表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「氷の狼」と身代わりの婚約者  作者: 桜 祈理
1/3

序(ララノア)

「ラーラ。女の子はね、みんな自分だけの魔法が使えるのよ」


 いつだったか、ディア姉様はそう言って悪戯っぽく笑った。



 ディア姉様は、母方の従姉妹。

 姉様のお母様であるメリーアン伯母様と私のお母様は、ともにイングール魔法公国のラザフォード伯爵家からこの王国に嫁いできた。


 メリーアン伯母様はブレイズ侯爵家に嫁ぎ、すぐにディア姉様を産んだ。

 でも姉様が3歳になる頃、あっけなく病気で他界してしまう。


 その後、ブレイズ侯爵はすぐに再婚して、ディア姉様には妹が生まれた。


 母を亡くし、継母と腹違いの妹が優遇される毎日の中で肩身の狭い生活を強いられていただろうディア姉様は、それでも明るくたくましく、むしろ強かに生きていた。


 理不尽で不当な扱いなんかものともせず


「大丈夫よ。私には『奥の手』があるんだから」


 なんて、いつも茶目っ気たっぷりに笑っていた。


 2つ年下の私を本当の妹のように可愛がってくれるディア姉様が大好きすぎた私は、会うたびに姉様の後ろを追いかけ回してよく笑われていた。




 そんなディア姉様は、13歳で王立学園に入学すると間もなく、あっさり婚約が決まってしまう。


 お相手は、なんとイヴォール公爵家長男のアルウィス様。



 イヴォール公爵家は我が国の三大公爵家の一つ。

 三大公爵家はそれぞれが強力な攻撃魔法の使い手で、イヴォール公爵家は氷魔法を司る。


 三大公爵家の方々はいずれも美男美女が多いけど、中でも氷魔法を操るイヴォール家の方々は冷静沈着、物静かで落ち着いた雰囲気のイケメンぞろい。


 アルウィス様も銀髪の長身で、当然眉目秀麗。ちょっと寡黙で無愛想な印象はあるけど、魔法の才能だけではなく身体的な能力も高かった。

 剣技の授業になると途端にその目つきは獲物を狩る狼のように鋭さを増し、騎士になるわけでもないのに並ぶ者はいないと称されるほどの強さを誇っていた。

 だから「氷の狼」ともてはやされて、硬派なアルウィス様に憧れる令嬢も多かったらしい。



 どういう経緯で婚約に至ったのか私は知らなかったけど、自分も学園に入学してみると仲睦まじい2人の様子を何度も見かけることができた。

 「氷の狼」もディア姉様の前ではいつも優しげに微笑んでいて、それを見るたびに姉様もこれで幸せになれると信じて疑わなかった。



 ところが、である。



 ディア姉様が学園の最終学年になった年の夏、突然いなくなった。

 ある日忽然と、姿を消したのである。



 ディア姉様の失踪で慌てたのは、父親であるブレイズ侯爵だった。

 せっかく三大公爵家と縁続きになれると思ってたのに、肝心の姉様がいなくなってしまったのだ。

 ブレイズ侯爵家は、近年とある理由で資金繰りに四苦八苦していた。だからイヴォール公爵家との縁談は何としても継続したかった。

 しかも、最初から妹のミランダの方に侯爵家を継がせるつもりでいたから(我が国は長子継承制ではないので)、ミランダを姉様の代わりに差し出すことができない。



 そこで、姉様の捜索を早々に諦めたブレイズ侯爵が目をつけたのが、従妹である私だった。



 うちには弟がいてギリス伯爵家を継ぐことになっているから、私がどこに嫁ごうと大して問題はない。

 それを知っているブレイズ侯爵は私を養子にした上で、姉様の代わりにしてアルウィス様との婚約を継続しようとしたのだ。


 この横暴な目論見に、お父様もお母様もすかさず猛反対する。

 でも、私が生まれる前年の災害で多額の支援を受けてからというもの、実はブレイズ侯爵に頭が上がらない状態がずっと続いていた。

 しかも相手は侯爵家。親戚とはいえ、爵位が上の家の言うことに異を唱えることなどできない。




 ただ、当の私は、これを好機だと捉えていた。



 私がブレイズ侯爵家の養子になってあの家に入ったら、姉様の失踪の理由が何かわかるかもしれない。

 あの家で虐げられていた姉様の痕跡を辿って、姉様を見つけることができたら。



 私にとってディア姉様は何ものにも代えがたい大切な存在だったから、姉様を探す手立てがあるのならなんだってしようと思っていた。


 相手が誰であれ婚約するというのはどういうことなのか、アルウィス様の気持ちはどうなるのか、そしてともすれば自分の人生を台無しにしかねない大きな決断をこんなに簡単に決めてしまっていいのか、なんて深刻かつ大事なことは、一切考えてなかったのだ。




