急(アルウィス/ララノア)
自邸の中庭で優雅にお茶を飲んでいたルティエン嬢は、俺たちの姿を目にしてもさほど驚いた様子を見せなかった。
「ようやく、といったところかしら」
ティーカップをソーサーに置きながら、つまらなそうにつぶやく。
「どういう意味ですか?」
「ラーラがどこに行ったのか、知りたいのでしょう?」
難なく答えに行き着いたことに安堵しながらも、何故かつかみどころのない不安に襲われる。
そんな俺を尻目に、ルティエン嬢は事もなげに言い放った。
「ラーラの居場所は私が知っています。でも、あなた方には教えません」
「どうして……!?」
今にもつかみかかろうとする勢いのクローディアを、カロンが辛うじて制する。
「何故、あなた方にそれを教える必要があるのかしら」
「何故って、私たちはラーラの親戚で」
「ラーラが、『あなたたちには教えないで』と言っていたのに?」
どこか楽しげな目で俺を見上げるルティエン嬢の言葉に、息が止まる。
「それは、どういう……」
「そのままの意味よ。ラーラが、自分の居場所をアルウィス様とクローディア様には伝えないでと言っていたの。あなた方とは関係のないところで、ひっそりと生きていきたいのですって」
「そんな……」と言ったきり、クローディアの顔からどんどん血の気が引いていく。
よろけそうになったのを、慌ててカロンが支えた。
「ラーラは、無事なのですね」
「ええ。少なくても、体は元気よ。ラーラが最も相応しい場所に、身を置いています」
「……それは、ラーラの心は、元気ではないということですか?」
言った途端、それまで余裕綽々で落ち着き払っていたルティエン嬢が俄かに激昂した。
「あなたがそれを言うの? ねえ、アルウィス様。あなた、一体どういうつもりなの?」
「どういうって……」
「あれだけクローディア様と仲睦まじくしておいて、クローディア様がいなくなったらすぐにラーラを身代わりにするなんて。それでもラーラを大事になさっているようだったから黙って見ていましたのに、クローディア様が帰ってこられるとなったらやっぱり婚約を元に戻すおつもりなのですか」
「いや、違う。これには事情が」
「でしょうね。事情がなければ、こんなことにはなり得ませんもの」
冷ややかな視線は一旦俺から離れ、クローディアとカロンに注がれる。
確たる理由はわからないまでも、ラーラに拒絶されたことにショックを隠しきれないクローディアは自力で立っていることもままならない様子だった。
「ルティエン嬢」
混乱の中で自責感に苛まれながら、縋るように発した声は虚しく響いた。
「あなたは、ラーラがいなくなった理由についても知っているのですか?」
俺の言葉にルティエン嬢は小さくため息をついて、哀れみを含んだ目を向ける。
「もちろん知っていますわ。でも私からお話しできることはございません。お帰りください」
そう言って立ち上がり、無言のまま俺たちに背を向けた。
*****
それから数日、俺は学園で何度もルティエン嬢を尋ね、ラーラの居場所やいなくなった理由を教えてもらおうとした。
幸い、ルティエン嬢は俺に会うことを拒みはしなかった。
ただ、その表情は常に冷徹で、容赦のない厳しい口調が変わることはなかった。
「何度いらっしゃっても、教えることはありませんわよ」
「でも、実家のギリス家の方々も心配しています」
「私が無事でいると言っているのです。少なくとも、ブレイズ侯爵家にいるときよりはよほど安全な生活ができていると思いますよ」
「では、どうしていなくなったのかだけでも」
「それこそ、私からお話しすることはありません」
「……だったら、せめて手紙だけでもお渡し願えませんか?」
「おわかりになりませんの? ラーラはあなた方とのかかわりを持ちたくないのです。でなければ、突然いなくなったりしないでしょう?」
「でも」
「アルウィス様」
しつこく食い下がる俺に、ルティエン嬢はこれ見よがしに眉根を寄せた。
「あなたは、何のためにラーラがいなくなった理由をお聞きになりたいの? 何のためにラーラの居場所を教えてほしいとおっしゃるのかしら?」
「何のためって」
「クローディア様が帰ってこられたのですから、婚約は元に戻るのでしょう? でしたらもう、ラーラに用はないはずでは」
