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Report,04 「斑蝕」


 斑鳩の話は、それにあたって恭次に協力して欲しいとのことだった。恭次は快諾した。自分のやろうとしていたことと同じであり、力強い味方ができた気がしたからだ。斑鳩なら、真実を明らかにしてくれる気がした。そしてそのために、自分の存在が不可欠だ。たとえ真実を明らかにしても、もう妻はいない。それでも、前に進むため、今自分が生きる気力は、この町にある謎に迫ることだった。

「そういえば、このあと予定があるんじゃなかったですか?」

「ああ」

 斑鳩の言葉に思い出す。

「たいした用事じゃないんです。美術館に行こうと思っていまして」

 斑鳩の話がたいしたことがなかったら、適当に切り上げて行くつもりだった。そんなふうに思っていたことが申し訳ない。

 斑鳩は感心したように、

「ほう、絵がお好きなんですか」

「いえ。実は妻の弟が、描いた絵が入選したんですよ。なんか大賞をとったらしいんです」

「見に行かなくていいんですか?」

「いや、申し訳ないのですが、斑鳩さんの話が一段落したらのつもりだったんです。でも、今はそれどころじゃない、と思いまして」

「せっかくなので、一緒に行きましょう。道すがら話すこともできますし」

「いえ、さすがに悪いです」

「お気になさらず。私はこれでも、絵が好きなんですよ。レオナルド・ダ・ヴィンチとか」

「では、申し訳ありませんが」

 今日知り合った人物と、弟の絵を見に行くのは奇妙な気分だった。しかしいろんな人に、妻の弟の絵を見てもらえて嬉しかった。

 斑鳩は恭次の車に乗り、美術館に向かう。道中、今後の計画を立てた。斑鳩は町の民宿に泊まっているらしく、しばらく滞在するらしい。恭次は一人暮らしなので、居候をすすめたが、それには及ばないと斑鳩は断った。まだそれほど親しくないので、それ以上は引きとめなかった。

「私は今度、奥月村の跡地を見てきます。葛城さんは、もし機会があれば、情報を引き出してください」

「分かりました」

 とはいったものの、具体的にどうすればいいか、思いつかなかった。

 そうこうしているうちに、美術館に着いた。休日だが、客は少なかった。

「ほう、モネの巡回展が来てるんですか」

「みたいですね」

 入り口の看板に、貼り紙があった。斑鳩が興味を示したが、恭次は構わず、町民の作品が展示されているコーナーに向かう。曲がり道だらけの空間に整然と、百点近い作品が展示されていた。

 絵が好きな妻がいればまた違ったのだろうが、恭次は絵の良し悪しは分からないが、どれも素晴らしい作品に見えた。斑鳩は胡散臭い講評をつけている。そして弟――氷上霧也の、作品を見つける。人間の背丈ぐらいはあろうかという、縦長のカンバスに、力強い油絵が描かれていた。それを見て斑鳩もうなる。

「縦断するように描かれたこの人物は、うん、そうだな、確かな存在感があるのに、まるで生命がないかのようだ」

「ですね」

 とうなずくしかなかった。白いドレスを着た女性、だろうか。まるで人魚のような佇まい。その美しい顔に見覚えがあったが、かすんだように描かれ、まるで幻のように感じられた。

「これは大作だな。周りを囲んでいるのは花だろうか? 黒い斑点に隠されて、まるで虫食いの眼鏡でのぞいているようだ。タイトルは――」

「“はんしょく”です」

 涼やかな声に、斑鳩と恭次は振り返った。そこには微笑を浮かべた、少年がいた。

「霧也くん!」

 氷上霧也は、どこか厭世的な笑みを浮かべていた。

「どうしたんだい? 出歩いても大丈夫なのかい?」

「ええ。おかげさまで。葛城さんもどうしたんです?」

「君の絵を見に来たんだよ」

「ありがとうございます。そちらの方は?」

 どう紹介しようかと思った。斑鳩は晶子の死について調べている。斑鳩にしても、無遠慮に質問しかねない。

 そんな不安をよそに、斑鳩は答えず、

「この絵は、何をテーマにしたんだい?」

「さあ、何でしょうかね」

 霧也は肩をすくめてみせる。どこか意地の悪い性格をしていた。

 斑鳩は思案顔で、

「黒い斑点、“斑蝕”、斑に食いつぶされているのは花だ。これは自然が蝕まれていくさまと、そうして失われていく女神、あるいは何らかの象徴を描いたものじゃないかな」

 霧也が驚いたように目を見開く。

「美術関係の方ですか?」

「いや、フリーの記者だよ。葛城さんとは知り合いでね、美術館に行くというからついてきたんだ」

「そうなんですか」

 斑鳩は遠慮したのか、恭次と同じように、霧也には聞かなかった。

 霧也はまた、あの笑みを浮かべると、

「自然が芸術を模倣するという、言葉を聞いたことありますか?」

「オスカー・ワイルドだね」

「まあ僕は、誰が言ったのかしらないんですが」

 自嘲気味な表情をして、視線を「斑蝕」に向ける。

「もしも自然が芸術を模倣するのなら、人の罪もまた、模倣するのではないでしょうか」

「というと?」

「奪われたように、奪う」

 その言葉が、恭次の心臓を刺した気がした。霧也もまた、三年間苦しんだ。それは自分以上だったかもしれない。そして前に進むために、この絵を描いた。だがこの絵の、奪った者と、奪われる者はどこにあるのだろう。

「では僕は、モネの展示を見に来ただけなので、これで帰ります」

「うん。じゃあ、また。気をつけて」

「はい」

 霧也は一礼して去っていく。恭次は霧也が、無理に笑っていることに気づいた。自分が目の前にいるだけで、あのことを思い出してしまうのではないだろうか。

 恭次が霧也の背中が、曲がり角に消えるのを見守っていると、

「霧也くん、どこか具合が悪いんですか?」

 しばしば恭次が気にかけていたのが分かったのだろう。

「実は霧也くん、事件のショックで、一時期失明していたんです」

「そうだったんですか」

「徐々に良くなって、今ではああして、一人で出歩けるようになったみたいですね」

「逆境が、彼を成長させたんでしょう。この作品は素晴らしい」

 恭次は再び「斑蝕」を見た。この女性像が晶子なら、奪われた者は彼女のことなのだろう。


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