俺の友達が会社の後輩に狙われている
大学時代の先輩からLINEが来た。
『おひさ〜✋️肉屋やってる親父が最高ランクの牛肉ゲットした!!バーベキューやろうと思ってるんだけど、知り合い2人くらい誘って来ない!?』
俺はまず会社の仲良い後輩、狩野に連絡した。2分後、『やばい最高』と返信が来る。さすが先月の営業成績トップの男。あいつはこの手の集まりには欠かせない。盛り上げ役として俺の分まで大いに働いてくれるだろう。
さてもう一人は誰にしよう。このバーベキューが開催された意図を考える。先輩は先月、税理士事務所を開業したばかり。
営業だ。できたてホヤホヤの事務所に、客を呼ぼうとしているのだ。"最高ランクの牛肉"は釣り餌だ。
よって、誘うもう一人は会社の社長がいい。だけど知り合いに社長はいない。まだいない。
一人の顔が思い浮かぶ。中等部からの友人、緒川だ。緒川の母親はケーキ屋さんをやっている。社長である母親以外は、パティシエひとりを雇っているだけの小さな店だと聞いている。税理士の営業をかけるにはむしろ好都合かもしれない。
緒川にLINEを転送する。
『だってさ。肉好き?』
前の会話は一ヶ月前。緒川から、大学の同窓会に着ていく服の相談を受けていた。昔から緒川のファッションセンスは壊滅的だ。別に俺もお洒落じゃないけど。リコーダーのドレミの吹き方くらいは教えられるとか、そういうレベル。
緒川とリアルで会ったのは三ヶ月前。中高の友達5人で集まって遊んだ。遊ぶっつってもスマブラするわけじゃなくて居酒屋をはしごする。半年に一度のイベントだ。中高で仲良いメンバーは8人いた。そのうち1人は結婚、1人は海外出張、1人は音信不通。俺たちは今年で26歳。30歳になる頃には何人残っているんだろう。なんとなく俺と緒川は最後まで残る気がする。不本意だけど。
4時間後、緒川から返信が来た。
『肉は、そんなに好きじゃない』
そうだったのかよ。10年以上の付き合いで初めて知る情報。
『肉以外もあると思うよ 来てくんない?』
『あとは、誰が来るの』
『会社の後輩誘ってる』
『中高の他のやつじゃだめなの?』
お前のお母さんが社長だから。カモが来たって、先輩が喜びそうだから。
『うん』
勿論そんなこと言わない。友情が俺をそうさせる。
『まあ、好きじゃない場所に行くのも、経験として大事だと思うから、行こうかな』
動機は何であれOK。社長の息子っぽい服装で来るように、遠回しにファッション指導しておこう。
バーベキュー当日。西武秩父駅に着くと先輩の知り合いが待っていて、その人が運転する車で会場まで向かった。車内全員知らん人。男女比は1:1。指にFANCYとタトゥーが入ってる男の"先週の合コン"の話で大盛り上がりだ。
お互い知り合い同士なの? そうじゃないのに盛り上がってんの? なんで全員日焼けしてんの? 一緒に海でも行ってんの? なんなの。
待てよ、緒川くんがいない。駅で待ち合わせして、一緒に乗る予定だったのに。LINEも電話もきていない。
駅でひとりぽつんと待っている緒川くん。5月の青空の下の緒川くん。緒川くんの背負ってる青のリュックサック。高校の時から使っている、誰も知らないスポーツブランドのリュックサック。反射板がついてるリュックサック。もしあれ背負ってきてたら置いてきて正解かも。
なーんて、うそうそ。
『車もう出ちゃったけど…今どこ??』
20分間、返信なし。まさかドタキャン? いやそんなことするタイプじゃない。何かあったのかな。心配したいのに、車内ではポッキーゲーム、ならぬプリッツゲームが始まっている。気づいたら知らない女性と鼻先間距離5センチメートル。あ、二重整形してるかも。
そうこうしている間にバーベキュー会場に到着した。秩父の穏やかな川べりに、生態系破壊の象徴みたいな色彩の人間たちが集う。俺たちはこれからここで死肉を焼く。
「おう、竹田!」
竹田、竹田……先輩の大声が山びこで響く。
「おざます、おざます、おざます」
俺はそこまで声が通らないのでセルフ山びこする。先輩は巨大な水鉄砲を携えている。熊が出てもこれで太刀打ちできるかな。無理か。
「よく来てくれたなあ! おまえ忙しいんだろ?」
「そんなっすよ全然。クレーム処理で時間食われてるだけです」
「嫌になったら俺の事務所こいよ。友達手当つけてやるから」
「ハハハ」
水鉄砲を反対の肩にかつぐ。すると、季節外れの雪だるまが突如現れる。確かにここは涼しいけど?
