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偽典・演義2  作者: 仏ょも
新章
7/52

7話

「太傅様と共に荊州へ出向、ですか?」


戦々恐々としながら執務室を訪れた呂布を待っていたのは、叱責や『最近暇そうだから文官として書類仕事をして下さい』といった感じの不条理な命令ではないものの、思わず首を傾げざるを得ない程度には不自然な命令であった。


「えぇ。畏れ多くも皇帝陛下より『先だって孫堅殿が行った戦に関して()()()()()()()()()()()()』との命が下りましてね。長安に手隙の者がいないということで某が派遣されることとなりまして。呂布殿は某の護衛という形になります」


「な、なるほど、その点は納得しました。ですが、わざわざ太傅様が足を運ぶ必要があるのでしょうか?」


呂布とて、数か月前に孫堅が起こした戦の目的が『荊州に蔓延る旧劉表の家臣たちを掃討するためのものだった』ことは知っている。


このため一時期荊州の統治に乱れが生じたものの、結果としてほとんどの旧臣たちを討伐することに成功しているので、孫堅は戦術的にも戦略的にも勝利したといえるだろう。


そのため、どれだけの功績を上げたかを調べるために軍監を派遣するというのは呂布にも理解できる。


問題はその派遣される人員が、太傅という位人臣を極めた人物であるということだ。


どう考えても軍監として派遣されるような人間ではない。


加えて言えば、派遣する方が良くとも、派遣された方がとても困ることになるだろうことは想像に難くない。


かくいう呂布とて、目の前の人間が軍監として派遣されてきたら、襲い来る不安と絶望と恐怖のため三日三晩は眠れない日を過ごすだろう。


孫堅に対する懲罰としてはこれ以上ないものだと確信できるが、そもそも今回は勝ち戦だ。

罰を与えるのは筋が通らないではないか。


可哀想だから他の人間を派遣するべきでは? という意見は、続く言葉によって封殺されることとなる。


「功績を讃えるためであれば私が出向く必要はないのですがね」


「と言われますと?」


「長安の者たちは孫堅殿が敗北したと考えているのですよ」


「はぁ?」


聞くところによると、なんでも今回の戦は長安の文官たちの視点では『孫堅が討伐に失敗した』ように見えたらしい。


そこで彼らは鬼の首を獲ったかのような勢いで「孫堅に罰を与えるべきだ」と騒ぎ立てているのだとか。


呂布からすれば意味が分からない主張であった。


今回孫堅が退いたのは事実としても、それが一時的なものであることは明白。

そもそも本命と戦う前に後顧の憂いを断つのは兵法上の常道。

一度目の矢は牽制でしかなく、二度目の矢こそ本命なのだから、周囲は大人しく見ているべきではないか。


その結果失敗したなら、そのときこそ罰をあたえればいい。


実に真っ当な意見である。


呂布がその場にいて意見を求められていたらそう主張するし、他の武官だって同意するだろう。。


劉弁も司馬懿もそのように上奏されれば、心から頷いていただろう。


しかしながら、その真っ当な意見が通じない人種というのは確かに存在するのだ。


「しかも今回に関しては、孫堅の評判を落とす為に敢えて通じていない振りをしている節まであります」


「それは、なんとも難儀なことですな」


呂布ならずとも辟易するところだが、劉弁らとしても方向性に難はあるものの、ただ己の思うがままを上奏しただけで明確に罪を犯したわけでもない者を処分するわけにもいかないわけで。


尤も、無能――もしくは邪魔――者として認識された彼らに出世の芽はないのだが、だからといってこのまま放置していては劉弁の職務に支障が出る。


内容そのものは無意味な上奏とはいえ、正式な手段を用いてなされたのであれば目を通さなくてはならないし、何かしらの対策を取らなければ『新帝が文官を無視している』だの『新帝にはことの重大さが理解できていない』だのといった悪評が立ってしまうのだから。


それらを回避するためか、先日行われた朝議に於いて劉弁は自ら『まずは軍監を遣わして実際にどれだけ被害が出たか調べる。そのまま討伐できる程度の損失なら、そのまま討伐させればよかろう』と言い放ったそうな。


皇帝その人から「功臣に汚名返上の機を与える」と言われれば、それを否定できる者はなどない。


そこで終わればまだ良かったのだが、あろうことか朝議の場で異論を唱えることができなかった者たちは、今度は自分が軍監となることで孫堅の足を引っ張ろうとしたのである。


「長安の文官に軍事がわかるのですか?」


呂布の口から出たのは呆れとかそういうのではなく、素朴な疑問であった。


「重要なのは軍事に対する理解ではありませんからね」


かつて黄巾の賊が大陸を荒らしていた際のことである。


冀州方面の賊を担当していた盧植の下に一人の査察官が訪れた。


その名は左豊。


彼は盧植に賄賂を要求するも、けんもほろろに断られたため当時の皇帝であった劉宏に讒言をした。

それを聞いて怒った劉宏は盧植を罷免し、罪人として捕えるよう命じてしまう。


彼は一軍の将から一転し、獄に繋がれることとなった。


このとき左豊は、当時張角に協力的であった十常侍筆頭の張譲から、彼らの本拠地を攻め立てている盧植の足を引っ張るよう密命を受けていたという噂もあるが、それはそれ。


一人の将軍を左遷させ、大将軍であった何進を激怒させ、外れ籤を引かされた董卓を激怒させ、新たな軍勢の編成やら無駄になった物資の補填やらなにやらをするため何日か徹夜をさせられた荀攸らを激怒させたのは、軍事的にも政治的にもさしたる知見を有していない、たった一人の小物なのである。


