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偽典・演義2  作者: 仏ょも
新章
6/52

6話

司隷弘農。


洛陽と長安を結ぶ地であり、洛陽が首都のときは長安方面からの敵を防ぐ盾となり、長安が首都となれば洛陽方面から迫りくる敵を防ぐ盾となる要衝である。


昨年の末に急遽呼び出しを受け、戦々恐々としながらこの地を訪れたときにも感じたものだが、この地はとても不思議な場所であった。


皇帝が先帝の喪を服すのにふさわしい静謐さがあった。

かと思えば、多数の民を抱える都市だけが持つ特有の活気があった。

皇帝やその弟が学ぶにふさわしい厳粛としか表現できない空気があった。

かと思えば、董卓が溺愛している孫娘や、自分の娘が自由に馬を駆けさせても違和感を覚えない自由な空気があった。

洛陽から流れてきた民を受け入れる大らかさがあった。

かと思えば、細やかな罪を犯すことさえ赦さぬ厳しさがあった。


相反するモノが反発せずに共にある。

通常なら違和感を覚えるはずが、不思議と居心地がいい。


数か月前に死を覚悟して訪れたその都市は、故郷の并州はもとより、洛陽とも長安とも違う、とてもとても不思議な場所であった。


農民は笑顔で土地を耕し。

商人は笑顔で商いをし。

職人は笑顔でモノを造り。

役人たちは笑顔でそれらを管理し。

兵士たちはそれを笑顔で護る。


実に理想的な環境だ。


ここで暮らす()はきっと幸せだろう。

誰もがそう思うだろう。

自分も心からそう思える。

それは否定しない。

そう、()は幸せなのだ。


この理想的な環境を維持するため、日々駆けまわっている武官がいる。

この理想的な環境を維持するため、日々書簡と向き合っている文官がいる。


ここでは役職が上の者ほど、権力を持つ者ほど忙しい。


もちろん彼らとてそれについて文句をいうことはない。

むしろ、己の行いが都市の発展に寄与できていることを実感し、これこそ己の生きがいだと奮起している者が多いと聞く。


一度でもここを訪れた者は誰もが思うという。


『優秀極まりない人材を率いている人間はさぞかし徳の高い人間なのだろう』と。

『この戦乱の最中、領地をここまで発展させることができる人間はさぞかし優秀な為政者なのだろう』と。

『自分たちが住む都市を治めている人物は、天下に並ぶ者がない仁君に違いない』と。


この地に住む民もまた、自慢げに語る。


『道義を守り、過ちを犯さぬ御方だ』と。

『重税を課すどころか付け届けすら断るほど気高い御方だ』と。

『たとえ相手が皇帝その人であっても過ちを犯せばちゃんと叱責する真面目な御方だ』と。

『書類仕事しかできない弱卒でなく、ときに自ら賊の討伐に加わる勇ましさを持つ御方だ』と。


品行方正・清廉潔白・謹厳実直・知勇兼備。


彼の御仁を称える言葉は枚挙に暇がなく、そしてこの評価を過大と罵る者もいない。


何故なら目の前にこれ以上ないほどの実績があるからだ。


どれだけの人間から名士と讃えられようと、どれだけの人間から人品を評価されようと、この都市を――ついでに皇帝やその弟の頭を容赦なく叩く姿を――見て『自分にも同じことができる』と自惚れる者はいないのだ。


尤も、彼の御仁の評価を否定する者はいないが、首を傾げる者はいる。

それこそ、彼の御仁の近くにいる者ほど違和感を覚えるという。


確かに民が言っていることは正しい。

確かに道義は守るし、付け届けも貰わないし、皇帝だって叱責するし、賊だって退治している。

なに一つ間違っていない。


それどころか、領内をより発展させるため朝から晩まで書類仕事をしているし、なんなら他の地域で行われている農業政策も間接的に管理しているくらいだ。


そのおかげもあって、先の遷都に伴う混乱は最小限で済んだし、遷都によって発生した六〇万とも言われる難民たちも、あわてず騒がず無駄なく分散・配置したことで新たな土地に馴染ませることに成功している。


