第18話 ぎくしゃく
「そういえば、アンネ様とお話をしてきました」
「ああ、アダムから首尾は聞いてる」
(自分で報告したかった――なんて、おかしなこと考えるようになったわね、私も)
ステラは心中苦笑した。
別にヘンリックに報告してしまったアダムへ文句があるわけではないが、目の前の男にはいくらでも文句が出る。
そういうことは、知ってても言わずにこちらの報告を待ってくれても良いのに、と。
(それとも、こういう思いもお伝えした方がよろしいのかしら? ……この人のことは、何もわからない)
ヘンリックは、例えばステラがそう文句を付けても「そうか」の一言で流すだろう。
ステラの心に納得はするかもしれない。行動は改めないかもしれない。それでも、ステラの文句を不敬だ何だとわざわざなじりはしないだろう。
ただ「どちらがいいのか」が、わからない。この男にとって、どちらが好ましいのか。
(……そんなこと、どうでもいいはずだったのにね)
そう思いながらも、ステラは首尾を報告する。
知っていると言われたことを、わざわざ報告する。
「あいにくの雨でしたが、しっかりとお話しすべき事はできたと思います。私は少なくともあの方が……大好きになりました」
大好き。どこか子供っぽいと思いながらも、ステラはその言葉を選んだ。
アンネに対して使うには、いちばん自分の心を表わしていると、そう思った。
「次の約束も取り付けましたし、……仲良く、できた、と思います。たぶん、はい」
「それは何より」
「……もしアダム様から何か苦情など入っていれば、遠慮なく伝えていただきたいのですが……」
「ない。そういうものはない。一切ない。嘘ではない。胸を張れ」
「……はい」
ステラはほっと一息ついた。
「……そういえばアンネ様から帽子をいただきました。パーティーの時に駄目にしてしまったお詫びと」
「それも聞いている。どういうものがよいか訊かれたからな」
「…………」
聞いていたのか。聞いていて、このタイミングでステラに帽子を贈ってきたのか。
「……贈り物が被ってしまったな」
「帽子だけに」
「…………」
「…………失礼しました」
ついつい茶々を入れてしまった。
どうにもいつもの自分ではない。
「俺がアンネに遠慮して送らないというのも、それはそれでアンネを恐縮させると思ったので、そのまま送った」
「……お優しいことで」
本当に、優しい。
「いや、アンネには……なるべく気苦労なくいてほしいだけだ。アダムの婚約者、すなわち俺の腹心の妻になる女だ。これから先、苦労は無数に待っている。だから、今、できることはしている」
「…………」
ああ、そうか。自分なんかよりよっぽど、アンネの方がこの人に近いのだ。ずっと近かったのだ。
それを思い知らされて、ステラは身の置き所をなくす。
「…………」
その優しさの半分でもいいから分けてくれと、図々しく主張するのはおかしいだろうか。おかしいのだろう。
だって、妻となるのなら、気を遣われる側ではなく、気を遣う側だろう。
どう考えても負担はヘンリックの方が大きいのだから。
(だけど、でも、何かしら……何だろう……ううん)
引っかかる。喉に小骨が引っかかる。別に朝食は魚ではなかったのだが。
引っかかりを覚えたまま、ステラはちらりと外を見た。
窓の隙間から見える王都の景色は、相変わらず馴染みがなかった。
「図書館だ」
ヘンリックの紹介は極めてシンプルだった。
古い石造りの建物には、ずらりと書物や巻物が収められていた。
図書の保管の関係だろう。窓は極力排除された作りになっている。
「一般公開はされていない」
そのためだろう。人はあまりいない。
貴族か官吏ばかりだった。
静かな空気の中に、ステラは足を踏み入れた。
「はあ……」
嘆息する。
そしてステラは実家の書庫を思い出していた。
もちろん広さや所蔵数はまったく違うが、歴史の重みだけは負けていないだろう。
「殿下はこちらにはよく来られるのですか?」
「幼い頃、教育の時間には教師にここに連れてこられた。せっかく参考資料がすぐに手に入るのだからと言ってな。アダムも一緒だったが……あいつはたいてい寝てたな。それでもしばらくぶりだな」
「そうですか……。星の資料はありますか?」
「ああ」
ヘンリックが歩き出す。ステラはそれについていく。
「場所は変わっていないな。ここだ」
天候の記録の隣にその棚はあった。
「星図は天文台が作ったものの転写だな。目新しいものはあるか?」
「あります……」
実家にも星や天にまつわる本は大量にあったが、ここには最新の研究書が収められていた。
「…………」
ここ数十年の間にそもそも資料を取り寄せる伝手自体が潰れてしまっていたのだ。
それに気付いて、ステラは小さく唇を噛む。
ここが必要なのは自分ではないだろう。
跡継ぎである弟だ。
ただ書名を目に焼き付ける。
いつかカエルムにこれらを教えてやれるように。
そんなステラの様子にお構いなしに、ヘンリックは無造作に一冊の本を手に取った。
それは星見伯家にもある本だった。
――かつて、まだ星見が一般的だった頃、貴族を含む世間に求められて、ステラの曾祖父が記したごくごく簡単な星見の解説。
自力で守護星を割り出す方法に加え、本が書かれてから五十年後までの簡単な運命予測まで書いてある。
ヘンリックがそれをパラパラとめくる。
本の年代や、前書きでそれがステラの曾祖父によるものであることはすぐわかっただろうが、ヘンリックは特に何も言わない。
「……古い」
しばらくして、彼はそう言った。
「そりゃ、まあ……」
何せステラたちが生まれる遙か前に、一般の人のために書かれたものだ。
その時期に即して書かれているため、今読んでも今後の運命など書かれてはいない退屈なものだろう。
「……まあ、ここに書かれていることなど、君に聞けばいいだけか」
「……ええ」
ヘンリックは本を戻した。
他の本に目をやるが、興味をそそられなかったようだ。
専門的すぎて、書名を読んでも意味がわからなかった、というのが本当のところかもしれない。
代わりにステラはひとつの本を取る。
『最新の観測機器、その仕組みと実用』
シンプルな題名だが、ここ数年に書かれたものだ。きっと知らない知識もある。
「……読むか?」
「じ、時間が許すなら……」
「じゃあ、俺も何か探してくる。そこのテーブルに掛けていてくれ」
「はい……」
ヘンリックはとっととステラに背を向けて去って行く。
ステラはその隙に、もう一冊の本を手に取る。
『天体の異常について』
それにプラスして観測年代が書かれている。
それは、不動星の光が弱まった時期と被っていた。
不動星――国家の象徴の星。
――天文台は、あれをどう観測しているかしら? そもそも気付いているかしら。気付いたとして、どう結論づけているかしら。
ステラは意を決してその二冊を手に取った。
きっと、星見のことなどどこにも書かれてはいないだろうと自嘲しながら。




