コンビニ帰りのタルタロス
ここ直近の柳の気分は最悪であった。
色で表すならば売り物のように純粋な黒ではなく、世にある無数の色彩をひとつのバケツにぶち込んでかき混ぜたような、異形の漆黒だった。
やることなすこと全てが悪い方向に傾いた。
サイコロを3つ回せば一二三が揃って、割り箸は片側が使い物にならない割れ方をする。
友人の付き添いで占いに行った時には依頼者をそっちのけに、神妙な表情とトーンで「天中殺だ」といわれた。
そんな陰鬱な心持ちを晴らすべく、柳は近所のコンビニエンスストアへ足を運んだのだった。
*
普段から買い物かごを使用する習慣のない柳は両手いっぱいに菓子パンや即席麺を抱きかかえてレジへと向かう。
自分の他に客がいないのは柳の数少ない幸だった。
安心したのもつかの間、夢現の中年レジ係に再三ポリ袋を要求するも、小銭とレジスターの金属音にかき消され聞き入れてはもらえなかった。
なのに小さく舌打ちをした時には、カフェインをきめて血走った眼で俺を睨みつけるのだ。
まったく俺の不幸伝説も未だ現在かと自動ドアの正面に立った時、柳の身体に底知れぬ悪寒が駆け巡る。
夜の冷たい外気に触れたせいか、いや、これは……。
黒いマットを超えて低温の世界に踏み出そうとした、が。
地面に違和感を感じた。
黒い。
見慣れたアスファルトのグレーではなく、茄子のような黒紫の空間が地面に広がっている。
衝突緩和のために取り付けられたアーチ状の柵や灰皿、それらを支えていた地面が。
全て、黒紫の虚空に吸い込まれたのだ。
*
外界の異様な光景に最初こそは驚いたが、少しするうちに脳も冷静さを取り戻してきて、柳は自分は運が良かったのでは、と思い始めた。
窓の外を見ても黒紫が広がるばかりで、他に建物らしい建物も見つからない。
この空間で遺ったのは、俺のいるコンビニだけらしい。
あのハゲがかかった店員はいつの間にか消えていた。
カウンターの奥に入って探してみるもどこにも見つからない。
ただ裏口の扉が空いていたのを見て、柳は決して外に出ないよう、内鍵をひねりながら自分の胸に戒めた。
電気や水道は通っているらしい。
不思議だが、カウンターにあるホットスナックを食べているうちに面倒くさくなって考えるのをやめた。
無論、食べたものは購入していない。
「どうするかな……」
雑誌を読み漁ってみたり、ゴミ箱の中身を黒紫に放り込んで遊んだりした。
1時間程だろうか、タバコを吸おうかとライターを探していた時、外から妙な音が聞こえてきた。
――――ォン……フォン……フォン……。
それは寸分たがわぬ一定の間隔で音を刻み続ける。
何も無いはずの外界から柳の絶望的な状況を表現するバックミュージックの用に、絶えず耳元に流れ込んできた。
最近、どこかで聞いたことがあるような……ないような……。
首を傾げて考えるうちにだんだん煩わしくなって、柳は出口から頭だけをだして「うるせぇ!」と叫んだ。
――――ン……ォン……ォ……。
音が止んでしばらくして、あれは救急車のサイレンだったのではと考えた。
あれだけ耳にこびりついて剥がれなかった不快音は、柳が脳内いくら再現しようとしても叶わなかった。
*
柳はいつしか、先程の不愉快な音が恋しくて仕方なくなっていた。
思えばあの音は、この空間に柳以外の外的要因があったからこそ鳴ったものでは無いのか。
外からだんだん……救急車のサイレンが近づいてきて……俺が怒鳴ると……止まった…………。
試しに口にくわえたタバコを吐き出して、黒紫に落としてみた。
タバコはクルクル回って足元を通過し、瞬きをした頃にはどこに行ったか分からなくなるほど小さくなって虚空に消える。
かがみ込んで腕を下ろすと、確かにそこに空間はあった。
ここに来て柳は自分の見たもの感じたものを信じられなくなっていた。
本当に店の外は黒紫なのか、俺が幻覚を見ているだけなのではと、確かめようのない疑問が頭の中で堂々巡りを起こして吐き気を産んだ。
いや……やはり幻覚かもしれぬ……そうだ、昨日競馬で10万も磨ったせいで……。
柳はハッとして、カウンター横のイートインスペースを見た。
やはり無い。
自分が買った分の品物は残らず卓上に置いていたはずなのに。
10万溶かして……お金はなかったはずだ、あの量の買い物が出来るわけが……。
俺は何を購入したのだっけか。
そもそも、このコンビニの名前はなんだったのだろう。
古く記憶を遡るほど、細かい部分が曖昧になっていく。
いいや、記憶とはこれほどまでに脆弱なものか、タバコが悪いのだ。タバコが……
胸ポケットに大切にしまった外箱を忌々しく踏みつけた時、柳の頭に電流が走る。
こんな状況で神も仏もないのだが、今の柳には天啓と言わざるを得ない、虚を衝く発想だった。
何も買えないのなら、俺は何をしにコンビニへやってきたのだ?
便所か?それとも……。
怖くて口に出せなかった。
言ってしまえばこの幻が解けると思ったからだ。
ふらつく足で自動ドアの前にたどり着くと、ひっくり返したジグソーパズルのように食い破られた記憶の断片を頼りに2時間前の俺のシュミレーションを開始する。
*
――――店に入ってまず、棚を回って商品を集めて……
記憶はない。というか、商品がない。
――――次に会計は、レジ袋が貰えなくて……
俺、確か、家から包丁を持って来てたんだっけ。
牛刀は抜き身だと危ないから、懐に忍ばせやすい果物ナイフを選んだんだ。
――――それで、両手に品物を持って外に出ようとしたのだ……
土台に即席麺の容器を置いて、下から抱え込むように運んだ。
そう、ちょうど羽交い締めのような体制になる。
三度、柳は扉の外を見た。
相変わらず黒紫の大空洞が広がって、どこまでもどこまでも続いているように見えた。
見えてはいないが、きっとこの先にも道は続いていのだろう。
勇気を出して1歩を踏み出せば、俺はこの牢獄から抜け出せるのだろう。
後ろを振り返る勇気はなかった。
タバコを踏みつけようと目線を提げた瞬間、視界の先に見えてしまったのだ。
眼前の暗黒空間よりも黒い液体を。
見つけてしまったのだ。
柳はひとつ、試しに叫んでみた。
「サイレンを鳴らしてくれよ!」
――――ォン……フォン……フォン……。
――――ォン……フォン……フォン……。
俺の創り出した虚構の世界と現実の狭間を行き来できるのは、今のところは救急車のサイレンの音だけらしい。
そこに柳が加われるかどうかはこの一瞬、柳の気が向いた今しかないのだ。
「今から行くから待ってろよ!」
目を閉じて、何度かスクワットをした。
数えるのが億劫になるくらい経ったあと、前傾姿勢になって柳は地面を蹴った。
どこまでもどこまでも。
永遠に続く黒紫を落ちていった。
どうも、加茂です。
自分は趣味でレトロゲームをプレイすることが多いのですが、とある作品に「学校が丸ごと異世界に転移する」という当時にしては非常に斬新な設定がありました。
今作はそれに感銘を受けて書いた作品になります。
柳は無事に元の世界に帰ることが出来たのかは分かりませんが、柳の悪いところは1度考えると止まらないところだと思います。