自分という名の地獄
「お前に課す罰は永遠の命だ。」
ある朝目が覚めると、目の前で如何にも小学生らしいといった半袖短パンの格好をした少年が俺に向かって指をさしながらそう言った。夢だろうかと戸惑いながらも俺は話を聞くことにした。
「いいか?これからお前はこの人類の滅びゆく様を見届けてもらう。無論、永遠の命だ。見届けた後もお前は死ぬことは出来ないがな。」
なんと、俺は死ねないらしい。しかし、この初めて会う少年は何処から入ってきたのだろうか。
「この紙とペンで人類の滅ぶまでを適当に書いてくれ。」
少年はそう言いながら一枚の紙と万年筆のような筆記具を俺に渡した。
「この紙は書けばその分、下に余白ができるから続けてどんどん書いてくれ。このペンも無限にインクが出るようになってるから何も困ることはないぞ。」
俺は少年から貰った紙とペンを見ながら、まだ少年の侵入方法について考えていた。
「それでも何か困ったことがあったら、この万華鏡を覗きながら水に飛び込め。風呂に溜めたお湯でもいいし、公園の噴水、雨上がりの水溜まりでも構わない。」
少年に聞きたいことは沢山あったが、昨日で無職になってしまった俺の人生だ。
「じゃ、私は帰るから。」
そう言うと少年は台所の方へ行き包丁を持ったかと思うと自分の首を掻っ切った。俺は万年床の上で飛び上がった。目の前で静かに少年が自殺したかと思えば、刹那、何事もなかったかのようにその痕跡は跡形もなく消え去ってしまった。しかし、口を開けたまま呆気にとられていた俺の両手にはしっかりと少年から渡された紙とペンと万華鏡が存在していた。
それから俺は約百年間、一世紀ほど少年の言った通りに書き続けた。思えばこの百年、いろんなことがあったな。富士山の噴火、人工地震による中東地域の陥没、アメリカ大統領が二度の暗殺で途中退場、大きなことでいえばこんな感じか。しかし、百年続けてみたが、全くどうやって書けばいいのか未だにさっぱりである。こんなに頑張っているのに慣れないものなんだな。今度あの万華鏡を使って聞きに行ってみるか。
ある日、俺は近くの公園を歩いていた。普通ならいきなり現れた少年の言葉を信じることなんかできるはずもないだろう。ましてや、それが非現実的ならなおさらだ。それでも、あの日、目の前であんなことが起きたのだ。もはや、これが現実なのである。事実を疑うといったアイデアマンのようなことはしなくていい。俺も大多数を占める思考しない人間で結構である。そこに信じるも何もないのだから。俺はなぜか新鮮な気持ちで公園を歩いていた。すると丁度いい所に噴水があった。今は人が誰もいない。チャンスだ。万華鏡を使って行ってみよう。今ならたとえ失敗しても恥ずかしくない。俺は家の風呂に行くという選択肢をめんどくさいという理由で却下し、噴水へと向かった。万華鏡を覗くと見るも無残な、この世の終わり、という形容の仕方ではまだあまりにも言葉足らずであろう光景が広がっていた。それでも敢えて一言でいうならば“地獄”だろう。いや、これは本当の地獄なのだろうか。もしかしてリアルタイムで中継しているのかもしれない。あぁ、恐ろしい。俺はこんな所へ行きたくないな。そう思いながら俺は思い切って噴水へとジャンプした。深くないはずの噴水の底は消え、そのまま俺は水の中へと体が沈んでいった。どんどんと深く、海の中のように広がっている水の中を俺は意識がなくなるまで引きずり込まれていった。
俺はとてつもない暑さの中で目を覚ました。熱帯でも砂漠地帯でもこの暑さよりはマシだろうと思えるほどのこの暑さ。厳しいな。辺りを見渡すと、先ほどの万華鏡の中と同じような光景が目に入ってきた。俺は複雑な気持であった。人が死んでいく。いや、そう見えるだけかもしれない。血肉と成り果て、人としての尊厳、プライドそんなものがなくなっても死ぬことのできない運命。ここに人類の倫理観なんてものは通用しない。俺は今、ひどい顔をしているだろう。ここでは何が正解なのか分からなくなってくる、究極の自分を見つめなおす旅、終わりのない旅。その行く末は人類の終末よりも想像できない。
