第15話 胸の内
ようやくお茶がやって来て、ふたりは一息ついた。
「……モーリス、痛み止めを持ってきてちょうだい」
アンネの指示にモーリスはちらりとステラをうかがった。
「……よろしいので?」
「ええ」
アンネがうなずいて、モーリスがまた出て行った。
「私、薬を飲んでお客様と接するのは、偶然とアダムと以外は初めてだから……ぶしつけがあったらごめんなさい」
「いえ、気にしないでください。大丈夫です」
アンネの薬が運ばれてきて、彼女はそれを含んだ。
「薬が効くまで……今度はあなたの話をしたいです。ステラ様」
「私……」
「お支えするには、知らなくてはいけませんもの……殿下はそういうところ少し配慮が足りないと思います。……まあ、ずいぶんと急いでことを進められているようだから、仕方ないのかもしれないけれど」
まったくだ。
ステラとしても急いでもらったほうがありがたくはあるのだが。
そういえば、ヘンリックの方に急ぐ理由はあるのだろうか?
わずらわしい婚約から逃れるため、さっさと婚約者ができたと知らしめたいというのはあるのだろうが、それにしたって、いささか性急すぎやしないだろうか。
いや、ここにいないヘンリックの意図を考えていても仕方ない。
今は、アンネが自分の言葉を待っている。
「…………」
ステラは空中に視線をさまよわせた。
「……私は、その、星見伯の娘でして……」
「ええ」
「……ご存知の通り、星見伯はすっかり没落しましたから……なんと言いますか……幼い頃から、父から星見を教わってきたけれど……それを、家のもの以外、誰も、信じてくれはしなくて……」
ステラだって一度もパーティーに行ったことがないわけではなかった。
まだ幼い頃、母が存命だった頃、父が元気だった頃、連れて行かれたことはあった。
けれども――。
「……私は……あのアンネ様から見たら、その馬鹿馬鹿しいかもしれないけれど、まだ、信じているのです。星見を」
信じている。信じて、すがって、そして今日だって、仲直りのためのハンカチを持ってきている。
どれほど裏切られても、今日のように星が見えない日でも、ステラは、信じることを諦められない。
「……だから、インチキ呼ばわりされてることが悲しくて、悲しくて、私はあまり外に出なくなりました。ああ、屋敷からというわけじゃなくて……社交の場に」
アンネは深くうなずいた。
「外には出ていました。星を見るために。毎晩、星を見上げました。そうしているうちに弟が生まれて、母が死んで、父が倒れて……私は家のことをやるので精一杯で」
思えば、自分の人生をそんな風に振り返ることはなかった。
今までただ目の前のことを片付けるのに精一杯だった。
星を見ながら、未来を占いながら、すぐ近くのことで精一杯だった。
「……すっかり、全部、諦めて……でも……」
でも、毎日星を見上げて、たとえ雨の日でも、星見台に行って微かに光が見えはしないかと空を見上げて、そういう風に過ごしていた、そんなある日のことだった。
「ある日、とある星が、弱々しく瞬いていた」
不動星。
国家の象徴。それが凶兆を告げていた。
「……私、どうにかしなくちゃって……そればかりを考えて、考えて……やっと近付けた」
それはただの偶然で、彼女の頑張りの成果なんかじゃなかったけれど、それでもステラは手に入れた。自分の役目を果たすための鍵を。
ヘンリック王太子殿下。
ステラは思わずうつむいた。
「……ご、ごめんなさい。途中から私の話じゃなくなっちゃった……」
そうでなくともアンネからしてみれば、後半の内容は意味不明だっただろう。
しかし、不動星の話をそのままするわけにもいかない。
ここまでがステラが話せる、せいぜいの落としどころだった。
「ありがとう、ステラ様」
しかし、アンネは優しく微笑んだ。
「興味深いお話でした」
「そうだったらいいのですが……」
まあ、少なくとも楽しい話ではなかっただろう。
「私達……二回しか会ってないのにずいぶんと人に話さないことばかり話してしまいましたね」
アンネはあくまで楽しそうにそう言った。
「……そういえば、そうですね」
たった二回。ヘンリックはどうにかしろと言ってきたが、そもそも二回会った程度で相手のすべてがわかるわけがない。
今、ステラはアンネに親しみを感じているし、アンネもステラに好意的な態度を見せてくれているが、三度四度と会っていくうちに、それは変わってしまうことだってあるかもしれない。
「そして……私は……そう、わたくしは……」
気付けば、アンネの瞳が揺らいでいた。口の回りも遅い。
「あ……」
薬が回ってきたのだと、わかった。
「えっと……ああ、眠い……。そう、人前で……眠い、って言えて思えて、眠りそうになってしまうのも……一種の信頼ということで……ひとつ……お許しくださいね……」
そう言って、アンネはソファに深く体を預けた。
「……今度、また、できれば天気のいい日に、あなたとまた、お話が……できたら」
「そうですね」
ステラはうなずいた。
アンネは嬉しそうに微笑むと、すっかり眠りに落ちてしまった。
「…………」
すやすやとアンネが眠っている。
モーリスが困ったように身じろぎしている。普段はどうしているのだろう。
アダムはアンネの婚約者だ。彼が相手のときは、アダムが自分で寝室に運んでしまうのかもしれない。
「あの、モーリスさん、私、これでお暇しますね」
「あ、は、はい。えっと、アダム様をお呼びしますので、少しお待ちください」
「はい」
モーリスがゆっくりと部屋から出ていく。
アンネはやっぱりすやすやと眠っている。
「…………」
薬のせいとは言え、こうやって無防備に眠れる彼女の信頼が、ただ嬉しかった。
アダムがやってきて、アンネの姿に苦笑する。
「あとはこちらで片付けておきます。すみません、お見苦しいところを」
アダムがステラに頭を下げて、そう言った。
「いえ……お気になさらないで。その……悪い気分ではないから……」
「それならよいのですが……。何か彼女に言伝があれば、お預かりしますよ」
「いえ、大丈夫です。それではお暇しますね」
「ええ、モーリスお送りして。ああ、そうだ」
アダムが部屋の戸棚から大きな化粧箱を取り出してきた。
「これこれ。自分で渡すつもりだっただろうに」
アダムがステラにその箱を差し出した。
「先日、お借りした帽子の代わりです。受け取っていただけますでしょうか」
「あら……」
化粧箱を受け取る。
「ここで開けてしまってもよろしいかしら」
「もちろん」
テーブルの上で箱を開く。黒い、あれとは違うデザインだが、近い生地でできた帽子が入っていた。
「お借りしたものが、汚れてしまったので、代わりのものを用意したそうです。お借りしたほうも、返却したほうがよければ、用意しておきます」
「いえ、差し上げます」
ステラは即答した。
彼女は箱ごと帽子を抱きしめた。
「……アンネ様にありがとうございます、とお伝えください」
「はい」
箱の蓋を閉めて、今度こそステラは立ち上がって、アンネの屋敷を辞した。
「ふー……」
馬車に揺られながら、思いっきりため息をつく。
とても疲れていたけれど、心は穏やかだった。
雨はまだ降り続いていた。今夜、星は見えないだろう。そう思わせる重く垂れ込めた雲が、空をどこまでも覆っていた。
「……次は、殿下との……デート……デート? ね……」
少し憂鬱にそう言ったステラを慰めるように、ユッタが珍しく口を挟んだ。
「アンネ様との次の予定をお立てしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、ええ、ぜひ!」
ステラの目が輝き、ユッタは苦笑した。




