕はどれだけ刺激の強い話が来ても平然としていられるよう身構えた。しかし、続く彼女の一声で身体が硬直することとなる。
「あなたのもとに来るまでお世話になっていた。“前のご主人様”の話を――」
言葉を聞き取って、息を呑む音が身体の内側で響いた。
僕の他にも主がいたという新たな事実が発覚したわけだが、さほど驚きはしなかった。それは、なんとなく予感していたからだ。だけど、沙夜の気持ちを汲み取ってきた人がいるのだ。僕の他にも、沙夜と主従関係になった人間がいるのだ。――そう思うと、切なさのような気持ちが込み上げる。この感情をなんて呼ぶのか、僕はよく知らない。
「前といってもそんなに昔じゃありません。私が前のご主人様と暮らし始めたのは、大体29年前です」
「は? ちょっと待て、お前、いくつなんだよ?」
「憑きものの中では若い方ですよ。ご主人様はあなたでまだ二人目ですし」
「ああ、そう」
そもそも、憑きものの年齢ってどうなっているんだろう。生まれた時から、彼女はこんな見た目をしていたのか? 少なくとも、平素の挙動から、彼女が僕より年上だとは思えない。しかし、この際、沙夜が何年生きたのかはどうでもいいとした。
「以前、私が尽くしていたご主人様は、とても利口な方でした。愚かなあなたとは違って」
「おい、いちいち一言多いぞ。慎め。これじゃ話が進まない」
「あ、いえ、悪口のつもりはないんですよ」
「褒め言葉のつもりだったのか、そりゃありがとな」
僕の皮肉を気にせずに沙夜は話を進める。
「当時のご主人様は利発で、私を有効的に使役しました」
「有効的、ねぇ……」
「…………ただ、不安に思いました」
沙夜の顔が突然、暗いものに変貌した。目の輝きは失われ、唇の端が下がる。僕はその変化に混乱させられて、沙夜の言葉をただ反復した。
「不安に思った?」
「ええ。私は、今までご主人様の命令で色々なことをしてきたんです。私が情報を盗んで、それを、ご主人様が活用し、相手を貶めて、……時には、自殺する人まで――」
発言の途中から声が掠れていった。
「じ、自殺って……」
彼女の口から『自殺』だなんて物騒な言葉が出てきたので驚いた。きっと、自殺するまで追い詰めたってことだろう。
だけど、不思議と沙夜が非道なことをしているようには思えなかった。沙夜の本分は、情報を盗んで主に届ける、というところにある。憑きものっていうのは、本来そういう使い方なんだろうな、と我ながら殊勝なことを思ったが、嫌な気持ちを抱いてしまったことも真実だった。
その気持ちは沙夜に向けてか? いや、違うだろう、と僕は決めつけた。
「ご主人様……」
沙夜は大きく目を開けて僕のことをじっと見た。まるで、幼い子供が、わからないことを尋ねる時のような、ひどく情けない顔をしている。
「――私は、ずっと、それが当然だと思っていましたが、私がしてきたこと、ひょっとして、……間違っていたのでしょうか?」
「それは……」
続く言葉を出せなかった。もし、これが差しさわりのない問いかけだったのならば、倫理性を主張して、「間違っている」と断言していたことだろう。だけど、今は、答えてはいけない気さえする。
「やはり、間違って、いたのでしょうか……?」
すっかり悄然としてしまった彼女は、首を前に突き出して、僕の身体目掛けて顔を迫らせる。また脈略もなく口づけを迫ってくるのかと思いきや、彼女は僕の薄い胸板に頭を乗せた。その姿勢のまま、ぴたりと動きが止まった。
「……沙夜?」
「すみません……。めちゃくちゃなこと言って、すみません……」
震えているのがわかった。
「あなたと出会ってから様々な疑問が生まれたんです……。なにが正しくて、なにが間違っているのか、わからなくなりました。ですが……、あなたといれば、本当のことがわかると思うのです……」
沙夜の言っていることが、別世界の言葉のように思えた。なにを言っているのか、皆目見当がつかない。お前は一体、なにと闘っているんだよ……。
「私は、嫌なんです。あのころのような生き方を……もう二度と……したくありません」