俺は明確な答えを返せず、気まずくなってつい視線を逸らしてしまう。
クローディアが戻ってきてから、俺たちの婚約の話は拗れに拗れ、結論が出ず宙に浮いたままだった。
このままラーラとの婚約を継続するのか、それともまた元の形に戻すのか。
イングールに行くつもりだった俺とクローディアの目論見だけでなくブレイズ侯爵や父の思惑も交錯し、しかもクローディアが実はカロンと恋仲だったと知られることになって、カロンたちと一緒にこちらに来ていたラザフォード伯爵が仲裁に入っても議論はまとまらず決着がつかない。
そもそもラザフォード伯爵は、事情をある程度把握していたという。クローディアからカロンとのことを聞き、すべての責を負うつもりでクローディアの滞在を許したらしい。
もともとクローディアがブレイズ侯爵家で冷遇されていたのを知っていたこともあって、彼女にとっては数少ない味方だったようだ。
ただ、ラーラを身代わりにして婚約が継続されていたことまではさすがに知らなかったのだという。先日ギリス伯爵家から偶然その話を聞き、慌ててクローディアやカロンと一緒にブレイズ家に来たのだと話していた。
そのラザフォード伯爵が間に入っても、今回の件は妥協点が見出せず、一向に折り合いがつかない。いやむしろ、どんどん拗れているような気さえする。
自分でもどうしていいのかわからず、ただ漫然と時間だけが過ぎていくような焦燥感に駆られるばかりだった。
黙り込む俺を見て、ルティエン嬢は明らかに落胆した様子で立ち去ろうとする。
だが、何を思ったか突然振り返った。
「アルウィス様」
「……なんですか?」
「あなたは、どうしたいのです?」
「俺?」
「はい。アルウィス様は、どうなさりたいのですか? どうなったらいいと、お思いなのですか?」
俺?
俺は。
俺は――――
「ラーラに会いたい」
「会ってどうなさるのですか? 今この状況で、ラーラに会って、ラーラに何をどうお話しするおつもりなの?」
「だから、これまでの事情をちゃんと説明して」
「それから? そのあとは? 大事なことは何一つ解決していないくせに、ラーラに会いたいだなんて虫が良すぎると思いませんか? 私の大事な親友を、これ以上傷つけることは絶対に許しません」
いつもは人懐っこい笑みを浮かべるルティエン嬢の目は、炎を操るエルノール家らしい苛烈な怒りに燃えていた。
と同時に、俺はラーラの碧色の瞳を思い出す。
あの吸い込まれそうに深い色の、俺を惹きつけて止まない、意志の宿る瞳。
あの瞳を失うことなど、もう俺には考えられない。
そのことに、ようやく気づく。
「ルティエン嬢」
今度こそ本当に立ち去ろうとしていたルティエン嬢は、呼び止められてあからさまに不愉快そうな表情をした。
「あなたのおかげで、目が覚めました。いや、覚悟が決まったというべきか」
「それは、どういう?」
「明日、また会ってもらえますか? 明日には必ず、あなたが納得できるような答えを持ってきます」
**********
「ラーラお姉ちゃん、ここ擦りむいちゃった」
「どれどれ、見せてごらん?」
さっきまでみんなと楽しそうに走り回っていたリーンが、目に涙を滲ませながら駆け寄ってくる。
「すぐ治る?」
「治るわよ。ラーラお姉ちゃんに任せて」
笑顔で答えると、不安そうだったリーンの顔がぱっと輝く。
「ジャンがね、森の大きな木の枝のところに鳥の巣があるのを見つけたんだって。あとでみんなで見に行くんだよ」
「そうなの? 鳥さんをびっくりさせないようにね。ほら、もう治ったわよ」
「ほんとだ! ラーラお姉ちゃんすごい!」
すぐ立ち上がって走り出すリーンを見送って、ふふ、と口元が緩んだときだった。
「ラーラ」
聞き覚えのある優しい声がして、何気なく振り返る。
そして目の前に、とても会いたくて、でもどうしても会いたくなかった人がいることに気づいて、戦慄した。
「アルウィス様……、どうして……」
後ずさる私を見て、アルウィス様はいつものように強張った硬い表情を見せる。
でもその目は、真っすぐに私を捕らえて離さない。
「ラーラ、すまなかった。君を傷つけてしまったことは謝る。許してほしいとは言わないが、ただ、これだけは言わせてほしい」
「い、嫌です」
なんとか急いでそれだけ言うと、私は勢いよく体の向きを変え、その場から立ち去ろうとした。
