出会いの章 壱 合縁奇縁
ふぅ―― ふぅ―― はぁ――
ざっと百メートルってところか? 上手く誘導してくれよ。
葉が生い茂る大木の枝の上に、息を殺して身を潜め、まだ遠くを駆けるアイツと害獣を眼を細めて睨みつける。十メートルぐらい後方の繁みの中には、もう一人の仲間が待機し、不足の事態に備えている……が、出番が無ければいいが、どうなることか……
チリチリとした緊張感の中、得物を持つ手に力が入る。まだかと、焦燥感に焦れ、喉の渇きに耐えつつ、唾を飲み込む。ゴクリと鳴る喉の音が、やけに大きく聞こえた。
……緊張してるのか? 己に問うが答えは出ない。久しぶりの狩りだ。やっぱり緊張してんのかなぁ〜と、無理矢理結論付けて、少し早くなった鼓動のまま、注意深く目を細め対象を睨みつけた。
土埃を上げながら、段々とコッチに向かって駆けてくるアイツを、今か今かと待ち続け、徐々に大きくなる獰猛な害獣に、緊張感が増していく。
煌々と殺意を漲らせた眼で、人など簡単に食いちぎれそうな大牙を剥き出しに迫ってくる標的を前に、大きく息を吸い……――――ここだっ!!
大木の枝から葉を掻き分けて、奴の首目掛けて背中に飛び降りるっ! 葉の擦れる音で気が付いたのか、敏感に俺を察知した奴の顔が上を向き、一瞬、凶相を浮かべた害獣の殺意溢れた視線が重なるが、もう遅いっ!!
得物の持ち手に力が入り、ギチギチと悲鳴を上げる。黒い針金のような体毛で覆われた太い筋肉の塊のような首元に、殺意をもって片手剣を突き立てると――
ク゛カ゛ァァァ――!? ブボオォォ――!!
怒号のような、怒り狂った耳をつん裂く叫び声を上げて暴れ出すが――手遅れだっ!! ブチブチと筋肉の裂ける確かな手応えに満足して、熊型の害獣の背中を蹴り、その反動で剣を抜き飛び降りるっ。地面に転がりながら全身を土塗れにして距離を取り、隙を見せぬように素早く立ち上がった。
害獣が首元から赤黒い鮮血を噴水のように噴き出しながら、七、八メートルは有ろうかと言う巨体で立ち上がり、怒りも露わに血走った目で睨みつけてくる。
ちっ! まだまだ元気じゃねぇか。……なぁ、そんなに怒るなよ。俺ばっかり見てると足元掬われるぞ。
威嚇のためか怒りからか、咆哮を上げながら、長く鋭い爪を剥き出しにし、空気を切り裂きながら丸太のような太い両腕を振り回して暴れている…………が、それも長くは続かなかった。
俺の奇襲が成功したのを確認したアイツが反転し
「イッ――ヤァァーー」
甲高い裂帛の気合いと共に、鋭い眼光で睨みつけたまま、黒く長い髪を水平に靡かせ、疾風の如く影を置き去りに、熊型害獣のナイフのような鋭い爪と太い腕を掻い潜り、懐に飛び込みでトドメとなる刺突を繰り出したっ!