雪だるまじゃなくて緒川くんだった。でかすぎる水鉄砲の陰に隠れていた。この集団の中だと色白さがひときわ目立つ。向こうの木陰で日傘をさしている白ギャルより白い。ていうか、着てるその黒いジャケットは何? リクルートスーツじゃない?
「先に来てたのかよ。駅前にいなかったから、緒川のこと置いてきちゃったと思って心配してたんだよ」
「俺の車に乗せてきた」
緒川が応じる間もなく先輩が言う。
「緒川くんのお母様、社長なんだってね。車で聞いたよ」
それなら紹介する手間と罪悪感が省けて良かった。
「そんな大きい会社じゃないです」
足元の石ころを見つめながらそのように言う緒川の声は、謙遜のトーンでは決してない。
「いやいやー、立派ですよ。ちなみに、税理士はどこに頼んでる?」
すまん緒川。眉を顰める緒川を置いて、そっとその場を離れる。
木蔭にみんなの荷物がある。万が一盗まれたりすると嫌だから俺は自分で持っておこうと通り過ぎようとしたとき、目を疑った。そこには反射板の付いた青のリュックサックがあった。
「おはようございます、竹田さん!」
竹田さん、竹田さん……狩野の大声が山びこで響く。
「おはよう」
狩野にセルフ山びこはしない。後輩だし、そこまで気を遣う仲じゃない。
狩野は事前に準備役を買って出ていたので、俺たちより1時間以上早くここに来ている。しかも狩野は自分の車を出して、運転役もやっている。既に先輩の知り合いたちと打ち解けている様子だ。
「まじ誘ってくれて嬉しいです。肉、見ました? がちやばいっすよ」
「そりゃよかった。肉といえば狩野だもんな」
「ほんとそう。俺こそが焼肉キング」
話していてふと不安になる。狩野は陽キャだから色んな人と喋る。緒川は先輩につかまっている。俺、どう過ごしてたらいいんだ。
「なんか手伝うことない?」
「竹田さんは食うことだけ考えててください! キングに任せてくださいよ。じゃ、肉焼いてきます」
立つ風爽やかと書いて颯爽。一人残された俺は無理そう。
バーベキューで必要な役割を教えてください。ChatGPTに質問する。しかしいつまでたっても回答送信中でぐるぐる。山の近くだから電波が届きにくいのか。こういうときのためにインストールしていたパズルゲームを起動。喫煙者だったら良かった。タバコ吸いながらスマホいじるのは格好つくけど、バーベキューにまで来て突っ立ってただスマホいじってんのなんて陰キャすぎるじゃん。
とりあえず辺りを散歩することにする。自然が好きな人って感じで。魚の声に耳を澄ませる。魚の声?
