包囲網は内側から崩す
宗教蜂起の鎮圧から二週間。
ノブナは連合領に留まり、蜂起後の処理と立て直しに注力していた。什一税の廃止は連合領全域で施行され、民の間でノブナへの支持はむしろ高まった。
だが、帝都の情勢は悪化の一途だった。
「帝都のローザ殿から報告です」
ヘルムートが書状を読み上げる。
「カールハインツ宰相が新たな動きを見せています。帝国議会で『オーデンヴァルト連合の討伐令』を決議しようとしているとのこと」
「討伐令だと」
「名目は『帝国内の秩序を乱す不逞の輩の排除』。什一税の廃止が教国の権利を侵害したことを口実にしています」
「カールハインツとアウグストが手を組んだか。宗教蜂起が失敗したから、今度は帝国の公権力を使ってくるつもりか」
ノブナの紅い瞳が鋭く光った。
「討伐令が出れば、帝国の諸侯は建前上、我々を攻撃する義務を負う。ヴォルフにとっては渡りに船だ。大義名分を得て、堂々と連合領に侵攻できる」
「どうしますか」
「帝都に戻る。討伐令が議決される前に、カールハインツを潰す」
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再び帝都へ。
今度の強行軍は四日。護衛は最小限にし、ヘルムートとわずかな供回りだけで帝都に滑り込んだ。
ローザが帝都の屋敷で待っていた。
「お待ちしていましたよ、ノブナ様。いい知らせと悪い知らせがあります」
「悪い方から」
「討伐令の議決は十日後。カールハインツはすでに保守派の過半数を固めています。このままでは可決確実です」
「いい方は」
ローザが扇を広げ、その陰でにやりと笑った。
「カールハインツの弱点を見つけました」
「聞かせろ」
「彼は三十年間、帝国の財政を取り仕切ってきました。その間に、莫大な私財を蓄えている。帝国の関税収入の一部を自分の懐に入れていた証拠が、商人ギルドの帳簿に残っていたのです」
「横領か」
「正確には、帝国と交易商人の間に入る『仲介手数料』の名目で中抜きをしていました。年間にして帝国収入の二割近く。三十年分となると、途方もない額です」
ノブナは口の端を上げた。
「よく見つけたな」
「商人ギルドの帳簿は嘘をつきません。金の流れは言葉より正直です。ただし、この情報をどう使うかが重要です」
「議会で暴露するか」
「それも手ですが、保守派が結束して揉み消す可能性があります。彼らの中にもカールハインツから分け前を貰っている者がいますから。むしろ――」
「保守派の中から、カールハインツに切られることを恐れる者を引き剥がす」
「さすがですね。カールハインツの横領が公になれば、連座で罰せられる者が出る。彼らにとっては、カールハインツを守ることが自分の首を絞めることになる。その恐怖を利用するのです」
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ノブナはクラウスと密会した。
「クラウス殿下。十日後の議決までに、保守派を切り崩す。協力してほしい」
「どうやって」
「カールハインツの横領の証拠がある。これを保守派の中の――特に、横領に関わっていない者たちに、個別に見せる」
「なるほど。『自分は潔白だ。カールハインツとは無関係だ』と証明したい者は、保守派を離反するわけか」
「そうだ。そして離反者が増えれば、討伐令の議決に必要な票が足りなくなる」
クラウスは考え込んだ。
「だが、カールハインツも黙っていない。証拠が出回っていることに気づけば、先手を打って証拠を潰しにくるだろう」
「だから、十日以内にやる。一人ずつではなく、同時に複数の貴族に接触する。カールハインツが対処する間もなく、保守派の結束を崩す」
「……危険な賭けだな」
「危険ではない賭けなど、この世にはない」
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作戦は三日で実行された。
ローザの商人ネットワークが、保守派貴族のもとに「招待状」を届けた。帝都の高級料亭での食事会。表向きは商談。だが実際は、ノブナとの密会だった。
ノブナは一人ずつ、保守派の貴族と会った。
最初の相手は、帝国南部の辺境伯。カールハインツに忠実だが、横領には関わっていない人物だった。
「辺境伯閣下。率直に申し上げます。宰相カールハインツの横領の証拠が、私の手にあります」
辺境伯の顔が強張った。
「これが公になれば、保守派全体が追及を受ける。閣下は潔白でしょうが、宰相の側にいたというだけで疑いの目を向けられます」
