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偽典・演義2  作者: 仏ょも
新章
5/52

5話

漢代に於ける官吏の登用制度の一つに郷挙里選と呼ばれるものがある。


その中で特に重視されていたのが、前漢の時代に武帝が制定したとされる茂才(秀才)と孝廉である。


茂才は受験のようなもので、主に六経(易・書・詩・礼・楽・春秋)の理解力を見て採用不採用または採用後の所属先を決めるという、単純に受験者の実力を測るものであった。


家の名に拘わらず優秀な人材を発掘することができるこの制度は、漢中興の祖とされる光武帝劉秀も推奨した制度であったが、年月を経るごとに形骸化してしまった――名家が既得権益を守るために寒門を締め出した――ため、現在では名家の紹介を受けた優秀な人材に箔をつけるためのものに成り下がっていた。


対して孝廉は、それなりの地位がある人間が保証人となって優秀な人材を推薦する制度だ。


この制度は仕組み上、推挙された人間が功績を立てれば推挙した人間の手柄になる。逆に推挙した人間が罪を犯せば推挙した人間の罪となるという、責任の所在をはっきりさせるという意味では公正な制度であった。


このため推挙する側も愚かな人間を推挙することはなく、結果として優秀な人材だけが登用されていくことになるので、雇う側にとっても雇われる側にとっても理想的な制度と言えた。


少なくとも最初のうちはそうだった。


しかし後漢末期、外戚やら宦官たちが身内を推薦するようになると、この制度は一気に形骸化してしまう。


まず彼らは、能力の有無に拘わらず近しい者たちに官職を与えた。

それはまだいい。問題は彼らが失敗しても責任を取ることはなく、それどころか失敗したこと自体を揉み消したり、他の派閥の人間にその罪を押し付けたことにある。


失敗したときの責任を負わないのであれば、孝廉などただのコネ推薦である。


中央では時の権力者であった十常侍らに阿るために賄賂が横行した。


それによって官職を得た者は支出分を回収するために中抜きしたり、ことあるごとに多額の付け届けを強要するなど、好き勝手するようになった。


地方でも、土豪や豪族による役職の独占が行われた。

彼らもまた住民に対して勝手に重税を課すなど、やりたい放題するようになった。


漢全体が、腐敗が腐敗を生む社会となった。


これに絶望した者たちが大陸全土を巻き込んだ大規模な反乱を起こすのも当然といえよう。


しかしその後、先代皇帝劉宏が死ぬと同時に風向きが変わった。


まず袁紹らが後宮に侵犯し、時の権力者であった十常侍を含む宦官たちを大勢討ち取った。


そして袁紹から逃げ出した劉弁や劉協を董卓が保護。このとき董卓と共にいた李儒が何太后を説得して彼女らと宦官との接触を絶たせることに成功したことで、宦官たちは一気にその権力と影響力を喪失することとなった。