「あのお」
高い声に振り向くと、車内でプリッツゲームをした二重の子だ。
ラブロマンス大歓迎。結婚を前提に婚約しましょう。
「保険ってなにか入られてます?」
長丁場の営業トークの結果、俺はなんかの年金に入ることになっていた。ガンは怖いからね。おかげで一人で川辺をうろうろせずに済んだし、いいことずくめだ。
肉のこんがり美味そうな匂いが風に乗ってやってくる。あの人だかりの中央に、焼かれた死肉があるのだ。
「それじゃ、みなさーん、かんぱーい!」
唐突に声が響き渡る。川辺の人間たちが一斉にコップを掲げる。俺の手にはコップがない。空の拳を突き上げる。えいえいおー、じゃねえんだちくしょう。
「いたいた、竹田さーん!」
狩野が人だかりをかいくぐって駆け寄ってくる。その手に載った紙皿で肉がつやつやしている。
「肉持ってきましたよ。まだ食ってないっすよね?」
俺が飢えたピューマのメスだったら即発情してた。
「てかビールもないじゃないですか。すみません、気付かなくて」
「いやいや」
肉を頬張る。旨い。最高ランクなだけある。
「でもそっか、可愛い子と喋ってましたもんね。見てましたよ俺」
「保険の営業だった」
「あっはは。俺も色んな人と名刺交換めっちゃさせられましたよ」
「名刺もってきてんの?」
「鞄に入ってたんすよ。会社のロゴ変わる前の古いやつだけど。それより、あっちの網の方でホタテ焼いてますよ。行きましょ」
狩野に背中を押されて歩く。俺、こいつより4歳年上だよな。俺が4歳なんだっけ。もうわからない。
「あれ、緒川?」
語尾に疑問符をつけてるけど確信がある。こんなに首が細くて白い人間は普通バーベキューにいない。
振り向いたそいつはやはり緒川だった。うんざりした表情の上に、社会人の男にしては長めの前髪が張り付いている。
先輩の姿を探す。ビールサーバーの横で、金のネックレスにアロハシャツを着た恰幅の良い中年の男と話し込んでいる。
「あの人、ずっと俺のお母さんの話しかしないんだよ」
俺の視線の意図に気づいた緒川が、文字通り口を尖らせて言う。
「だから、『何が言いたいんですか? はっきりしてください』って言った。そしたら離れてった。怒ったのかな、知らないけど」
俺の友達が先輩の機嫌を損ねた。イコール、俺が先輩の機嫌を損ねた。これが先輩の脳内方程式。
まあいっか、これを機に先輩と縁切れても。そもそもなんであんな人と付き合いあったんだ。むしろありがとうかも。
「むしろありがとう」
「なにが?」
「いや……あれ、なんかお前、めっちゃ濡れてない?」
耳たぶから小ぶりのイヤリングみたいな雫が垂れている。溶けかけの雪だるまだ。今日の最高気温は25℃。大汗をかくほど暑くない。
「あいつの連れみたいな奴に水鉄砲やられた。最悪。こんなとこ来なきゃよかった」
後ろ髪の束を握ってしぼりながら悪態をつく。内勤ならではの無造作ヘアが誤魔化せていいんじゃないかな。
「はじめまして!」
はじめまして、はじめまして……山びこじゃなくて鼓膜の中の反響だ。狩野が俺の前に歩み出る。
「俺、狩野っていいます! 竹田さんの会社の後輩です。よろしくお願いします!」
ニコニコペコペコと頭を下げる。見ろよ、この腰の低さと声のデカさ。これがうちの自慢の営業マンだぞ。
「あ、はい。緒川です。よろしくお願いします」
首にへばりついた襟を引っ張って指でこねながら言う。友達の会社の後輩だよ、少しは興味もつか興味もつふりしなよ。
「俺、肉の準備してるんすけど、やばいすよ。あれ食ったら、来てよかったーってなると思います!」
「肉あんまりなんだよね」
「海鮮もありますよ! イカとかホタテとか」
「ふーん」
「マシュマロもあります」
「えっ?」
緒川、食いつく。そうだこいつ甘党だったっけ。高校の頃、あの青いリュックの中には常にカントリーマアムの大袋が入っていた。そしてそれを俺らに分けてくれることは一度もなかった。いやハロウィンの日は一個だけくれたか。
「マシュマロもいかついっすよ。コストコのでけえやつっす」
「あっ、それテレビか何かで見て気になってたんだ」
「俺もっす。あったら絶対最高じゃんと思って、昨日の夜に買いに行きました」
「すばらしいね。食いたい」
狩野は誰とでもうまくやれる。この緒川を扱えるなら一級品だ。狩野が外務大臣になったら世界はもっと平和になるかもしれない。