*****




「ララノア嬢」


 初めて顔を合わせたとき、アルウィス様はとても言葉では言い表せないような複雑な表情をしていた。


「君は、ディア……いや、クローディアの身代わりになるということがどういうことか、本当にわかっているのか?」


 藍色の目は、厳しい口調とは裏腹に戸惑いを含んで揺れている。

 突然思いもしない状況に身を置かれることになった私を思いやる、優しい色だった。


「私のことは、お気遣いなく。今回のことは公爵家にとって不当に巻き込まれた醜聞でしかありませんし、婚約を破棄されても仕方がないとは思っています。おまけに私はディア姉様のように聡明でも快活でもありませんし、見た目だって普通です。あなたが愛するディア姉様の代わりには、到底なれないと思います。アルウィス様の方こそ、それでも構いませんか?」


 愛しい婚約者の突然の失踪にショックを受け、混乱の最中にあるアルウィス様の心中を思えば相手を挿げ替えて婚約の続行を申し出るなんて、ほんとにひどい話だ。もはや鬼畜の所業といっていい。


 でも婚約の継続がなくなれば私がブレイズ家に入ることはできないし、そうなるとディア姉様を探す手段を失ってしまう。


 だから私としても、この婚約はなんとか死守したかった。




 私の話を黙って聞いていたアルウィス様は、すっと視線を落としたまま何やら考え込んでいた。


 そして。


「そうだな。もとより婚約とは、家同士の結びつきという意味合いもある。イヴォール公爵家はブレイズ侯爵家との婚約を継続しよう。ということで、これからよろしく」


 何かを決意したのか吹っ切れたように顔を上げ、はにかんだ笑みを浮かべる。


 初めて目にする氷の貴公子の柔らかい表情に、一瞬だけ「この人もこんな笑い方するんだ」と思った。




 アルウィス様の意向を尊重する形でイヴォール公爵も婚約の継続を了承し、私は突如として「時の人」となった。


 同時にブレイズ侯爵家に養子に入り、正式にララノア・ブレイズとなる。



「うちに来たからって、あんたのことを姉だとは認めないからね」


 私より一つ年下のミランダは、私に会うなりそう言い放った。ブレイズ侯爵と同じ、濃い金髪に意地の悪そうな顔をしていてディア姉様とは全く似ていない。


「なにさ。クローディア姉様にちょっと似てるからって、いい気になって。あんたみたいなのがあのアルウィス様と婚約なんて、身の程知らずもいいところよ」


 アルウィス様に憧れているらしいミランダは、私を見下すような言葉をあれこれ言い連ねていた。でも知性の欠片もない罵詈雑言は、はっきり言って痛くもかゆくもない。二言目には「バカ」とか「ブス」とかって、それしか言えないのかしら、この子。

 言葉遣いも身のこなしも所作も礼儀も何もかも、ディア姉様に遠く及ばないミランダはもはや敵ではなかった。残念ながら。



 一方、ミランダの母親でもあるブレイズ侯爵夫人は


「いずれは我が侯爵家から三大公爵家に嫁ぐのですから、家名に傷をつけられては困ります。あなたはしがない伯爵家の出ですからね。相応の教育は受けてもらいますよ」


 そう言って、いち早く私に厳しい家庭教師をつけた。

 さすが腐っても侯爵夫人、恐ろしく仕事が早い。

 しかも、何をするにもいちいち痛烈な嫌味や皮肉を忘れない。私への意地悪や嫌がらせに向ける熱意を、もっと別のものに向けた方が世の中のためになるのでは? と思ったりもする。


