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飴玉をじゃりじゃりと嚙み砕くような気軽さと無責任さ

作者: 有未

 人生と呼ぶ程には大袈裟ではなくても、日常生活を過ごす中でするささやかな選択には結果や責任が伴う。右に行こうか、左に行こうか、真っ直ぐ行こうか、戻ろうか。どれを選択するのも自分だし、その結果や責任を受け入れるのも自分だ。それは、当たり前のことだ。


 だが、ほんの時々、私はそういったことに対して息苦しく思う。普段ならば、結果や責任について深くは考えていないのかもしれない。少しだけげんきがない時に、こういったことを考えやすいように思う。何処かに逃げ出したいのかもしれない。夢も生活も一度、此処に置いて。きっといつかは戻って来ると、書き残して。


 しかしながら、人間生活というものはなかなかそうは行かない。自分がいま置かれている環境を変えることにはとてもエネルギーが必要だ。それに、一度でも其処から離れてしまうと、戻って来ることにもエネルギーが必要だ。或いは、もう戻っては来られないかもしれない。もしくは、戻って来た時には以前となにかが変わっているかもしれない。それでも良いよと居場所を出て行くこともあるだろう。でも、私は大人になるにつれてそういった決意や気軽さはなくなりかけてしまっている。ささやかな旅に出るのにも、必ず下調べをし、メモの書き込まれた地図を持ち、バッグには貴重品を入れる。お気に入りの洋服、お気に入りの靴で、慎重に出掛ける。それが私だ。


 もっと、気軽に出掛けられたら良いのに。そう思う日もある。晴れたから、お散歩に行こう。そんな簡単な気持ちで。近所だったら、特に地図がなくても。少しの荷物だけで。るんるんと。そんな夢をみる日もある。


 環境を変えたり、ささやかな旅に出たりすること以外にも、私は気軽さがほしいと思っている。本を読むこと、音楽を聴くこと、映画を観ること。苦手な食器洗いをすること。そして、私の基盤になっている大切な執筆活動においても。るん、と飛び出して行くように、もう少し気軽におこなえたら良いなと思っている。


 慎重さが大切になる場面も、人生には多々あるだろう。良く考えて出した結論の方が重みも正当性もあり、他者から求められるものであることもあるだろう。だが、それはそれ、これはこれ、だ。


 いまの私に必要なものは、飴玉をじゃりじゃりと嚙み砕くような気軽さと無責任さだと考えている。この考えが正しいかどうかは私にも誰にも分からない。飴玉が小さくなって来たからじゃりじゃりと噛んでしまおう。其処には慎重さなどないし、責任もない。小さくなった飴玉の凝縮されたおいしさをひたすらに味わえるのみである。なんとシンプルなことか。人間も世界も、根っこはこうなのかもしれない。


 初めの一歩を踏み出すことには大きな勇気が必要だし、いままでとは違う環境に身を置くことにも勇気が必要だ。その後で、結果を見て、自分の選んだ選択が正しかったかどうかとか、もっと違う場所に行った方が良いかもしれないとか、少し疲れてストレスが強くなって来たから休もうかなとか、色々なことを考えて、また試行錯誤する。その積み重ねが日々になるのかもしれない。そういった様々な思考をいつもは楽しいと思えていたり、或いは特別な感情はあまりなくおこなえていたとしても、少しげんきをなくした時は煩わしくなってしまいがちだ。寝ていたいわけではないものの、色々なすべきこと・出来ることなどについて考えるだけ考えてしまい、疲れてぼんやりとしている。そして、あまり行動が出来なかった日が生まれる。それが休息の日となり、良いと思える時もある。だが、私はなるべくなら「出来た!」と思える日を多くしたいと思っているのが現状だ。ささやかでも良い、希望の芽となる「出来た!」を多く生み出しておきたいのだ。


 それならば、私はもっと気軽に行動するべきかもしれないと考える。「するべき」とすると、少々、重たくなってしまうのかもしれない。気軽に行動しようかな、くらいで良いのかもしれない。趣味も家事も外出も。夢の為の行動も。私は考えてから行動することが多いし、それも勿論、大切だが。いままであまりおこなって来なかった、とりあえずやってみる、という思考と行動を自分の生活に取り入れてみる機会が来たのかもしれない。


 ずっと走り続ける必要はないのかもしれない。休息も大切だ。休息から生まれるものも沢山ある。ただ、私はずっと休んでいたいわけではいまのところないので、これからもささやかな「出来た!」を大切にしつつ、いままでより気軽に行動出来たら良いと願う。飴玉を噛み砕くように。

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― 新着の感想 ―
 わかります。  私も現実に疲れた時、フルートに逃げることがあります。  学校時代に吹いていた楽譜を吹いたり、あるいは好きなJ-POPやアニソンなどを試行錯誤してみながら吹いてみたり。そうやってフルー…
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