出会いの章 弍
……ココは? ……あぁ、あの後、俺は気を失って……
身体を起こし周りを見渡すと、何処かの部屋だったが見覚えがねぇ。自棄に怠い身体を起こし、寝台に縁に座ると静かに扉が開き、入ってきた綺羅と目が合った。
「……起きたのね。貴方、丸二日も眠っていたのよ」
あれだけの啖呵を切ったのに、この為体、なんだか気恥ずかしくなり、つい悪態が口から溢れてしまう。
「ちっ、悪かったな。……邪魔しちまったみてぇだし、帰るわ」
「待って!」
綺羅の静止を無視して立ち上がろうとするが、脚に力が入らなくて二、三歩ヨタヨタと歩くと、みっともなくその場で膝をつくように転けてしまう。
初めて使った恩寵だが、ここまで辛いのかよ。使うんじゃ無かった。戦闘の興奮と同行者の生き死にで、俺も冷静じゃ無かったな。狼型の害獣を撃退した時の事を思い出し、内省するが今更だ。寝台の縁に手を置き、何とか立ち上がろうとするが……脚がふらつき、とても一人では歩けそうにもなかった。
「ほら、無理しないで寝てなさい」
彼女は優しく俺を抱き起こし、ゆっくりと寝台に寝かせてから、深妙な顔でコチラを見つめていた。
「……ありがとう。まだ目を覚さないけど、治美は助かったわ。……だから……ありがとう」
長い髪を翻し、頭を下げて綺羅が礼を述べるが、そんなのはどうでもいい。対価は貰うからな。
「礼はいい。俺が歩けるようになったら、契約を交わしに行くから…… 逃げるなよ」
「……分かったわ」
「それならいい。俺はもう少し寝るから……」
「ええ……おやすみなさい」
会話を避けるようにシーツを被り、目を閉じると直ぐに睡魔が襲ってきて微睡み始めた。夢現の中、何処か遠くで扉がパタンと閉じた音が聞こえた気がした……
結局、俺は一週間ほど寝込んだ後、やっと自力で歩けるようになった。やっとココからオサラバ出来る。意気揚々と未だに気怠さが抜けない身体を鞭打ち、綺羅を連れ添って神殿に行った。
大和達が不満そうに見守る中、お布施を払い契約を交わす。それに寄って彼女の左の手の甲に、彼女が奴隷で俺の所有物だと示す刺青が彫られた。
「これで正式にお前は俺の奴隷になった訳だが……」
「覚悟は出来ていたのだけど……」
自らの手の甲を眼前まで上げシミジミと見ると、静かに呟く彼女の心境は分からない……が、俺に言わせれば、たかが友達の為に、ここまでする彼女は狂っているように思える。ただ、そんな彼女が、俺の眼には綺麗な物に見えた。
「……綺羅ちゃん……ごめんね……」
「治美が気にする事ないわ。私が選んだ事だもの。それにね……私は貴方が死ぬ方が嫌だったから……だから、これでいいのよ……」
「綺羅ちゃん……ありがと」
痛々しい姿のまま着いてきた治美は、綺羅に抱き着き涙を流しながら、何度も後悔と感謝の言葉を繰り返し、そんな彼女の背中を綺羅は愛おしそうに眼を細めて笑い、優しく撫でていた。
「綺羅……すまん。俺があの時ヤラれたりしなければ……」
「それを言うなら私も……フォロー出来なかったし……」
「皆んな…… もういいから、そんな事より、これからの事を話し合いましょ」
治美を抱きしめたまま、綺羅は大和達に向かって優しく笑いかける。そんな彼女の顔は陽光に照らされて、眩しかった。
「ああ……そうだな。綺羅の言う通りだ。何時迄も過去を悔いても仕方ないしな。前回の事を反省して前に進もう。新しいメンバーも増えた事だし、これからの事を話し合わないとな」
「おー」「分かった」とか言って、何かを吹っ切れたような前向きな発言をする大和達に、俺は引っかかる物を感じる。
コイツら、何か勘違いしてねぇか? もう少し様子を見るか……ココは揉めるには目立ちすぎる。
まだまだ本調子じゃない俺は、肩を借りながら神殿前から自分の住む長屋まで連れ帰ってもらい、寝台に腰掛けた。
道具を整備する為に少し広めの部屋を借りたが、成人が七人も入れば、流石に窮屈に感じる。怪我が治り切っていない治美は俺の隣に座り、残りの五人は椅子に座る者や立っている者とに別れて、コレからに付いて話し合いを始めた。
「取り敢えずは、治美抜きに討伐隊に加わるしかないか? 何にせよ、リラを稼がないと、どうしようもないしな」
「そうね。万能薬分も稼がないといけないし、近場で害獣退治か護衛依頼が在ればいいのだけど……」
「何日も治美を一人にするのは心配だぞ」
「それならヴィグネーに面倒を見てもらえばいいじゃん。幸い、外傷はないんだから出来るんじゃない?」
