第十六話 欺瞞の魔法と、帝国の撤退
ラウル(アルフレッド)は、帝国の偵察隊が森の入り口付近にいることを知った。このままでは、いずれ集落の存在が露呈し、本格的な侵攻を招くことになりかねない。彼は、クリスタル「魔力の中枢」から得た知識を総動員し、この窮地を乗り越えるための策を練っていた。
「正面から戦うのは、まだ早すぎる。しかし、彼らを完全に追い払う必要がある」
ラウルは、思案しながら呟いた。セバスは、ラウルの傍らで静かに待機している。
「坊ちゃん、何か妙案がおありで?」
セバスが尋ねると、ラウルは口元に微かな笑みを浮かべた。
「ええ。彼らに、この森が、どれほど危険な場所であるかを、身をもって体験してもらいましょう」
ラウルは、集落の防衛を担当するグレン、バルド、リゼルを呼び寄せた。そして、彼らに自身の計画を説明した。
「皆さんには、森の奥から、大規模な魔物の群れが迫ってきているように見せかける魔法を発動してもらいます。あくまで幻影ですが、彼らには本物に見えるでしょう」
ラウルは、クリスタルから得た「幻影魔法」と「音響魔法」の知識を応用するつもりだった。それは、高度な魔力制御を必要とするが、今のラウルならば不可能ではない。
「幻影魔法、ですか?そんな芸当が……」
グレンが半信半疑の表情を浮かべた。彼らの知る幻影魔法は、せいぜい小さな動物を偽装できる程度だ。
「ええ。そして、その幻影と同時に、彼らが最も恐れるであろう『竜』の咆哮を響かせます。これならば、彼らも退散するでしょう」
ラウルの言葉に、三人の冒険者たちは目を見開いた。竜の咆哮。それは、伝説の生き物であり、帝国軍であっても容易に相手にできる存在ではない。
「まさか、本物の竜を使うわけじゃないだろうな?」
バルドが、珍しく言葉を発した。
ラウルは首を振った。
「もちろんです。これも、音響魔法による幻影です。しかし、その威力は本物と区別がつかないほどに作り込みます」
ラウルは、三人に詳しい指示を出した。グレンには幻影の誘導、バルドには音響の増幅、リゼルには精密な魔力制御による幻影の作り込みを任せる。彼らも、ラウルの指導の下、日々魔法の腕を磨いていたため、高度な連携が可能になっていた。
計画は、すぐに実行された。
夜が更け、帝国偵察隊が森の入り口付近で野営している頃、森の奥深くから、かすかな地響きと、おぞましい魔物の咆哮が聞こえ始めた。
「何だ!?この揺れは!?」
偵察隊の兵士たちが、慌てて武器を構える。隊長の魔術師も、その異常な魔力のうねりに眉をひそめた。
「間違いありません、隊長!膨大な数の魔物の群れが、こちらに向かってきています!」
偵察兵が、恐怖に顔を引きつらせながら報告した。彼らの魔力感知では、その全てが本物の魔物に見えていた。ラウルが作り出した幻影は、まるでそこに実体があるかのように、地面を揺らし、木々を揺らし、土埃を巻き上げながら迫ってくる。
そして、その魔物の咆哮に混じって、天を揺るがすような、圧倒的な「竜の咆哮」が響き渡った。
「グルオオオオオオオオオッ!」
その咆哮は、大地を震わせ、兵士たちの鼓膜を打ち破るかのようだった。魔術師隊長も、その音と、森の奥から立ち上るおぞましい魔力に、顔を青ざめさせた。
「な、なんだと!?竜だと!?この森に、竜がいたというのか!?」
彼は、これまで経験したことのない、本能的な恐怖に襲われた。伝説の生き物が、今、自分たちに向かってきているのだ。
「隊長!このままでは、全滅します!撤退を!」
部下たちが、半狂乱になって叫んだ。魔物の群れと、伝説の竜。これでは、どんな精鋭部隊でも勝ち目はない。
「くそっ……!撤退だ!全隊、直ちに撤退せよ!」
魔術師隊長は、苦渋の決断を下した。彼は、この森の奥に、何か想像を絶する存在がいることを確信した。それが、誰が仕掛けたものかまでは分からなかったが、これ以上深入りすれば、命はない。
帝国の偵察隊は、森の入り口から、一目散に逃げ去っていった。彼らは、二度とこの森に近づこうとはしないだろう。この森は、彼らにとって「手出し無用」の危険地帯として認識されたのだ。
偵察隊が完全に視界から消えたのを確認すると、ラウルは静かに手を下ろし、魔力の制御を解いた。すると、森を埋め尽くしていた魔物の幻影は霧のように消え去り、轟いていた竜の咆哮も、何事もなかったかのように静寂に包まれた。
「やったな、ラウル!」
グレンが、興奮冷めやらぬ様子でラウルの肩を叩いた。バルドも、満足そうに頷き、リゼルは弓を下ろして安堵の息を漏らした。
「見事な計略でございました、坊ちゃん」
セバスが、心からの称賛を口にした。
ラウルは、安堵の表情を見せながら、遠ざかる帝国偵察隊の方向を見つめた。
「これで、しばらくは安全でしょう。しかし、帝国は、あの謎の結界と、魔物の群れに疑問を抱いたはずです。いずれ、さらに大規模な調査隊を送ってくるでしょう」
ラウルは、これで安心できるわけではないと理解していた。これは、一時しのぎに過ぎない。しかし、この時間稼ぎは、集落の建設と防衛体制の強化にとって、極めて重要なものとなる。
「私たちは、この猶予を最大限に利用し、さらなる力を蓄えなければなりません。都市を築き、人々を増やし、真の国家へと成長させるのです」
ラウルの目は、未来を見据えていた。帝国の脅威が迫る中、名もなき開拓地は、彼の決意と共に、さらなる飛躍を遂げることになる。この森の奥深くで、静かに、しかし着実に、新しい王国の骨格が形作られていく。