僕は沙夜から目を背けた。沙夜の顔があまりにも、心苦しそうだったから――。
「僕にはお前がしてきたことが間違っているかどうかはわからない。憑きものというのは、そういうものなのかもしれない。ひょっとすれば、正しいのかもしれないし、もしかしたら、間違っているのかもしれない」
本音だ。よどみのない本音が口をついて飛び出してくる。
「でもな、これだけは言える。これからは、そんなこと心配する必要なんてないよ」
口先だけの言葉ではない。
「僕は憑きものに詳しくのないただの学生だ。それに、あいにく愚か者だから、お前の利用方法なんて想像もつかないし、欲望は人よりもないつもりだ。だから、お前は普通の生活をしていればいいんだ。これから先は、お前の生きたいように生きればいい」
心の底からそう思えた。
こんな当たり障りのない言葉でも、沙夜は喜んでくれたようで、一度は抑えた涙がまたあふれ出す。
「……やっぱり、ご主人様は変わっています、……愚かです」
涙でぐちゃぐちゃに濡らした顔を上げて、沙夜は少しだけ笑った。
「そりゃお互い様だろ」
なので、僕も笑ってみた。不思議と心が晴れ渡ったような気がする。
うまいことをいうつもりはないけれど、そう、まるで、
憑きものが落ちたような気分だった――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夕食をとり終えて僕が部屋に戻ると、沙夜がベッドの上で浮かない顔をしてしゃがみ込んでいた。どうしたのだろう、とよく見れば、彼女の呼吸が荒いことに気が付いた。僕は狭い室内で小走りになって詰め寄り、彼女の顔を見る。
「お、おい。顔が真っ赤じゃないか」
「ご主人……、さま。ひとつ聞きたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「そんなこと言っている場合かよ。熱はあるのか? じっとしてろよ」
前回、激しく拒絶されたこともあって、凶暴動物に触れる飼育員のように身構えながら、額に手を当てようと差し延ばすと、沙夜は受け付けるように首を前に突き出した。そっと触ってみれば、沙夜の額は心なしか、熱く感じた。
僕はいよいよ不安になる。今度こそ理由がわからないからだ。妖力も供給してやっているし、睡眠もしっかりとらせている。なのに、どうしてだ。さっきまではあれだけ体調がよかったのに。憑きものの風邪を見くびっていたのか。すっかり油断していた。焦りは徐々に膨れ上がる。
「まだ調子が悪いのか? 無理すんな。寝てろ」
そして、本気で心配している自分がいることに気が付いた。それは、自分ではよくわからない感情だった。身体の内側から芽生えつつある愛着か? それとも、見捨てることのできない偽善行為に近い親切心か? 考察をしたが、結局答えらしき答えは生まれなかった。
「調子が悪いわけではありません。ですが……。あの……、胸のつかえが取れなくて……、なんだか心苦しくて……」
吐き出す息が荒い。
「しゃべらなくていいから、とにかく休め……」
沙夜はそれでもぼつぼつと呟いている。言葉に語気がなく、表情が晴れ晴れとしていない。
「……胸がとくとく高鳴って、とても不思議な感覚です。……幸福に似た感情なのですが、それでも、どこか不安で……」
「……幸福? 不安? 憑きものの風邪って変わっているんだな。どうやったら直る? 僕はなにをすればいい?」
僕がそう聞くと、沙夜は僕の顔を見つめながら首を振った。
「い、いえ、多分、これは風邪ではないと思います、はい」
「まだ強がるつもりかよ。風邪じゃないってんなら、なんだって言うんだ」
僕の問いかけに対して、沙夜は少しだけ考え込むような素振りを見せた後、こう言った。
「……もしかして、恋というのは、こういうことを言うのでしょうか?」
思わぬ返答に、僕は目を見開いていた。
――同時に、ふわーと意識が遠のいた。雲の上に放り出されたように、視野が一瞬真っ白に染まる。それでいて、やけに聴覚だけが敏感になって、下の階から聞こえてくる物音が騒々しく聞こえてくるように感じられた。
こいつは、なにを言っている?
