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悪役令嬢に転生した信長、こちらの世界でも天下統一を狙います  作者: hiroe
天下への道――帝都動乱

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12/22

帝都は魑魅魍魎の巣窟である

 帝都の宮廷で、ノブナは初めて背筋が凍った。


 前世を含めても、この感覚は数えるほどしかない。戦場の刃ではなく、笑顔の下に隠された殺意。入城から三日。ノブナは皇太子クラウスの用意した屋敷に滞在しながら、帝都ライゼンハウプトの空気を肌で感じていた。


「宮廷の派閥は、大きく三つに分かれています」


 ヘルムートが資料を広げながら説明する。ローザの情報網が集めたものだ。


「第一に、宰相カールハインツ率いる保守派。帝国貴族の過半数がこちらに属しています。旧来の身分秩序と特権の維持が信条です」


「第二に、クラウス殿下を中心とする改革派。若手貴族と一部の軍人が支持基盤ですが、数では劣勢です」


「第三に、聖エクレシア教国の使節団。枢機卿アウグストが直接率いています。表向きは中立ですが、実際には保守派に接近しています」


「つまり、クラウスは四面楚歌に近い」


「はい。我々の到着で改革派は勢いづいていますが、宮廷全体で見れば少数派です」


 ノブナは窓の外を見た。屋敷の窓からは、帝都の中心部が見渡せる。宮殿の尖塔、大聖堂の鐘楼、貴族たちの邸宅。美しい街並みの下で、醜い権力闘争が蠢いている。


「――面白いな」


「面白い、ですか」


「戦場では敵の顔が見える。だが宮廷では、笑顔で握手しながら背中に刃を隠す。こちらの方がよほど難しい」


「ノブナ様は、そういうのは苦手でしょう」


「何を言う。悪役令嬢を舐めるなよ、ヘル。社交の場こそ、この身体の本領だ」


---


 その日の夜。宮廷の大宴会に招かれた。


 ノブナは銀髪を整え、深紅のドレスに身を包んだ。辺境の伯爵令嬢が着るには華美すぎる衣装だが、ローザが帝都の仕立屋に特注させたものだ。


「第一印象で格を見せなければ、宮廷では舐められます」


 ローザの助言は的確だった。


 大宴会場に入った瞬間、五感が一斉に叩かれた。蝋燭が百本は灯されているだろう。蜜蝋の甘い匂いが鼻をくすぐり、絹の衣擦れと杯が触れ合う音が低く響いている。手にした銀杯の冷たさと重さが、辺境の宴席との格の違いを指先に教えてくる。


 そして、無数の視線がノブナに集まった。


 囁き声が広がる。


「あれが辺境の悪役令嬢?」


「三領地を束ねたという噂の」


「皇太子殿下に婚約破棄されたのに、堂々としたものね」


「あの渓谷戦で二千の敵を打ち破ったとか」


 ノブナは噂を背に、堂々と歩いた。背筋を伸ばし、微かな笑みを浮かべて。悪役令嬢としての教育で叩き込まれた完璧な立ち居振る舞いが、今ほど役立つ時はない。


「ノブナ・オーデンヴァルト伯爵令嬢です。本日はお招きいただき、光栄でございます」


 宴会の主催者――帝国宮内卿への挨拶も、淀みなくこなした。


 だが、本当の勝負はここからだ。


---


「お初にお目にかかります。聖エクレシア教国枢機卿、アウグストと申します」


 声をかけてきたのは、白い法衣に身を包んだ老人だった。


 白髪を綺麗に撫でつけ、穏やかな微笑みを浮かべている。杖をつく手は枯れ枝のように細いが、その目だけが異様に若い。淡い灰色の瞳が、ノブナを値踏みするように見つめている。


「枢機卿猊下。お噂はかねがね」


「おや。辺境にまで、この老いぼれの名が届いているとは光栄ですな」


「聖エクレシア教国の実質的な指導者のお名前を知らぬようでは、政に携わる資格がございません」


「はは。率直なお方ですな。辺境の令嬢というには、ずいぶんと目が鋭い」


 アウグストの微笑みは崩れなかった。だがノブナは感じ取った。この老人の内側に、氷のような計算が走っているのを。


「聞けば、伯爵令嬢は身分を問わず人材を登用されているとか。平民を宰相に据え、鉱夫を管理長に任じた。実に、革新的なことをなさる」


「能力ある者に機会を与えるだけのこと。革新のつもりはございません」


「なるほど。ですがね、ノブナ様。秩序というものは、長い年月をかけて築かれるものです。それを急いで変えようとすれば、思わぬところが崩れることもある」


 穏やかな声に、明確な警告が込められていた。


「ご忠告として承ります」


「忠告などとんでもない。年寄りの独り言ですよ」


 アウグストは微笑んだまま去っていった。


 ヘルムートが小声で訊ねた。


「あの方は――」


「厄介な相手だ。武人なら力で測れる。だが、ああいう『微笑みの裏に刃を持つ』タイプは、最も警戒が要る」


 ノブナの脳裏に、前世の記憶が過ぎった。本願寺の顕如。穏やかな高僧の顔をしながら、一向一揆の号令で何十万もの民を動かした男。


「あの枢機卿は、信仰を政治の道具にする。民の心を掴むのが上手い分、軍勢よりも怖い」


---


 宴会の途中、庭園に出たノブナの前に、見覚えのある姿が立っていた。


「……ノブナ様?」


 白い祭服に身を包んだ少女。金色の髪と、透き通るような緑の瞳。


 リーゼロッテだった。


「久しいな、聖女殿」


「お久しぶりです。帝都にいらっしゃると聞いて、でもまさか本当に」


 リーゼロッテは驚きの表情を隠せなかった。あの辺境の領地で出会った令嬢が、今や三領地を束ねる連合盟主として帝都に乗り込んできている。


「あなたは、変わりましたね」


「そうか」


「ええ。前にお会いした時よりも、もっと大きくなった。背丈ではなく、纏っている空気が」


「大きくならねば、守れるものも守れぬ。それだけのことだ」


 リーゼロッテは少し黙り、それから小声で続けた。


「……ノブナ様。あなたは本当は、悪い人なんかじゃないのに」


 ノブナは足を止めた。


「何だ。急に」


「だって。世間では悪役令嬢と呼ばれているでしょう。皇太子を脅した、傲慢な女だと。でも、私は知っています。領民を守るために戦い、身分を問わず人を登用し、聖エクレシアの蜂起の時も、民を傷つけまいと体を張ったあなたを」


