4話
四月。京兆尹・司隷長安
宮城内皇帝執務室
――二月に荊州を任されていた安南将軍孫堅が江夏の劉琦殿を攻め滅さんと兵を挙げたものの、普段の苛政が仇となり後方にて反乱が発生したため撤退を余儀なくされたそうです。
また、撤退の際に追撃を受け、少なくない損害を出したと聞きます。
孫堅は劉琦殿に敗れた腹いせに荊州各地で蜂起した土豪や元々劉表殿であった配下の者たちを殲滅したそうです。
孫堅は再度の侵攻を企てましたが、家臣たちから『足元を固めるのが先』と説得されたため侵攻を断念したそうです。
此度の敗戦は、戦勝に驕った孫堅が戦機を理解せぬまま侵攻を強行したが故であることは明白です。
新帝陛下の即位という慶事に泥を塗った孫堅を赦してはなりません。
故に臣は孫堅を罷免、もしくは彼になんらかの罰を与えるべきであると奏上いたします――
とある文官が急に謁見を申し入れてきたから何をのたまうかと思えばこれである。
謁見の場に於いては真剣な表情で話を聞いていた劉弁であったが、その表情は執務室の中に入ったと同時に霧散した。
「だってさ。司馬懿はどう思う?」
問いかける表情は『あほなことを聞いた』という気持ちを微塵も隠していなかった。
それは問いかけを受けた少年も同じであった。
「論ずるまでもありませぬ。ことは孫州牧の狙い通りに運んでおります故、罰を与える必要はないかと」
「だよねぇ。なら問題はこれを持ってきた連中の意図だね」
上奏文にあったように、皇帝の名を落とすことを懸念したり、組織として信賞必罰を徹底させようとしただけなら、視野の広さや能力に疑問を抱くものの、人品としては問題ないと言えるだろう。
その場合は『卿の提言、確かに受け取った。これからも変わらぬ忠義を期待する』と適当な言葉を投げかけてやればいい。
しかしこれが孫堅の足を引っ張るための策謀ならば、話は別だ。
「十中八九、孫州牧を貶めるための讒言でしょう」
「やっぱり? でもなんで孫堅の足を引っ張りたいの? 荊州の州牧になりたいってわけじゃないよね?」
現在長安にいる役人にとって世界の中心は長安である。
往年の洛陽のように権力争いが激化していたり、少し前の長安のように武官が暴れ回っていた時期ならば距離を置こうと思うかもしれないが、今の長安は混乱の元凶であった王允らを除いたことで、かなり落ち着いている。
それどころか、王允にすり寄っていた連中が就いていた官職が空白化しているため、そこかしこに出世の機会がある状況である。
そんな中で、わざわざ荊州に行きたいと願う者はいない。
では件の連中がなんの為に孫堅の足を引っ張ろうとしているのかといえば、そこには名家の都合があった。
「忖度でしょう」
「忖度?」
「はっ。孫州牧は袁家と敵対しておりました故」
「……また袁家か」
現在袁家は袁紹が率いる通称華北袁家と、袁術が率いる汝南袁家の二つに分かれている。
袁紹にとって孫堅は、自身が盟主を務めた反董卓連合に参加せず、それどころか袁術を騙して反董卓連合に痛打を与え、連合を瓦解させる一因となった仇敵だ。
袁家の当主を自認している袁術を騙したことは評価するものの、田舎者如きが由緒正しき袁家を愚弄したことは許せないことである。
よって袁紹にとって孫堅は明確な敵であった。
汝南袁家を率いる袁術に至ってはもっと悪い。
元々袁術は孫堅を成り上がり者として下に見ていたし、その成り上がり者が荊州の南四郡を差配することも良く思っていなかった。
孫堅は孫堅で袁術のことを親の威を借るボンボンとしか見ておらず、上から目線でなんやかんやと言ってくることを煩わしく思っていた。
両者ともにお互いを嫌っていたのだ。
しかしそれだけであれば両者が敵対関係となることはなかっただろう。
両者の間が決定的に決裂したのは、反董卓連合が結成されたあとのことである。
ことの発端は董卓との戦に及び腰であった袁術が、当時荊州南四郡の統治を理由に参加していなかった孫堅に対し、出兵を要請したことだ。
それを受けた孫堅は、物資や兵糧の提供を条件として反董卓連合に参加することを打診した。
孫堅が出した条件を受け入れた袁術は、後方で支援をしていた劉表が治める襄陽に物資を入れ、そこで孫堅に補給を受けさせるつもりであった。
袁術から話を聞かされていた劉表は援軍として孫堅を迎え入れようとしたのだが、元より反董卓連合に味方するつもりのなかった孫堅は、無警戒に城門を開けていた襄陽を攻撃。
意表を突かれて満足に動けなかった劉表やその配下は『皇帝陛下に背く逆賊』として捕えられた。
この際、袁術が用意した兵糧や物資を奪っているのだが、当然それらは今も返還されていない。
顔に泥を塗られた形となった袁術だが、しかしながらこれが反董卓連合が解散した後に『袁術は逆賊ではない。水面下で董卓に協力していた。物資を孫堅に渡したのがその証拠だ』という助命嘆願の口実となってしまっているため、怒るに怒れない状況となった。
袁術が怒りを溜めている間も、孫堅は大功を挙げた忠臣として名を高めていた。
それも袁術とその関係者が平身低頭助命嘆願をしている横で、だ。
これだけのことが重なれば、袁術が孫堅に意趣返しをしたいと考えるのはある意味では当然のことであるし、周囲の者たちが忖度するのも当然のことであった。
袁家に忖度している者たちにとって、袁家が名家の領袖として返り咲くことは確定事項なのだ。
事実、袁術は逆賊の誹りを免れたし、袁術と繋がりのある楊彪もその地位を失っていない。
故に彼らは、将来の権力者である袁術に敵対している孫堅の足を引っ張ることで、袁術からの覚えを良くしようとしているのである。
問題はその忖度が劉弁にとって一片の得にもならないことだろう。
「考えられることとすれば、まず孫州牧を貶めることで袁術の覚えを良くすることが第一。これは間違いないでしょう」
「そうだね」
「袁術と繋がりがある楊司空の覚えを良くすることが第二。第三に劉家、今回は陛下に近い方ではなく地方にいる宗室や属尽に対して『自分は劉家の味方である』と示すこと」
「ふむふむ」
それを聞いた劉弁は、そういえば孫堅のことは呼び捨てだったけど、劉表や劉琦には敬称をつけていたなぁと、思い返す。
「あとは……」
「あとは?」
常日頃からどのようなことであっても淡々と報告するこの兄弟子が言葉を濁すとは珍しい。
さぞかし言いにくいことがあるのだろう。
そう考えて先を促した劉弁の耳に届いたのは、聞き捨てならない、否、聞き捨てしてはならない一言であった。
「……孫州牧を重用している太傅様に対する嫌がらせかと」
「は?」
先の奏上を行った文官が李粛や張済らによって捕縛されることが決まった瞬間であった。
閲覧ありがとうございました