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第14話 傷痕

「……醜い醜いこの傷は、生まれた頃からあったそうです」

 アンネはそう言ってステラの顔をうかがった。

 ステラが少しでも拒絶する素振りを見せれば、この人は話をするのをやめるだろう。

 そう思いながら、ステラは小さくうなずいた。

「母は私を産んだときにとても悲観して……。それだから、私にきょうだいはいないのです。怖くなってしまったのでしょうね。次も、同じような子だったら、って……」

 アンネの視線は一瞬遠くを見た。

「父はそんな母の意を汲み、さっさと長子の私が跡継ぎになれるような縁談をまとめてきました。その相手がアダム。まだお互いに物心つく前でした。……それがヘンリック殿下の従兄弟だなんて、さっさとまとめたわりには抜け目のない縁談相手でしょう?」

「……そうですね」

 お披露目パーティーの日、出会ったアンネの父を思い出す。

 王太子の婚約者とは言え、落ちぶれた星見伯の娘にすらも丁寧に接する男。

 なるほど、あの態度は抜け目のなさから来ていたか。


 しかしステラはあまり嫌な気分にはならなかった。

 元をたどれば妻や娘のためにしたことであり、その態度も人を不快にさせるものでもない。

 それでも、アンネはどこか辛そうな顔をしていた。

 あれだけ穏やかに思い出話を語っていたのだ。アダムのことが嫌いと言うことはあるまい。

 きっと、他の部分だ。

 この人はいろいろな陰口にさらされてきたのだろう――『腫れ物』。


(……いきなり殿下と婚約なんてした私が、そういう悪意に今のところ出会っていないのは、殿下やユッタ、アンネ様たちがそうはからってくれてるからだわ)

 ヘンリックは言っていた。『自分たちに好意的な令嬢一人どうにもできんようでは、王太子妃など務まらん』と。

 そうだというのに、ステラは今、行くべき方角がわからない。

 ただアンネの言葉を聞くしかない。

「そんなですから……私はアダムに負い目があるのです。私なんかでいいのかしらって、幼い頃から」

「…………」

「傷のこともあるけれど……きっと、それ以上に、色々」

 アンネは苦笑した。

「ごめんなさい。あまり……気持ちのいい話でも、して意味のある話でもありませんでしたね」

「……そんなことは、ないです」

 ステラは慌てて首を横に振った。

「アンネ様がこういう風に話をしてくれて……嬉しい、です。はい」

「……そうですか。ならいいのだけれど」

 それでもアンネの表情は浮かない。


 ステラは慌てて会話を探す。


 こういうとき、繋ぎにお茶でも飲めれば良いのだが、モーリスはどこまでお茶を取りに行ったのか、一向に戻ってこない。

 ステラはちらりと窓の外を見て、降り続く雨に目を留めた。

「……ええと……アダム様から聞きましたけれど、傷の痛みの方は……大丈夫ですか?」

「あら、アダムったら話しましたのね。……もう、ステラ嬢にそんな気を遣わせて……」

「いえ……いえ」

「いつもは痛み止めを飲むのですけど、そうすると眠気がくるから……」

「の、飲んでください! 痛み止め!」

 慌ててステラはそう言った。

「別に、私の前で寝たって全然構いやしませんから!」

「うふふ」

 アンネは微笑んだ。

「……ステラ嬢は、殿下と同じようなことをおっしゃるわ」

「えっ……」

 ステラはあからさまに自分の表情が歪むのを感じた。

 いや、別に良いのだが。別に悪いことではないのだが。

 ヘンリックと同じことを言ってしまうのは、なんだか妙にしゃくだった。

 アンネはそんなステラの表情に少し笑って、続けた。

「いつだったか……アダムと殿下が狩りに行く予定が、どしゃ降りで、断念して、我が家に寄られたの。もう薬を飲んでしまったあとでしたから、眠くて眠くて……そうしたら、殿下が別に寝ても構わないぞって」

