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悪役令嬢に転生した信長、こちらの世界でも天下統一を狙います  作者: hiroe
美濃攻略――令嬢、版図を拡げる

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8/25

令嬢は二正面作戦を好まぬ

 ローザが執務室に飛び込んできたのは、エルヴィンとの密会から十日後のことだった。


 いつもは飄々とした表情を崩さない彼女が、珍しく厳しい顔をしている。


「ノブナ様。ヴァルムントの動きが、予想より早い」


 ノブナは書類から顔を上げた。


「ヴォルフか」


「ええ。西部国境に兵力を集結させています。まだ全軍ではありませんが、前哨部隊と思しき騎兵隊がすでに国境付近に展開済み。商人たちの報告では、ヴォルフ自身が陣頭で指揮を執っているとのこと」


 ノブナは地図を睨んだ。


 西にヴァルムント。北にシュタインベルク。二つの脅威が同時に迫っている。


「シュタインベルクの準備はまだ整っていない。エルヴィンが内応の根回しを終えるには、あと一月は要る」


「二正面作戦は?」


「愚策中の愚策だ。兵力を分散すれば両方で負ける。それは、どの世界でも変わらぬ道理」


 ノブナは椅子から立ち上がり、窓辺に寄った。


「ヴォルフの狙いは何だ。まさか、本気で再侵攻するつもりか」


「本気か威嚇かは判断しかねます。ただ、渓谷の敗北でヴォルフの国内での立場が揺らいでいるという情報があります。汚名返上のために動かざるを得ない、という側面も」


「なるほど。追い詰められた将ほど危険なものはない」


 ノブナは腕を組んで考え込んだ。


 武力で二つの問題を同時に解決することはできない。ならば、一つを武力以外の方法で封じるしかない。


「ヘル。帝国の使者をヴァルムントに送る手配をしろ。帝国の名で停戦勧告を出す」


「帝国の名で、ですか」


「暫定同盟の約定に基づく正式な要請だ。帝国が停戦を求めれば、ヴォルフも動きにくくなる」


 三日後。帝国の使者がヴァルムント国境に到着した。


 だが、結果は無残だった。


「使者は門前払いでした」


ヘルムートが報告した。


「ヴォルフ将軍の伝言です。『帝国の犬に用はない。戦場で語れ』と」


 ノブナは拳を握った。前世ならば、朝廷の権威を盾にした外交は一定の効果があった。だが、ヴォルフは純粋な武人だ。権威の裏づけがなければ、帝国の名など紙切れに等しい。


「……直接的な外交は通じぬか。ならば搦手で行く」


 ノブナは地図を広げ直した。


「ヘル。クラウス殿下への書状を用意しろ。今度は別の手を打つ」


「今度は、とは」


「ヴォルフ個人を止められないなら、ヴォルフが動ける環境を潰す。帝国にはヴァルムントの西部国境を牽制してもらう。同時に、ヴァルムント国内に揺さぶりをかける」


---


 書状は、練りに練った文面だった。


 ノブナは令嬢の筆跡で、しかし信長の戦略家としての知恵をすべて注ぎ込んで書いた。


 クラウスへの私信ではなく、帝国枢密院に向けた公式文書の体裁を取った。


「ヴァルムント王国が帝国東部の同盟領を脅かしている。これは帝国の威信に対する挑戦である。帝国として西部国境に軍を展開し、ヴァルムントに圧力をかけることを要請する」