「何が望みだ」
「討伐令の議決で棄権していただきたい。それだけです。反対票を入れろとは言いません。ただ、議場に来なければいい」
辺境伯は長い沈黙の後、渋々頷いた。
同じ手法で、三日間に七人の保守派貴族と会った。
だが、全員が応じたわけではなかった。
五人目の伯爵は、証拠を見ても顔色を変えなかった。
「辺境の令嬢に脅されて寝返るほど、私は安くない。カールハインツ閣下の側で三十年やってきた。今さら旗を変える気はないよ」
そして六人目――帝国北部の侯爵は、ノブナとの密会の翌朝、その内容をカールハインツに密告した。
「殿下。横領の証拠がオーデンヴァルトの手に渡っているようです」
カールハインツの顔が歪んだ。
「あの小娘が――」
ノブナのもとに、ローザから急報が届いた。
「密告されました。カールハインツが証拠の隠滅に動いています」
ノブナは舌打ちした。七人中五人は確保したが、残り二人を落とす時間がない。そして密告により、カールハインツが先手を打ってくる可能性がある。
「予定を変える。クラウスに伝えろ。議決を待たず、明日の議場で横領を暴露する。先手を取られる前にこちらから仕掛ける」
「間に合いますか」
「間に合わせる」
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議決当日。
カールハインツは証拠の隠滅を急いでいたが、一晩では三十年分の帳簿を消し去ることはできなかった。
帝国議会に欠席者が続出した。保守派の議席に空席が目立ち、カールハインツの顔がみるみる赤くなっていった。
「討伐令の議決を行います。賛成の方は挙手を」
挙がった手は、過半数に届かなかった。
「否決」
議場にどよめきが広がった。
カールハインツの老いた顔が、怒りで歪んだ。
だがそれだけでは終わらなかった。
議決の直後、クラウスが立ち上がった。
「議場の皆様に、重大な報告があります」
クラウスの手には、ローザが集めた帳簿の写しがあった。
「宰相カールハインツ・フォン・ヴァイセンブルクによる、三十年にわたる帝国財政の横領について。この証拠を、帝国議会に提出します」
議場が騒然となった。
カールハインツは激昂した。
「でたらめだ! 謀略だ! この辺境の小娘が」
「宰相閣下」
ノブナが静かに口を開いた。
「帝都の駆け引きは命に関わる。そう仰ったのは、閣下ご自身でしたね」
カールハインツは言葉を失った。
数日後、帝国監察院の調査により横領の事実が認定され、カールハインツは宰相の座を追われた。
保守派貴族の多くは、事前にノブナから「見逃す」約束を得ていたため、大きな混乱なく新体制に移行した。
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カールハインツの失脚。
包囲網の一角が崩れた。
だが、残る二つの敵はまだ健在だった。
「ローザ。聖エクレシアの動きは」
「アウグスト枢機卿は帝都から教国本山に引き揚げました。カールハインツという帝都での足場を失ったためです。ただし、教国本体の力は健在。什一税廃止への報復として、連合領への経済封鎖を検討しているとの情報があります」
「枢機卿が引退すれば、教国の脅威は消えるか」
「それが、そう単純ではなく。枢機卿の側近にハインリヒという司教がおりまして、教国の武装修道士団を束ねているかなりの強硬派です。穏健路線への転換には断固反対の立場で、枢機卿の影響力が弱まれば、むしろこの手の者たちが暴走する可能性があります」
「火種は消えぬ、か。覚えておこう」
「リーゼロッテは」
「教国内の穏健派の中心として、アウグスト枢機卿に反対する動きを見せています。まだ力は小さいですが」
「よし。リーゼロッテに書状を送る。『穏健派との対話の場を設けたい。信仰と統治の共存は可能だ』と」
「承知しました。ですが、アウグストが黙っている保証はありません」
「アウグストの力は信徒の支持に基づく。什一税の廃止で信徒の生活が改善されれば、アウグストの強硬路線への支持は自然と弱まる。時間はかかるが、これが最も確実な方法だ」
ローザは頷いた。
「経済で人心を掴む。ノブナ様らしいやり方ですね」
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そして、最大の脅威。
「ヴァルムントの状況は」