「おい!こっちだ!」
目を細めて突っ立っていた俺に聞き覚えのある声が聞こえた。声のする方に視線を向けると、やはりあの少年だ。
「ここは暑いだろう。建物の中に入るぞ。」
そう言って少年は俺の手を引いて近くの厳かな建物に入っていった。
「ここは俺の家だ。くつろいでもいいぞ。あ、でも質問があってここに来たんだっけ?」
俺は何を書けばいいのか少年に尋ねた。
「え、今頃そんなことを聞きに来たの?一応質問に答えるならば、内容はなんでも大丈夫だぞ。でも結局は事務的になっちゃうかな。ニュースとか色々と情報は手に入るだろ?それを写すだけ。それで十分だ。見せてみな。この百年書いてだんだろ?」
そんな簡単でいいのかと思いながら俺は少年に長くなった紙を渡した。
「うん。こんあな感じでいいよ。」
俺は少年から紙を返されるとすぐにもう一つの質問をした。それは、俺はなぜ罰を与えられたのかと言うことだ。記憶では何も俺は悪いことはしていないはずだ。昔、といっても高校あたりまでの記憶は忘れてしまったが、思い出せる範囲じゃ本当に何もしていないはずだ。もしかして、肉を食べたから?この少年はビーガンだったのか?そんな訳はないか。もしかして、この前の合コンの時に本当はもうすぐで而立である三十歳になるにも関わらず二十代後半とやんわりさせたから?これに関しては別に悪いことじゃないだろう。戸惑っている俺に少年は言った。
「だって、お前、人殺しじゃん。」
え?俺が人殺し?困惑している俺に少年は続けた。
「これ見てみろ。」
少年の持っていたタブレット状の機械には俺と思われる人間が人を殺している様子が映されていた。
「一人じゃないぜ?これまでにお前は九十九人もの人を殺している。それにしてもお前、全然捕まんないじゃん。それも凄いよ。」
嘘だ。そんなはずはない。それしか俺は言えなかった。しかしこの複数の動画には確かに自分でも俺だと分かる人間が映っている。
「お前さ、私には分かるよ。お前はやってないんだよな?」
そうだ。やってない。
「お前じゃなくて、もう一人のお前、だろ?」
?
何を言っているんだ?この少年は。俺が二人、そう言いたいのか?そんな訳ないだろう。確かに非現実を事実としてそのまま信じる俺だけど、さすがに俺が二人っていうのは信じられないなぁ。
「お前の記念すべき最初の殺しはお前の父親だったな。」
その時、俺は忘れたはずの記憶がよみがえった。
俺が高校に入学した頃、父親は仕事をクビになった。前から酷かった酒もどんどん酷くなり、俺の母親は毎日殴られるようになった。それなのに母親は大丈夫だからと俺の心配をいつもそう返していた。しかしある日、俺はとうとうやってしまった。我慢がならなかったんだ。包丁で何度も滅多刺しにしてしまった。そしたらそれを見た母親は俺をぶったんだ。何してるんだって。そんなの俺や母親の為じゃないかって。それで腹が立ってついでに母親も刺した。そんなに父親が好きなら一緒にあの世に行ったらいいじゃんって。
「で、それからは人を殺すお前としっかり人生を歩むお前の二人になったって訳だ。ハッ!そりゃ、地獄行きになるわな!」
俺は膝から崩れ落ちた。そうだ、全部思い出した。俺は次第に笑いが止まらなくなってしまった。この笑いは何処から来るのだろう。俺は地獄で笑い続けた。涙を流しながら。
気が付くと俺は噴水で水浸しになりながら崩れていた。帰ってきたのか。俺は立ち上がると噴水から出て、警察署まで歩いて行った。中に入ると、みんな俺を見てギョッとしていた。俺がこんななりだからか、それとも人殺しだと知っていたからだろうか。俺はすぐに何人もの警察官に取り押さえられた。俺はどうやら逮捕されたらしい。
静かな部屋の中でごつっ、ごつっと何かぶつかる奇妙な音が鳴り続いていた。しかしその音の出所を見に来る者は誰もいない。
部屋の中で一人、俺は百回目の殺人をそれからずっと、ずっと試みていた。