「それぐらいなら、任せてもいいかも?」
和気藹々と話を進めるコイツ等に、俺が引っかかっていた事が事実だと分かってしまう。
ああ、やっぱりコイツらは勘違いしてやがる。また揉める未来しか見えねぇな。ちっ、面倒だが仕方ねぇ。ハッキリさせとかねぇと。
「なぁ、何か俺が、お前らと仲間になるみたいな話になってねぇか? ハッキリさせときたいんだが、俺はお前らとはやっていかねぇよ」
「なっ!?」誰が言ったか分からねぇが、大和達が一斉に俺を睨み付け、その表情に険を浮かべていた。
「もう一度言うが、俺はお前らの仲間になんかならねぇ。奴隷の綺羅と、魂分けをした治美を連れて別にやっていく」
「そんなっ!!」
「話が違うぞっ!」
「そうよ! 話が違うわ!」
言葉を失くし呆然と立ちすくむ陽凪と美織。俺に掴みかかろうと詰め寄ってくる武蔵を大和が静止して、綺羅は怒りのままに睨みつけてくる。はぁー、面倒臭え……
「どう言うこと? 確かに私は奴隷になったけど、大和達と離れる気は無いわよ」
怒気のこもった眼で、睨みつけてくる馬鹿どもに言い聞かせるように話し掛けるが、どこまで理解してくれるか……
「お前こそ何か勘違いしてねぇか? お前は俺の奴隷になったんだ。つまりは俺の所有物だ。お前の意思なんか関係無い。どうしようが俺の勝手だ」
「なっ!? そんな馬鹿なっ。そんな事が許される筈が無い」
「そうだし。綺羅は物なんかじゃない」
なんだ? このお花畑供は。余りにも自分達に都合が良すぎる考えに、苛立ちが募っていく。不自由な身体の事もあり、喚く綺羅達に俺も怒りが湧いてきた。
「――五月蝿ぇ!!」
俺の怒声に大和達は押し黙るが、顔は厳しいままだ。この常識知らず供に、言い聞かせるように、もう一度、あの時の条件を話してやった。
「……あの時言ったよな。治美は貰う、綺羅は奴隷にするって。もう契約も済ませたんだ。綺羅は俺の物だ。だからどうしようが俺の勝手だし、元々お前らは俺の仲間じゃねぇ」
「そんな馬鹿な事が認められるか!」
「そうだっ。今から神殿に行って取り消して貰おうよ」
「そうだな。それがいい。じゃあ、早速行こう」
大和達が盛り上がっているのを、冷やかに見詰めながら無駄な事をやる奴らだと心底呆れてしまう。
乱暴に扉を開けて出て行く大和達の中で、唯一、治美だけが申し訳なさそうに頭を下げてから部屋を出て行く。そんな奴らの背に「綺羅。夜には帰って来い」と言ってやると、ガンッと扉が閉められた。それが返事って訳か……明日が楽しみだな……
夜になり、案の定綺羅が帰って来なかったので、怠い身体に鞭を打ち、隣の部屋の奴に金を握らせ、兵士に逃亡奴隷として綺羅を訴えてやった。次いでにアイツらも、奴隷を盗んだとして一緒に訴える。
迷い人かなんかか知らねぇけど、世の中舐めすぎだ。一辺、痛い目を見とけ。
暫くすると、隣の奴と兵士が部屋に来たので事情を説明すると、面倒臭さそうな顔で直ぐに帰って行こうとしたので、帰り際に兵士のやる気とアイツらの安全の為に「ご苦労様です。少ないですが酒代の足しにして下さい」と金を握らせると「分かってるな。任せとけ」と、下卑た笑いを浮かべて部屋を出て行った。
翌朝、けたたましくなる扉の叩く音に目を覚まし、兵士に連れられて宿舎に行くと、薄暗くゲロ臭い牢屋の中に入れられている、憔悴しきった顔の大和達と対面した。
アイツらは俺を見るなり牢屋の扉を叩きつけたり、罵声を浴びせたりしてくるが、俺はそれを冷めた眼で見詰めて落ち着くのを待つ。暫く経つと頭が冷えたのか罵声が止んだので、自分達がどういう立場なのか、馬鹿でも分かりやいように、出来るだけ簡潔に説明してやった。
「よう。犯罪者ども。昨日は良く眠れたかな?」
「――ヴィグネー! お前ぇぇ!!」
憤怒に染まり吼える大和を尻目に、牢屋の中を見渡す。捕まる時に暴れたのか、それとも兵士が面白半分に殴ったのか分からないが、大和と武蔵の顔には痣が有り、大きく腫れ上がっていた。
あぁ、痛そうだな。でも、その程度で済んだのは、俺のお陰なんだから感謝して欲しいもんだぜ。
「人の物を盗んだら犯罪なんだぜ。知らなかったのか?」
小さな子に言い聞かせるような、馬鹿にした態度に大和達は憤っていたが、鉄格子に阻まれていては悪態を吐くぐらいしか出来ない。そんな奴等を、侮蔑の目で見下す。
「それと綺羅。お前は俺の物なんだ。主人から逃亡したら死刑だぞ。分かってんのか? 俺は昨日、夜には帰って来いと命令した筈だ。このままだと、お前……死ぬぞ」
