第9話 雨
朝の晴天は、尽くどこかに消えていった。教室の中から見る鉛色の空。とても重っ苦しく、こちらまで押しつぶされそうだ。今から帰るというのにどうしてこんなにも不運なのだろう。しかしそれでも彩羅と染羅は相変わらずだった。流されているのは僕だけだ。迷ってばかりなのは僕だけだ。
「ほら、雉矢早くこっち来てよ?」
彩羅がそう言って僕のことを急かす。何故彼女はあんなにも元気なのだろうか?僕はついていけるのか?いや、友達としては今後も付き合っていくことになるだろう。じゃあ恋人としては?それは………まだ僕にもわからない。
「今行くから。」
靴を履き終えた僕は外にいる彩羅に向かってそう、返事をした。染羅はまだ扉をくぐらず僕のことを待っていた。そうして、視界の端には少し戸惑っている様子の鳥塚さんが見えた。
「鳥塚さんも行こう?」
そう言って鳥塚さんの方を見る。依然として戸惑った様子だった。
「えっと………その………っ…。」
脇腹を抑え少し苦しそうにしていた。
「大丈夫か?」
その言葉が自然と口から出てきた。明らかに大丈夫そうな風貌ではない。無責任な言葉だが、その声をかけるしか僕にできることはなかった。
「ちょっと、低気圧でやられちゃった感じでさ。先行っててくれない?」
そうは、言っているもののかなり苦しそうだ。かなり心配である。
「流石に、置いていくわけには行かないよ。」
その声をかけたのは染羅だった。染羅もどうやら同じ気持ちだったらしい。まぁ普通そうだよな。
「でも………っ。」
鳥塚さんはそれでも拒んでいた。尚も苦しそうにしながら。
「流石に倒れられたら、僕たちも心配だし責任感じちゃう。だから、一緒に帰ろう?」
「………うん。」
そうして渋々と言った感じであったが、鳥塚さんと僕たちは今日も一緒に帰ることになった。いつもよりペースはゆっくりと。進んでいる間も、鳥塚さんは時々苦しそうに左の脇腹を抑えていた。
それでも、歩いていく。ゆっくりと。しかし、雲行きは怪しくなる一方だった。そうしてついに、空は限界を迎えたように大粒の水滴を地上に落とした。
「降ってきたな。しかもこれ結構酷くなりそうだぞ。」
「走って帰ろう?」
そう、提案したのは鳥塚さんだった。何故彼女はそんな無茶な提案をしたのか。僕はまだ知らなかった。
「そっちのほうが危ないだろう?いま鳥塚さんは弱ってるんだから。どこか休めるようなところを探そう?」
「そうだね。」
「で、でも………。」
「鳥塚さん。もっと自分を大切にしたほうがいいよ。」
何も知らない僕は、この時こんな言葉を吐いてしまっていた。その言葉が鳥塚さんにどう思われるかも考えないまま。
結局、僕たちは雨宿りのできる場所を探すことになった。どこかなかったか、と考えていると彩羅が近くの駄菓子屋はどうかと提案してきた。まぁ、他に宛もなかったのでそこに決定した。そこはいまどき珍しい昔ながらの駄菓子屋だった。軒下にはベンチがある。そこで休もうということになった。
「しかし、こんなにも天気予報外れるものかね?ビショビショで気持ち悪いんだけど。」
彩羅の愚痴だ。しかし確かに同感である。ここまで激しい雨、春なのに珍しい。夕立というやつだろうか?どっちにしたって困る。これじゃあ帰れもしない。もっともこのタイプの雨ならすぐに止むというのが不幸中の幸いだ。
「クソ………何で今日に限って………ッテェ………マジで。ふざけんな。」
あまり聞き馴染みのない台詞だ。発しているのは鳥塚さんだった。そのことがより衝撃を上乗せする。何に対して起こっているのか皆目見当もつかない。しかしそこにいた、彩羅、染羅、そして僕の3人ともが言葉を失っていた。
「だから………だからだ………。こうなることなんて分かってた。だから嫌だったのに………何でそんな優しくするのさ?これが本当の私だよ?暴言上等、逃げてばかりの臆病者。それが私だよ?なんだよ………何なんだよ………。」