話なんか、聞きたくない。
謝罪や同情の言葉など、いくら並べられたところで私の心は――――
「俺は、君を愛している。君だけがいればいい。君のいない未来など、俺にはもう想像もできない。それを伝えたくて」
後ろから聞こえた切なく祈るような声に、思わず私は立ち止まった。
「え? あ、あの……ディア姉様は……」
「それも、きちんと説明させてほしい」
そして私は、アルウィス様とディア姉様の婚約が「解消」を前提とした偽装であったこと、2人とも学園を卒業したらイングールの魔法学園に編入するつもりでいたこと、そしてディア姉様は実はカロン兄様と恋仲であったことなんかを知る。
それから、アルウィス様にイヴォール公爵家を継ぐ意志はなく、本当はイングールで魔法騎士になりたいと思っていたことも。
庭のベンチに並んで座ると、アルウィス様はどこかホッとしたように体の力を抜いて、大きく息を吐いた。
「はじめから、君にすべて説明しておけば良かったと思っている。俺は初めて言葉を交わしたときから、君のことしか考えられなくなっていたのだから」
「え? でも、その、アルウィス様はディア姉様が忘れられなかったのでは? ディア姉様からの連絡をずっと待っていましたよね?」
「それは、俺たちの計画をどうするつもりなのか確認したかったからだ。ラーラを身代わりにしてしまったことも、これからどうすべきか意見を聞きたかったから」
「いや、でもほら、ディア姉様の話をするときは、いつも優しげに微笑んでいらしたし」
「まあ、あいつとは話も合うし、お互いイングールに行きたい『同志』だったからな。5年近く共に過ごしてきた気安い友ではあるから」
「でも私には、いつも怖い顔をして……」
「ああ、それは……」
アルウィス様は突然言い淀み、少し困った顔をして冬の空を見上げた。
そして観念したようにふっと笑って、体ごと私の方へ向き直る。
「ラーラのことが愛しすぎて、いつも緊張してしまう。それに、この婚約をどうすればいいのか常に思い悩んでいたのもあると思う。そんなつもりはなかったが、誤解させてすまなかった」
そう言って深々と頭を下げる。
「いえ、あの、わかりましたから、もういいです」
慌てて答えると、顔を上げたアルウィス様は蕩けるような甘い目をして私を見つめている。
愛しているとか愛しいとか、さっきから怒涛のように降り注ぐ愛の言葉にどぎまぎしてしまって、ちょっとアルウィス様を直視できない。
「じゃあ、これからの話をしていいか?」
アルウィス様は、すっと真顔になったかと思うと私の方を向いたまま話を続けた。
「俺の気持ちとしては、君を手放したくない。これからもずっと一緒にいたいと思っている」
「でも婚約を継続したままでは、魔法騎士科に行けないのですよね? 魔法騎士になる夢はどうするのですか?」
「もちろん、それも諦めない」
「それは難しいのでは……」
「そうだ。だから結論として、俺はイヴォール家を出る。イヴォール公爵家とは縁を切る」
「え!?」
驚きすぎてまともに二の句が継げない私を見て、アルウィス様は可笑しそうに笑う。
「考えてみれば、簡単なことだったよ。俺にとって何が大切なのかがわかったら、自ずと何を捨てればいいのかもわかった。イヴォール家を継ぐ気はないなどと散々言っておいて、イヴォール家に縛られていたのは俺の方だった。俺はラーラさえいればいい。ラーラがいてくれて、魔法騎士として生きていけたらそれで」
誇らしそうに微笑みながら、私の右手にそっと自身の左手を重ねるアルウィス様。
「学園の卒業と同時に、イヴォール家とは縁を切ってイングールの魔法学園に編入する。ただ、そうなると俺はただの平民だ。働きながら魔法学園で学んで、それから魔法騎士になって、まわりに認められるような活躍ができればひょっとしたら騎士爵をもらえることもあるかもしれないが、不自由な暮らしになることは間違いない。それでも、君が俺のことを少しでも好きになってくれるまで、努力は惜しまないつもりだ。いいか?」
「え?」
「なんだ?」
「え、いえ、アルウィス様、ルティから何も聞いていないのですか?」
そもそもここがどこかというと、イングール魔法公国内にある孤児院で、運営しているのはリンディール公爵家。
イングールのリンディール公爵家といえば、実はルティのお母様の実家。