俺は態と低い声を出して、これから起こるかも知れない最悪の結末を話してやると、ようやく事態を理解したのか、真っ青な顔で身体を両手で抱きしめて俯く綺羅。対して、大和達はまだ状況が上手く飲み込めないのか、グチグチ言ってやがる。
「お前らも他人事じゃ無いんだぜ。俺が訴えを取り下げない限り盗っ人のままだ。罰金が払えなけりゃ、そのまま犯罪者として、男は鉱山送りに、女は娼館だ。そこで金を払い終わるまで働き続ける事になるな」
今更ながらに事態を把握したのか、真っ青になってやがる。……本当に何も知らなかったのか? けど、そんなのは関係ねぇ。恨むなら自分達の無知を恨みな。
「……俺達は……そんなつもりじゃ……」
「はあ? 馬鹿なのか? 人の物を盗んだら犯罪だろが。そこら辺のガキでも知ってるぜ」
「綺羅は物じゃ……」
「巫山戯けてんのか? 綺羅は奴隷になったんだ。お前らも知ってるだろが。今は俺の物なんだよ。いい加減理解しろ」
「奴隷にも人権が……自由が有って然るべきだろ」
「何だそりゃ? 綺羅をどうするかは主人の俺が決める事で、ソイツの意思は関係ねぇ。俺が死ねって言えば死ぬんだよ。まぁ、そんな勿体ない事はしねぇがな……」
俺の反証に言い返せなくなったのか、悔しさを滲ませて黙りこくる大和達。その中で、原因となった治美が綺羅の足下に蹲り、謝罪の言葉を発している。
「ごめんなさい、ごめんなさい」と悲壮感を滲ませて、何度も何度も…… 無機質で冷たい石造りの牢屋中、その言葉だけが虚しく響いていた。
――その後の話し合いで、俺は和解金を貰う事で決着とし、綺羅と治美を連れて長屋に帰った。感謝の証として兵士に幾らか包み、まぁ、その分は大和達に上乗せして和解金を貰うから実質的に儲かったが……
部屋の中が辛気臭い。重苦しい空気の中、治美の啜り泣く声だけが聞こえてきて…… はぁー、最悪だ。
「おいっ! いい加減、泣くのを止めろっ、鬱陶しいっ」
俺の恫喝に治美は身体をビクッと震わせて、綺羅の後ろに隠れてしまう。当の綺羅は、俺を射殺さんばかりに睨みつけている。
おー、おー、怖い、怖い。そんな親の仇みたいにコッチ見んなよ。俺は治美の命の恩人なんだぜ。それに今は魂を分け合った仲なんだ。少しは俺にも優しくしろよ。
そんな彼女を無視して、俺は要件を伝えた。
「あー、綺羅は寝台を買って来いよ。お前と治美が寝れる奴な。それか二段寝台。それと、宿屋に預けてある荷物が有るなら持って来とけ。今日からはココで暮らすんだからな」
「…………」
「ちっ、返事ぐらいしろよ。……まぁいい。分かったならサッサと行ってこい。じゃないと床に寝る事になるぞ」
「綺羅ちゃん……」
「治美……行ってくる……貴方もまだ辛いだろうから……安静にしててね」
未だに眼を涙で濡らし、抱き着いていた治美に優しく笑いかけて、ゆっくりと椅子に座らしてから、綺羅は部屋を出て行った。残された治美は不安気な顔で俺を見ていたが、無視して寝台に寝転び、まだ本調子じゃない身体を休める事にした。
……暫くは害獣退治も出来そうにねぇし、その間に綺羅達と連携が取れるぐらいには仲を深めないとな。……やっぱ、助けるんじゃなかった……冷静じゃなかったとはいえ……頭に血が登りすぎだ……悪い癖だな……直さねぇと……
俺は考えが纏まらないまま、微睡の中に落ちていった。
◇◇◇◇◇
神殿 恩寵が神の聖なる御技と信じられている為にその権力は絶大。どんな小さな村にでも、神殿が有り神官がいるし、神殿が村を実質的に収めていたりする。国王も神殿の意向を無視する事が出来ない。法は貴族院が法案を出し、国王が採決を決めるが、その場に高位神官を立ち合わせている。……が、国によっては神殿の傀儡みたいな国が有ったり、国王が神殿に反発したりと、決して一枚岩では無い。そして、その権力故に不祥事が絶えなかったりもする。
契約を神殿で交わす事の利益は一応双方に有るが、どちらかと言えば契約不履行の、不利益が重大すぎる為に破る者はほぼ皆無だが、一部の人達は多大なお布施をする事によって一方的に不利益な契約を結ぶ事が有る。建前上は双方の合意によって結ばれ、神殿は中立の立場で見守るのみ。
リラ この世界の通貨。日本円と変わらない一リラ一円。一リラ=石貨一枚 十リラ=鉄貨一枚 百リラ=銅貨一枚 千リラ=銀貨一枚 一万リラ=金貨一枚 十万リラ=白金貨一枚 百万リラ=虹貨一枚 と、ふんわり設定。 虹貨 貴重鉱石で作られた貨幣。
実際には石貨や鉄貨は使われていない。