 くすりとアンネは笑った。

「とてもじゃないけど眠れるわけないのに、殿下の前でなんて」

「そう、そう……ですね」

 それはそうだ。普通はそうだ。

「……でも、ステラ様は、ご自分のことを特別偉いだなんて思っていないから、そういう風に言えるのでしょうね。寝てしまっても良いと」

「ああ……そう、そうですね……」

 自分の立場なんてハリボテだ。

 ヘンリックが勝手に据えた王太子妃候補にすぎない。

 誰かに恐縮されたり、遠慮されるのは居心地が悪いだろう。

 それにしたって、そう親しくもない相手に『寝てもいい』は我ながら『ないな』とは思うが。

「でも、殿下はご自分が特別だって、そんなこと……きっと物心ついた頃からご存知のはず」

「……そうあってほしいですけどね……」

 思わず呻くようにそう言っていた。

 奔放な王太子。ずいぶんと振り回されてきた。

「……だから、そう、だから、私と殿下はアダムのことが好きなんです」

「アダム様」

「特別な殿下、普通じゃない私、そんな人間に対して、いつも普通に接してくれるから、だから、好き」

 そう言ってからアンネの顔は真っ赤になった。

「やだ……あら、何の話をしていたのかしら……こんな……のろけになってしまいました……ごめんなさい」

 アンネは慌てて扇子を取り出し、顔を扇ぐ。

 その顔は真っ赤に染まったままだったが、ステラはそれを可愛らしいと思った。

「楽しいお話しでしたよ。ああ、いや、アンネ様にとってはお辛いこともあったでしょうけれど……」

「いえいえ。ステラ嬢が嫌でなければよかったのですけど……」

「聞けて、よかったです。話してもらえて、嬉しかったです。……相手を知ることは、理解への一歩だから」

 理解。

 アダムは自信がなさそうだった。自分がアンネの理解者であるかどうか。

 しかし、アンネはそもそもアダムに理解者であることなんて望んじゃいないのだ。

 ただ、アダムが普通に振る舞ってくれることが、嬉しいのだ。

 たとえアダム自身が自分が過保護だと苦笑しても、アンネはそうは思っていない。

 多分アダムは誰にでもあのくらい優しいのだと、アンネは信じている。

 それは完璧な理解ではないかもしれないけれど、それより尊いものだと、ステラには感じられた。

「わ、私とアンネ様の関係は……ええと、殿下にお膳立てされたものですけど……あ、アンネ様さえよければ……う……お友達……に、なってもらいたい……のです。あ、いや、友達はおこがましいので、ええと、せめて……うう、お知り合いに」

 友達。ステラには縁遠い言葉だった。貴族令嬢の友達など生まれてこの方いたことがない。知人すら、ほとんどいない。

「もちろんです」

 アンネは即答した。

「きっかけは殿下の頼みを受けたことです。たとえ私は……ステラ様がどんな方でも、殿下の結婚相手というのなら、親しく、世話を焼く所存です。殿下には、アダムが本当にお世話になっているから。アダムといっしょに殿下をお支えしたいとそう思っているから。でも」

 アンネはステラをまっすぐ見つめた。

 片方だけの目、綺麗な澄んだ目。

「ステラ様で良かった。殿下の相手だからではなく、ステラ様だから支えたいと、そう思えるお方で良かった」

「……あ、ありがとうございます」

 ステラは頭を下げると同時に、思わずうつむいていた。

 アンネの言葉への嬉しさとは裏腹に、自信のなさが襲いかかる。

 自分はそう言ってもらえるだけの人間だろうか?

 心の中に問いかけても答えは見つからない。

 こんなに真っ直ぐな言葉を、真っ直ぐ受け止められない自分がもどかしかった。


「……私、今、初めて」


 ステラはポツリと呟いた。


「……殿下にふさわしい人間になりたい、なんて思いました……」

 それは半分独り言だったけれど、アンネはちゃんと聞いていた。

「なれますとも、あなたなら」

 その優しい言葉に、何故だかいきなり涙が出そうになって、ステラはそれをグッとこらえた。

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