そしてっ――――正確に奴の心臓を貫くと、後方回避で素早く害獣の攻撃範囲から逃れ、奴の最後を油断なく冷徹な眼で見届けている。
フワリと落ち、肩にかかる長い髪。まだ幼さを残したあどけない顔に似合わぬ、冷酷な表情で獲物を睨めつけている彼女。その手には、体格に似合わぬ長い細剣が血を垂らして、地面に赤いシミを作っていた。
致命傷となる首と心臓を穿たれた奴は、暫くはブンブンと諦め悪く腕を振り回しながら、耳障りな断末魔を上げて暴れていたが、時と共に力を失い、鈍い音を響かせながら砂埃を巻き上げてその場に倒れ込み、目から光が消え失せて、やがて死んでいった。
そして、緊張の一幕が無事に降りる。
「――綺羅ちゃん、やったね♪」
場にそぐわない明るい声を出しながら、繁みから飛び出した治美が、トドメを刺して残心のままの立っていた綺羅に抱き着き、無事、害獣を討伐した事を満面の笑みを浮かべ喜んでいた。
「治美も大丈夫だった?」
「にゃははは。私は平気。隠れてただけだもん」
「喜んでるとこ悪りぃが、早く血抜きして街に帰ろうぜ。今からなら陽が沈む迄には帰れそうだしな」
さっきまでの冷酷な表情は霧散し、年相応の笑顔で治美と抱き合う綺羅は、あの鋭い一撃を放った奴と同じ人物には到底思えない。
さっき迄とは有った緊迫感は霧散し、害獣の死骸を横目に華やかな二人が抱き合い全身で喜んでいる。その場に似合わぬ、はしゃぐ二人を横目に見ながら、少し離れた場所に停めてある荷馬車に向かう為、二人に声を掛けると「分かってるわよ」と、風切り音を立てて、綺羅は害獣の首や手足の動脈を正確に切り裂き、血抜きを始めた。
荷馬車を引き連れて彼女達の元へ向かい、中から道具を取り出して、一トンをゆうに越えた害獣を吊り上げ、一時間ぐらい血抜きを済ませてから、荷台に乗せて俺達は村に戻った。
今回は無傷で達成出来たな。次もこれぐらい楽ならいいけど……休んじまった分、早く取り戻さねぇとな。
荷台で害獣と並んで寛ぐ二人に視線を向けると、俺が休業する原因を作った、治美と綺羅が楽しそうに喋っていた。
黒髪の長髪を頭頂部近くで束ね、切長の目に鼻筋の通った綺麗な顔立ちの綺羅と、茶色い髪を肩口で切り揃えて、大きな団栗眼の可愛い顔をした治美が、手振りを交えながら嬉しそうに話している姿に、若干の苛立ちを感じるが今更だ。精々、俺の為に働いてくれ。
……アレからもう一ヶ月か……
◇◇◇◇◇
俺と彼女達の出逢いは、害獣の群れの討伐依頼の募集を受けた時だった。三十頭ぐらいの狼型の害獣を、街から徒歩三日ぐらいの場所で行商人が見かけたので、急遽、討伐依頼が出され、十名前後の募集の張り紙が有ったので単独で依頼を受けたのだが、その中に彼女達二人もいた。
以前から迷い人の彼女達の噂は聞いていたが、一緒に組む事が無かった為に話した事は無く、この時に簡単な挨拶を交わしたのが初めてだった。
「俺はヴィグネーだ。暫くは宜しく頼むぜ」
「ああ、此方こそ宜しくな」
――若いな……彼女達六人は男二人、女四人で全員が迷い人らしい。一年程前に忽然と王都近くに姿を現したらしく、その身なりは奇抜だったそうだ。聞いた事が無いような国や街の名を出し、見知らぬ言葉を話す、とても奇妙一団として兵士に捕らえられ、そのまま取り調べを受けて……結果、迷い人と分かったらしい。
彼女達は一行で募集を受けており、そこに俺ともう二人が加わって、合計九人で討伐に向かった。
行きの馬車の中でお互いの恩寵や得意な事を話し合い、付け焼き刃の連携と作戦で挑んだのだが、事前情報と違い、狼型の害獣は六十頭ぐらいの群れが、二つに別れて狩りをしていたらしく、仲間の窮地を嗅ぎつけた、もう一方の群れが駆けつけてきて、挟み込まれる形となった。
「おいっ! 新しい群れだ! 聞いてた話しと全然違うじゃねぇか!!」
「挟まれたぞ! どうすんだよ!」
突然の事態に緊張感が増していく。完全に害獣に囲まれてしまい、一瞬の隙を突かれ俺たちは二手に分かれてしまった。場所も悪かった。害獣を逃さぬように、奴らを誘導し、袋小路に追い詰めたが、逆に挟まれるような形になり、俺達は図らずとも挟撃を受けてしまう。
……おいおい、どうすんだよ。クインソとヤーバックの腕は、ある程度分かってるからまだしも、迷い人共はどうなんだ? 流石に六十頭近くの害獣を三人で相手取るのはキツイぞ。
目の前の体長が一メートルを有に超える狼型の害獣を注視しながら、大和達の方を見やると
「綺羅は治美を! 武蔵は後ろ! 美織と陽凪はフォロー!」
「応」
「「分かった」」
中々的確な指示だ。戦闘が苦手と言っていた女を中心に男を前後に分けて、遊撃として二人を配置。綺羅って女もいざとなれば助けに入れるしな。
俺は残りの二人と一緒に、少し離れた場所で害獣と睨み合いを続けていた。
それにしても……厄介だな。統率が取れてやがる。
俺たちを囲んでいる害獣は、唸り声を上げ害意も露わに、こちらを伺いながら隙を探るように周囲をゆっくり歩くだけで襲ってこない。
基本的に群れる害獣は、連携が取れてて単体では襲って来ない。必ず二匹以上で前後とか左右から挟み撃ちを仕掛けてくる。今も俺達三人に対して、周囲を取り囲み、逃さぬように動いてやがる。
ちっ、拙いな。群れの長は離れた場所に居やがるし、頭を殺って、はいっ終わりって訳にはいかねぇ。なんせ相手は数が多い。仲間が援護しながら仕掛けて来やがるから、一撃って訳にもいかねぇし……
「グルルー、ガウッ!」
飛びかかって来た一頭の頭を、片手剣で叩き切るっ! 「ガツッ」と、鈍い音を立てて、頭蓋が割れると、血と脳漿を飛び散らせ、地面に叩きつけられて絶命するが、間髪入れず別の一頭が襲い掛かってきたっ!