 なんにせよ、2人のお粗末な嫌がらせに負ける気など、一切なかった。




*****




 ディア姉様の身代わりとしてアルウィス様の婚約者になった途端、アルウィス様はディア姉様と同じように接してくれるようになった。


 毎日のようにランチに誘われ、学園の行き帰りもエスコートしてくれる。

 時々お茶会に誘われ、街への買い物にも誘われる。


 まるで、最初から私が婚約者だったかのような、容赦のない特別扱い。


 ディア姉様の身代わりとして差し出された私に対する、義務感が半端なかった。



 はじめのうちは、


「ここまでしていただかなくても」


 とやんわり回避しようとしたのだけど、無理だった。


「君は、俺の婚約者だから」


 の一点張りで、まったく融通がきかない。


 「氷の狼」は見た目以上に義理堅く、そしてその意志はまさに氷のように強固だった。



 でもそうして一緒の時間を過ごすようになると、自然にいろんな話をするようになる。

 ディア姉様捜索のためにどんな小さな情報もほしい私には、好都合だった。


「では、アルウィス様もブレイズ家での姉様の扱いはご存じだったのですね」

「ああ。クローディアはいつも面白おかしく話していたが、相当ひどい目に遭っていたように思う。うちの父からブレイズ侯爵に対して一言言ってもらおうかと提案したこともあるが、『かえって面倒くさいことになるからいらない』と言われたこともある」

