第一話 恵まれた生と秘めたる才
第8作目の公開です。
今回は、異世界内での精神転移ものとなります。
澄み渡る青い空に、白い雲が悠々と流れる。王都オルドの王城の一角にある庭園では、初夏の柔らかな日差しが、若々しい緑の葉をきらきらと照らしていた。その光景の中心には、一人の少年が立っていた。彼の名はアルフレッド。このオルド王国を統べる国王の、第三王子である 。
アルフレッドは今年で十歳になったばかりだ。年の割に背が高く、引き締まった体つきをしている。その顔立ちには、国王と王妃、そして二人の兄から惜しみなく注がれた愛情が、そのまま穏やかな表情として刻まれていた。彼は、王宮の人々から「アルフレッド様」と敬愛を込めて呼ばれ、誰からも分け隔てなく接する、心優しい王子として知られていた。
幼い頃から、アルフレッドは他の追随を許さない才覚を見せていた。剣を握れば、その十歳の細腕からは想像もできないほどの速度と正確さで木剣を振るい、指南役の騎士たちを驚かせた。魔法に関しても同様だった。彼は詠唱もなしに小さな火球を生み出し、水たまりを凍らせて見せた。その天賦の才は、まるで伝説の勇者のようだと、王国内では囁かれるほどであった 。
しかし、アルフレッド自身は、その才能を鼻にかけることは決してなかった。彼はむしろ、自分の持つ力が、愛する家族と王国を守るためにあると信じていた。
「アルフレッド、今日の訓練はもう終わりにして、少し休みなさい」
優しい声が聞こえ、振り返ると、そこには彼の兄である第一王子、レオナルドが立っていた。レオナルドはアルフレッドより五つ年上で、すでに立派な青年だ。剣の腕も魔法の才能も一流で、次期国王として国民からの期待も厚い。
「兄上、もう少しだけ」
アルフレッドが懇願するように言うと、レオナルドは苦笑した。
「お前は本当に努力家だな。だが、無理は禁物だ。父上も母上も、お前の体を心配している」
その言葉に、アルフレッドは素直に頷いた。国王である父も、王妃である母も、そして兄たちも、アルフレッドの成長を心から喜び、深い愛情を注いでくれていた 。彼がどんなに稽古に熱中しても、決して止めさせることなく、常にその身を案じてくれる。その愛情が、アルフレッドの心を豊かに育んでいた。
「そういえば、先日届いた隣国ラーヴェン帝国の使者の件だが」
レオナルドは、傍らに控えていた侍従から差し出された冷たい果実水を一口飲むと、話を切り出した。
「帝国の皇帝陛下が、数年後に即位五十周年を迎えるらしい。その祝賀式典に、我が王国からも使者を送るよう要請があった」
「そうですか。それはめでたいことです」
アルフレッドは素直にそう答えた。ラーヴェン帝国は、オルド王国の西方に位置する大国だ。古くから友好関係を築いており、文化的な交流も盛んに行われていた。
「ああ。そこでだ、アルフレッド。お前もいずれは外交の場に出る機会も増えるだろう。今回の式典は、お前が十六歳になった暁には、王家の使者として向かう良い機会になるかもしれないな」
レオナルドの言葉に、アルフレッドは目を輝かせた。王家の使者として、国外に出る。それは、幼い頃からの彼の夢の一つだった。
「はい!もしその役目を仰せつかるのであれば、精一杯務めさせていただきます!」
アルフレッドは力強く答えた。その純粋な瞳には、未来への希望が満ち溢れていた。この時はまだ、その未来が、想像を絶する破滅と、新たな始まりへの道へと繋がっていることなど、知る由もなかった。
アルフレッドはその後も、来るべき日に備えて鍛錬を怠らなかった。剣技はさらに磨きがかかり、魔法の腕も熟練の域に達した。彼は王宮の誰よりも早く起き、夜遅くまで書物を読み漁り、世界の情勢や歴史についても学んだ。その全ては、愛する家族と、そして王国のために。彼の心は、純粋な献身と希望に満たされていた 。
十六歳になり、アルフレッドは成長した。身長は兄のレオナルドに迫り、体つきはより一層引き締まり、顔立ちも精悍さを増した。彼はまさに、王国の希望そのものだった。そして、レオナルドがかつて言った通り、彼はラーヴェン帝国の祝賀式典へ、王家の使者として向かうことになった 。
旅立ちの日、王宮の門前には、国王と王妃、そして二人の兄が見送りに来ていた。