狩野がマシュマロを焼く準備をすると言うのでついていく。二人は秩父にあるスイーツ店について話している。狩野はいつも以上にギアを上げて喋っている。俺の友達をもてなしてくれるのはありがたいんだけど、肝心の先輩が置いてきぼりだぞ。誰か俺に保険を紹介してくれないか? 今なら二社目もいけるけど。
「俺、手洗いたい」
マシュマロに串を刺す場面になって、緒川が言い出した。
「あっちに水道ありますよ。案内します」
「大丈夫、一人でいける」
「階段ちょっと濡れてるとこあるんで気をつけてくださいね」
去っていく緒川の背中を見送りながら、狩野が呟いた。
「緒川さんって恋人いるんですか?」
気になるのも仕方ない。緒川は変なやつだから、恋人がいるところを想像するのは難しい。
「いや、今はいないはず。高校以来ずっといないと思う」
「高校のときいたんですか? どんな人?」
「演劇部の部長と付き合ってたよ。背高いショートヘアの女の子」
「へえ。緒川さん、演劇部だったんですか?」
「でもあいつ、平部員のくせに練習休んだ後輩に説教してさ。しかも女子部員にだぞ。女子って色々あるじゃんか。それがきっかけで全部員から総スカン食らって、部長とも別れた」
「あっははは。知り合ったばっかでこんなん言うの失礼ですけど、なんか想像つきますね」
「だろ? あいつ頑固だしノンデリなところあるから」
「そうなんすね。まあ俺もあんまり人に気付かないところあるし、全然。ノンデリ大歓迎。あっ緒川さん、水道ありました?」
緒川が手をパタパタさせながら「あった」と言って戻ってきた。
ノンデリ大歓迎って、何?
マシュマロを焼いていると、知らない人が困った様子で色んな人に声を掛けている。俺らにも聞いてきた、「筆ペンもってませんか?」肉の葬式でもやるつもりか。
「俺コンビニ行って買ってきますよ! ちょうど買いたい飲みもんあったんで」
筆ペンに対する疑問を差し挟む間もなく狩野が手を挙げる。じゃあ俺は緒川が焼いているマシュマロの観察日記でもつけて待とうかな。
「竹田さんもほら、行きましょ」
え、俺も?
でも確かに、今のままだとタダ飯を食ってる訳の分からん男だ。少しでもこの場に貢献をしたという印象を周囲に与えたい。
緒川が一人になってしまうので声をかけようとしたが、マシュマロを焼くのに夢中なのでそっとしておいた。
狩野の車に乗る。そういえば狩野は、帰りの車も運転するから酒を飲めないのだ。体の40%はビールでできているような男なのに。それを我慢して面倒な役を買って出るなんて、本当に偉い奴だ。
「コンビニってどこにあった? 何分くらいかかる?」
シートベルトを着けながら尋ねる。
……返事がない。狩野消えた?
いる。エンジンもかけずにぼんやりと宙を見つめている。狩野が黙っているのなんて、飯を飲み込む瞬間とレントゲン写真を撮るときくらいなのに。
「どうした? 疲れたか?」
そう聞くと、狩野は大きな溜め息を吐きながらハンドルに顔を突っ伏した。
「緒川さん、ちょーかわいいんすけど」
……はい?
「ど、どこが?」
思わずそう聞くと、狩野はネズミの足音を聞いた猫みたいなスピードで振り向いた。
「顔っすよ!」
突風のような勢いで言われ、緒川の顔を思い浮かべる。不服そうな顔。傍迷惑な正義感に燃えている顔。自分のことなのに他人事のように澄ましている顔。その造形よりも、厄介なときの表情ばかり浮かぶ。
「いやまあ、ぜんぶかわいいっすよ。動きとか喋り方とか、独特な服のセンスとか」
そういえば緒川は学生時代、異性や上級生から可愛いと言われるタイプだった。しかし素性を知った途端にみんな離れていく。第一印象で可愛いと思われがちなだけに内面の可愛くなさが際立つのだろう。
「でもさ、おまえ、女好きだろ!?」
狩野の女好きは社内でも有名だ。何せ入社面接のときに趣味を質問され、「合コンです!」と答えて社長陣に気に入られて受かった奴だ。
「好きっすけど、女の子ってかわいいから好きなんですよ。要はかわいければなんでもオッケー」
なんでも、という言い回しに少し引っかかる。ペンギンやスノードームでもいいのかしら。
確かに狩野から写真で見せてもらった彼女や元カノはみんなかわいかった。そして顔のタイプがみんな似通っていた。言われてみれば緒川もあの顔の系列に入りそうではある。でも、男だよ?