ディア姉様からの手紙を見せたあの日、ルティはすぐに私がここでしばらく暮らせるよう手配してくれた。
ブレイズ侯爵家からここまでの馬車を出してくれたのも、ルティのエルノール公爵家。
「何も心配しなくていいわ。あなたがあそこで心穏やかに過ごせるよう、リンディールの家にも伝えておいたし孤児院の方にも連絡はしてあるから。気の済むまで、あそこでゆっくり過ごしてきていいのよ」
「本当にいいの?」
「もちろんよ。あなたの望み通り、アルウィス様やクローディア様にあなたの居場所を伝えることもしないわ。ただ、万が一、私の判断で伝えた方がいいと思ったときには伝えることがあるかもしれないけれど。でもそんなことは、起こらないでしょうね」
あのときルティは、こうなることを予想していたのかしら。
「ルティエン嬢からはここの場所を教えてもらっただけだ。大事なことは、ラーラから全部聞くようにと言われて」
あー、そうよね。
ルティって、そういう人よね。
人の心の機微に聡く、情があって、でも時に手厳しい親友を想ったら私はなんだか急に可笑しくなった。
「どうした?」
「あのですね、私がどうしてここにいるか、というかどうしていなくなったか、アルウィス様はおわかりですか?」
目の前のアルウィス様の表情は途端にまた難しくなって、眉根を寄せながら少し俯く。
「ブレイズ侯爵家で執拗な嫌がらせを受けていて嫌になったのでは、とクローディアは言っていたが……。俺たちに居場所を知られたくないと君が言っていたと聞いて、俺は、この婚約に振り回されるのが嫌になって逃げ出したのではと……」
「その、逆です」
「は?」
「アルウィス様を好きになってしまって、でもアルウィス様は姉様をまだ忘れられないんだと思っていました。姉様が帰ってくると知って、婚約は元に戻ると思って、でも幸せな2人を見るのは耐えられないと――」
その瞬間、アルウィス様に握られていた右手が強く引かれ、私はアルウィス様の腕の中に囚われていた。
「ラーラ。俺のことを、好きでいてくれるのか? 少しでも、俺のことを」
「少しどころか。とても、とても、言葉にできないくらい、お慕いしております」
背中に回る腕の力強さに大きな安心感を抱きながら、私は顔を上げてアルウィス様の藍色の目を真っすぐに見つめた。
さっきまであれほどの勢いで愛の言葉を繰り返していたアルウィス様は、私の気持ちを知って耳まで真っ赤になっている。
そして、私を抱きしめる腕に力をこめたかと思うと、耳元で甘くささやいた。
「ラーラ。本当に君を愛してる。俺のすべてを、君に捧げるから」
*****
結局のところ、アルウィス様はイヴォール公爵家を出るようなことにはならなかった。
絶縁も辞さない覚悟で私を迎えに来ている間に、イヴォール公爵夫人が公爵を説得してくれたらしい。
最終的には公爵もアルウィス様の想いを受け入れ、イングールで魔法騎士になりたいという意志を尊重してくれることになった。
それから、ディア姉様はブレイズ侯爵家を出ることになった。
そもそも「突然いなくなった」という人騒がせな醜聞があるうえに、それが恋仲の従兄弟に会いに行くためだったと世間に知られることになったら(というか多分姉様たちが自ら公表したっぽい)、今後の縁談など期待できるはずもない。
侯爵家にとって都合の良い嫁ぎ先を見つけることができなくなり、激怒したブレイズ侯爵はすぐさまディア姉様を勘当してしまった。
その時点では私はまだブレイズ侯爵家の養子だったし、私とアルウィス様との婚約は継続することになったから、私がいれば何とかなると高を括っていたのだと思う。
ところが、あるときイヴォール公爵が突然、
「アルウィスの婚約者となるのは、ララノア・ギリス伯爵令嬢である」
と言い出した。
「いやいや、イヴォール公爵。ララノアはブレイズ侯爵家の人間ですが」
「今や巷で知らぬ者はいないほどの醜聞にまみれた侯爵家の人間を、我が公爵家が欲すると思うのかね?」
「いや、それは……」
「それに、ブレイズ侯爵。君は魔法を好まないそうじゃないか。そんな君が、強力な魔法を操る三大公爵家と縁続きになろうなど烏滸がましいにも程がある」
ぴしゃりと言い切られて、ブレイズ侯爵はその場にへなへなとへたり込んだんだとか。
