90話―反逆の終焉
「ぐ、うう……。ここはどこだ……? バルバッシュは勝ったのか……?」
リオとバルバッシュの戦いに終止符が打たれた頃、キウェーナ島から離れた無人島にてガルトロスは目覚めた。僅かに残った鎧の欠片が、ここまで吹き飛ばされたのだ。
「ク~ックックックッ! ざまあねえなぁ、ええ? ガルトロスよお」
「お前は……グレイガ!」
ガルトロスが鎧を再生させていると、どこからともなく心底愉快そうな声が響く。直後、冷気と火炎が螺旋を描きながら島に降り注ぎ、人の姿へ変わる。
魔王軍最高幹部の一角、『氷炎将軍』グレイガが無人島に姿を現したのだ。かつて魔王城で宣言した通り、しくじったガルトロスを粛清するために。
「全部見させてもらったぜぇ? あれだけやっといて結局負けるたぁよ、最高幹部の面汚しだなぁ、え? さあ、お待ちかねの粛清の時間だ」
「ま、待て……! もう一度、もう一度だけチャンスを……」
「ダメだね。魔王様直々に命令されたのさ。しくじったらお前を殺せってな」
少しずつ近寄ってくるグレイガに、ガルトロスは必死に命乞いをする。が、グレイガはハナから耳を貸すつもりはなかった。ちっぽけな欠片になった同僚を見下ろし、笑う。
「元々、俺ぁ気に入らなかったんだ。人間のクセに魔族に混ざって栄光を掴もうなんて奴はよ。だから、今回大手を振ってお前を殺せることに大喜びだぜ」
「私、は……」
「それになあ。俺はてめえみたいに家族を平気で殺せる奴は大嫌いなんだ。だから……ここで死ね」
そう言った後、グレイガは鎧の欠片を踏み砕き、ガルトロスにトドメを刺した。粛清を完了し、一息ついたあとチラッとキウェーナ島の方を見る。
「……クックックッ。今回は手出しはしねえ。せいぜい勝利の余韻を味わっておきな、盾の魔神さんよ。さて、俺もかえ……!?」
魔界へ帰ろうとしたグレイガは、強大な力を持つなにかの気配を感じ動きを止める。気配はすぐに消え、無人島には静寂が戻った。
「今の気配……まさかな。創世神が動くなんてことはねえだろ」
自分に言い聞かせるようにそう呟いたあと、今度こそグレイガは魔界へと帰っていった。その呟きが、後に真実になることなど知ることもなく。
◇―――――――――――――――――――――◇
「いやあ、助かったぞ! 一時はどうなるかと思ったが……流石はアーティメルの英雄だ!」
「いえ、大王さまが無事でよかったです」
その頃、リオたちは玉座の間に到達し、ランダイユとリーエンを助け出すことに成功していた。感謝の言葉を述べるランダイユを見て、リオは無事だったことを喜ぶ。
が、すぐにランダイユは悲しそうな表情を浮かべ、戦いの中で命を落とした戦士や兵士たちに黙祷を捧げる。ガルトロスとバルバッシュの残した傷痕は、決して小さくないのだ。
「……落ち着いたら、死んだ奴らの墓を建ててやらんとな。英霊として手厚く弔ってやらねばなるまい」
「そうでちね。みんな、頑張ってくれまちたから」
リオもまた黙祷を捧げ、玉座の間を後にする。目指すのは、エリザベートたちがいる城の治療室だ。部屋に入ると、アイージャに出迎えられる。
ダンスレイルとクイナは兵士たちの代わりに城の見回りに出ており、治療室を留守にしているようだ。
「来たか、リオ。王との話はもういいのか?」
「うん。それより、エッちゃんたちの具合はどう?」
「実際に見たほうが早かろう。ついてくるといい」
アイージャに案内され、リオは部屋の奥に向かう。一つ目のベッドには、クレイヴンが寝かされていた。つい先ほど目を覚ましたらしく、リオに声をかけてくる。
「よお。聞いたぜ、大活躍だったんだってな。不甲斐ない俺の代わりに、この国を救ってくれてありがとよ」
「ううん、気にしないで。……あれ? エッちゃんは?」
「……あの嬢ちゃんか。顔を見られたくないからって、奥のほうに引っ込んじまったよ。相当堪えたんだろうな」