将を討つには剣も弓もいらぬ。

良く回る舌と一本の筆があればいい。


些か以上に歪な考え方ではあるが、これこそが武力を持たぬ文官の矜持なのだ。


それに鑑みれば、長安の文官が孫堅の足を引っ張ることはそう難しいことではない。


加えて、監視の目が厳しい長安を離れ、荊州という袁術が支配する豫州に隣接している地に赴くことは、彼らにとって得点稼ぎの機会となる。


劉弁とて自分が派遣した軍監が現地から届けた情報を無下にすることはできない。


よって、袁家に所縁のある文官を軍監として派遣することは、劉弁や孫堅の足を引っ張ることに直結する。


――ちなみに現在長安にいる文官の中で袁家にまったく所縁のない文官は極めて少数であり、その少数の文官もなんとかして袁家や楊家と繋がりを持とうとしている最中である。勿論弘農関係者はその限りではないが、現在彼らは”親征の準備”という不正や誤魔化しが赦されない、極めて重要な仕事を任されているため荊州に派遣する余裕はない――


そのような理由から、劉弁は軍監を派遣すると明言したものの、その人員を長安にいる文官から選ぶつもりはなかった。


というか、最初から派遣する人員を決めてから方針を発表したと言った方が正しい。


「皇帝陛下の信任篤く、袁家と繋がりがなく、孫堅殿を軽く見ているわけではないと内外に示すことができる人物は限られております」


「そう、ですな」


そうとしかいえない。


「加えて、逆賊を討伐する際に足手纏いにならぬ程度の軍事的能力と知見。荒れた荊州を復興させるための政治的能力と知見。さらには、時に孫堅殿を叱責しその行動を戒めることができる胆力のある人材となると、私には荀攸殿くらいしか思いつきません。しかしながら荀攸殿は多忙を極めております。それこそ寝る暇もないほど働いておられるとか」


それに関しては貴方が長安に同行しなかったせいでは? とは言わない。

呂布とて命は惜しいのだ。

まかり間違って書類地獄(死ぬよりつらいところ)なんかに落とされた日には、恥も外聞もなく泣きわめく自信がある。


「そこで白羽の矢が立ったのが某、というわけです」


「なる、ほど」


過ぎたるは猶及ばざるが如し。


呂布からすれば些か以上にやり過ぎだと思わないでもないが、そもそも最低限の資格を有しているのが彼しかいないのであれば彼を使うしかない。


それについては理解した。


次の疑問は、なぜ自分が荊州へ同行するのかということだが、これについてはすぐにわかった。


「某をお選びいただいたのは、某が元々弘農の警備体制に組み込まれていないから、ですか?」


「その通りです。問題はありますか?」


「ございません」


現在呂布が弘農にきてから数か月ほど経っているが、その立ち位置は未だ曖昧なものだった。


それはそうだろう。大将軍董卓の養子にして、逆賊王允の養女を妾にした男だ。

どのように扱うのが正解なのかわかる人間などいない。


命令を下せるのも李儒か劉協しかいないため、必然的に呂布の仕事は李儒や劉協の護衛のようなものでしかなかった。


そういう意味では、李儒と共に荊州へ赴くのは自然なことなのだろう。


それ以前の問題として、元々呂布は武官として働くために呼び出された身である。

しかし、現在漢の中で最も治安が良いとされる弘農では、武官として功を立てることはできなかった。


いわばタダ飯くらいである。

その上、己の立場や名誉だけでなく、家族の命と安全まで護ってもらっている。

肩身の狭さは相当なものであった。


そこに『戦地の赴くから同行せよ』という武官の本分ともいえる命令が下されたのだ。

異を唱えることなどできようはずがない。


というか、内心では(良かった。暇そうだから書類仕事に専念してくれと言われなくて、本当に良かった!)と、本気で喜んでいた。


ある意味では非常に失礼な態度なのだが、所詮は内心でのことである。

その内心でも今回の人事に文句を言っているわけではない。

そのため特に問題にはならなかった。


尤も呂布の考えてることなど、目の前で観察していた李儒の眼には明らかであったため、彼は(荊州にいるうちは書類仕事を重点的にさせてやろう)などと考えていたが、それも所詮は内心でのこと。


この日、弘農の執務室には、残された役人たちのために引き継ぎ資料を作ろうとする李儒と、武官として真っ当な仕事を与えられて喜ぶ呂布の姿だけがあったそうな。


こうして正史に於いて曹操からその知略を恐れられた男、李儒と、その武力を恐れられた男、呂布は揃って荊州へと赴くこととなった。


なお、後日このことを知った孫堅は絶望とともに胃と頭を押さえることになるのだが、それはまだ後の話である。

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