それを着てみたい
「それを着てみたい」
その日。
とても、大切な日。
私に向かって彼は言った。
いつもの冗談かと思った。
だって、そうでしょう?
他にどう解釈すれば良いと言うの?
「ごめん。冗談だよ」
彼はそう言って笑った。
ずっと一緒だったから分かった。
彼が嘘をついているって。
だから、私は失望だとか、怒りだとか、困惑だとか、そういうのを抜きにして言った。
「着てみる? サイズは合わないと思うけど」
彼は言葉を失い、代わりに涙を一つ流した。
何度か謝っていたけど、私はそれを無視して彼の手を取った。
明日、私が着るはずのドレスに彼は震える指で触れた。
「着られない。小さすぎるよ」
今更、彼はそう言ったけど、華奢な彼ならばどうにか着られる。
あるいは。
男性としては不健康とさえ言えるこの細さは彼の抵抗だったのかもしれないと、私は今更ながら思った。
「ほら。着られた」
そう言って姿見の前に立つ。
私の目の前で、あなたは小さく息を吐き。
何度も謝りながら泣いていた。
ほっとした様子で。
彼は。
彼女は。
あなたは。
何度も何度も謝っていた。
「別にいいのに。家族になるんだから」
それが自然と出た言葉なのか。
あるいは、必死に探した言葉だったのか私には分からない。
ただ、純白のウエディングドレスに身を包むあなたが。
今、ようやく心から安堵して泣いているのが。
すごく辛くて。
愛おしくて。
それでも、やっぱりつらくて。
「ごめんね」
私も謝っていた。
その後。
私は彼女に出会うことは永遠になかった。
あなたはあの日のことなどなかったかのように、私の夫として生きてくれている。
それが良かったのか良くなかったのか私には分からない。
ただ、愛おしそうに私のお腹に宿った命を手の平で優しく撫でる、あなたを見て。
私はいつも何かを告げようとして。
何も告げられなくなる。
「どうしたの?」
夫となったあなたの問いかけに。
せめて、今はと思い私は言葉を返す。
「あなたが家族になってくれて良かった」
本当からは少し離れているけれど、決して嘘じゃない真心を。