表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢に転生した信長、こちらの世界でも天下統一を狙います  作者: hiroe
美濃攻略――令嬢、版図を拡げる

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/22

調略は剣より鋭い


 オーデンヴァルトの自由市場に、招かれざる客が現れた。


 深緑のドレスを纏った女が、商人たちの活況を一瞥しただけで足を止めた。関税なし、座銭なし、身分による制限なし。その目が値踏みするように市場を見渡す。


「――面白い仕掛けですね。誰の発案です?」


 だが、それは数日後の話。


 渓谷の勝利から二月。ノブナは地図と睨み合う日々を過ごしていた。


 執務室の壁に貼られた大きな地図。オーデンヴァルト伯爵領を中心に、周辺の領地が色分けされている。ヘルムートが毎日のように書き加える情報が、地図の余白を埋め尽くしていた。


「ヘル。周辺領地の現状を整理してくれ」


「はい。まず東隣のグラーフェン辺境伯領。温厚な老伯爵が治めていますが、経済的にかなり苦しいようです。交易路がオーデンヴァルトに集中したことで、グラーフェンを通過する商人が減っています」


「それは、我々が楽市楽座を始めた影響か」


「正直に申し上げれば、はい。オーデンヴァルトの市場が魅力的すぎて、グラーフェン領を素通りする商人が増えました」


 ノブナは地図を指でなぞった。グラーフェンは小さな領地だが、東方との交易路に接している。取り込めば、交易圏がさらに広がる。


「北隣は?」


「シュタインベルク男爵領。こちらは厄介です。軍事的に強く、堅固な城を持つ。ただし……」


「ただし?」


「男爵の評判が、すこぶる悪い。重税と恣意的な処罰で領民が疲弊しており、家臣の間にも不満がくすぶっていると」


「ほう」


 ノブナの紅い瞳に、かすかな光が灯った。


「いずれも力攻めは下策だ。渓谷の戦いで我が軍の強さは示した。だが、戦のたびに兵を消耗するわけにはいかぬ。人は最も貴重な資源だからな」


「では、どうなさいますか」


「調略だ。剣で切るより、利で動かす。まずはグラーフェンから手をつける」


---


 その翌日、オーデンヴァルトの自由市場に、一台の豪華な馬車が到着した。


 降り立ったのは、深緑のドレスに身を包んだ壮年の女性だった。豊かな褐色の髪を優雅に結い上げ、鋭い琥珀色の目で市場を見渡している。


 商人ギルド長、ローザ・メルカトール。


 大陸有数の交易商人であり、各国に張り巡らせた商人ネットワークは、時に国の諜報機関をも凌ぐ情報力を持つと噂される女傑。


「ほう。これが噂の自由市場ですか」


 ローザは市場を一周し、値札と品揃え、客の流れを一瞥しただけで、この市場の仕組みを看破した。


「関所税の撤廃と市場利用税への転換。面白いことを考える方がいるものですね」


 市場の端にある商談用の建物――ノブナが「商館」と名づけた場所で、二人は向かい合った。


 ノブナは令嬢らしい微笑みで迎えたが、ローザは商人の目でそれを見透かしている。


「お初にお目にかかります、ギルド長殿。オーデンヴァルト伯爵家当主、ノブナ・オーデンヴァルトです」


「ローザ・メルカトールです。渓谷の戦いの噂は、大陸中に広まっておりますよ。八百で三千を破った令嬢、と」


「噂は尾ひれがつくものですわ。実際には地の利と兵たちの勇気に助けられただけのこと」


「ご謙遜を。――さて、本題に入りましょうか。わざわざ商人ギルド長を呼びつけたからには、商売の話がおありでしょう?」


 遠回しな駆け引きを嫌う直截さ。ノブナは内心で「気に入った」と思いながら、地図を広げた。


「単刀直入に申します。オーデンヴァルトを大陸東部の交易拠点にしたい。そのために、ギルドの商権の三割をこちらに――」


「ノブナ様、口調が」


 ヘルムートの小声が割り込んだ。ノブナは一瞬目を瞬かせ、咳払いをした。


「……失礼。ギルドのお力添えを賜りたく存じます」


 ローザの目が一瞬鋭くなり、それからくすりと笑った。


「最初の一言の方が、商人には好まれますよ。――東部の交易拠点、ですか。大きく出ましたね」


「大きく出なければ、商人は振り向かないでしょう?」


「具体的には」


「まず、ギルドの商人たちにオーデンヴァルトの出店権と倉庫を無償で提供する。関税も座銭も一切取らない。その代わり、ギルドの交易路をこの一帯に集中させていただきたい」