恋? 憑きものが、か?
誰に、だ? 僕に、か?
まさか――。そんなこと。
面と向かって疑問を突きつける沙夜を目前に置き、照れくさくなった僕は、はぐらかすような口ぶりで呟いた。
「さぁな……」
極限に緊張した時って言葉がつまるんだ、そんなことを痛感していた。言葉がのどに引っ掛かってうまく吐き出せない。僕の顔も、沙夜のように真っ赤なのかもしれない。彼女が心の内を打ち明けてくれたことについて、確かな嬉しさはあった。高揚すらしている。それでいて、
至極、切なかった。
僕の気持ちどうこう以前に、沙夜は憑きもので、僕は人間なのだ。そんな関係に恋愛なんてものが成り立つはずがない。だけど、小娘憑きは、他の人に見えないだけであって、人間とほとんど変わらない存在だ……。
……となれば。
――ううん。僕は千切れんばかりに頭を捻った。こけしだったら首が外れているころだろうな、などと冴えないことを考える。
色々と逡巡したが、思考を働かせるのが億劫になり、ベッドに足を向けて身体をのけ反らせた。そのまま、思いきり身体を伸ばす。
――やめた。思考中止。なにを真剣に考えているのだろう。あほらしい。もし仮に、沙夜が僕に特別な好意を持ってくれていたとしても、そもそも僕はその感情を沙夜に抱くことはない。女の子として意識しない方が賢明なのだ。
見上げれば、天井を背景に沙夜の顔が浮かんでいた。ベッドから身を乗り出して僕のことを見下ろしているのだ。頬を紅潮させた沙夜は、歯切れ悪く発言した。
「私は、初めてなので、よくわかりません……。でも、私は、ご主人様のことを大切だと思っています」
その語調は強く、固い意志をもって主張するみたいで、彼女自身に言い聞かせているようでもあった。
「そっか……」
なんの気なしに、もう一度、沙夜の顔を見たら、心臓が張り裂けんばかりに高鳴った。冷静でいられる自分もいれば、うろたえている自分もいた。
ここ最近の僕は本当にどうかしている!
他人に興味を示さず、優柔不断で嘘をつくのが下手、嫌なことは先に済ますタイプで、押しに弱い男。――それが僕だ。それが藤堂敦彦のステータスなのだ。これから先も変わらないし、この性格を気に入ってもいる。
僕は現実から逃げるように目を閉じて、想像を働かせた。
まるで、十六年と作り上げてきた心を、全く別の色で塗り替えられているような気分だった。街中で描かれる、グラフィティアートのように、あいまいな線で描かれたハート。その上を別の色のペンキで塗っていく。はけを持っているのは沙夜だ。無邪気な顔した彼女が、むやみやたらに僕の心を上塗りしていく。したり顔で染め上げる。そして、イメージの中の僕は、彼女を止めることなく手をこまねいて傍観していた。きっと、それでもいいと思える自分も存在しているのだろう。まさに、そんなイメージだった。
『あーちゃんは昔から変わらないよね』頭の中で奈緒が言う。
『ひょっとすれば、僕は、変わっていきつつあるのかもな』僕があいまいに答えると、奈緒はけたけたと笑い始めた。
『そんなに、おかしいか?』僕がそう聞くと、彼女はひとしきり笑った後、
『ううん。それでもいいと思うよ』微笑みながらそう答えた。
カーペットで寝返りを打つと、奈緒の顔とその他もろもろのイメージが頭の中から消えていく。あとは、自分で考えろ、と言うようだった。
あー、憑きものってなんなんだろう?
またしても、混沌めいたごちゃごちゃな感情が頭の中でうずめきだしていた。
出かける前に投稿。
第14話 『突然のさよなら』に続きます。
次回 ⇒ 12/12か12/13