「姉様なら、言いそう」


 優しげな顔立ちのわりに、中身はだいぶ毒舌な姉様を思い出して口元がほころぶ。


「クローディアは、君の話をいつもしていたよ」

「私ですか?」

「君たちはかなり仲の良い従姉妹だったんだろう? クローディアにとって、君の存在は癒しだったらしい」

「は? どこがですか? ディア姉様の存在の方が、私にとって最大の癒しでしたよ」

「そういうところだろう? 事あるごとに、実の妹のミランダ嬢よりよほど可愛いと公言していた」


 そのときのことを思い出したのか、アルウィス様がふっと表情を和らげる。


「だから君が学園に入学してきたとき、これでしょっちゅう顔を合わせることができると喜んでいた」


 確かに、ディア姉様はよく私の教室を覗きに来ては「ラーラ、元気にしてる?」「困ってることはない?」「何かあったら、すぐ私に言うのよ」なんて言っていた。


 そういえば、その後ろにアルウィス様が控えていたことも、多かった気がする。



 明るくて、世話好きで、何でもできて、いつも笑っていた姉様。

 本当に、どこ行っちゃったんだろう。



「……会いたいのか?」


 気遣わしげな表情のアルウィス様の目に、切なさが滲んでいた。


「会いたいです。とても」

「そうだな」


 とだけ言って、アルウィス様はどこか遠くを見つめたまま、押し黙る。


 私も会いたいけど、アルウィス様はもっとだろう。

 隣にいることが、なんだか無性に、申し訳なくなった。




*****




 夏を過ぎ、秋の気配がゆっくりと近づいてきても、ディア姉様の行方は杳として知れなかった。


 おまけに、ブレイズ家での手がかりの捜索も難航していた。

 ディア姉様の隣の部屋を使わせてもらうことには成功したけど、いざ姉様の部屋に忍びこんでみても、これといって手がかりになりそうなものは見つからない。


 というか、もともと物の少ない部屋ではあったけど(この家でどんだけ冷遇されてたかがわかるのがまた腹立たしい)、姉様は必要最低限のものをすべて持って出たらしい。


 それだけでもはっきりと、覚悟の出奔だったことがわかる。



 一つだけ、何かの拍子に落ちたらしい封筒を、ベッドの下の奥の方で見つけた。

 差出人は、グレン伯父様だった。



 グレン伯父様は私たちの母親の兄で、イングール魔法公国在住の現ラザフォード伯爵である。

 私たちの母親とグレン伯父様はわりと仲が良かったらしく、小さい頃はグレン伯父様が従兄弟のカロン兄様とエヴァン兄様を連れて、よく遊びに来てくれた。

 グレン伯父様は魔導具の開発と輸出に携わっていて、世界中のあちこちを飛び回る資産家でもある。


 社交的で気さくな人柄は、事業の拡大にも大いに貢献していた。

 でもそれが気に食わなかったのか、ブレイズ侯爵だけはグレン伯父様に好意的ではなかった。むしろ、目の敵にしていたと言っていい。




 そもそも、この国の人たちはあまり魔法が得意ではない。

 三大公爵家は別格として、標準的な貴族が使えるのは身の回りの生活魔法程度。

 少し魔力の高い貴族の中には、攻撃を補佐する補助魔法や付与魔法を使える人もいるけど、そう多くはない。しかも用途が限られるので、需要もあまりない。


 一方、イングール魔法公国はその名の通り、魔法を最大の武器として世界に名を馳せた国である。

 強力な攻撃魔法やそれより上位の神聖魔法を使える貴族の家系も多く、その知識と技術を生かした魔導具の開発にも長けている。

 そうした血筋を自分の家系に取り込みたいという思いから、「イングールの令嬢を嫁に」と欲する他国の貴族が多いのも事実。


 ただ、「魔法が使える妻」に劣等感を抱いてしまう夫というのも一定数いるわけで、ブレイズ侯爵はその典型的な人間の一人だった。


 おまけにディア姉様は、メリーアン伯母様に似て魔力が高かった。ちょっとした攻撃魔法なら、氷魔法だろうと風魔法だろうと自在に使えた。

 魔法に大きなコンプレックスを抱いていたブレイズ侯爵が、ディア姉様を邪険にしていた理由はそこにもある。


 だからこそ、グレン伯父様からの手紙の封筒が落ちていたことは、とても不可解に思えた。



 頻繁に、やり取りしていたのかしら?

 でも、ブレイズ侯爵が果たしてそれを許すだろうか……?



 封筒を見つけた私は、すぐグレン伯父様に手紙を出してみた。


 ディア姉様が突然いなくなったこと、その行方がまったくわからないことを伝え、伯父様は何か知っていないかと聞いてみたのだ。

 でもしばらくして届いた返事には、突然のディア姉様の失踪に驚いてはいるが当然居場所に心当たりはないこと、そしてこちらでもできるだけ探してみる、などと綴られていただけだった。

 



 

「そろそろ、夜会が近づいてるんだが」


 その日の昼、ランチが終わって教室に戻る途中でアルウィス様が唐突に切り出した。


「あ、ああ。そうですね」


 秋の収穫を祝う、学園主催の夜会。

 学園が主催する夜会は年に数回あって、生徒はみんな精一杯着飾って参加するのが慣例である。


「ドレスを、贈ってもいいか?」

「誰のですか?」

「誰のって、君のだろう?」


 アルウィス様が、眉間に何本もの皺を寄せている。

 

 夜会では、婚約者のいる者は揃って参加するのが当然の決まり事となっている。生真面目なこの人は、自分の義務を果たそうと躍起になっていた。


 でも、本当はディア姉様にドレスを贈りたかったに違いない。というか、そもそもディア姉様と夜会に参加したかったに違いない。


 だからこんなに切羽詰まった深刻そうな顔をしてるんだろうな、とまた申し訳なくなった。


「すみません。気を遣っていただいて」

「そういうわけじゃない」


 鋭い目つきのせいもあって、なんだか怒ってるようにも見えるアルウィス様。


「君は、俺の婚約者だ。遠慮はしなくていい」


 そう言い残して、アルウィス様は硬い表情を崩すことなく自分の教室の方へさっさと行ってしまった。




「随分大事にされているのね」


 よく通る軽やかな声が聞こえて、振り返ると親友のルティエンが冷やかすように笑っていた。


「は? どこをどう見ればそんなふうに思えるのよ」



 ルティエンは三大公爵家筆頭、エルノール公爵家の令嬢である。

 エルノール公爵家は炎の魔法を操ることのできる家系で、赤みの強い茶髪がその象徴ともいえる。


 公爵家の令嬢にしては親しみやすくて人懐っこいルティエンとは、学園に入学してすぐに仲良くなった。多少身分差はあるけど、お互いに「ラーラ」「ルティ」と呼び合うくらいには、気心が知れている。



「あの人は昔から、無愛想で何を考えているのかわからないようなところがあったのよね。でもラーラのことは、クローディア様以上に大事にしているように見えるのだけど」

「は? そんなわけないじゃない」

「そうなの? だって、あれだけ片時も離れずに、一緒にいたがるんだもの」

「それは義務感に駆られてのことでしょ。私のことが、不憫なだけよ」



 そう。

 あれは、アルウィス様なりの義務感の表現。



 だって、アルウィス様は今でも時折、思い詰めたような表情をして


「クローディアから、何か連絡はないか?」


 と尋ねることがあるもの。


 アルウィス様はずっと、ディア姉様を忘れられずにいる。




*****




「はっ!? なんでこれ見よがしにそんなドレス着ちゃってんのよ。バカなの!?」


 馬鹿はお前だよ、と思いながらミランダを一瞥して、私は答えた。


「アルウィス様が贈ってくださったのですが、何か?」

「え、アルウィス様が!?」


 明らかに不服そうなミランダは、信じられないという顔を隠そうともしない。


 こんな質の良さそうなドレス、自分で用意できるわけないだろと思いつつもそんなことはおくびにも出さず、なおもぎゃーぎゃー喚き散らすミランダの横を通り過ぎる。


 ミランダはブレイズ家を継ぐことにはなっているけど、まだ婚約者が決まってない。

 ブレイズ侯爵は「いちばん良い婿殿を探してやるから」とか言っていて、ミランダ自身も「三大公爵家のルーファス様とかトラヴィス様とか、イーサン様でもいいわ」とか分不相応なことばかり言ってるからなかなか決まらないのだ。

