天下布武、ここに成る
ノイシュタイン城の南の平野。
二つの軍が対峙していた。
北にエルヴィンの四千。南にノブナの二千七百。数の上ではエルヴィンが優勢だが、士気はノブナの軍が上回っていた。
ヘルムートが本隊を率いて正面に布陣する。その間に、ガルドの別働隊が東の街道を封鎖し、エルヴィンの補給線を断った。
「ヘルムート殿。ノブナ様は」
「別行動だ。私が指揮を執る。全軍、守りの陣形を維持しろ。攻める必要はない。時間を稼ぐだけでいい」
---
その頃、ノブナは三十名の護衛を連れて、城の西側の森を迂回していた。
森の中で、待ち人がいた。
「ノブナ様」
リーゼロッテが、木の陰から姿を現した。
「リーゼロッテ。首尾は」
「エルヴィンさんに伝えました。ノブナ様が直接会って話したいと。彼は受けると言っています」
「旧ヴァルムントの連中はどうだ」
「エルヴィンさんの目を盗んで、ノブナ様の暗殺を企てていた一派がいました。ハインリヒ司教の側近です。私が治癒部隊の名目でエルヴィンさんの陣に入っていたから気づけました。エルヴィンさんに報告して、彼らは拘束されています」
「そなたがいなければ、交渉の場で暗殺されていたか」
「おそらく。エルヴィンさんは知らなかった。自分の陣営の中にそういう者がいることを」
ノブナは頷いた。
「理想家の弱点だ。人の悪意を見積もれない」
---
ノイシュタイン城の西門の外。焼け残った庭園の一角。
ノブナとエルヴィンが、向かい合って立っていた。
二人の間に、リーゼロッテがいる。
エルヴィンの顔は疲弊していた。挙兵からの数日間で、理想と現実の軋轢が彼を削っていたのだろう。旧ヴァルムント兵の暴走を抑え、旧強硬派の野心を制御し、しかし目の前の戦いにも備えなければならない。
ノブナは静かに口を開いた。
「エルヴィン。聞きたいことがある」
「何でしょうか」
「そなたが思い描く大陸の姿。力ではなく信頼で人を導く世界。それは、どうやって実現する」
エルヴィンは少し黙ってから答えた。
「諸侯の合議です。一人の覇者が決めるのではなく、全員で話し合って決める。それが、本来のあるべき姿だと」
「なるほど。では問おう。その合議の場で、旧ヴァルムントの領主が『隣の領地を侵略する』と言い出したら、誰が止める。合議で決まらなければ、誰が裁く」
「……それは」
「もう一つ。そなたの陣営にいる旧ヴァルムントの将校たちは、合議による統治を望んでいるか。それとも、ただ私を倒して旧体制に戻したいだけか」
エルヴィンの表情が歪んだ。
「……正直に申します。彼らの多くは、私の理想を共有していません。ノブナ様への恨みか、旧体制の復権か。それだけです」
「知っていた。そなた自身も、薄々気づいていただろう」
「はい。ですが、彼らの力を借りなければ、挙兵はできなかった」
「つまり、そなたは理想のために、理想を共有しない者と手を組んだ。そなた自身が否定した『力の論理』に頼った。違うか」
沈黙が落ちた。
エルヴィンの拳が、白くなるほど握り締められていた。
「……違います」
絞り出すような声だった。
「私は、力で支配するためではなく、力の支配を終わらせるために立ち上がった。あなたとは違う」
「では聞こう。旧ヴァルムント兵が『ノブナの首を寄越せ』と叫んでいたのを知っていたか。そなたの掲げた旗の下で、復讐のためだけに剣を振るっていた者たちがいたことを」
エルヴィンの顔が歪んだ。
「……知っていました。ですが、彼らの力を借りなければ、挙兵はできなかった」
「つまり、そなたは理想のために、理想を共有しない者と手を組んだ。そなた自身が否定した『力の論理』に頼った」
「それは――」
言い返そうとして、声が詰まった。
「エルヴィン。そなたの理想は正しい。私もそう思う。力ではなく信頼で人を導く世界。それは、私も目指している。だが、今の大陸にはまだ早い。だから私は力を使った。力を使わずに済む世界を作るために、力を使った」
「それは矛盾です」
「ああ、矛盾だ。だが、矛盾なくして世は変えられぬ。そなたの挙兵も同じだ。力を否定しながら、力で私を止めようとした。私と同じ矛盾を、そなたも抱えている」
