Report,10 「蔵の中の鬼」
次の発作までの期間が分からない。恭次と斑鳩は、手分けすることになった。
恭次は来栖家を訪れる。来栖家の蔵には、斑鳩が見た文献よりも、古いものがあるらしく、祭りに関するものが存在すると思われる。恭次が内容を理解しなくとも、蔵を開放することに意味があった。後日、斑鳩が確認しに行く。とうの斑鳩は、県の財団法人――史料を収集した団体を訪ねに行った。
恭次は斑鳩と同様、来栖家の立地に唖然とした。農地改革後の、旧地主と旧小作人の見分け方は、土蔵があるかどうかだ。地主は大量の収穫を保存する必要があり、その名残に土蔵を有していた。別宅ということだが、こちらに持つ農地を管理するためのものだろう。そう分かるのは、農同で働くうちに身についた感覚だった。
恭次を出迎えたのは、来栖家当主だった。斑鳩なら、そこに来栖老人の面影を見て取るだろう。
「たびたび失礼します。農同の葛城恭次です。今日は先日訪れた、斑鳩に頼まれてきました」
来栖は頑固そうな顔に、微かな笑みを浮かべて、
「父から聞きましたが、この町の歴史を調べているようですね」
「ええ。そこで蔵にある、他の文献を見せていただけないでしょうか?」
「あいにく、蔵は古いもので、開けられないんですよ」
「何か方法はないんですか?」
「扉が壊れているようでしてね」
「修理すれば?」
「さあ。開くかどうか」
妙に来栖は乗り気じゃなかった。そんな古い蔵、どうでもいいのかもしれない。
「では、せめて蔵を拝見させていただけないでしょうか?」
実際に目で確認し、どう開かないのか調べ、対処する手段を講じたかった。
別に構わないだろう程度に言った恭次だが、来栖の顔はみるみる険しくなった。
「それはできません」
「なぜですか? 拝見するだけです。もし開けられそうなら、こちらで何とか――」
「あの蔵はどうあっても開かないんですよ。お引き取り願いたい」
とりつく島もない。
「お願いします! 見るだけでも」
「迷惑なんですよ。歴史研究だかなんだか知りませんが、あの蔵には、そんな大した物はない」
「どうしても、ムシガミ憑きに関する文献、来栖家の行っていた祭祀について、知らなければならないんです!」
「よそ者が顔を突っ込むな!」
痛いところを突いたらしく、来栖は声を荒げる。
「あなたには関係がないでしょう。ムシガミ憑きなど迷信。老人どもの戯言だ」
「弟が、そのムシガミ憑きなんです!」
恭次の言葉に、来栖の顔は引きつった。
来栖は微かに唇を震わせ、
「何かの病気でしょう。そんな昔話に頼るより、医者に行ったらどうです?」
「弟は一度、失明しました」
来栖は黙る。
「そして今は目が見えています。声に従ったからだそうです。人を殺せと。その後、一人の少女が失踪しました。弟と、絵を描きに行って」
来栖は猛然と立ち上がる。
「帰れ! ムシガミ憑きなんてものはないんだ! 仮にもしその話が本当なら、警察に行くべきだ。それに、ムシガミに憑かれた者は、二度ともとには戻らない。殺すしかないんだ。その弟が人を殺す前に、自分でどうにかすることだ」
恭次は剣幕に気圧された。これ以上、何を言っても無駄だという思いもあった。それに霧也の話を、不用意にしたのは失敗だった。
恭次は立ち上がり、
「失礼します……」
引き下がるしかなかった。
来栖家の門を出て、恭次が失意に沈んでいると、
「あの――」
二十代半ばぐらいの青年が声をかけてくる。
「来栖の息子の、正人です」
父親には似ず、小顔の色男だった。
「どうも。失礼しました」
恭次が立ち去ろうとするのに、
「話があるんです。少しよろしいですか?」
「ええ、大丈夫です」
「場所をかえましょう」
そう言うや、正人は先を歩く。来栖家の門前から続く、長い石段を降り、駐車場にある休憩所に入った。
「すみません。あそこでは話しづらかったので」
「それで、お話とは?」
正人の顔に暗い影がよぎった。
「ムシガミ憑きについて、調べているとのことでしたが」
「ええ。蔵を拝見させていただきたかったのですが、追い返されてしまいました」
恭次は肩をすくめた。
正人はじっと恭次の目を見て、
「蔵には入れないんです」
「みたいですね」
「建て付けがどうとかじゃないんです。あそこには、兄がいるんです」
「お兄さんが?」
「はい」
「どういうことでしょうか?」
恭次はこれほど、自分が鈍いとは思わなかった。まだ意味を理解していなかった。
「兄――直人は、ムシガミ憑きなんです」
「なんだって!?」
思わず叫んだ。正人の困った顔に、恭次は口を押さえた。
「すみません」
「いえ。兄がムシガミ憑き、失明したのは十年と少し前です。それから妙なことを口走るようになりました。そして僕を、殺そうとしたんです……」
正人の肩が震えた。その光景が、まだ目に焼きついているかのようだった。
「父と祖父は、兄を蔵に閉じ込めました。二人は、何かの病気かと思ったそうですが、迷信と思っていた、ムシガミ憑きを思い出しました。最初の頃は、治ると思っていたんでしょう。いや、信じたかったのでしょう。二人は、兄に……」
正人は頭を抱え、くぐもった声で言う。
「“イケニエ”を捧げました……」
「いけ、にえ……?」
「はい。ムシガミ憑きは、人を殺さねば、狂い死にます。いや、もう狂っているのに。父と祖父は嫡子嫡流にこだわりました。今となっては馬鹿らしい。そのために、兄を生かすために、町の人を誘拐して、兄に与えました。毎年、十人前後を。僕がそれを知ったのは、二年ほど前です」
恭次は怒りがわいた。来栖の家にしてもそうだが、正人が知って黙っていたことだ。しかしそれについて追求しても無駄だろう。一族に縛られていた、そう考えるのが妥当だ。
だから肝心のことを聞く。
「どうしてそれが、騒ぎにならなかったんですか? それだけの人間が失踪して?」
「表面上は分からないかもしれませんが、奥月村の人間というだけで、忌避される風潮があります。それはムシガミ憑きの伝承によるものかもしれません。僕は来栖の人間だから、特別扱いを受けるにしても、よくは分からないのですが」
奥月の人間でも、来栖は特別なのだろう。名士的な存在だ。
「奥月村の人間がいなくなっても、ほとんどの人が気にかけないというよりも、関わろうとしません」
「それは、ムシガミ憑きの可能性があるからですか?」
「祟りがあるからです。ムシガミ憑きに関わると、ムシが憑くという」
「それは――」
「分かりませんが、迷信と一笑はできません。現に、ムシガミ憑きは存在するのだから」
斑鳩は、特有の精神病だと言った。しかし現代の医療機関でも発見できない。そうするとこれは、奥月村の人間にかかった、呪いのように思えた。
「だから、蔵の中には入れません。しかしこうして、不審に思い、探っている方がいます。僕は警察に行きます。少なくとも、誘拐のことだけは信じてもらえるでしょう」
正人は立ち上がった。恭次はかけるべき言葉が見つからなかった。
「あの時、そうしていればよかったんだ……去年の春に……」
うなだれた背中を見送り、恭次は暗澹たる気持ちだった。ムシガミを祀る家系でさえ、治すことができずに、蔵の中に鬼を飼っているのだから。