次いで董卓が、袁紹ら名家閥の人間を後宮への侵犯を理由に処罰した。


これにより清流派の領袖であった袁隗らを欠くこととなった名家閥は、その影響力を大幅に縮小した。


虫の息となっていた彼らに止めを刺したのは、洛陽から逃げ出した袁紹が結成した反董卓連合の存在である。


誰がどう見ても袁紹に大義などなかったが、それでも田舎者である董卓を軽視し、袁家を選ぶ者は少なくなかった。


「自分たちがいなければ仕事が回らない」

そう嘯いていた連中は、董卓によって容赦なく処分された。


このとき生き残ったのは、派閥の違いから袁紹に味方できず、さりとて董卓にも積極的に味方しなかった濁流派の面々である。


彼らは”敵対しなかった”という消極的な理由で生き残ったのだ。


彼らは反董卓連合が瓦解したことで、なんとか危機を脱したかのように見えた。

だが、彼らは生き残ることができなかった。

宦官を憎んでいた司徒王允の手によって生き延びていた宦官共々粛清されてしまったのだ。


最終的に生き残ったのは、楊彪を始めとした洛陽から距離を置いていた者たちであった。


彼らは董卓や王允による容赦も呵責もない粛清を目の当たりにしたことで、これまで当たり前に行っていた不正を行うことに躊躇するようになった。


推薦は人を選んで。

中抜きは程ほどに。


ここにきてようやく武帝や光武帝が求めた制度が正常に働くようになったのである。


ただし、それを扱う人間の性根が改善されたわけではない。


繰り返すが、孝廉とは推挙した人間が罪を犯せば推挙した人間にも罰が及ぶ制度である。


それを今回の場合に当て嵌めると”李儒が推薦して荊州牧となった孫堅が『敗戦』という罪を犯した”ということになる。


孝廉を都合よく考えた者たちは歓喜した。


これまで一切弱みを見せてこなかった李儒の失態は、彼らが騒ぐには十分過ぎるネタだったのだ。


ちなみに人事的な失態という括りであれば”王允を司徒に推挙した”というものもあった。

実際「王允を粛清するなら李儒の任命責任も問うべきだ」という声もあったのだ。


しかし今ではそのような声は聞こえてこない。それは王允に求められていた役割が『宦官や濁流派の粛清と、面従腹背の名家連中を釣ることであった』と判明したためである。


これに異を唱えれば自分も粛清されると考えた彼らは、一斉に口を噤んだのである。


餌として利用された老害の存在はさておくとして。


何かにつけて強者にすり寄るのも、隙あらば相手の足を引っ張るのも、彼らにとっては当たり前のことである。


故に彼らは罪の意識などないまま、弱みをみせた李儒の足を掬おうとしたのだ。


――それが劉弁の逆鱗に触れると理解しないままに。


―――


基本的に劉弁は自分が馬鹿にされても怒らない。


それは洛陽に居た頃から周囲の連中が散々自分のことを馬鹿にしていたことを知っているからであり、また『名家や儒家によって時の皇帝が酷評されるのは当たり前のことであり、それに対して怒りを示してはならない。耳に痛い言葉を受け入れることこそ皇帝に求められる姿勢である』という風潮があることも、劉弁が表立って怒りを見せない理由の一つとなっている。


総じて、元から他人からの評価について諦めていると言い換えてもいいだろう。


そんな劉弁であっても怒ることはある。


それは母であり、弟であり、今は亡き伯父であり、兄弟弟子といった自分に近しい人間が侮蔑されたり、危害を加えようとされたときだ。


その中でも特に我慢できないのが、宦官によって毒に冒されていた自分を救ってくれた命の恩人であり、己を皇帝にふさわしい人物に育て上げるために腐心してくれた師であり、内心では兄とも父とも慕っている男、李儒を侮蔑されることだ。


もちろん許容できるものもある。


怖い、厳しい、性格が悪い、目つきが悪い、何を考えているかわからない。

こういった点に関しては反論の余地がないため、それを耳にしたならば、劉弁もまた深く頷くところである(もちろん李儒のことを良く知らない人間が口にしたら不快感を抱く)。


危害を加えることに関しても、逆にどうやったらそれができるのかという興味が勝るかもしれない。


だが、本人がいないところで、それも劉弁の名を使って足を引っ張ろうとするのは駄目だ。


許容できない。許容していいはずがない。

理と利、そして情。全てがそれを否定する。


そもそも今回の出兵に於ける孫堅の狙いは劉琦を討伐することではなく、劉琦に呼応して荊州の各地で兵を挙げるであろう元劉表配下の連中を討つこと。つまりはさきの文官が宣った『腹いせ』こそが主目的であったのだ。


それに成功している以上、孫堅に咎はない。

むしろ後顧の憂いを絶ったことを評するべきではないか。


その本質を理解せず、賢しらに言葉を並べて自分に孫堅を――ひいては李儒を――罰しようとさせるなど言語道断!


激発しようとした劉弁だが、寸でのところで我に返る。


「……いや、それらを理解した上で、朕と李儒の間に楔を打ち込もうとしたんだったね」


「御意」


連中からすれば、劉弁にそこまで気付くだけの知恵がないと判断したが故の上奏というわけだ。


もし気付かれたとしても件の文官は「自分はあくまで孫堅の罪を鳴らしただけ」と言い張るだろう。


実態はともかくとして、実際に劉琦の討伐に失敗しているのだから、言い訳としては十分。


劉弁としても、現時点では上奏してきただけの文官はまだしも、その裏にいる連中を裁くことはできない。


いや、絶対権力者である劉弁がその気になれば適当な罪を見繕って処分することはできるのだが、そういう形で権力を乱用することを李儒や司馬懿が好ましく思っていないことを知っているため、今のところは表立って動くつもりはない。


……あくまで表立ってやらないだけで、李粛や張済による()()調()()の結果如何によっては一切の容赦なく強権を振るう心算であるが、それはそれ。


権力は使ってこそ。明確な根拠があり、正しく運用する分には司馬懿も李儒も文句はいわないのだから。


それはそれとして。


成功したら儲けもの。失敗しても損はない。

そんな策があるのなら、誰もがそれを実行しようとするだろうことは想像に難くない。


「今回の上奏は適当に流すとしてさ。今後も似たようなことを言ってくる連中はいるよね?」


「そうですな。太傅様の足を引っ張るつもりはなくとも、純粋に孫州牧の敗北を問題視する者も出てくるでしょう」


「それを一々聞くのも時間の無駄だよね?」


「まさしく」


「どうすればいいかな? いっそのこと孫堅の狙いが元劉表の配下を殲滅することだったって明かしちゃう?」


「それは止めた方がいいでしょう。情報は隠すものですから」


「まぁ、そうだよね」


両者とも伊達に腹黒外道の教えを受けたわけではない。

彼らは情報を隠すことの有用性を骨の髄まで教え込まれていた。


それを利用するその手段もまた同様に。


「むしろ今回の件を、隠された真実を見抜ける人材を発掘する(ふるい)として利用してはいかがかと」


「なるほどね。孫堅の罪を鳴らすんじゃなく、褒美を取らせるように上奏してくるなら見る目があるってことだもんね」


「そうなります」


もちろん、逆張りという意味で李儒や孫堅に擦り寄ろうとしている可能性もあるが、少なくとも孫堅を罰しようとする人間よりはそちらの方が気分よく使えるのは確かだったので、劉弁としても文句はない。