左前腕に装着している小楯で払い除け、横薙ぎの一撃を喰らわせようとした時には、素早く飛び退き、既に離れてその場にいない。
更に太腿に噛みつこうと飛びついて来た一頭を蹴り上げ、体勢を整えようとすると、左右から害獣が飛びかかって来たっ!
右側の害獣は片手剣を横薙ぎに斬りつけ、左は小盾で殴りつける。「ギャン」と悲鳴を上げた右側の害獣は、頭の上半分が泣き別れし死んだが、殴っただけの左側の害獣は立ち上がり「グルグル」と、牙を剥き出しに低い怨嗟の籠った唸り声を上げて、ギラついた目で俺を睨みつけていた。
――ちっ、気を抜く暇もねぇ。
再び群れに対峙するが、状況は芳しく無かった。側に居る二人は、致命傷は無いが少なからず負傷していて、衣服が破れ血を流している。アッチはアッチで苦戦しているように見えるし、状況はジリ貧だった。
魔法で上手く援護はしているが、致命傷は与えられてねぇし、何よりも殺った数が少ねぇ。奴等もそれが分かっているからか、俺達には無理に仕掛けて来なくなりやがった。
コッチは足止めして、向こうから殺るつもりか? これだから群れって奴は…… 帰ったら、適当な報告しやがった奴をブン殴ってやる。
そんな事を考えていたのが分かったのか、それとも俺に隙が有ったのか、害獣が唸り声を上げて、大口を開いて飛びかかってきやがった。
ギラリと光る鋭利な牙からは、必殺の殺意が見えるが、恩寵第三の手で、その大口に予備の短剣を素早く抜いて突っ込み、横から飛びかかってきた害獣の脳天を剣の柄で叩き割ってやる。
グシャッ、と硬い胡桃を割ったような音を立てて、地面に叩きつけられた害獣は、手足をビクビク痙攣させ、口から舌と血泡を出して動かなくなっていく。
それを見ていたであろう他の害獣は、飛び掛かるのを止めて遠巻きに警戒しながら低く唸り声を上げて、唇の端から涎を垂らして、ギラギラとした目で憎らしげに俺を睨みつけていた。
「おいっ!! まだ行けるか!」
「死にたくねぇしなっ! まだ行けるさっ」
「俺もだっ! まだまだ行けるぞっ」
頼もしいこって。――周りには十頭ぐらいか……何とか乗り切れそうだが……
「きゃーーーー!!」
「治美ーー!?」
「うぉぉーー! 治美から離れやがれーー」
「止めろーー!」
「止めてーー、治美から離れなさいっ!!」
「きゃっ!? っ…… 痛い゛ぃ゛ー ー」
「美織!?」
「……た、助けてぇぇ……」
「美織ぃ!! コレをぉ!」
何が有ったが分らねぇが、一瞬で崩れてやがる! 俺達は咄嗟に駆け出し、囲っていた害獣に斬りかかりって包囲を抜け出し助けに向かう。
後ろから「無茶するなぁ」って、叫び声が聞こえるが関係ねぇ。大きく隙の出来た大和達を、襲う事に夢中になってる今が好機なんだっ!!