 ノブナは庭園の薔薇を見つめた。


 悪役令嬢。世間がそう呼ぶ。皇太子に切り捨てられた傲慢な女。それが、この世界での余の評価だ。だが――


「他人が貼った名札通りに生きるつもりはない。世間が悪役だと言うなら、世間の方を変えてみせる」


 リーゼロッテの緑の瞳が大きく見開かれた。


「世間を……変える?」


「ああ。他人が決めた烙印など、知ったことではない。私は私の意志で、この世界を変える」


 この聖女は、世間の決めた枠を超えて人を見ることができる。聖女という肩書きに甘んじることなく、目の前の人間と向き合える。それがリーゼロッテ自身の強さだ。


「……面白い方。本当に」


 リーゼロッテは微笑んだ。眩しいものを見るような、それでいて悲しみを含んだ微笑みだった。


 リーゼロッテは少し黙って、それから静かに言った。


「私は今、教国の聖女として帝都に来ています。アウグスト枢機卿の使節団の一員として」


「そうか。となると、我々は対立する立場か」


「……形の上では。でも、私は枢機卿とは考えが違います」


 リーゼロッテの声が小さくなった。


「枢機卿は、信仰を使って政治を動かそうとしている。でも、信仰は人を救うためのもので、支配するためのものではないと、私は思う」


「よい考えだ。聖女がそう思うなら、教国にも救いがある」


「ノブナ様。一つだけ教えてください」


「何だ」


「あなたは、この帝都で何を目指しているのですか。本当の目的は」


 ノブナはリーゼロッテの真っ直ぐな瞳を見つめた。


 この聖女には、嘘をつく気になれない。前世から幾度となく人を欺いてきた信長が、この少女の前では、なぜか正直になってしまう。


「天下を統べる。大陸のすべてに、戦なき世を作る。そのために帝都に来た」


「……大きな夢ですね」


「夢ではない。必ず成し遂げる」


 リーゼロッテは微笑んだ。悲しいような、あるいは眩しいものを見るような、複雑な微笑みだった。


「あなたと私では、きっと目指すものは違う。でも、人々が平穏に暮らせる世を願う気持ちは同じだと、信じたいです」


「ああ。方法は違っても、目指す先が同じなら、敵にはならぬ」


 二人の間に、夜風が吹いた。


---


 宴会も終盤に差し掛かった頃。


 ノブナの前に、一人の老人が現れた。


 深い皺が刻まれた顔に、銀縁の眼鏡。背は曲がっているが、その眼光は鷹のように鋭い。帝国宰相カールハインツ・フォン・ヴァイセンブルクだった。


「これはこれは。辺境のノブナ嬢。わざわざ帝都までお越しとは、ご苦労なことですな」


 見下すような口調。辺境の小領主を軽んじる態度を隠そうともしない。


「宰相閣下。お目にかかれて光栄です」


「皇太子殿下の客人として来られたのでしょうが。帝都の政は、辺境の方々にはいささか複雑すぎるかもしれませんな。若い女性が巻き込まれては気の毒だ」


 侮辱を親切の形に包んだ言葉。宮廷ではよくある手法だ。


 ノブナは微笑んだ。悪役令嬢の微笑み。


「ご心配いただき恐縮です。ですが、複雑なことは嫌いではありません。単純な力比べより、知恵の駆け引きの方が面白うございますから」


 カールハインツの目が細まった。


「ほう。なかなか言いますな。だが、帝都の駆け引きは一つ間違えれば命に関わる。辺境での遊びとは訳が違いますよ」


「承知しております。だからこそ、参りました」


 二人の視線が交差した。


 老獪な政治家と、覇王の魂を持つ令嬢。


 カールハインツはふんと鼻を鳴らして去っていった。だがノブナは見逃さなかった。老人の目の奥に、わずかな警戒が宿ったのを。


「ヘル」


「はい」


「帝都での戦い方が見えてきた。カールハインツは老獪だが、自分の力を過信している。アウグストは慎重で危険だが、教国内部に弱点がある。そしてクラウスは追い詰められているが、まだ戦える」


「我々は、どう動きますか」


「まずはクラウスの地盤を固める。改革派の貴族を一人ずつ味方につけていく。そして――」


 ノブナは宴会場を見渡した。煌びやかな衣装に身を包んだ貴族たち。その誰もが、自分の利益のために動いている。


「この宮廷の中に、我々の味方になりうる者がいるはずだ。全員が保守派ではない。不満を持ち、変化を望む者が、必ずいる」


「それを、どうやって見つけるのですか」


「簡単だ。カールハインツに虐げられている者を探せ。権力者に不満を持つ者こそ、最も良い味方になる」


 かつて信長が美濃を獲った時と同じ方法だ。


 敵の中から味方を作る。


 帝都の魑魅魍魎を相手に、ノブナの政治戦が始まった。


読んでくださりありがとうございます。

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