 ちなみに、ルーファス様はアルウィス様の弟、トラヴィス様はエルノール家の次男(ルティの兄)、イーサン様は三大公爵家でもあるグウェル家の次男である。


 そんなミランダも、今日は改めて婚約者探しに精を出すべく気合の入ったおしゃれをしていた。



 ただ如何せん、私のドレスの方が、素晴らしすぎた。


 藍色から銀色へのグラデーションが鮮やかで上品なドレスは、まるで夜空の煌めきを映し出すかような美しさ。

 ただこれは、もう完全にアルウィス様の目と髪の色。


 一緒に贈られてきたアクセサリーも藍色と銀色に統一されていて、これだと全身にアルウィス様の色を纏うようでなんだかとても気恥ずかしい。



 でも、ディア姉様のクローゼットにも銀色のドレスが何着もあったことが頭をよぎり、浮足立った気持ちがすっと冷えるのがわかった。




 それからしばらくして迎えに来てくれたアルウィス様は、私を見た瞬間、目を見開いたまま固まってしまった。


 多分、一瞬ディア姉様に見えたのだろう。私とディア姉様は、顔立ちはあまり似てないけど髪と目の色は同じだから。


「アルウィス様。ドレスとアクセサリーをありがとうございます」


 だから私の方が、先に満面の笑みを浮かべてお礼を言った。冷静に、社交辞令として。


「よく似合っている」


 少しだけ頬を赤らめたアルウィス様がなんだか満足そうに微笑むから、どうしたって私の方も、耳まで赤くなるのを止めることができなかった。




 夜会の会場に着くと、颯爽と歩くアルウィス様をいつものようにみんながちらちらとうかがっている。


「今日は俺のそばを離れないで」

「え、あ、はい」


 なんとなく有無を言わさぬ雰囲気のアルウィス様が、ちょっと怖い。


「あ、でも、アルウィス様もお友だちの方々とお話とか……」

「俺のことはいいから」


 ぴしゃりと遮られて、あとは何も言えない。なんか怖い。


 あれこれ考えて、これは新たな婚約のお披露目の意味もあるのかな、と思い至る。



 そうか、そういうことか。

 ならばこちらも、しっかりとその役目を果たさねばなるまい。



 そこからは私もアルウィス様につき従い、にこやかに愛想笑いを振りまき、心にもない空々しいセリフを数々並べて歩いた。そういうのは、だいぶ得意だから。





「ところで」


 挨拶回り(?)が一通り終わって目の前に並ぶ色とりどりのスイーツに心を奪われていると、ぴったりと私の横から離れないアルウィス様の尖った声が耳に届いた。


「そろそろ俺も、ラーラと呼んでいいか?」


 もともと表情が硬く、目つきも鋭いアルウィス様が、さらに表情を強張らせている。


「え? あ、いいですけど。別に無理して呼ばなくても」

「俺が、呼びたいんだ」


 私の顔を覗き込むアルウィス様の藍色の目は、夜明け間近の空のようにキラキラと輝いている。


 その目を見たら、急に私の心臓がドキリとしてしまって「……どうぞ」としか言えなかった。


 

