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Report,08 「ムシガミ憑き」


 恭次は氷上家を訪れた。父母は暖かく迎えてくれた。すっかり元気をなくした祖父に挨拶し、焼香する。そしてそのまま霧也の部屋に向かう。部屋の前から、油の臭いが立ちこめていた。

「僕だ。入っていいかい?」

 少しの沈黙の後、

「どうぞ」

 無感情な霧也の声がした。

 恭次はドアを開く。むっとする、油の臭いにむせた。

「ちゃんと換気しているのかい?」

「窓は開けてありますよ。ただ風の通りが悪いんです」

 金色の黄昏の中、霧也は逆光を背にしていた。部屋の中には、立てかけられたカンバスが乱立している。

 霧也は絵筆をエプロンに差し、パレットを机に置く。ちょうど絵を描いている最中だったようだ。

「悪いね、邪魔して」

「いえ」

 そうはいうが、どこか不機嫌そうだった。もっとも、霧也が機嫌のいいところを、見た覚えがない。

「それでどうしたんです?」

「少し聞きたいことがあってね」

 恭次は適当に腰かけた。そうすると、霧也は真っ黒な影になった。微かな輪郭が、反射に浮かぶ。

「高野瑞希、という子を知ってるかい?」

「ええ。同級生でした」

「その高野さんが行方不明なのは――」

「当然知ってます」

 霧也は怪訝そうな表情を浮かべた、気がした。

「君は彼女と親しかったかい?」

「特別は親しくないです」

「じゃあ、彼女の交友関係は?」

「そんなには」

「そうか……」

 恭次は当てが外れたと、思案した。そのわずかの間に、

「用が済んだなら帰ってもらえますか?」

 ぞんざいに言う。それに恭次は戸惑った。

「ああ、すまない。あと一つだけ。彼女が去年の春、一緒に出かけた人物に心当たりは?」

「何をしに、ですか?」

「確か、絵を描きに行くとか……」

 霧也の影が、笑ったような気がした。

「ああ、それなら、一緒にいたのは僕ですよ」

「えっ?」

「山に、一緒に絵を描きに行ったんです。彼女に誘われて」

「じゃあその時、何があったのか、君は知っているのか?」

「何がって?」

「彼女が行方不明になった原因だ。彼女はその日以来、失踪したんだ」

 霧也は肩をすくめた。

「さあ」

「重要なことなんだ。君はいつまで、彼女と一緒にいて、いつわかれたんだ?」

「……」

 霧也のかしげた横顔が、夕日を受けて光った。その瞳には、一切の色彩がなかった。言葉に詰まる霧也。そこで恭次は、漠然とした不安が込み上げた。いくつかの言葉が浮上する。「斑蝕」、失明、ムシツキ、ヨルガクル。

 だが霧也は奥月村の人間だったか。晶子は、どうだったか分からない。氷上の人間は、奥月の人間なのだろうか。

 瑞希が発症した可能性がある。霧也はそれに、恐怖を感じた。だが発症が、どのような状態で、期間なのか分からない。瑞希に、先に異変があったのか。

 聞くことはたくさんあった。その一つ一つを確かめようとした時、霧也は確かに笑った。亀裂のように、影が裂ける。

「ずっと一緒にいましたよ。絵を描いている間」

「じゃあ、その後は?」

 霧也は答えず、

「ヨルガクル、という感覚、分かります?」

 恭次は息を呑んだ。

「まるで虫食いのように、ぽつんぽつんと、視界が黒くなっていくんです」

 それは斑鳩から聞いた、ムシガミ憑きの症状だった。

「そのうち、目の前は真っ暗になるんですよ。ああこれが、夜が来た、っていうことなんだなって」

 霧也は笑っていた。恭次の表情が、よく見えるからだろう。今自分はどんな顔をしているのか。無表情かもしれない。やはり恐怖に引きつっているだろうか。

「目が見えなくなった後、それに慣れてくると、ぼんやり光るものが見えてくるんですよ。丸い、月のような。でもそれも、虫たちに食われていってしまう。そうすると怖くなって、やめてくれって叫ぶんです。そしてどこからか声が聞こえてくるんです。人を殺せって」

「じゃあ、君が高野さんを……」

「その声に素直に従うと、目が見えてくるんですよね。次に思うのは、血を浴びたい。血で喉を潤したいって。今だからそう思うだけで、当時は必死でした。もっといろんなことを思ったかもしれない」

「君は高野さんを、殺したのか?」

「さあ。だとしたら、どうなんです? 証拠は、死体は? 仮に捕まったとしても、俺は裁かれない。だって俺は、異常なんだから」

「……」

 恭次は立ち上がる。部屋を出ようとして、後ろから襲われる恐怖に駆られた。霧也は笑っている。冗談ではないことは、恭次がよく分かっていた。それがムシツキの症状だと、知っているからだ。

 とにかく斑鳩に連絡しなければ。恭次は無様に、転がるように氷上家を出た。


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