「緒川さん、今年知り合った人間の中で一番かわいいんすけど。あの手の人って合コンじゃ出会えないんすよね。まじで来てよかったあ。誘ってくれてほんとありがとうございます!」
突然の性癖開示に戸惑っている俺を置いてきぼりにして、狩野は一人で勝手に喋っている。
「付き合いてえなあ。色白の子ってセックスのとき体真っ赤なって、ちょーエロいんすよね。しかも水鉄砲かけられたとか言って濡れてたじゃないですか。ちんこ勃たないよう必死でしたよ俺。やべームラムラしてきた。コンビニでコンドーム買おうかな? まあ持ってるけど笑。あれ竹田さん、顔色悪いっすよ。酒飲みすぎじゃないですか?」
まだビールもらってねえんだよ。
狩野は戻ってからも緒川に付きっきりだった。あれは完全に狙っている子に対する距離の詰め方だ。月に一度は見る仕草。でも今回はいつにも増して本気度の高さが伝わってくる。
俺は筆ペンを所望していた人物に渡した後、少し遠くから二人の様子を眺めていた。
かわいい、か。緒川に対してそんなこと思ったことない。出会った当初はそんな印象も抱いていたかもしれないが、覚えていない。
声が聞こえないこの距離で見ると、確かにかわいいと言われる理由はわかる。そう感じる人もいるだろうなと思う。目とか肌とか、なんというか全体的に澄み切っている。狩野は確か、透明感のある子が好きと言っていた。透明感って何だよ。人間であるからには細胞がみっちり詰まってるだろ。と思っていたけど、ああいうのを示していたのか。しかし透明感がありすぎるのも考えものだ。緒川の場合は表面が澄み切りすぎて、水底に沈んだ頑固な石が目につく。
ずっと二人と距離を取っているわけにもいかないし、どんな会話をしているも気になるので少し近づいてみる。
「緒川さんって動物だったら何が好きですか?」
「んー、猫かな。ベタだけど」
「俺も猫派です。実家で飼ってるんですけど、写真見ます?」
一見なんてことない会話なのに節々から狩野の性欲がほとばしっている。駄目だ、見ていられない。
また一人になる。誰も俺に話しかけない。いっそこのまま帰っても誰一人として気づかないんじゃないか。
そうだ、帰ろう。家の近くのスーパーで適当な惣菜とビール買って、それ食ってシャワー浴びて夕方まで寝よう。あっ、昨日のサクラミーツまだ見れてないんだった。布団の中で見よう。先週ニトリでちょっと良い敷布団を買ったんだ。
そうだ、帰ろう!
「どこ行くの?」
帰路へ一歩踏み出したとき、背後から突然声をかけられた。犯行現場をとらえられた窃盗犯ような気持ちで振り返ると、緒川が三連マシュマロ串を握ってひとり立っていた。
「おお。それ美味い? ずっと食ってるけど」
「そこそこ」
「あれ、狩野は?」
姿が見えない。さっきまで過保護なカンガルーの親くらいべったりだったのに。
「俺がカルピスソーダ飲みたいって言ったら、コンビニ行って買ってくるって。自分で買いに行くって言ったのに」
今回は俺を誘ってくれなかったなと一抹の寂しさをおぼえると同時に、一人で車でシコってんじゃないかという最悪の想像がよぎる。
「ちょっとこっち来て」
俺は緒川を連れて巨大な樹木の裏に回った。
周囲に人がいないのを確認してから、マシュマロを頬張る緒川に言った。
「狩野、お前のこと狙ってるよ」
意を決して伝える。しかし緒川は表情を変えずに俺の目を見ながらもちゃもちゃ咀嚼している。そして口の中のものをしっかり飲み込んでから言った。
「狙ってるって?」
「その……恋愛対象として見てるってこと」
性的対象、と言うのは流石にはばかられる。伝えづらいのもあるけど、俺だって考えたくない。俺の友達が会社の後輩に性的対象とされているなんて。