「ヴォルフ・シュヴァルツの二万は、依然として国境に展開しています。カールハインツの失脚で帝国軍の指揮権がクラウス殿下に戻りつつありますが、帝国軍の再編には時間がかかります」
「帝国軍の牽制が本格化するまで、ヴォルフは自由に動ける」
「はい。そしてヴォルフは、カールハインツの失脚を好機と見る可能性があります。帝国が混乱している間に、一気に東進する」
ノブナは地図を睨んだ。
ヴァルムント王国の二万。対するオーデンヴァルト連合軍は、増強しても一万がやっと。数の差は依然として大きい。
「ヘル。クラウス殿下に伝えてくれ。帝国軍の再編を最優先にしてほしいと。我々が時間を稼いでいる間に、西部国境の帝国軍を立て直す。ヴォルフが帝国を敵に回すリスクを冒せないうちに」
「承知しました。ですが……もしヴォルフが帝国のリスクを無視して進軍してきたら」
「その時は、戦うしかない」
ノブナの声は静かだが、鋼のような覚悟が込められていた。
「ヴォルフとの決戦は、いつかは避けられない。包囲網の他の敵は崩した。残るは最強の敵のみ。ならば、最善の条件で迎え撃つ準備をするだけだ」
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帝都を発つ前夜。
ノブナはクラウスの宮殿を訪れた。
「世話になった。礼を言う」
「礼を言うのはこちらだ。カールハインツの排除は、私一人では不可能だった」
「暫定同盟は、もう暫定ではないな」
「ああ。カールハインツが画策していた同盟制限の動きも消えた。帝国議会で正式に批准する。オーデンヴァルト連合は帝国の正式な同盟勢力だ」
クラウスは窓の外を見た。
「ノブナ。一つ聞いてもいいか」
「何だ」
「あの舞踏会で婚約破棄を告げた時。私はお前を、取るに足らない悪役令嬢だと思っていた。それが今は、帝国の命運を左右する存在になっている。お前は――いったい何者なんだ」
ノブナは微笑んだ。
「悪役令嬢だよ。ただし、もう少し野心的なだけだ」
クラウスは苦笑した。
「お前には敵わない。だが、そのおかげで帝国は助かった。感謝している」
「感謝は要らぬ。ただ、一つだけ頼みがある」
「何だ」
「帝国軍を建て直せ。ヴォルフとの決戦は、そう遠くない。その時、帝国軍の支援が必要になる」
「約束する。帝国の全力を以って、ヴァルムントに当たる」
二人は握手した。
婚約破棄から始まった因縁が、今や大陸の命運を賭けた同盟に変わっていた。
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連合領への帰路。
ヘルムートが隣を歩きながら訊ねた。
「包囲網は崩れました。カールハインツは失脚し、アウグストは後退。残るはヴォルフだけです」
「そうだ。だが、ヴォルフが最も手強い。政治家や聖職者は駆け引きで倒せるが、あの男は純粋な武力だ。正面から打ち破るしかない」
「勝てますか。二万対一万で」
「勝てる方法を考える。数で劣る時に勝つのは、私の得意分野だ」
ノブナは馬上で北の空を見上げた。
連合領が近づいている。エルヴィンが守ってくれている我が領地。フリードリヒの騎兵隊。ガルドの鉱山。ローザの商人網。ヘルムートの行政手腕。
そして、国境の向こうには、ヴォルフ・シュヴァルツの二万。
「ヘル」
「はい」
「帰ったら、すぐに軍議を開く。ヴォルフとの決戦に備えて、全力で準備する。新しい武器の開発も含めてだ」
「新しい武器?」
「鉱山のガルドと、ローザの商人ネットワーク。それから、この大陸に存在する魔法技術。これらを組み合わせれば、数の差を覆す武器が作れるはずだ」
ヘルムートには、まだノブナの考えが見えていなかった。
だがノブナの脳裏には、前世の記憶がはっきりと浮かんでいた。
長篠。
三千丁の鉄砲が、武田の騎馬軍団を粉砕した、あの戦い。
「包囲網は崩した。次は、最強の敵を倒す番だ」
ノブナの紅い瞳に、戦いの炎が灯った。
馬列の後方で、ローザは扇の陰から令嬢の背を見つめていた。
この令嬢は大陸を変える。間違いない。だが、変革には必ず代償が伴う。その代償がどんな形で訪れるか、この聡明な令嬢はまだ知らない。
――いや。知っていてなお、進むのだろう。それが覇王というものだ。
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――第三部 完――
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