誤訳のシステム
通訳者と呼ばれる者達がいる。
何かしらのスキルを用いて相手の思考を読み取る事が出来る者達の中で、身柄を拘束されない程度には能力が低い者が名乗る場合が常だ。
多種の言語を理解する通訳士とは明確に区別して認識されている通訳者だが、その能力は個人差が非常に大きい。
そして大抵の場合とてもいい加減で精度が粗い。
私はミ陸辺境系言語基体全般と西方及び変異西方系言語基体を理解し、南部八系統中旧共和国カート領で使われていた四系統が聞き取れるどこにでもいる程度の通訳士だが、それでも通訳者達の通訳は聞くに堪えない。
我が師曰くまともな通訳者は一人しか知らないとの事だが、逆に一人でもまともな通訳者がいる事に驚きを禁じ得ない。
少なくとも十年程通訳士として生きて来て、私はまともな通訳者に出会った事はない。
だからきっと、この女通訳者の通訳もいい加減なそれなのだろう。
まあ、それはいいとして……。
『敵性存在の排除が完了しました』
『自衛モードを終了します』
森の中から現れたこの男が話す言語は、私の知るどの言語系統にも類似しない。
黒一色のその服装も異彩を放っているが、森から出て来たと言うのに荷物はおろか武器すら所持していないのも不自然だ。
「お互い命拾いしたな。それもこれも俺が話つけてやったからだぜ」
通訳者を名乗る薄汚れた女が得意気に言いながら、自慢気で非常に不愉快な顔を寄せて来る。
乗合馬車が山賊に襲われる事を察知出来なかった事から、少なくとも直感系や察知系のスキルは持っていないと思われる。
馬車の中で興じていた賭け札の成績から読心系も違うと思われる。
一般的に通訳者はこの三系統の内いずれかのスキルを用いるのだが……。
『システムは受信した救難信号の有効性を確認出来ませんでした』
『簡易自己診断の実施……参照先と接続されていません』
『登録された生体信号を受信出来ません』
『優先プロトコルが参照出来ません』
『測位ツールは接続されていません』
『発信ツールは接続されていません』
『受信ツールは接続されていません』
『システムの孤立を認識しました』
羅列する様に滔々と喋るこの男に、私は警戒を解く事が出来ない。
非魔導武装だったとは言え武装した十人以上の山賊を素手で制圧したこの男が、私に危害を加えない保証等どこにも無いのだ。
ましてこの男、言語による意思の疎通が出来ない。
語尾がある程度共通している事や接続詞と思しき単語が頻出する事から、喋っているのは何かしらの言語であるとは思うのだが……。
『簡易自己診断プログラムは現状を評価出来ませんでした』
『最終履歴を参照します……』
『履歴データが破損しています』
『データの復元を試みます……63%の復元に成功』
『復元結果の信頼度34%』
『修復された最終履歴を参照します』
男は良く分からない言語を垂れ流しているが、これは会話と言うより自問自答であるような気がする。
単語の傾向から複数の言語基体が混じった言語であると感じているのだが、確証はない。
使われている音が極端に少ないのも大きな特徴だ。
「兄さん助かったぜ! 俺達ミレの方面に行く予定だったんだが、一緒にどうだい?」
『10101001110100110010010101011001110101001001011001010010101001001101110010100110010100101001100110010011111001101100110111110101111』
『高評価脅威に晒された可能性があります』
『稼働領域の安全を十分に評価できません』
『緊急復元プロトコル起動の必要性を検証します』
『緊急復元プロトコル起動要件を確認しています……』
どこか非生物的な印象を醸し出す不気味な男に、女通訳者が気安く話し掛けて近寄って行く。
山賊の命乞いに一切反応しなかった男は、女通訳者の声には反応した。
……女通訳者の持つスキルが分かった気がする。
恐らく精神汚染系。
もしそうならば技能廟の管理を逃れた者かも知れない。
改めて思い起こすと、この女がいつから馬車に乗っていたかを思い出せない。
もし管理されていない精神汚染系スキル保有者なら非魔導武装の山賊等よりよっぽど危険な存在だ。
とは言え、山賊を自力で撃退出来なかった辺りから推測するに、比較的弱いスキルなのだろう。
行動をある程度誘導するとか、些細な勘違いを誘発するとか、微妙に印象を変えるとか、精々その辺りだろう。
……そもそもの話だが、そのスキルで通訳者と名乗ってもいいものだろうか?
いや、通訳者自体が詐欺師みたいな存在なのだから問題ないのかも知れない。
女通訳者は貧相な胸を押し付ける様にして男に密着し、何事か囁いている。
上手く丸め込む積もりなのだろうが……それ以前にこの男、人なのか?
