湯の山
蝉の音を聞きながら、私はせせらぎ温泉の湯に浸かっていた。人は疎らで、それは平日だからかもしれない。音の出ない字幕だけのテレビで、有名人が喋っている。ここには、もう3日連続で通っているが、未だに混雑とかぶることはなかった。
ある日は、夕日と。
ある日は、雨と。
私は効能もよく知らぬ湯に毎日浸かりに来た。今日は蝉がよく鳴く。日も昨日よりは高い。つまらない液晶から離れて、近くのベンチに腰掛けた。思っていたほど暑くはなかった。気持ちのいい山風が吹いている。私は目を瞑った。
どのくらい経ったか。ものの数分か。連なっているベンチには、私の他に一人の外国人が座っていた。白い肌に金髪といったいかにも日本人の憧れている見た目をした人だ。座っているといっても正確には、胡座をかいていた。背筋を伸ばし、目を瞑っている。瞑想だろうか。私は彼を見るのを止めた。そんなにジロジロと見るようなものでもない。
「Entschuldigung?」
声のする彼の方を見た。目を開けてこちらに向いている。
「Ja?」
ドイツ語を話した私に彼は驚いた顔をしていた。
「日本人モドイチュ語ヲ話セルンデスネ。」
「ハハ、あなたも日本語が上手いじゃないですか。」
「ワタシ、日本語検定ヲ受ケマシタカラ。」
私は頷きながら前を見た。背をただし、一度、伸びた。先ほどよりも多くなった人があちこちでくつろいでいる。
「もう出ますか。」
私はベンチから立ち上がった。
「あなたにコーヒー牛乳を奢りましょう。」
彼は私を見上げていた。
「チョット待ッテ下サイ。マダ服を着テマセンヨ。」
「腰にタオルを巻いているでしょう。それに今は他に誰もいないでしょ。」
「ソウデスガ。」
「大丈夫ですよ。じろじろ見ませんよ。」
そう言って私は彼を連れて脱衣所の自販機へと向かった。そこでコーヒー牛乳を二本。
「はい。これが私のおすすめです。飲んでみてください。」
彼はビンの縁に唇を当てて少しずつ飲んだ。彼の好奇心がうかがえる表情が見て取れた。
「こうやって飲むんです。」
そう言って私は腰に手を当ててグイっと飲んだ。
「Wow.」
彼も私を見て、真似ながら残りの牛乳を飲んでいた。
「美味しいでしょう。」
「ソウデスネ。シカシ甘イデスネ。」
「ハハ、そんなもんですよ。」
私は彼と自分たちのロッカーに向かった。それぞれ着替えを済ませ昼食を共に取った。温泉施設にあるイタリアンレストランだ。今日も人はいない。ここ三日このレストランにも足を運んでいたが、平日はこんなものなのかもしれない。二人は運ばれる料理を食べた。
「それにしても、荷物が多いですね。」
「エエ。実ハ、追イ出サレタンデス。」
「へぇ。そうなんですか。」
「エエ。ダカラドコカニ泊マリタインデス。」
「へぇ。それは大変だ。」
私は彼の話を聞きながら早めの飲酒をした。すでに料理は完食している。それは彼も同じようだ。
「聞イテマスカ。サッキカラ外バカリ見テイマスガ。」
「あぁ、聞いていますよ。追い出されたから泊まらせてくれってことですよね。」
「ソウデス。話ガ早クテ助カリマス。」
「何を思っているのか知りませんけど、まぁ頑張ってください。」
「エ。」
私はキッチンに目をやった。先ほどから料理を作っていたスタッフと目が合った。
「ヤッパリ聞イテナイ。」
「いやいや、聞いてますよ。それよりあなたもどうです。」
そういって私は自分の飲んでいた赤ワインのボトルを見せた。
「エ。ジャアイタダキマス。」
彼が自分のグラスを差し出した。私は彼のグラスに注いだ。先ほどの料理人が近づいてきた。
「お客様、デザートはいかがでしょうか。」
彼が料理人を見た瞬間、その料理人は銃で彼を打ち抜いていた。
料理人は笑顔で私を見た。
「конец.」
私は料理人とキッチンへ向かった。テーブルの上には彼が突っ伏している。彼のグラスは倒れており、赤ワインがどくどくとボトルからも流れていた。私はキッチンの裏口から外に出た。料理人のスタッフ達も一緒だ。
「今回の報酬だ。受け取れ。」
「ありがとう。」
そういって用意された車の中で現金六十万円が手渡された。
「この車って私の家まで送ってくれるんだよね。」
「Sorry, I don't understand what you're saying.」
「毎回、思うんだけどそれずるくないか。」
「まぁ、最寄りの駅くらいには送って行ってやろう。こっちも見つかりたくはないんだ。」
そう言って降ろされたのは最寄り駅まで何区間もある降りたことのない駅だった。




