令嬢は野戦築城を嗜む
アイゼン平野。
連合領の西方、山脈の裾野が緩やかに開けた平地。ヴォルフの軍勢が北の峠を越えて現れるなら、ここを通る。
ノブナはこの平原を戦場に選んだ。
「ここに陣地を構築する」
馬上から平原を見渡すノブナの横に、エルヴィン、フリードリヒ、ヘルムートが並ぶ。
「防御陣地ですか」エルヴィンが訊ねた。
「野戦築城だ。ヴォルフの騎兵が我々の長所――魔導砲の射程内に入るように誘い込み、防御陣地の中で迎え撃つ」
ノブナは馬を降り、地面に杖で図を描き始めた。
「まず、ここからここまで。約三百歩の幅に柵を三重に設ける。柵の間隔は十歩。騎馬の勢いを殺すためだ」
「三重柵ですか。大掛かりですな」フリードリヒが感心した。
「柵の背後に塹壕を掘る。深さは腰まで。長槍兵がここに配置される。そして――」
ノブナは塹壕の後方に、小さな四角を五つ描いた。
「ここに魔導砲台を五ヶ所。各台に十丁ずつ、計五十丁を配置する」
「五十丁の魔導砲を一列に並べるのではなく、五ヶ所に分散させるのですか」
「そうだ。一列に並べれば、騎兵が突破した時に全滅する。分散させれば、一つが崩れても他の四つが生きる。そして――ここが肝心だ」
ノブナは砲台の前に、それぞれ横線を三本引いた。
「三段撃ち。各砲台の十丁を三組に分ける。一組が撃つ間に残りの二組が装填する。これで切れ目のない射撃が可能になる」
「撃つ組と装填する組を交代させ続ける……なるほど、休みなく弾幕を張れるわけですね」
「前世で……いや、かつて読んだ兵法書に、この戦術の記述があった。数が少なくても、運用で補える」
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陣地構築は連合軍総出で行われた。
一万二千の兵のうち、五千が構築作業に従事する。残りの七千は交代で警備と訓練を続けた。
「フリードリヒ。騎兵は陣地の左翼に配置する。柵の外に待機して、敵が混乱した隙に側面から突撃する。そなたの判断で出撃のタイミングを決めろ」
「承知しました。ただ、一つ確認を。ヴォルフの騎兵が柵を突破してきた場合は」
「その場合は後退して陣地に戻れ。無理に交戦するな。魔導砲の射線に入れば、敵は足を止めざるを得ない」
「心得ました」
「ガルド。砲兵の指揮を頼む」
「あっしが砲兵の指揮を?」
「そなたが一番、魔導砲の扱いを知っている。鉱山工房で鍛冶から試射まで付き合ってきたからな。射撃のタイミング、装填の手順、魔石の管理。すべてそなたに任せる」
「へ、へい……。あっしみたいな鉱夫が砲兵の指揮官たぁ、世も末でさあ。けど、任されたからにはやりやす。魔導砲は、あっしの子供みたいなもんですから」
「ヘル。後方の兵站を任せる。補給、医療、通信。戦場全体を動かすのは、そなたの仕事だ」
「承知しました。リーゼロッテ殿から書状が届いています。教国の穏健派から、治癒魔法の使い手を数名派遣してくれるとのこと」
「ほう。リーゼロッテが動いてくれたか。ありがたい」
「そして、エルヴィン」
ノブナの目がエルヴィンに向いた。
「そなたには遊軍三千を預ける。陣地の右翼後方に待機し、戦況を見て判断しろ。敵の迂回を阻止するか、総崩れになった敵の追撃に出るか。そなたの目で見極めてくれ」
「……承知しました」
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陣地構築が進む中、エルヴィンはノブナの元を訪れた。
日が沈みかけた夕刻。構築中の陣地を見渡せる丘の上で、ノブナは一人で地図を眺めていた。
「ノブナ様。少しよろしいですか」
「何だ」
「率直にお訊きします。この大会戦で、どれだけの死者が出ると見ていますか」
ノブナは地図から目を上げた。
「正確にはわからぬ。だが、最善の場合でも千は超えるだろう。最悪の場合は……」
「三千。いや、それ以上」
「そうだ」
エルヴィンは拳を握った。
「もっと別の方法はないのでしょうか。外交で。経済封鎖で。包囲網の時のように、戦わずして――」
「ヴォルフは、カールハインツやアウグストとは違う」
ノブナの声は静かだった。
「あの男は純粋な武人だ。政治的な駆け引きには興味がない。力で勝つことだけが、あの男の信念だ。そういう相手に、外交は通じぬ」
「ですが」
「エルヴィン。私とて、戦わずに済むならそれに越したことはないと思っている。だが、ヴォルフの二万五千を放置すれば、連合領が蹂躙される。民が死ぬ。そなたが守ってきたシュタインベルクの民も、グラーフェンの民も」
「……わかっています。わかっているのです。ですが」
エルヴィンの声が震えた。
「この戦が終われば、大陸の勢力図は一変します。ヴァルムントが倒れれば、残る大勢力は連合と帝国だけ。事実上の天下統一です。それは――」
「征服に見えるか」
エルヴィンは言葉を失った。ノブナに見透かされていた。
「そなたの言わんとすることはわかる。だが、征服と統一の違いは、結果の後にしかわからぬ。今はまだ、答えの出る時ではない」
「……はい」
「エルヴィン。そなたは正しいことを言っている。その正しさを、戦が終わった後にこそ発揮してくれ。新しい秩序を作る時に、そなたの理想が必要になる」
エルヴィンは頭を下げた。
だが、その目の奥の翳りは消えなかった。
エルヴィンが去った後、ノブナは一人で地図を見つめていた。
エルヴィンの言葉が、胸の奥で棘のように刺さっている。この戦の後にどれだけの命が失われるか。考えたくない自分がいる。考えれば手が鈍る。手が鈍れば、もっと多くの民が死ぬ。だから考えない。
それは――覇王の強さか。それとも、ただの逃げか。
答えは出なかった。出さないまま、ノブナは地図を畳んだ。
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陣地構築から十日。
ヴォルフ軍が動いた。
「報告! ヴァルムント軍、国境を越えました! 総勢二万五千、将軍ヴォルフ・シュヴァルツ直率! アイゼン平野に向けて進軍中!」
ノブナは立ち上がった。
「全軍に通達。陣地に入れ。各部隊は配置につけ」
連合軍一万二千が動き始めた。
三重柵の背後に長槍兵が展開する。塹壕に兵が潜り込む。五ヶ所の砲台に、ガルドが率いる砲兵が魔導砲を据える。
フリードリヒの騎兵五百が左翼に展開。エルヴィンの遊軍三千が右翼後方に布陣。ヘルムートは後方の本陣に入り、伝令網を張り巡らせた。
リーゼロッテの治癒魔法使いたちが、野戦病院を設営している。
「ノブナ様。陣地構築、完了しています」
フリードリヒが報告した。
「うむ」
ノブナは陣地の中央、一段高い指揮台に立った。
深紅のドレスの上に軽鎧を纏い、銀髪が風に揺れる。その姿は、戦場には似つかわしくないほど美しく、そして異質だった。
地平線の向こうから、土煙が上がっていた。
ヴォルフの軍勢が近づいている。二万五千の足音が、大地を揺らしている。
「来たか」
ノブナの紅い瞳が、地平線を射抜いた。
「ヴォルフ。今度こそ、決着をつけよう」
大陸の命運を賭けた大会戦が、間もなく始まる。
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