というわけで、私は無事に、ギリス伯爵家に戻ることになった。
ちなみに、勘当されたディア姉様はうちの養子になった(ここでもブレイズ侯爵はなんだかんだと言い掛かりをつけてきたけど、イヴォール公爵の口添えで大人しく引っ込んだ)。
義理とはいえ、姉様とは本当の姉妹になったのである。
私が王国に戻ってきてすぐ、私と姉様は久しぶりに顔を合わせることができた。
私の顔を見るなり姉様は号泣してしまって、カロン兄様は宥めるのに苦労していた。
「ラーラ、ごめんね」を繰り返す姉様は自分の軽率さや浅はかさを反省していたけど、そもそも姉様がいなくなってくれなければアルウィス様のそばにいることは叶わなかったわけで。
なんだかんだといろいろあったけど、姉様を恨む気には到底なれなかった。
それより何より、カロン兄様と姉様の雰囲気がだいぶ甘すぎたもんだから、そっちの方に気を取られて話が全然入ってこなかった。
そういえば、確かに姉様とカロン兄様は昔から仲が良かった。みんなで遊んでいてもいつの間にか2人きりであれこれ話していて、よほど気が合うんだなあくらいにしか思っていなかったけど。
いつから2人が愛を育んでいたのか気にはなるけど、それは追々問い詰めていこうと思っている。
そして、今日。
アルウィス様は無事に学園を卒業し、イングールに旅立つ。
「向こうに着いたら、すぐに手紙を書くから」
「私も書きます」
「頻繁に会うことはできないが、いつでも君を想っている」
これから2年間、私たちは離ればなれになる。
それがどんな生活になるのか、今はまだわからないけれど。
「アルウィス様。私もいろいろ考えたのですが……」
「なんだ?」
「学園を卒業したら、私もイングールの魔法学園に入ろうと思うんです。魔法学科に編入したいと思って」
私の言葉が意外だったのか、アルウィス様はちょっと目を丸くした。
「え? そうなのか? でもそのときにはもう、俺は卒業なんだが」
「そうなんですけど、私ももっと魔法の勉強がしたくて。というか、自分の力で、人の役に立ちたいんです」
そう言うと、アルウィス様は何かに気づいたようにハッとして、私の顔を覗き込む。
「……神聖魔法か?」
「はい」
強力な攻撃魔法よりも上位とされる神聖魔法は、怪我や病気の治癒や解毒なんかを行うことができる。イングールでは使える人もそれなりにいてさほど珍しくはないけど、この国でその使い手が生まれることは決して多くない。むしろ稀。
だから神聖魔法が使えると知られると、人に悪用されたり搾取されたりする危険性がある。それを避けるために、神聖魔法の使い手は本来の力を隠すよう言われて育つ。
「孤児院に迎えに行ったとき、子どもの擦り傷を治しているのを見てもしや、とは思っていたが」
「はい。イングールには神聖魔法士と呼ばれる人たちがいるのでしょう? 魔法騎士と一緒に魔物討伐に赴いて、後方支援を行うと聞きました。私も人の役に立ちたいし、何よりアルウィス様の力になりたいのです」
「ラーラ……」
艶っぽい視線で見つめられたと思ったら、一瞬で抱きしめられる。
アルウィス様はそのまま、私の首元に顔を埋めた。
「そんなこと言われたら、行きたくなくなるだろう?」
首筋に、微妙な角度でアルウィス様の息がかかる。
「本当に。連れて行ってしまいたい」
「アルウィス様……」
顔を上げたアルウィス様は、少し寂しげで、でもなんだかとても色っぽくて。
「ラーラ。最後にお願いがあるんだが」
「なんですか?」
「そろそろ、俺の愛称を呼んでくれないか?」
「え」
完全に想定外のことを言われてあわあわしながらアルウィス様の顔を見上げると、期待に溢れた藍色の目がキラキラと輝いている。
「今ですか?」
「そう。今」
「えっと、あのー」
「うん」
「アル、様?」
「『様』はいらない」
アルウィス様の目が、期待以外の何かを含んで妙に艶めかしい。
「狼」とも称された鋭い目つきはすっかり鳴りを潜め、甘く蕩けるような視線にさらされる。
いろいろ耐えられなくなった私はついに思い切って顔を上げ、真っすぐにアルウィス様を見つめ返した。
「……アル」
つぶやくように言うと、満足げに微笑んだアルウィス様の藍色の目がゆっくりと近づいてきて。
塞がれてしまった唇は、それ以上愛しい人の名を呼ぶことができなかった。