緒川は腕を組んで考え込みだした。これが始まると長いんだよな。深く思惟に潜っている男のつむじは日焼けで少し赤くなっている。髪の毛はだいぶ乾いてきたらしい。
長考の後、ぱっと顔を上げて言った。
「そういうのって、本人以外の人が勝手に言っていいものじゃないと思う」
……あ、えっと、はい。
正論を吐いた緒川の瞳は黒く輝いている。そうだ俺、こいつに口喧嘩で勝てたことないんだった。
「いや、俺はそんな。忠告しようと思って」
「忠告って何? まるで狩野くんの気持ちを危険なものみたいに言うけど」
実際に危険なんだよ。さっきのえげつない言葉の数々を聞かせてやろうか。
しかし、こいつは自分で見聞きしたもの以外は信じない性質だ。真実を伝えたとてかえって逆効果だろう。どうしたらこいつに口で勝てるんだ。頭をフル回転させる。
「でもお前、女の子が好きだろ。早めに脈ないこと伝えたほうがお互いにとって良いと思うんだよ」
「俺のこと決めつけないでよ。どっちも好きかもしれないじゃん」
「え、そうなの」
「わからない」
迷いなく言葉を吐く口は、熱々のマシュマロに炙られたせいかやたら赤くなっている。
「自分でもまだわからないことなんだから、竹田にわかる訳ないでしょ。ほっといてよ」
「わかんないわかんないって言ってるうちに手遅れになるぞ」
「手遅れってどういうこ……」
緒川はそれ以上喋らなくなった。
……あ、俺勝ったかも。口喧嘩で遂に緒川に勝った。
よっしゃあ! って言おうとしたけど俺も喋らなくなっている。口が塞がれている。甘い味がする。そんで柔らかい。これはマシュマロだ。マシュマロで口を塞ぐなんて、それは反則技じゃないか。
口を塞いでいるそれを掴んで押しやると、きょとんと目を丸くしている緒川が目の前にいた。俺の両手は緒川の頭を掴んでいる。まだ少し湿っている髪の毛が指に絡みついている。
そっと手を離す。震え出した足を一歩、一歩と後退させていく。
なんか言わないと。なんか言わないと。乾いてひっついた喉から、なんとか声を出す。
「ほらな」
バーベキュー会場の外の道を全力疾走する。
なにが「ほらな」だよ。五分前にタイムスリップして俺を殺したい。
唇に垂れてきた汗が甘じょっぱい。透明感なんて嘘だ、やっぱり細胞でぎっしりしてた。
柔らかい唇、それは焼かれていない人間の生肉。うん、俺は生肉に口つけただけ。それはそれでやばい。
「あれーっ、竹田さんどうしたんすか?」
逃走現場を見られた指名手配犯みたいな気持ちで振り向く。カルピスソーダを手に持っている狩野がそこにいた。気づいたらここはさっき来たコンビニの駐車場だ。
「走ってここまで来たんすか? 汗やばいすよ」
「あ、ああ……」
「一人ですか? 緒川さんはどうしてます?」
その名前を聞くと、心臓が飛び出しそうにかる。
「オガワ? ああ、緒川ね。あいつは、あの、その……」
息切れのせいで上手く喋れないのか、動揺して舌がもつれているのかわからない。
「もしかして、竹田さんも緒川さんのこと好きなんですか?」
「はあっ?」
はあっ? はあっ?……初めて俺の声が山びこになる。
「もしそうなら、俺は身引きます。竹田さんにはいつもお世話になってますから。俺そんな不義理な男でいたくないです。諦めるのはツラいすけど」
汗でにじんだ視界の中でも狩野の真剣な眼差しが伝わってくる。その真剣さを裏打ちする真摯な声色。その声のまま「めっちゃツラいすけど」と付け加えた。
この男ならきっと大丈夫だ。友達を傷つけるようなことは決してしないだろう。俺は何を不安になっていたんだ。よっぽど良い男じゃないか。いきなりキスした俺なんかよりよっぽど……
「いや全然! 全然そういうのじゃない!」
浮かんできた記憶を大声で吹き飛ばす。
「よかったー! じゃ俺いただきますね」
いただきます?