エルヴィンは反論しようとした。だが言葉が出なかった。反論できる材料が、自分の中にないことを、わかっていたから。
目から、涙がこぼれた。
「……わかって、いました。ずっと。私のやっていることが、ノブナ様と同じだと。力に頼っていると。でも――他にどうすればよかったのですか」
「それを考えるのが、政治だ。そなたに足りなかったのは、理想ではない。理想を実現するための忍耐だ」
ノブナは一歩前に出た。
「エルヴィン。私はそなたを罰しない。処刑もしない。投獄もしない」
「え……」
「ただし、この大陸から出てもらう。東の海の向こうに、まだ知られていない大陸があるとローザから聞いている。そこに行け」
「追放、ですか」
「そうだ。そなたの理想を、別の土地で試してみるがよい。力に頼らず、信頼だけで人を導く。それが本当に可能なら、証明してみせろ。私はそれを見届けたい」
エルヴィンは呆然とノブナを見つめた。
処刑を覚悟していた。少なくとも投獄を。それが反乱者の末路だと。
「なぜ……こんな温情を」
「温情ではない。そなたの理想は、この大陸にも必要なものだ。ただ、今はまだ時が満ちていない。だから、そなたはそなたの道を行け。私は私の道を行く。方法が違っただけだ」
リーゼロッテが、静かに涙を拭いていた。
エルヴィンは長い沈黙の後、深く頭を下げた。
「……ノブナ様。あなたに仕えた日々を、誇りに思います。あなたを敵に回したことを、生涯悔いるでしょう」
「悔いるな。そなたの反乱は、私に大切なことを教えてくれた。力だけでは足りぬということを。そなたの声を、私はこれからの政に活かす」
エルヴィンが顔を上げた。涙に濡れた目に、かつてノブナの理念に純粋に共感した頃の光が、微かに戻っていた。
「さらば、エルヴィン」
「さらば、ノブナ様。どうか、よき天下を」
---
エルヴィンの降伏により、反乱軍は瓦解を始めた。
エルヴィンの命令を受けた直属兵は武器を置いた。だが、旧ヴァルムントの残存兵は従わなかった。
「エルヴィンが降伏しただと! 裏切り者が!」
「関係ねえ! 俺たちはヴォルフ将軍の仇を討つまでやめねえぞ!」
旧ヴァルムント兵の中核――ヴォルフの直衛隊の生き残りを中心とした三百名が、統率を失ったまま暴走した。ハインリヒ司教の側近が扇動し、ノブナの本陣に向けて突撃を仕掛けたのだ。
だが、それを待ち受けていたのはヘルムートの本隊だった。
「全隊、槍衾を維持! 突出するな。受け止めろ」
統率なき突撃は、整然たる防衛陣に弾き返された。側面からガルドの別働隊が回り込み、退路を塞ぐ。渓谷の戦い以来、何度も磨き上げてきた連携だった。
抵抗は二刻と持たなかった。包囲された旧ヴァルムント兵は、次々と武器を手放した。最後まで剣を振るった者たちも、仲間が倒れ、逃げ場がないと悟って膝をついた。
ハインリヒ司教と旧強硬派の指導者たちは捕縛され、帝国の裁判に付されることとなった。
フリードリヒは、リーゼロッテの治癒魔法により一命を取り留めていた。担架で運び出された時、老騎士は包帯だらけの顔で笑っていた。
「ノブナ様。命令通り、生きて戻りましたぞ」
「遅い。心配をかけおって」
「はは。この老骨、まだまだしぶといですぞ」
---
一月後。
帝都ライゼンハウプト。大舞踏会場。
あの日と同じ場所だった。
ノブナがこの世界に生まれ変わり、婚約破棄を受けた場所。すべてが始まった場所。
だが、あの日と何もかもが違っていた。
あの日、ノブナは没落寸前の辺境伯爵令嬢だった。貴族たちの嘲笑の的で、皇太子に捨てられた哀れな女だった。
今日、ノブナは大陸の覇者として、この場に立っている。
大舞踏会場には、大陸中の諸侯が集まっていた。帝国の新皇帝クラウス。聖エクレシアの代表リーゼロッテ。連合各領の領主たち。旧ヴァルムントの帰順した諸侯。帝国議会の重鎮たち。
ノブナは、大広間の中央に立った。深紅のドレスに銀髪を結い上げた姿は、あの日と同じだ。だが、その紅い瞳に宿る光は、あの日とは比べ物にならない重みを湛えていた。
「本日、皆に伝えたいことがある」
大広間が静まり返った。
