乗ってきたアジアンウーマン 2
ここからバスターミナルまではそう時間はかからなかった。約15分程だろう。しかし、その間もずっと彼女はなにかと私にイチャモンをつけてきた。「時間がかかりすぎ」とか「車内が臭い」だとか。今まで言われたこともないような「窓を開けないなんて信じられない」とも言われてそれはもう大変という一言で片付けられるようなものではなかった。私は気が緩んでいたのかもしれない。ずっと変な客が乗ってこなかったから、簡単な仕事だと侮っていたから、こんなに疲れを感じているのかもしれない。私はあの海岸の景色を見たいと、今のこの疲れはあの景色を見ることで、感じることで全て精算される気がした。タクシーを走らせて辺りを見ていると、海岸沿いにベンチが設置してある小さな公園を見つけた。自販機で買った缶コーヒーを片手に私は景色を嗜んだ。波に心を預けて風を聞くと、どこにでも行けるような気がした。日々の生活を忘れてひと時の癒しを楽しんでいると
「いい景色でしょう…ここは。」
私は話しかけてきた老人の顔も見ずに
「ええ。確かにいい場所だ。風が心地良いです。」
私は柵に寄りかかり海を感じていた。老人は息をこぼしながらベンチに座り
「いい景色だ…さっきおかしい女性が乗ってたでしょ?あなたのタクシーに。」
「えぇ…大変でしたよ。ご存知なんですか?」
「彼女はね…ここら辺じゃ有名ですよ。毎日のように発狂したり、物を壊して回ったり…。」
私は殺されなくて良かったとこの話を聞いて思った。
「そういえば彼女、もうあと数分で自殺するかもしれないんですよ。」
私は唖然とした。大きな声を上げてしまったが、老人は澄ました顔で言ったもんだからさらに驚いていた。
「ここに走ってくるんじゃないですか?あのバスターミナルで降りてたでしょ?ここまでは同じなんですよ。昨日彼女が発狂していた時の内容と…。」
まさかと思いつつ「ハハハ」なんて愛想笑いをしているとドタドタと走ってくる音が聞こえた。まさかそんなわけと思いつつ、大きくなる足音に顔を向けるとあの乱暴な客が甲高い笑い声を上げてこちらに向かって走ってきた。右手にはナイフを持ち左手は見るに無惨な色をしていた。ギョッとして硬直していると彼女は笑いながら柵を飛び越えた。何が起きているのかわからなくて混乱していると
「ここは、こういうところですよ…生きたいように生きて…死にたいように死ぬ…そんな人が集まった所だ…。」
老人はそう言いながら携帯を取り出して電話をしはじめた。
「もしもし…私だ。今バスターミナルの方の南側の海岸で飛び降りが終わった。すぐ来てください…それから〜…」
老人はその後も電話相手に指示をしていた。指示を出した老人はガクガクと震えながら戸惑っている私に
「お気をつけて…お帰り下さい…明日も仕事があるのでしょう?もし…もし何か万が一のことがあったらここに連絡を下さい…。」
そう言って手渡された老人からの名刺を受け取らず私は何も言わずにタクシーへ向かい急いでもとの街へ戻った。関わってはいけない…そんなふうに体が感じている。おかしいのだ、根本として全く違う人間なのだ。だから金輪際関わらないほうが自分のためになるのだ。
それから街に戻った私は、仕事をやめた。タクシーに乗っているとあの時の客や老人を思い出してしまうから。私は二度と海にも行かないだろう。彼女の血や肉やその感情といった恐怖が海に漂っている気がするのだ。