まるで人が変わったかのようだった。正直驚いていた。全く持って初めて見る顔だった。今まではかなりおとなしい印象だったが………。しかし、だからどうってことはない。今も彼女は苦しんでいる。何かに苛まれている。それだけははっきりと分かった。
「鳥塚さん………?」
彩羅も動揺しているようだった。無論、染羅もだった。何がなんだかわらない。まだ、僕たちは何も知らないのだから。
「………一体、何が鳥塚さんを苦しめてるの………。」
また僕は、そんな無責任なことを言っていた。知らなかったとはいえ………今考えると本当に申し訳ない。
ハハと、乾いた笑いをして一拍置いたあと鳥塚さんは話し始めた。
「もう、いいよね。頑張ったんだもん。私が小鳥遊くんに告白したのは、依存できる人が欲しかったから。何もかも現実から忘れさせてくれる人が欲しかったから。理由なんてなかった。ただ、たまたま小鳥遊くんだった。それだけ。私のお母さんさ、クズなんだよね。金欲しさに自分で強盗を装ってさ私を殺そうとしたんだ。ご丁寧に、部屋も荒らした挙げ句自分のことも包丁で刺してさ………まぁこんな事するくらい馬鹿だからさ、すぐに捕まってるけどね。それで………私の左の脇腹には一生物の傷が残った。心にも、傷を負った。結果、私は毎日死にたくてたまらなかった。でも、いざ首を吊ろうとしたら、あのときの………私を殺そうとしたときのあいつの姿が………目に浮かぶんだ。そこから怖くなって………死のうにも死ねなくて………色々考えて、理由を見つけてくだらなくダラダラと生きてる。それが私だよ。今話した、この全部が私だよ………。」
こうして、僕は真実を知ることになったのだ。言葉なんて出なかった。いや、なんて声をかけたらいいのかわからなかった。とても………酷い話だ。僕は………どうするのが正解なのだろうか。
「言葉も出ないよね?知ってるよ。それでいい。でも………このことは内緒ね?私が死んだあとも。」
「………死ぬな………何のために僕たちが今日、鳥塚さんのことを心配したと思ってるんだ?何のために、誰のためにこんな事したと思ってるんだ?」
僕は、ついカッとなってそう言ってしまった。
「そんな………そんなエゴなんて押し付けないでよ?もう、辛いんだ。もう嫌なんだ………だから私の好きなようにさせてくれよ………。」
「じゃあ、何で鳥塚さんはまだ生きてんだよ?怖いんだろう?死ぬのが。生きるしか無いんだよ。無駄でもあがいて生きるしか無いんだよ。それに………友達だっているだろうに。」
「あぁ………友達か…確かに生きる理由にはなってる。同時に私を苦しめてる。いないほうが正直楽だった。だいたい、今私が生きてるのは小鳥遊くんのせいだ。あの時、私のYES、NOの質問に対して『友達になろう』なんて変な答えするから………そんなんだったらいっそ振ってくれよ!今、この場で!」
「………嫌だ。今この場で振ったら、鳥塚さんはこの後死ぬ気だろう?僕の発言のせいで鳥塚さんが死ぬなんて………そんなの、やってること殺人と変わんないじゃないか。僕だってそんな事したくない、君の言うクズなんかと一緒になりたくない。確かに、僕は今日無責任なことを結構言った。自分のエゴに任せたことをかなり言った。でも『その死にたい』って気持ちだって君のエゴだ。これは所謂喧嘩ってやつだよ。どっちかが折れるまでこの言い争いは続く。勿論僕だってこんな喧嘩負けたくない。僕が負けたら………僕は殺人者だ。生憎、僕はそんなレッテルはられたくない。一言言わせてほしい。そんなことになったら、それは君のせいだ。」
言いたいことを全部出し切ったような感覚だった。鳥塚さんはなにか考え込んでいるようだった。しばらく、雨の音だけが続いていた。そうして、どのくらい経っただろうか。
「ごめんなさい………。」
そんな声が聞こえた。僕は、どうやら喧嘩に勝ったらしい。雨は、既に止んでいた。
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