「大陸の戦乱は終わった。ヴァルムントは解体され、反乱も鎮圧された。帝国と連合と教国は、同盟のもとに平和を享受している。これをもって、大陸の統一が成ったと宣言する」
静寂。そして、どよめき。
「だが――余は皇帝を名乗らぬ」
再び静寂。
「一人の人間が大陸を支配する時代は、終わりにすべきだ。私はこの場で、大陸諸侯会議の創設を宣言する。帝国、連合、教国。それぞれの代表者が集い、大陸の未来を合議で決める場だ」
クラウスが頷いた。リーゼロッテが微笑んだ。
「力で世を治める時代は終わる。だが、力を捨てるわけではない。不正があれば正し、侵略があれば止める。そのための力は、諸侯会議が持つ。一人の覇者ではなく、全員の合意のもとに」
エルヴィンの言葉が、ノブナの中に息づいていた。
力ではなく信頼で人を導く。その理想を、力で作った基盤の上に実現する。
矛盾を抱えたまま、前に進む。それが、ノブナの覇道だ。
「諸侯会議の議長は、各国の持ち回りとする。最初の議長は――」
ノブナはクラウスを見た。
「帝国皇帝クラウスに任せる。私は連合の盟主として、議場の一角に座る」
クラウスが立ち上がった。かつて舞踏会で婚約破棄を告げた青年は、今は立派な皇帝になっていた。
「ノブナ殿の提案を、帝国は受け入れる。大陸の新秩序に、帝国は全力で協力する」
リーゼロッテも立った。
「聖エクレシアも同意いたします。信仰と統治が手を携えて、民の幸せを守る。それが、私たちの願いです」
大広間に、拍手が広がった。
最初はまばらに。やがて波のように。最後には、天井を揺るがすほどの拍手と喝采が、大舞踏会場を満たした。
喝采が鳴り止まない中、リーゼロッテがノブナに歩み寄った。
「ノブナ様」
「何だ、聖女殿」
「覚えていますか。帝都の庭園で、私があなたに言ったこと」
「……ああ。『あなたは本当は悪い人なんかじゃない』」
「今日、確信しました。悪役など、最初からどこにもいなかった。いたのは、不器用に世界を変えようとした一人の女性だけでした」
ノブナは小さく笑った。前世の覇王の顔ではなく、この世界に生まれた令嬢の、素直な笑みだった。
「聖女にそう言ってもらえるなら、悪役令嬢も悪くないな」
---
宣言の後。
大広間の片隅で、ノブナは杯を手にしていた。
ヘルムートが隣にいる。
「ヘル」
「はい」
「天下を獲ったぞ」
ヘルムートは微笑んだ。
「いいえ。我々が、です」
「……ああ。そうだな。我々が、だ」
ノブナは杯を掲げた。ヘルムートも杯を合わせた。
静かな音が響いた。
「ヘル。前世では、天下を獲り損ねた。本能寺で燃えて、すべてが終わった。だが今は――」
「今は、始まりです。天下を獲るまでが前半。これからが、本番ですよ」
「そうだ。その通りだ」
窓の外に、帝都の夜景が広がっている。無数の灯が、星のように瞬いていた。
フリードリヒは車椅子に座りながらも、大広間の隅で若い騎士たちに昔話を聞かせていた。ガルドは職人たちと酒を酌み交わしながら、ノイシュタイン城の再建計画を熱く語っている。ローザは各国の商人たちと通商条約の下交渉を始めている。リーゼロッテはクラウスと共に、各国の代表者たちに挨拶をして回っている。
みんな、ここにいる。
前世の信長は、最後まで一人だった。天下人の孤独を、誰にも分かち合えぬまま、炎の中で死んだ。
だが今は、違う。
仲間がいる。
「ノブナ様。一つ、聞いてもいいですか」
「何だ」
「前世で叶わなかった天下。この世界で叶えて、どんな気分ですか」
ノブナは少し考えた。
嬉しいか。達成感か。安堵か。
どれも少し違う。
「……面白い。そうだな。面白い、が一番近い」
「面白い、ですか」
「ああ。天下は獲った。だが世を治めるのは、獲るよりよほど難しい」
ノブナの紅い瞳が、帝都の灯りを映して輝いた。
銀髪の令嬢は、かつて本能寺の炎に焼かれた男は、不敵に笑った。
「面白くなってきたな」
---
――完――
ノブナの話はこれにて完結です。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけるととても励みになります!
次回作も遠くない未来に公開したいと思います。