迷い人達を襲っている害獣の、無防備な背や首を斬りつけながら近づいて行くっ。最初の一頭は第三の手で横っ腹を短剣で突き刺し、右手の剣で別の害獣の首を切り落とすと、俺に気が付いて、飛びかかって来たヤツを、左手の小盾で受け止め、隙だらけの脇腹に短剣を突き刺した。
「おいっ!! 大丈夫か!」
「治美と大和が……万能薬がもう無いのぉ」
泣きじゃくる美織を横目に、害獣を警戒しているとヤーバックとクインソが駆けつけて来て「後で返せよっ」と、万能薬を彼女に放り投げた。
美織は一瞬逡巡した後「――治美っ、ごめんっ!!」と謝って、万能薬を大和に使った。
「――っ、美織!?」信じられないと言った顔で、美織に掴みかかった綺羅が悲痛に叫ぶ。
「……だって……仕方ないじゃん。……大和は僕を庇ったんだよ。万能薬は一個しか無いし……だったら僕は……恨まれても大和に使うしか無いじゃん!!」
涙を流し慟哭を上げる美織を無視して、治美を見ると明らかに致命傷を負っていた。頬肉を削がれ歯茎を剥き出しに、右手は半ばから食い千切られて骨が見えている。両脚は咬み傷だらけで、無数に穴が開いていて所々、食いちぎられて出血が酷い。
……薬は一個。致命傷を負ったのは二人。何方にせよ選ばなければならない。彼女の心情を思えば当たり前の帰結かも知れない。やり切れないがな。
そんなやり取りをしている内に、頭数を減らした害獣は、己の不利を悟ったのか長の「オッオォォーン」と一際大きい遠吠えと共に撤退していく。
「……痛いよぉぉ 皆んなぁ〜 助けてよぉぉ 本当に痛いのぉ〜〜」
治美のか細い声に、綺羅と陽凪が、重傷を負った右手と太腿の患部に布を押し当てて、出血を止めようと治癒魔法も掛けているが、布が見る見る赤く染まっていく。
大和と武蔵は唇を噛みしめ、悲痛に顔を歪めて立ち尽くし、美織は「ごめんなさい、許して」と、顔を両手で覆い地面に膝を突き泣き崩れていた。
「……なぁ……万能薬はもう無いのか……」
首を振り否定する俺とヤーバック達。残念だが、仕方がない事だ。自分達で討伐依頼を受けたんだ。コレも運命だって諦めな。
仲間の最後を看取っている大和達を放って、俺達は倒した害獣の心臓を剥ぎ取っていき、食肉として持ち帰る為の準備を始める。
半分ぐらいは殺ったか? 依頼料分ぐらいは働いたし、後は報告して終わりだな。残党は他の奴が片付けるだろ。
クインソが馬車を連れて来るまで、ヤーバックと二人で協力して解体作業に勤しんでいると、武蔵に肩を掴まれ、強引に振り向かされた。
「――おいっ! お前の恩寵を使えば何とかなるんじゃ無いのか!」
「あぁー、そりゃ無理な相談だ。俺に利益がねぇ」
確かに俺の恩寵を使えば助かるが、不利益しかねぇしな。コイツらに使ってやる義理はねぇ。
「――アンタねぇ! 人が死にかけてるのよ! つべこべ言わず使いなさいよ!」
「そうよ、助けなさいよ!」
「損得の問題じゃないだろ!」
「あー、五月蝿いっ!! ソイツが死のうが俺になんか関係有るのか? 知らねぇよ、そんなの」
――バキッ! 「痛ってぇなぁ。何しやがる!」
口の中の血を吐き、手に持っていた短剣で、俺を殴りやがった武蔵を斬りつけるが、金属製の小手で受けやがった。
ちっ、面倒くせぇ、素直にヤラれとけよ。手に残る痺れに苛立ちながら、腰の獲物を抜き、怒りのままに武蔵を睨みつけた。
「おいっ!! 止めろ! お前も熱くなるな! ほらっ、物騒なモンは仕舞えって」
「お前らも落ち着けよ! 言っちゃ悪いが、そこのお嬢ちゃんが死にそうなのは、ただの実力不足だろが。それと、お前らの技量不足も有るな。もう諦めろ。こんなの良くある事だ」
駆け付けたクインソが俺の前に立ちはだかり、ヤーバックがアイツらを宥めている……が、意味がねぇみたいだ。奴等は一歩も引かないって感じで俺を睨みつけていた。
くそっ。面倒くせぇが説明してやるか。こんな事に成るなら最初から話すんじゃ無かったぜ。恩寵が少ないって思われるのが嫌で、変な見栄を張るんじゃなかった。過去の自分を恨めしく思いながら、俺は奴等を睨みつけ、恩寵について詳しく説明してやった。