女性にとって、命の次に大切なものとも言える顔をボロボロにされ、エリザベートはショックを受けてしまっていた。リオに今の醜い自分を見られたくない。
そう考えたエリザベートは、治療室の奥で毛布にくるまって横になっていた。時折、小さな嗚咽が漏れてくることに、リオは心を痛める。
「……なんとか、エッちゃんを元気付けてあげたいな。どうすればいいんだろ」
「ふむ……なら、奥の手を使う他あるまい。耳を貸せ、リオ。少々癪だが……あの小娘も奮闘したのだ、少しくらい褒美をやってもいいだろう」
リオはアイージャから何かを聞かされ、納得したように頷く。そして、ベッドの上で丸くなっているエリザベートに近付き、優しく声をかける。
「エッちゃん。顔を見せて。僕が元通りに治してあげる」
「……無理ですわ。いくら師匠でも、そんなこと出来るはず……。それに、今のわたくしを……師匠にだけは、見られたくないですの」
「大丈夫。僕を信じて?」
一度は拒絶したエリザベートだが、リオの力強い言葉に促され恐る恐る毛布から顔を出す。青黒いアザと腫れだらけの顔になってしまった彼女の顔を見て、リオは心を痛める。
「……ごめんね。僕がもっと早く到着出来てればエッちゃんを悲しませなくて済んだのに」
「いいえ。師匠は悪くありませんわ。全て未熟だったわたくしがわる……!?」
次の瞬間、リオはそっと顔を近付けエリザベートに口付けをした。唇を通して己の持つ治癒の力を分け与え、傷付いた顔を治していく。
顔が元通りになったのを確認したリオは、そっと顔を離す。そこへアイージャが現れ、手鏡でエリザベートの顔を映し、怪我が完治したことを知らせる。
「ほれ、傷が治ったぞ。妾たちの治癒能力を僅かながら分け与えるヒーリングシフト……すごいものだろう?」
「な、な、な……き、キス……師匠に、キスされ……」
「……エッちゃん、大丈夫? 顔真っ赤だよ?」
何度もアイージャやダンスレイルと口付けを交わしてきたリオからすれば慣れたものだが、エリザベートにとってはファーストキスだった。
その相手が恋慕しているリオとくれば、顔を真っ赤にしてしまっても無理はないだろう。嬉しさと恥ずかしさのあまり、エリザベートは気絶してしまった。
「し、師匠とキス……ぷしゅう」
「わあっ!? エッちゃん、しっかりして! エッちゃーん!」
「……フッ、初心な奴め」
今にも魂が抜けてしまいそうなエリザベートの肩を揺さぶり、必死に意識を呼び戻そうとするリオ。アイージャはエリザベートを見ながら、そんな感想を漏らすのだった。
◇―――――――――――――――――――――◇
――世界のどこか、聖礎と呼ばれる地。神の名が刻まれた巨大な石碑の前に、一人の男が座っていた。おぞましさすら感じるほど、汚れのない白いローブを着た男が。
「……魔神の一角が滅びた。かつての我ですら成し遂げられなかったことが、一万年の時を越え達成されたか……。ククク、喜ばしいことだ」
目深に被ったフードの奥で、男は喉を鳴らし笑う。遥か昔、創世神と呼ばれ魔神と戦った男――ファルファレーは立ち上がり、石碑を見上げる。
石碑には、『数多の苦難を乗り越え、遥か遠き神域へ到達せし偉大なる・・・・・・とベルドールを大地の神としてここに讃えん』と記されていた。
「……忌まわしきモノは、全て消し去らねばならぬ。真実を知る者も、知ろうとする者も。みな、我の手で根絶やしにしなければ。かつて、ベルドールを抹殺した時のように」
そう呟き、ファルファレーは笑う。絶対なる創世神は、両腕を広げ歌うように言葉を紡ぐ。透き通った声には、神々しさと禍々しさが混ざっていた。
「さあ、再び始めよう。大地に生きる命……その全てを今こそ根絶やしにしよう。大地の民も、魔族も、魔神も。我が力で……滅ぼしてくれる」
いにしえに忘れ去られた神話の脅威が、今――遥かなる時を越え甦ろうとしていた。