「なんか買いにきたんですか? 俺待ってるんで車で一緒に戻りましょう」
「ちょっと腹痛いから便所いってくる。長いと思うから、先帰ってて」
「大丈夫すか?」
「うん、だいじょうぶ」
狩野の車を見送った後、俺はそのまま歩き続けた。
そして気づいたら西武秩父駅に到着していた。駅前の時計台は本来の時刻より2時間も進んでいる。なんだよ壊れてるじゃねえかとスマホで確認すると、時計台と同じ時刻を示している。俺は2時間も歩いたのか?
そう気づいた途端、疲労がどっと全身に覆いかぶさってきた。もうこれ以上歩けそそうにない。
『ごめん、腹痛すぎてタクシーで帰った^^; 緒川と先輩に伝えといてくれるとありがたい!』
狩野にLINEを送り、電車に乗った。椅子に座るとすぐに寝落ちして、気づいたら自宅の最寄り駅に着いていた。眠ったまま乗り換え二回していたらしい。
まだ眠気がとれずフラフラしているので、駅のトイレに入って顔を洗う。水滴を手のひらでこそいで飛ばしていると、ズボンのポケットの中でスマホが震えた。見るとGoogleの利用規約変更に関するメールの通知だった。
……あれ、狩野から返信が来ていない。トーク画面を開くと、既読すらついていない。深夜だろうが就業中だろうが即レスの男なのに。
ふと、狩野の言葉を思い出す。
"色白の子ってセックスのとき体真っ赤なって、ちょーエロいんすよね"
トイレの個室に駆け込んだ。便器に向かってむせながら、目に滲んだ涙を袖で拭くと、濁った水面に最高ランクの肉が消化不良のまま浮いていた。
最悪な日曜日が終わり、憂鬱な月曜日が始まる。
あれから狩野からも緒川からも連絡は来ていない。俺のことキモい奴だって二人でベッドの中で笑い合っているのかもしれない。頼むから死なせてくれないか。
狩野は朝から会議に出ていたため、午前中は顔を合わせずに済んだ。俺はと言えば、顧客からのクレームの電話をぼんやりしたまま対応していたら相手の逆鱗に触れ、課長が直接訪問して謝りに行くことになってしまった。俺をジャムにしてサバンナの道の駅で販売してください。
昼休み、食堂でかけうどんを注文したものの麺一本も喉を通らずにいると、向かいの席に誰かが座ってチキン南蛮定食を置いた。首を動かすのもしんどくて目だけ動かしたら、狩野だった。
しかも初めて見る怖い顔をしている。殺さないで。いや殺してくれ。切り刻まれたチキンの断面に怯えていると、狩野が口を開いた。
「フラれました」
「……え?」
思わず聞き返すと、狩野は俯いて特大の溜め息を吐いた。俺のうどんの汁の水面まで揺れる。
「焦りすぎました。少しずつ距離を縮めるとか、あの人の性格的にも俺の性欲的にも無理だなって思ったけど、出会った初日に告っちゃうのはあり得なさすぎました」
俺がいない間にそんなことに。色々な感情が頭の中に駆け巡るが、最終的に狩野の行動力に感服していた。
「俺らしくねえことしちゃいましたよ。はあああ。これ引きずるなあ」
狩野はチキン南蛮定食のタルタルソースを箸の先につけてちまちま舐めている。この男も失恋すると食欲が落ちるのか。
「そういや竹田さんからLINE送られてきてたのに、フラれたショックで返信できなかったんです。すみませんでした」
なるほど。タイタニックみたいなカーセックスをしていて返信ができなかった訳ではなかったのだ。
「緒川さんに今度会うとき、狩野のクソ野郎が深く反省してたって伝えといてくれませんか」
珍しく意気消沈している狩野が気の毒に見え出した。実際のところ俺が危惧していたようなことは起こっていなかったわけだ。突然告白した、それだけでこんなに深く落ち込む男とは思わなかった。性欲の権化、性器の化身、ミヤマクワガタのオス、なんて思って申し訳ない。
「まあ、元気出せよ。お前のこと好きって言ってくれるかわいい子なんていくらでもいるよ」
「ありがとうございます。そうっすね、新しい出会い探します」