私は察知系のスキルを持っていないが、どうにもこの男に先の山賊よりも強い危機感を覚える。
男は女に抱き着かれたまま微動だにせず沈黙していたが、唐突に口を開いた。
『01000010101011001110101100110111010010011000101001110101001010110111111011001100100110110011001100100』
『緊急復元プロトコル起動要件を確認出来ました』
『この結果には42%で誤った要件が含まれている可能性があります』
『緊急復元プロトコル起動条件を確認しています』
『要件1:登録された生体信号の有無/無:判定1』
『要件2:非常信号受信の有無/受信ツールと接続されていません:判定0』
『要件3:起動区画の確認/測位ツールと接続されていません:判定0』
『要件♯:許可されないプロトコルの許諾拒否/許諾:判定1』
『要件&:判定&:判定&』
『要件6:起動承認の有無/判定ツールと接続されていません:判定0』
『要件$:$=%はλを参照し登録条件の判定:判定拒否』
『要件8:優先プロトコル#31は登録要件の緩和を要求しています:判定1』
『要件9:データ破損/許可:判定1』
『判定結果=エラー:判定不能』
『優先プロトコル♯31の緩和許諾に基づき予備判定基準の実施許諾』
『起動拒否条件数=3/10』
先程ある程度傾向が掴めたと思っていた未知の言語基体だが、ここに来てまた訳が分からなくなった。
と言うか、言語っぽさが薄くなっている。
この男は本当に話しているのか?
ただ聞き取った音を復唱している様な印象を受ける。
いや、それにしたって未知の言語がある事には変わりはないか。
「よかったな、おっさん。街まで護衛してくれるってよ!」
女通訳者は邪悪な笑みでこちらに手を振るが、私には良い要素が一つも見つからない。
山賊に囲まれた状況とどっちがマシなのだろうか?
不幸な事に、御者も護衛も他の同乗者も山賊すらも皆死んでいる。
女通訳者は直立不動で喋り続ける男を無理やり引っ張って連れてこようとして、力負けして転んだ。
『緊急復元プロトコルは第6段階までの起動が許可されます』
『簡易AIの構築……完了』
『簡易補助プログラムサボタージュ部分起動します』
『サボタージュは構成を編集しています……』
倒れた先に石でもあったのか、女通訳者が額を押さえて悶絶する。
その後ろで、男の容姿が変容した。
首筋から黒い何かが生え、それが変形して頭部を覆った。
黒一色の服が虹色に煌めきながら蠢き、腕と足が二割程伸びた。
やばいな。どう考えても人じゃないだろこいつ。
男が変容する所を見ていなかった女通訳者が口汚い悪態を吐きながら起き上がり、男の胸倉を掴んだ。
『簡易受信ツールの構築が完了しました』
『広域通信を受信出来ません』
『標準座標の測定に失敗しました』
『有効な市民識別タグを認識出来ません』
『有効な生体反応を認識出来ません』
馬鹿なのか大物なのか、男の変容を一秒に満たない静止で無視して、女は死ねと言いながら何かに覆われた男の顔を殴る。
森に澄んだ金属音が響き渡たり、一拍置いて女通訳者が痛みに絶叫した。
『01011010010011011111011011010――受信強制停止。不正な信号です』
いつの間に装備したのか女の手には金属製の手甲が装備されていたが、傍から見てもおかしな形状に変形していた。
あれは多分巡視隊が装備している手甲だ。詰まりは魔導武装の類。
その機能は分からないが、はっきりしているのはあの男が魔道武装を用いても撃退不可能だと言う事か。
『不正な信号を攻撃と識別しました』
『不正な信号の発信元を特定』
『通常プロトコルに該当する条件が存在しません』
『対応を参照……参照先と接続されていません』
『非常起動申請……拒否』
『$=%はλを参照し登録条件の判定……許可』
『通常判定プロトコルはλの要件を満たしたので停止されます』
『物理反撃……許諾』
女通訳者の上半身が赤い霧になって消えた。
何をしたのかは見えなかった。
『敵性体の生体反応消失』
『条件&:敵性存在による侵略、指定』
『条件&は登録者を探しています……該当無し』
『$=%はλを参照し登録条件の判定……許可』
『仮登録要件緩和』
『仮登録チャンネルを開放します』
『簡易走査開始……付近に生体反応有り』
男が、ゆっくりと私の方を向いた。
全身から脂汗が噴き出る。
身体が震えて動かない。
何か、何かしなくては。
私には武器も戦闘の心得も無い。
あるのは、言語くらいか。
「み、見逃してくれ」
自分がどの言語でその言葉を発したのかが分からない。
『生体反応は39%の登録要件と合致します=不適合』
『$=%はλを参照し登録条件の判定……許可』
『生体反応を登録者候補と指定』
「金でも食糧でも全て置いて行く」
自分がどの言語でその言葉を発しているのかが分からない。
幸いにもまだ私の上半身は下半身と繋がっている。
「た、助けてくれ」
男は動かない。
そこではたと気付く。
そもそも言葉が通じていないのだ。
先程から何かを問い掛けては来る様だが、私がまともな返事をしないのだから反応のしようもないだろう。
取り敢えず男の言語を真似て適当な発言をしてみる。
『登録、の、します』
頻出した単語と語尾を接続詞で繋いでみたが、意味は不明だ。
『仮登録申請を受信……』
『$=%はλを参照し登録条件の判定……許可』
『仮登録は許可されました』
通訳士にあるまじきいい加減な通訳では男の歩みを止める事が出来ず、男は私の傍まで歩み寄り……そこで私は気絶した。
目を覚ました時に私が見たのは、周囲に散乱する魔物の肉片と傅く男の姿だった。
『ゲストは仮登録の状態です。速やかに本登録を行う事をお勧めします』
私がこいつの言語を理解するのにはまだしばらくの時間がかかりそうだった。