 さらに、ローザの商人ネットワークを使った別の一手。


「ローザ。ヴァルムント国内の商人たちに、ある噂を流してほしい」


「どんな噂です?」


「帝国が西部国境に大軍を集結させている、という噂だ。実際には動いていなくてもいい。商人の口を通じて噂が広がれば、ヴォルフの耳にも届く」


 ローザは感心したように目を見開いた。


「情報戦ですか。帝国がまだ動いていなくても、動くかもしれないという可能性だけで、ヴォルフの行動を制約する」


「そうだ。戦わずして敵を動けなくする。それが最善の策だ」


---


 十日後。帝都からクラウスの返書が届いた。


「正式な軍の派遣は枢密院の承認が必要で時間がかかる。だが、私の権限で国境付近の駐屯軍に巡察を命じた。ヴァルムントから見れば、帝国軍が動いたように見えるだろう」


 さすがにクラウスも政治を学んでいる。正式な出兵ではなく、巡察という名目で軍を動かす。外交的な衝突を避けつつ、牽制の効果は得られる。


 同時に、ローザが流した噂がヴァルムント国内に浸透し始めた。


 商人たちは口々に語る。


「帝国が西部に軍を集めている」

「オーデンヴァルトと帝国が連携している」

「ヴァルムントは挟撃される」


 噂は事実よりも速く広がり、事実よりも大きく膨らんだ。


---


 ヴァルムント王国。国境付近の陣営。


 ヴォルフ・シュヴァルツは、机の上に積まれた報告書を睨んでいた。


 渓谷での敗北から半年。あの屈辱は一日たりとも忘れていない。銀髪の令嬢。長槍の壁。側面からの奇襲。補給線の遮断。すべてが完璧な罠だった。


 渓谷で失った兵の名前を、ヴォルフは全員覚えている。副官のハンス。斥候隊長のディーター。新兵だったマティアス。将として、部下の名を忘れることだけはしない。


 今度こそ、正面から叩き潰す。そのために精鋭を選び抜き、新たな戦術を練り上げた。


 だが。


「将軍。帝国軍が西部国境で動いているとの情報が入りました」


 副官の報告に、ヴォルフの眉が跳ね上がった。


「帝国だと? 規模は」


「正確な数は不明ですが、駐屯軍の巡察が通常の三倍の規模で行われているとのことです。また、商人たちの間では、帝国が本格的な出兵を準備しているとの噂が……」


 ヴォルフは拳を叩きつけた。


「あの女……帝国を動かしたか」


 冷静に考えれば、帝国が本格的にヴァルムントと事を構えるとは考えにくい。だが、可能性がゼロではない以上、無視もできない。


 オーデンヴァルトに攻め込んでいる間に、帝国軍が背後を突いてきたら。


「……撤退だ」


「しかし、将軍。このまま引けば、国内の――」


「わかっている」


 ヴォルフの声は低く、怒りに満ちていた。だが、それは目の前の副官にではなく、遠くの銀髪の令嬢に向けられたものだった。


「あの女は、戦場だけでなく外交でも戦える。厄介な相手だ」


 ヴォルフは地図を見つめた。


「だが、いつまでも帝国の威を借りられると思うな。いずれ、帝国など関係なく、この手で決着をつける」


 前哨部隊が後退を始めた。


---


 ヴァルムント軍の後退の報が、ローザの情報網を通じてノブナのもとに届いた。


「ヴォルフ軍、国境から撤退。前哨部隊も後退を開始」


 ヘルムートが安堵の息を漏らした。


「やりましたね、ノブナ様。一兵も動かさずに」


「一兵も動かさなかったのはこちらの話だ。帝国には動いてもらった。借りを作ったことになる」


「それでも、流血なく西の脅威を退けたのは見事です」


 ノブナは微笑んだが、その目は笑っていなかった。


「ヴォルフは退いた。だが、諦めてはいない。あの男の目を知っている。あれは、次の機会を虎視眈々と待つ者の目だ」


 窓の外を見る。西の空に夕日が沈んでいく。


「だが、時間は稼いだ。この隙に、北を片づける」


「シュタインベルクですね」


「うむ。エルヴィンの準備が整うのを待つ。ヘル、ローザにシュタインベルク領内の情報収集を続けさせろ。男爵の動向、家臣団の派閥、領民の不満の度合い。すべて把握しておきたい」


「承知しました」


 ノブナは地図のシュタインベルクに視線を移した。


 西の脅威を封じた今、集中すべきは北。堅城を持つシュタインベルクを、内側から崩す。


 戦は最後の手段。だが、戦わぬことが最善とは限らない。相手が暴君であるならば、その暴政から民を救うこともまた、統治者の責務だ。


「エルヴィン。そなたの覚悟が整うのを、待っているぞ」


 ノブナは静かに呟いた。


 その夜、ガルドが執務室を訪ねてきた。


「令嬢様。鉱山の新しい坑道から、良質の銀鉱脈が見つかりやした。これで銀の産出量は倍になりやす」


「よくやった、ガルド。その銀は、次の戦いの軍資金になる」


「へへ。あっしは掘るだけでさあ。使い道は令嬢様にお任せしやす」


 ガルドが去った後、ノブナは一人で帳簿を開いた。


 銀の増産。商業の拡大。軍事力の増強。外交関係の安定化。


 すべてのピースが、少しずつ噛み合ってきている。美濃攻略前の信長が岐阜を目前にした時と、同じような手応え。


「あと一手。シュタインベルクを獲れば、帝国東部の地盤が固まる」


 ノブナの紅い瞳に、着実な前進の光が宿っていた。


読んでくださりありがとうございます。

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