狩野が笑顔になったのを見て、ほっとする。俺はようやくかけうどんを一啜りする。
「それに、緒川さんの写真いっぱい撮らせてもらったし。見てくださいよこれ。ちょーかわいい」
新しい出会い探すんじゃないのかよと思ったけど、失恋直後なんてみんなそんなものだ。どれどれ、と画面を見たら、緒川がカルピスソーダを飲んでいる写真だった。グラビアアイドルの1st写真集みたいな画角なのが気になるが。
「良い写真じゃん」
「ですよね! これズリネタにします!」
噴き出したうどんが狩野のスマホの画面にひっついた。「ちょっとお、やめてくださいよ!」と袖で画面を拭く。こっちの台詞だよ。
中高の仲良しグループ5人の一人が、親会社への移籍で九州へ引っ越すというので、転居前に一度集まって飲もうということになった。
あのバーベキューの日から一ヶ月経ったが、緒川とは未だに連絡を取っていない。気は重いが、みんなに会わないという選択肢はない。他の三人と喋っていれば間は持つだろう。
最悪のパターンは、緒川があの日の俺の行為をみんなの前で話すことだ。あいつならやりかねない。しかし自分の都合でバーベキューに誘ったのも変なことをしたのも俺なので、そうなったら俺は仲良しグループから甘んじて追放されよう。そう覚悟を決めたら、かえって気持ちが少し楽になった。
待ち合わせ場所に行くと、まだ他の四人は来ていなかった。夕暮れかけている空の下、道行く人の影を眺めていたら、自分の足元に影が一つ止まった。
その影が伸びているのと反対側に目を遣ると、緒川が立っていた。
「おう、おは、おはよう」
覚悟なんて全然決まっていなかった。自分の影がブルブル震えている。
「おはようって、もう4時だけど」
緒川は袖を少しめくり、腕時計を見ながら冷静に言う。いや何その真っ白なジャケット。新郎?
「め、珍しいな。こんなに早く来るの」
緒川はいつも待ち合わせ時間ちょうどに来る。早めに来れば、二人きりになることはないと踏んでいたのに。
「乗る電車を間違えたんだ」
それは遅刻した時に言うべき台詞だと思う。
意外や意外、あの日の遺恨を残しているような様子は緒川から感じられない。
あんなの一切無かったことにして、これまで通りの距離感でいられれば、こんなにありがたいことはない。
「狩野が、お前にしたこと反省してるって言ってたよ」
だけど俺は可愛い後輩とした約束を破れなかった。それに、緒川も内心まだ気にしているかもしれない。
「狩野って?」
「バーベキューのときにいた俺の会社の後輩だよ」
残念だったな、狩野。惚れた相手に名前すら覚えられてないよ。
ということは、緒川にとって告白されたのはそんなに大きな出来事ではなかったのだろうか。
「ああ。俺にキスしようとした奴ね」
「……嘘だろ!?」
話違うじゃん! 告白しただけじゃなかったのかよ。後輩に対する信頼が揺らぐ。せめて俺には本当のことを言ってほしかった。
「でも、俺の方もちょっと反省してるんだ」
緒川は少し声を落として言う。
「キスされそうになったとき、『触んなクソ野郎、お前みたいなやつ一番嫌いなんだよ』って言って、あいつの腹を三回殴っちゃったんだ。殴るのはちょっと、正当防衛の域を出てたかもしれないと思って」
こいつ、狩野の腹を三回殴ってたのかよ。そして狩野はそんな壮絶な拒絶をされて、あれだけの凹みで済んでたのかよ。
わからない。人間というものがわからない。
「なんでだろうね。竹田にキスされたのは、そこまで嫌だと思わなかったし、今も思わないんだけど」
思わず緒川の顔を見る。澄み切った目で俺を見ている。
沈みゆく夕陽が、色白の肌と白すぎるジャケットを赤く染めている。
しばらくそのまま見つめ合ったあと、緒川が世にも珍しい笑顔を浮かべて言った。
「竹田って、俺にとって弟みたいなものだもんな」
ズリネタにしちゃうぞ、お兄ちゃん。