 そのあとのアルウィス様は、何かにつけて


「ラーラ、疲れてないか?」

「ラーラ、何か飲むか?」

「ラーラ、どのスイーツがいいんだ?」


 と私の愛称をやたら連呼した。なんだか、とてつもなく恥ずかしかった。


 でもそれは、私がアルウィス様の特別な存在だと言われているようで。


 なんだかとても、ふわふわした気持ちになった。




*****




 冬の足音が聞こえてくる季節になってもアルウィス様の特別扱いは加速するばかりで、私は幸せな戸惑いの中にいた。



 一方で、ディア姉様の消息は依然としてつかめない。


 せっかくブレイズ家に入ったにもかかわらず、ほぼ何の成果もないことに落胆と苛立ちと焦りを覚える日々。



 そしてこの頃になると、アルウィス様は時折いつも以上に難しい顔を見せるようになった。


 もちろん、普段はとても親切で、身代わりに対してはやりすぎな感もあるくらい大切にされている。


 でも時々、一緒にいても心ここにあらずの状態になって、何かを考え込むことが増えた。


「何か、心配事でもあるのですか?」

「いや」


 真顔で即答され、アルウィス様にとって自分がどんな存在なのかを思い知らされる。


 優しさも、思いやりも、特別扱いも、ただ婚約者としての義務を果たしているだけ。


 所詮、私は「身代わり」の婚約者。

 ディア姉様には、なれない。


 そのことに、ひどく気落ちしている自分がいた。

 でもできるだけ、その気持ちに目を背けていたかった。





 そんなある日、私に一通の手紙が届く。


 差出人は見知らぬ女性の名前だった。

 筆跡を見て、それがディア姉様のものだとすぐに気づく。


 急いで部屋に駆け込んで、震える手で開けた手紙には。




〈ラーラ、ごめんなさい。こんなことになるなんて、思いもしなかった。すぐ帰るからね〉




 するりと、手紙が私の手から落ちる。



 姉様が、帰ってくる……。



 うれしいはずなのに、会いたかったはずなのに。



 うまく呼吸ができなくなって、思考もまとまらなくなる。




 ずっと行方知れずだった姉様からの手紙は、そのまま彼女の無事を意味するもの。

 そのことは、心からうれしい。

 生きていた。ほっとした。無事だったことに、安心している気持ちは確かにある。


 でも。


 それよりももっと大きくて抗えない気持ちに、私は気づいてしまった。



 あんなに会いたかったのに。

 なんとしてでも探し出したい一心で、そのために養子になってまでこの家に来たのに。

 そのために、わざわざ身代わりの婚約者まで引き受けたのに。



 それなのに私はいつのまにか、このままずっとアルウィス様の隣にいたいと、願ってしまっていた。





 次の日。


 私が何も言わずに見せた手紙を、ルティは怪訝な顔で受け取った。


「え? クローディア様? ご無事だったのね?」

「そうみたい」

「……どうしたの?」


 ルティの心配そうな声に、私の視界がどんどん滲んでいく。


「ラーラ? どうしたの?」


 思わず俯いてしまった私の小刻みに震える右手を、ルティがそっと握ってくれた。

 その温かさに、涙が止まらなくなる。


「……こ、怖いの」

「怖い? あんなに心配していたのに? あんなに会いたがって――」


 そう言いかけたルティは、私の顔を見て言葉に詰まった。


「だって姉様が帰ってきたら、きっと婚約は元に戻るでしょう? 私はただの身代わりだもの。アルウィス様は、今でも姉様を忘れられないの。ずっとずっと、愛してたのよ。姉様がどうしていなくなったのか理由はわからないけど、戻ってきたらきっと……」

「そんな、だってアルウィス様は、ラーラのことあんなに大切にしていたじゃない」

「あれはただの、婚約者としての義務感からよ。姉様の身代わりになった私がかわいそうだっただけ。だってアルウィス様が笑うのはいつもディア姉様の話をするときだけで、私にはあんな優しい顔をしてくれたことなんて」


 どんなに優しくされても、どんなに大事にされても、アルウィス様の表情はいつも硬く強張っていたことを思い出してたまらなくなる。


「ラーラ……」

「ねえ、私どうしたらいいの? ルティ、どうしたらいい?」


 取り乱して泣きながら、もはやパニック状態の私の右手を握ったまま、ルティが小さなため息をつく。

 そして、静かにつぶやいた。


「ラーラは、どうしたいの? どうなったらいい?」

「私?」

「そうよ」

「私は……。ディア姉様のことも、アルウィス様のことも大好きよ。だから、2人とも幸せになってほしい。でも」

「でも?」

「……傷つきたくない。2人が幸せになるところは、見たくない」


 絞り出すように、やっとの思いで出した声は、震えていた。


 ルティは自分のポケットからハンカチを取り出して私の涙を優しく拭きながら、ちょっと困ったように微笑む。


「大丈夫よ、ラーラ。私があなたを、守ってあげる」




 数日後。


 ブレイズ家に帰ってきたディア姉様は、すでに私がどこにもいないと知ることになる。



誤字報告ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