「アルフレッド、道中気を付けるのだぞ。お前は我が国の希望なのだから」
国王の温かい言葉に、アルフレッドは深く頭を下げた。王妃は涙ぐみながら、彼の頬にそっと手を触れた。
「無事で帰ってきてちょうだい。母はいつもあなたのことを想っています」
「はい、母上。必ずや任務を果たし、無事に帰還いたします」
レオナルドと第二王子であるカインも、笑顔で彼の背中を押した。
「アルフレッドならきっと、立派に務めを果たせるだろう。期待しているぞ」
「土産話を楽しみにしているよ、弟よ」
家族の温かい見送りを受け、アルフレッドは馬車に乗り込んだ。御者と数名の護衛を伴い、馬車は王都の石畳を走り出す 。遠ざかる王都の門を見つめながら、アルフレッドは心の中で誓った。この旅で、さらに見聞を広め、より強く賢くなって帰ってこようと。そして、いつかこのオルド王国を、より豊かな国にしてみせると。
しかし、その誓いは、突然の出来事によって打ち砕かれることになる。
ラーヴェン帝国へと続く街道は、途中で深い谷間を縫うように走っていた。馬車がちょうど崖沿いの道を曲がりきったその時、突然、地面が大きく揺れた 。
「な、なんだ!?」
御者の驚く声が響く。だが、その声はすぐに悲鳴に変わった。ガタン、と激しい音を立て、馬車の車輪が浮き上がる。次の瞬間、馬車は制御を失い、深い谷底へと転落し始めた 。
アルフレッドは、何が起こったのか理解する間もなく、馬車の内部で激しく揺さぶられた。魔法を使おうにも、あまりに突然の出来事で、体勢を立て直すことすらできない。視界が急速に傾き、地面が迫ってくるのが見える。恐怖よりも、状況を把握できない混乱が彼を襲った。
ズドン、と地響きのような激しい衝撃音が響き渡った。馬車は崖の底に叩きつけられ、木っ端微塵に砕け散る。アルフレッドの体もまた、容赦なく岩肌に叩きつけられた 。
意識が遠のく中、彼はかすかに呻き声を上げた。全身を灼けつくような痛みが走る。手足が動かない。治癒魔法を、そう願っても、思考すらままならない。御者や護衛たちの姿が見当たらない。彼らは、皆、即死したのだろう。
死の気配が、じわりじわりとアルフレッドの全身を侵食していく。声も出せず、指一本すら動かせない。このまま、自分は死ぬのか。家族に、王国に、何も恩返しができないまま。そんな絶望が、彼の心を覆い始めた。
その時だった。
「──諦めてはなりません」
頭の中に、直接響くような、しかし優しく、そして力強い声が聞こえた。それは、この世のものとは思えない、澄み切った響きを持っていた。
「あなたはまだ、果たすべき使命がある」
朦朧とする意識の中で、アルフレッドは問うた。
──あなたは、誰だ?
「私は、女神。この世界の理を司る者」
女神を名乗る声は、アルフレッドに告げた。この馬車の事故は、偶然ではない。オルド王国の国王の座を狙う、ある貴族がラーヴェン帝国と密約を結び、仕組んだ謀略だと 。そして、この事故をきっかけに、帝国はオルド王国へ攻め入る準備を進めているのだと 。
「あなたの命は、ここで潰えるべきではありません。あなたは、この世界の平和のために、新たな力と使命を授けられるでしょう」
女神の声と共に、アルフレッドの体から、温かい光が溢れ出した。それは、彼の全身を包み込み、そして、彼の魂を、別の場所へと誘うかのように輝きを増した。
「全ての魔法を、神のごとく操る力をあなたに授けましょう。そして、もう一つ。あなたに、新たな器を与えます」
次に女神の声が告げたのは、信じられないことだった。同じく死の淵にあった、王国に忠誠を誓う伯爵家の十六歳の長男の体に、アルフレッドの精神を入れ替えるというのだ 。
「どうか、この世界に平和をもたらしてください」
女神の最後の言葉が響き渡ると同時に、アルフレッドの意識は完全に途絶えた。
事実上、オルド王国の第三王子アルフレッドは、この馬車の事故で命を落とした 。しかし、彼の精神は、伯爵家の長男の体へと移り、生死の境をさまよいながらも、新たな生を得ることになる 。
この瞬間、一人の王子は死に、一人の貴族は、その精神を入れ替えられ、世界の命運を握る存在として、再び目覚めの時を待つこととなった。彼の新たな物語が、今、始まろうとしていた。
3話同時公開後、一日に数話投稿予定です。