喫茶店
仕事の帰り道、私はとある店を見つけた。いつもは夜に通る道だったからか、稀に通る昼過ぎの道に現れたその「海沿いカフェ」と書かれた初めて目にする看板の店に入ることにした。実は今日、クビになったのだ。仕事ができないわけではないと思う。しかし特別できるわけでもないとも思う。私には妻子もいなければ両親もすでに他界しているからそこまで危機的な状況とは思っていない。むしろ楽観的過ぎるのかもしれない。私はドアを開けて右手の人差し指だけを伸ばして
「一人」
と言った。しかし辺りを見渡しても客の姿どころか店員の姿も見えない。私は戸惑いながら
「あの~…すいませ~ん!」
と大きな声を出した。すると洋風な内観に少し違和感のあるラーメン屋で見かける厨房から
「一名様ですね!どうぞ!」
と目の前のカウンター席を指さした店員と思しき男性が出てきた。私は指定された席に着き
「初めて来たんだが、おすすめとかは…」
「特にそういったものはないですがよそでは飲めないような紅茶なら出せます!」
とやたら大きな声で私の質問にかぶせて答えてきた。
「じゃあ、それを。」
「かしこまりました!」
「…すまないがもう少し静かに喋ってもらえるかな?目の前に座っているので十分聞こえてますよ。」
「本当に目の前に座っているんですか?」
私はこの男が何を言っているのかよくわからなかったが、すぐに私は「なっ!!」と声を出してしまった。確かに男から目の前の席を指定されて座ったはずなのに今私が座っているのは目の前とは間違っても言わないだろうカウンター席から離れた四人掛けのテーブル席に座っていた。
「目の前じゃないじゃないですか!」
男の耳に張り付くような大きな声が聞こえてはっとした。声のする右後ろの方を肩越しに見ると男がティーカップを持ちながら近づいてきた。
「お待たせしました!こ!う!ちゃ!です!」
困惑する私の前に男は少し乱雑にカップを置いた。
「どうぞ」
男が静かにそう言ってカウンターの方へ行ってしまったので、とりあえず一口飲もうとカップを手に取った。私はなぜか少しの冷静さを取り戻し静かに話せるじゃないかと思いながら紅茶を口にした。正直私にはこの紅茶が美味しいのかどうかは愛好家ではないから分からないが、仕事をしていた時に飲んでいた冷めてしまった缶コーヒーだとかぬるくなったエナジードリンクよりは格別に美味しく感じた。私は先ほどまでの違和感を忘れたかのように
「これはどういった紅茶なんだ?あまり詳しくないから教えてくれないか?」
と尋ねた。すると男は
「大麻と煙草の葉を使ってるんです!」
とイントネーションをおかしくしながらまたさっきまでの大声で答えた。
「どうです美味しいですか!?美味しいですよね!?」
さっきからの全ての違和感はこの男の所為なのかと思いながら
「じょ…冗談だろ…?」
と震える声で尋ねてみるも、私の視界もだんだんと傾いてきていた。一種の酔いのようなもので気分が悪くなっているが薄れていく視界の中で男のけたたましい笑い声がいつまでも頭の中で響いていた。
「お客さん!」
私はハッと目を覚ました。知らない部屋の布団で寝ていたようだ。
「いきなり倒れるんだから大変でしたよ…。」
私は介抱してくれたであろう背の高い店員の顔を見て
「ギャッ」
と声を出してしまった。あの男だ!
「な、なんですか?突然大きな声なんか出して。」
続けて
「あっ、紅茶でいいですか?腕に自信があるんです!」
私は青ざめて
「あああああああああああああ!!」
と大声を出して荷物を一気に抱えて店を飛び出した。
もう紅茶なんか二度と飲むもんか。ええい忌々しい。
残された店の中で男は
「何も頼まないどころか急に倒れて、起きたと思ったら声を出して帰っちゃうなんて…。」
と客に出すはずだった自家製の紅茶を一口、二口と続けて飲んだ。