 ローザは一瞬だけ目を細め、それから静かに首を振った。


「甘いですね」


「何?」


「無償の出店権と倉庫。関税なし。それは恩恵ではなく、依存です。商人は施しを受けたいのではなく、儲けたいのです。あなたの条件では、商人は来ても定着しない。一時の利に群がり、もっと条件の良い場所が出れば去る」


 ノブナは言葉を失った。前世の楽市楽座は、座の廃止と関税撤廃だけで商人が集まった。だがそれは、周辺の領主がすべて旧弊な座を強制していたからだ。この世界の商慣習は異なる。ギルドという組織が商人を束ね、単なる税の優遇では動かない。


「……なるほど。では、ギルド長殿ならどう組み立てる」


「商人が欲しいのは、保護と独占です。東方香辛料と鉱産物の集積地をここに作り、ギルド加盟の商人に優先取引権を与える。同時に、周辺領地との交易協定で関税を統一して下げる。出店は無償ではなく応分の市場利用税を取りなさい。そのほうが商人は安心する。無償は裏があると疑いますから」


 ノブナは内心で舌を巻いた。この世界の商いの論理を、自分はまだ理解し切れていない。前世の成功体験をそのまま持ち込んだのは浅慮だった。


「……わかった。ならばそのように組み立て直す。それと、『周辺領地との交易協定』には、当然グラーフェン辺境伯領も含める」


「さすがですわね。飲み込みが早い」


 ローザは腕を組んだ。


「グラーフェンは経済的に追い詰められている。あなたが救いの手を差し伸べれば、喜んで傘下に入るでしょう。武力を使わず、利で版図を広げる。……なるほど、あなたは商人の頭を持っていらっしゃる。荒削りですが」


「商人と武将は、根本は同じです。相手の欲するものを見極め、自分の利にも適う交渉をする。それだけのこと」


 ローザはしばらくノブナを見つめていた。この若い令嬢の目の奥に、何十年もかけて商いを学んできた自分にも匹敵する、いやそれ以上の深い経験に裏打ちされた光がある。


「……面白い方だ。若い令嬢のふりをしていらっしゃるけれど、あなたの目は百戦錬磨の大商人のそれですよ」


「褒め言葉と受け取っておきましょう」


「褒めています。――いいでしょう。ギルドとして協力します。ただし、条件があります」


「承りましょう」


「私を顧問にしてください。あなたのそばで、この壮大な商売を見届けたい」


 ノブナは一瞬だけ目を細め、それから手を差し出した。


「望むところです。ようこそ、ローザ殿」


「ローザで結構ですよ、ノブナ様」


 二人の手が交わされた。商人と覇王の、利と信頼に基づく同盟の始まり。


挿絵(By みてみん)


---


 ローザの協力を得て、グラーフェン辺境伯領への工作は速やかに進んだ。


 ノブナはヘルムートをグラーフェンへ交渉役として派遣した。


「ヘル。グラーフェン辺境伯に伝えよ。オーデンヴァルトとの経済同盟を結べば、関税の優遇と市場へのアクセスを保証する。さらに、鉱山から産出した鉄で農具を提供しよう。領民の暮らしが楽になる」