彼らの手によって拓かれた地は、漢に多大な益を齎してくれるだろう。


その上、かつて不毛の地と呼ばれていた涼州が、今やそれなりの収穫が期待できる環境に変わりつつあるという。


ここまでくれば、最早神仙の類として信仰の対象になってもなんらおかしなことではない。


――もし彼の御仁と直接声を交わせたらどれだけ幸せだろうか。

――あまつさえ、能力を信認してもらい仕事を任されたら、その栄誉に身を震わせ涙さえ流すかもしれない。


そう夢想する人間も少なくないという。


しかしながら、彼の御仁の近くいる者たちの中に、彼の御仁を(あが)(たてまつ)る人間はいない。


呼び出しを受けて喜ぶ者もいなければ、仕事を任されて感涙に身を震わせる者もいない。


むしろ恐怖に身を震わせる者の方が多いくらいであった。


品行方正・清廉潔白・謹厳実直・知勇兼備。


長安に坐す皇帝劉弁がこの評価を聞けば「まぁそうだね」と苦笑いするだろう。

その隣にいることが多い司馬懿なら、表情を動かさぬまま「否定はしません」と答えるだろう。

両者の付き人と化している徐庶であれば「え? あ、そ、そうですね!」とやや食い気味に同意するだろう。


その上でこう付け加えるだろう。

『彼の御仁を指し示すに一番ふさわしい言葉が抜けている』と。


それは、今や有識者が彼の御仁のことを語る際の共通認識となっている評価。

そう【腹黒外道】である。


最初に彼の御仁をそう評したのは、彼の御仁が若き日に使えていた上司、何進であったという。


当時から実直に仕えていたはずの若者に対する評価としてそれはどうかと思わないでもないが、それを聞いた誰もが思わず納得したというのだから、さすがは平民から大将軍の地位まで成り上がった男である。人を観る目は極めて正しかったと言えよう。


故人に対する評価はさておくとして。


腹黒だの外道だのといった評価は、先に挙げた評価と真逆ではないかと思われるかもしれない。


だがそれは些か視野が狭いというものだ。


自身が正しく生きることと、部下を書類地獄に叩き込むことは相反しない。


国の法や制度を正しく運用しようとする清廉さと、そのために当時権力の絶頂に在った宦官を嵌める腹黒さは相反しない。


付け届けを貰わぬ潔白さと、不正を行う役人を見せしめの意味を込めて敢えて惨たらしく裁く外道さは相反しない。


政に妥協しない謹厳さと、その邪魔をする連中を陥れる腹黒さは相反しない。


立場に拘わらず過ちを犯した人物を叱責する実直さと、立場に拘わらず死した罪人を砕いて土地に撒く外道さは相反しない。


賊を討ち破る際に必要な知勇と、賊を嵌め殺す腹黒さや、その死体すら利用する外道さは相反しない。


むしろ腹黒さがなければ足を掬われていただろう。

むしろ外道と畏れられるほど容赦がない姿を見せていなければ、董卓らの離反を招いたかもしれない。


正と負。双方を兼ね備えていたからこそ今の状況を作ることができたのだ。


故に、彼の御仁を語るには、品行方正だの清廉潔白だの謹厳実直だの知勇兼備だのといった正の評価だけでは足りないのである。


腹黒外道という言葉が生み出す印象が強すぎて正の評価を押し流しているという意見もあるが、それはそれ。


なにが言いたいのかと言えば……現在弘農を治めている御仁こと李儒は間違っても民草が褒め称えるような善人ではないということであり、この呂布は今まさにその人物に呼び出しを受けているということだ。


「父上、またなにかやらかしたのですか?」


「最近はなにもしていない……はずだ」


「あなた。まずは誠心誠意謝りましょう。よほどのことがない限り太傅様なら赦してくれますとも」


「いや、だから、なにもしていない……ぞ?」


「「本当ですか?」」


くっ。洛陽や長安では随分と窮屈な思いをしていたためか、ここ最近は「ようやく自由に動き回れます!」と馬に乗って喜んでいた娘や、王允の手の者や王允に媚びを売る名家の連中から距離を取れたことで「ようやく煩わしい連中から解放されました」と喜んでいた妻からの視線が痛い。


本当になにもしていないはずなんだがなぁ。

閲覧ありがとうございました

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