第17話 デートの始まり
アンネと会った日以来、雨の日が数日続いたので心配していたが、天文台へ行く日の空は快晴だった。
ステラはヘンリックから贈られた帽子を被っていた。
「うん、悪くない」
鏡の前で微笑んだ。ヘンリックのセンスは悪くなかった。まあ、壊れた帽子と同じ仕立て屋のところで頼んでくれたらしいので、仕立て屋のほうが合わせてくれたのかもしれないが。
「えーっと、それで今日のスケジュールは……」
「図書館、植物園、神殿、市街地、でございます」
ユッタがスラスラと答えてくれた。
「……見事に王宮は避けられてるのね」
「まだ時期尚早との判断のようです」
「まあ、ね……」
色々あって未だに社交界にすら、ろくに顔を出せていない。
ステラの足場はガタガタだ。
「……しかし、朝からって……」
ステラはため息をついた。
「どうせ天文台の設備を使えるのなら、夜通し空を見上げていたいのに……」
そんなステラのボヤキに、ユッタは小さく苦笑する。
「ここ数日は空を見られていないから、余計にね……」
星の運行は予測可能だ。しかし、少しずつ予測と実測にはズレが生じる。
精確な星見をするのなら、それは致命的だった。
胸に不安がよぎる。簡単な予測なら、いくらでも立つ。
しかし、星見は不意の出来事には弱いのだ。
もし、今夜空を見上げて、不動星が消えでもしていたら、どうしたらいいのだろう。
さすがにステラの人生で、そのようなことは起こったことはないが、過去には星が消えた例はある。
ステラが考え込んでいると、部屋のドアがノックされた。
「王太子殿下がお着きです」
「今、行きます」
ステラはフーと息を吐くと、ノートを抱えてドアへと向かった。
ユッタがステラの観測道具を持ち上げて、ステラに続いた。
ヘンリックは玄関に突っ立って、ステラを待っていた。
相手は王太子だ。家の者達も本来なら応接間にでも通したいところだったろう。しかしヘンリックのことだ、少しの間だから構わないと断ったのだろう。
少しだけれども、ステラはヘンリックの思考がわかり始めてきていた。
「お、お待たせいたしました」
「いや、大して待っていない。では、行こうか」
今日のヘンリックの服装は、貴族らしいコート姿であったが、その服の色は全身真っ黒だった。スカーフの飾りだけがキラリとオレンジ色に光っていた。
「……あ、あの」
「なんだ」
「えっと……そのお洋服……」
「変か?」
「……お似合いです」
なんだかお世辞のようになってしまったが、こればかりは嘘ではない。
ヘンリックはどんなかっこうをしていても様になっていた。
さすがだとため息をつきたくなるほどに。
最近は忘れがちだったが、そもそもこの男、基本的には美形の部類に入るのだった。
いちばん最初に出会ったとき、不覚にも目を奪われてしまったことなどをふと思い出した。
(……まあ、中身があれだったけど、あれだったけど)
「天文台での星見の邪魔になってはいけないと思って、その帽子と一緒に仕立てさせた」
「そ、そうですか……。いえ、あの、でも、えーっと……あの星見伯家が黒い服を着なくてはいけないのは……あくまで慣習でして。今の設備であれば、本当はもう黒い服でなくとも観測には何の問題はないのです……」
言いにくかったが、誤解されているのも落ち着かなかったので、ステラはそう言い切った。
「…………」
ヘンリックの表情はあまり変わらなかったが、明らかに沈黙した。
沈黙したままふたりは玄関を出て、ヘンリックの馬車に乗り込んだ。
「…………」
「…………」
(ず、ずっと黙ってる! いえ、そこまでおしゃべりな方では元々ないけれど、それでも、今日はあんまりにも喋らなすぎだわ……)
やはり言わない方が良かったのだろうか?
しかししばらく馬車が走ると、ようやくヘンリックは口を開いた。
「……ユッタはずいぶんな荷物だな」
「あ、これは……その、星見の道具を詰め込みまして……」
「……おそらくだが天文台にあるだろう?」
「そうですけど……慣れたものがあると……ええと、落ち着くので……」
「そうか……」
ヘンリックはあまり理解できないという顔をしていた。
「あ、で、でも、楽しみです! 天文台の設備がどれほど進化を遂げているのかとか……!」
「……そうか」
今度はヘンリックは少し微笑んだ。
「……はい」
その微笑みに思わず目をそらしながら、ステラはうなずいた。
天文台――祖父がまだ失脚する前は、王都に上京して、天文台の視察に行ったこともあったという。
視察、そう星見伯は元々天文台を管理する側だったのだ。
それが今ではヘンリックの虎の威を借りなければ、門を叩くこともできない。
なんとも物悲しい栄枯盛衰をまざまざと思い知らされる。
祖父の時代の天文台の設備については、祖父の記録が星見伯家に残っていた。
その頃から、もうずいぶんと経ったのだ。きっと目覚ましい発展を遂げていることだろう。そう思うと胸が躍った。
「……その記録なら、王宮図書館にもあるはずだ」
「あ……」
そんなことまで考えて、日程を組んでくれたのだろうか。
元々、知的好奇心はある方だと自負していたが、そこまでヘンリックが考えてくれていたことに来付いて、ステラは思わず顔を伏せた。
喜びや恥ずかしさを誤魔化した。
「まあ、せっかくのデートだ。楽しめ」
「あ、デートなんですね、これやっぱり」
「……じゃなきゃなんなんだ」
「……視察……?」
ヘンリックは鼻を鳴らすと、外を見た。
晴れた陽の光が、外を照らしていた。
「……晴れて良かったな」
「そうですね……」
まだぎこちなさを漂わせるふたりにはお構いなしに、馬車王都に中を突き進んでいった。
多忙のため更新滞るかもしれません。
来週までには次話投稿できるよう努めます。