「お前ら、よぅく聞けよ。俺の恩寵の魂分けはな、言葉通りに魂を分けるんだよ。肉体的にもな。だから、そこの女が死ねば俺も死ぬし、俺が死ねば女も死ぬんだ。確かに俺が恩寵を使えば、肉体的な損傷も半分になるから助かるかも知れねぇが、ソイツが死んだら俺も死ぬのに、義理も恩も無い相手に使えるかよ。どうしても使って欲しけりゃ対価を寄越せよ。俺が納得する対価をな」
俺の説明に、苦虫を噛み潰したような顔で黙り込む大和と武蔵。美織と陽凪は泣きじゃくり、綺羅だけが俺を鋭く殺意の籠った瞳で睨みつけていた。
「……金か? 金なら幾らでも払う。今すぐは無理でも必ず払うと約束する。それならいいだろ?」
「ちっ、巫山戯てんのか? 即金ならまだしも、そんな事、信じられるかよ。それに、又討伐依頼でも受けてその女が死んだら俺も死ぬのに、そんな先の不確かな約束なんか信じられるか」
「……どうしたら助けてくれるの? 今、私達が出来る事で貴方を納得させるには、どうすれば良い?」
「それを俺に聞くのかよ。……そうだな……お前らの内、二人……いや、一人でいいから俺の奴隷になってもらう。それと、その女……治美も貰う。俺の知らない所で死んでもらっちゃ困るからな。それで良いなら、恩寵を使ってやるよ」
そんなの嫌だろ? だから諦めるんだな。俯く大和達を無視して、話は終わったと俺は解体作業に戻ろうとしたら
「ねぇ、治美。……死にたくないよね?」
俺を睨みつけていた綺羅が治美の元に歩いて行き、その場でしゃがみ込むと手を握り、ヒュー、ヒュー、とか細く息を吐き、今にも死にそうなぐらい白い顔をした彼女に話し掛けた。
目を虚ろにさせ焦点が合ってない、今にも死にそうな治美は、それでもハッキリと彼女の手を握り返して「綺羅ちゃん……寒いよぉ……私……死ぬの……嫌だよぉ」と答えた。
「――私がなるわ」
俺を憎々しげに睨みつけて、綺羅はそうハッキリ言い切った。視線で人が殺せるなら、俺は死んでいたかも。それぐらいに彼女の眼は冷たく鋭かった。
「おい! それは――」
「治美が助かるにはそれしか無いの! それとも大和は治美が死んでもいいの!!」
「――っ……そんな事は言ってないが、それでも綺羅が奴隷になるなんて……」
「綺羅……」
「おい、お前! 卑怯だぞ! こんな時に! 人の命を何だと思ってやがる!」
「武蔵! 止めてっ!!」
「綺羅はそれでいいの? 後悔しない?」
「――しないっ! ……ねぇ、ヴィグネー、早く治美を助けてあげて。奴隷には私がなるから、それで良いわよね?」
「ちっ、本気かよ。止めるなら今だぞ」
「いいから早くしてっ! ……治美が苦しそうだわ」
治美を見ているから顔が見えないが、声から覚悟が伝わって来やがる。やっぱ、無視しときゃ良かったぜ。少しだけ後悔した後、俺は治美の元に歩いて行き、生涯使う事はないだろうと思っていた魂分けを発動させた。
途端に身体から力が抜けて、目に映る物の色が抜けていく。ガクンっと膝から倒れ込み咄嗟に地面に手をつく。身体から何か形容し難い大事な物が抜けていき、代わりに何か大切な物が入ってくる。そして体の奥深くで、俺が混じり合っていた。
ちっ、キツいな。頭がガンガンするし、身体から力が抜けて行きやがる。
「――おいっ!? 大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」
「……全然大丈夫じゃねぇ。悪りぃけど肩貸してくれ。そんで馬車まで連れてってくれよ。死にそうなぐらい辛い」
「あぁ、分かった。後の事はやっといてやるから帰ったら一杯奢れよ」
「ちっ、足元見やがって。……分かったから、次いでにあの女も頼む」
「合わせて二杯な」
「ちゃっかりしてやがるな。分かったよ。後は頼む」
そして俺は、連れていってもらった馬車の中で、気絶する様に眠りについた。
◇◇◇◇◇
万能薬 どんな病や致命傷も治す。千切れた手足もくっ付ける。材料費が高いだけで作って貰う分には比較的安価で製造可能。知識と器具(高価)さえ有れば誰でも作れる。
万能薬の材料 害獣の心臓(一万リラ売値)から取れるエキスを約千頭分と各種薬草を調合して作る。実はこの世界の住人の心臓でも作れるが倫理的に極秘扱いされている……が、みんな知っている。戦争時には敵兵の心臓を集めたりする。害獣退治を生業としている者は持っている者も多い。仕事上、集め易いし、万が一の用心の為。