「篩にかける期間としては……そうですな。二月もあればよろしいかと」


「その後はどうする? 処す? 処す?」


「それもありますが、その前に讒言の元を絶つべきかと」


「讒言の元っていうと『孫堅が負けた』ってことだよね。どうやって絶つの?」


表面上のこととはいえ事実は事実。それを覆すのは極めて難しい。

そう思った劉弁だが、司馬懿の考えは違った。


「元々彼らが主張のする”敗北”の根拠となっているのは『討伐せずに後退したこと』と『少なくない被害を出したこと』にあります」


「そうだね。負けるっていうのはそういうことだもんね」


討伐の失敗は戦略的な敗北であり、少なくない被害を出したことは戦術的な敗北である。


「御意。このうち、後退したことにつきましては、先ほど言ったように篩として利用できます。といいますか、二月もすれば余程の阿呆でもない限り戦略の一環であったことに気付くでしょう。ならば問題は『少なくない被害を出したこと』になります。よって陛下はそれを払拭すればよろしいのです」


「どうやって……いや、そうか。軍監を送って正確な損害がどの程度だったかを明確にすればいいのか!」


「ご明察」


今はまだ曖昧な数字だからしっかりとした反論ができない。

だが明確な数字であれば話は別だ。


損害を出したといっても、所詮は荊州牧である孫堅が片手間に用意した軍勢である。

主目的が後方の鎮圧であることや船の数に限りがあることを考えれば、その総数は二万に届くとはないだろう。


孫堅の能力を考えれば、今回の戦で失われたのは多くても一割以下、つまりは二〇〇〇人に届かない程度と予測できる。


現場の意見としては実際に二〇〇〇もの兵が失われたら大問題なのだが、ここは現場から遠く離れた地、長安だ。


故に報告を聞いた劉弁が『なんだ。皆が”少なくない被害”というからどれほどのものかと思えば、たったの数千ではないか』と言えばそれで話は終わるのである。


事実、黄巾の乱で失われた官軍は万を超えているし、先日涼州で行われた戦でさえ四万もの軍勢が屍を晒しているではないか。それに比べれば二〇〇〇など端数も端数。大事にする方が恥ずかしい。


そういう形にしてしまえば、今後同様の奏上をする人間はいなくなる。


自分たちの労力が減り、孫堅の名誉も守られる。

素晴らしい策であった。


「残る問題は、誰を孫堅の下に送るのかって話だね」


今回孫堅の下に送り込まれる軍監に求められるのは。

劉弁からの信用が厚いことは最低条件として。

まず軍事的な知識を有していること。

次いで劉弁の意図を正しく理解できること。

加えて孫堅が詰問の使者と勘違いしないよう配慮できること。

最後に、長安にいる面々がその報告を受けたさいに『その人物の報告なら……』と納得するような説得力を有していること。


細かいことを言えばまだまだあるが、少なくとも以上の点を備えていることが絶対条件となる。


しかし、そんな優秀な人材を遊ばせているほど長安陣営に余裕があるわけではない。


もしそんな人材が遊んでいたら、荀攸あたりが無理やり机に括りつけて働かせているはずだ。


では現在要職に就いている人材はどうかというと、彼らは彼らで近々予定されている親征の準備で忙しい。もし引き抜こうとしたら苦情が殺到すること請け合いである。


「うーん。どうしようかなぁ」


思い悩む劉弁。しかしその悩みは、すでに答えを得ている司馬懿にとっては無意味なものであった。


「適任の方がいるではありませんか」


「え?」


本気で『誰だろう?』と首を傾げる劉弁を見て、司馬懿はさも当然のようにその人物について語る。


「いるでしょう? 十分な能力がありながら多忙極まる長安から距離をおき、戦支度にも政にも参加せず悠々自適に暮らしている方が」


「あ!」


人柄はアレだが、能力は認めているし尊敬もしている。

できることなら思うように過ごしてもらいたいとも思っている。


その気持ちに嘘はない。

しかし、それとこれとは話が別。


立っている者は親でも使う男、司馬懿にとってその人物に白羽の矢を立てるのは至極当然のことであった。

閲覧ありがとうございました。

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