「しかし、それだけの支援をすれば、実質的にグラーフェンは我が領の傘下に入ることになりますが……」


「そうだ。だが、武力で従わせるのではない。利を与えて味方にする。相手が自ら望んで手を結ぶ形にせよ。それが最も長続きする」


 ヘルムートは頷いた。渓谷の戦いで別働隊を率いた時と同じだ。ノブナは自分に任せてくれている。その信頼に応えなければ。


 交渉は三日で決着した。


 グラーフェン辺境伯――六十を超えた白髪の老人は、ヘルムートの提案を聞いて、ほとんど泣きそうな顔をした。


「本当に、これだけの条件を? 我が領は見返りに何を差し出せばよいのか……」


「見返りなど要りません。強いて言えば、この一帯が共に栄えること。それがノブナ様の望みです」


 経済同盟の締結。実質的に、グラーフェン辺境伯領はオーデンヴァルトの経済圏に組み込まれた。武力による征服ではなく、利益の共有による統合。


 ただし、ヘルムートは一つ気になることを報告した。


「グラーフェンの領民は、領主への税のほかに、聖エクレシア教国にも税を納めているようです。信仰上の慣習で、稼ぎの十分の一ほどを。あちらでは当たり前のことらしく、辺境伯も手をつけられないと」


「宗教税か。厄介だな。だが、今はまだ触れるな。グラーフェンとの関係を固めるのが先だ」


 ノブナはそう言ったが、その紅い瞳は「いずれ」という光を宿していた。


---


 グラーフェンとの同盟が締結された夜。


 ローザがノブナの執務室を訪れた。手には上等な茶葉と茶器を持っている。


「お祝いに、南方から取り寄せた茶をお持ちしました。商談の後には茶を嗜む。商人の作法です」


「茶か。……面白い。前の世でも、茶は大事にされておったな」


「前の世?」


「いえ。なんでもありません」


 ローザが丁寧に茶を淹れた。湯の温度を指先で見極め、茶葉の量を量り、器を温めてから注ぐ。一連の所作に無駄がない。


「茶の良し悪しがわかる方は、人の良し悪しもわかるものです」


 ノブナは茶碗を受け取りながら、内心でかすかに笑った。利休も同じようなことを言いそうだ。茶の湯で人を見極め、一碗の中に天下の機微を読む。この商人は、前世の茶人と同じ目を持っている。


 二人は茶を啜りながら、地図を眺めた。


「ローザ。北のシュタインベルクについて、情報はあるか」


「ええ。かなり詳しく。商人は金のある所には出入りしますから」


 ローザは茶碗を置き、声を低くした。


「シュタインベルク男爵、ディートリヒ。四十代、武勇に優れるが粗暴で猜疑心が強い。重税で領民から搾取し、逆らう家臣は容赦なく処罰する。最近、筆頭家臣との間に亀裂が走っているという噂があります」


「筆頭家臣?」


「エルヴィン・フォン・シュタインベルク。男爵の遠縁にあたる二十五歳の青年。知略に優れ、領内の実務を一手に引き受けている有能な人物。男爵の暴政に苦悩しているとか」


 ノブナの目が光った。


「有能な人物が、主君に不満を持っている。――これは、使えるな」


「調略ですか」


「うむ。ただし、グラーフェンのように利で動かすだけでは足りぬ。シュタインベルクは軍事力がある。内側から崩さねばならぬ」


 ノブナは地図の上のシュタインベルクに指を置いた。


「エルヴィンという男。会ってみたい。ローザ、密かに接触できるか」


「商人の出入りは自由ですからね。難しくはありません」


「頼む。それと――」


 ノブナはふと、窓の外を見た。西の方角。ヴァルムントの方向。


「ヴォルフの動きも監視を続けよ。あの男は、このまま引き下がるような器ではない」


「承知しました」


 ローザが去った後、ノブナは一人で地図を見つめ続けた。


 グラーフェンを得て、東の交易路を押さえた。次は北のシュタインベルク。堅城と軍事力を手に入れれば、帝国東部における地盤は盤石になる。


 だが、武力で攻め取れば被害が出る。それに、力で従わせた領地は、隙あらば離反する。信長はそれを知っている。


 調略。内応。人の心を動かして、戦わずして勝つ。


 それは、前の世で自分が最も得意としたことのひとつだった。


「さて。エルヴィンとやら、どんな男か見せてもらおうか」


 ノブナの紅い瞳に、策略家の光が宿っていた。


読んでくださりありがとうございます。

面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけるととても励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