241話―眠れる悪が動き出す
「アイスエンド・ワールド! ……ダメだ、発動しないや」
「ふむ……やはり、大きな感情の爆発がトリガーになっているのかもしれんな。そう簡単には会得出来ぬか」
グレイガとの戦いから十日が経過した。リオは聖礎エルトナシュアにて、エルカリオスと共に訓練を行っている。今日の課題は、Dファイブとの戦いで発揮した奥義……アイスエンド・ワールドを会得することだったが……。
どうやら、リオ自身どうすれば例の技をもう一度使えるのか分かっていないらしく、結局一度も発動することは出来なかった。ガッカリするリオに、エルカリオスは笑いかける。
「ま、そうガッカリすることもあるまい。お前の培ってきた力はお前自身を裏切ることはない。またいつか、その力が必要になった時……必ず、また使えるだろう」
「そうかなぁ……そうだといいなぁ」
「ああ、そうだとも……うぐっ!」
リオを慰めていたエルカリオスだったが、突如苦しそうに表情を歪め、その場に片膝をついてしまう。それを見たリオは、慌てて兄を支え大聖堂へ向かう。
「兄さん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。この前の帝都防衛戦で力を消耗したからな、まだ疲れが残ってるんだろう。済まないが、今日の稽古は終わりにしよう」
長椅子に座り、エルカリオスはリオにそう告げる。しばらく一緒に居ようか、と声をかけるリオにエルカリオスは一人で大丈夫だと答え、帰宅させた。
椅子の背もたれに寄りかかり、エルカリオスはため息をつく。数日前から、彼は薄々感じていた。今の状態で自分という存在を維持するのに、限界が近付いている、と。
「……この肉体は、魔力で作った仮のもの。もう、限界が近いか。新たに肉体を得れば、また生き永らえることも出来るが……」
そう呟きながら、エルカリオスは自身の手を見つめる。他の存在を食らって新たな肉体を得たダンスレイルやバルバッシュと違い、エルカリオスはまだ受肉していない。
首飾りを媒介にしてエリザベートを依り代としてはいるが、それでも己の存在を維持し続けるのは限界がある。しかし……彼は迷っていた。
名も知らぬ誰かを食らい、生き永らえることに意味があるのかと。
「……私は、誰かを食らい生きねばならぬほどの男なのか? グリオニールやミョルドのように……後に続く者に、道を譲るべきなのではないだろうか」
かつて、ダンテやカレンに力を託し消えていった弟たちのように、自らもエリザベートに全てを継承させるべきではないのか。その思いが、エルカリオスの中にあった。
しかし、エルカリオスから見ればエリザベートはまだ未熟。自身の持つ力を託すのには不安があった。大聖堂の奥にそびえるベルドールの像を見ながら、剣の魔神は呟く。
「……父よ。私は……どうしたらいいのだ?」
その問いに、答える者はいなかった。
◇―――――――――――――――――――――◇
「……全く、けしからんことだ。忌々しい魔神のせいで、せっかくの儲け話がパアではないか!」
同時刻、アーティメル帝国の東に位置する国、レンドン共和国ではでっぷりと太った一人の男が怒りを爆発させていた。嫌味ったらしく純金のネックレスや指輪を身に付けており、これでもかと自身の財力を見せびらかしている。
「総督閣下、如何致しますか? このままでは大赤字になってしまいますが……」
「全くだ! 魔王軍に高値で資材を売り付けていたのに、数が減った今じゃあ、もうこれまでと同じ数が売れん!」
屋敷の一室、秘密の商談を行う部屋にて男は部下とそんなやり取りをする。レンドン共和国を束ねる総督にして、世界四大貴族の一角……レザイン家当主ドゼリーは苛立っていた。
これまで、秘密裏に魔王軍に資材を売り付けて暴利を貪っていたが、リオたちの活躍で幹部が減るにつれ、利益が出なくなってきていたからだ。
特に、一番の得意先だったグレイガが戦死したことがかなりの痛手となり、ドゼリーはこれ以上私腹を肥やせなくなってしまったのだ。
「しかもだ、最近はバンコ家とオレロ家の連中がわしの周りを犬のように嗅ぎ回っておる。わしの裏取引に勘づきおったか……憎たらしい。メーレナ家のように滅んでしまえ!」
宝石が大量に散りばめられた趣味の悪いグラスにワインを注ぎ、ドゼリーは苛立ちを鎮めるように一気に飲み干す。そんな彼に、部下はさらに悪い話をする。
「……それに加えて、最近は民も疲弊しています。総督閣下が民の財を徴収しているため、困窮して……ぐあっ!」
「黙れ! わしはこの国の総督だぞ! 下々の愚民がどうなろうが知ったことではないわ!」
懐から鞭を取り出し、部下を打ち据えながらドゼリーは叫ぶ。八方塞がりな状況のなか、ふと彼の脳裏にとあるアイデアが二つ沸いてくる。
頭を押さえうずくまる部下を見ながら、ドゼリーは顎を撫でつつ声をかける。
「おい、確かレンドンとアーティメル、グリアノランの間にシャーテル諸国連合があったろ」
「え? はい、確かに小国の集まりがありますが……」
「確か、数年前に食糧難があったろう。その時に物資を支援してやったが……まだ『代金』を貰っていなかったな」
「しかし、当時は無償で支援をすると……あぐっ!」
「黙っとれ! いいか、今から催促状を作れ。数年分の利子をたっぷり乗せてな。連合から金を絞り取ってやる」
悪どい笑みを浮かべながら、ドゼリーは部下にそう命令する。当時の約束を反故にし、今さらになって代金を取り立てようと考え付いたのだ。
部下は自分の首がかかっているため、しぶしぶドゼリーの命令に従う。誰だって、生きたままはらわたを獣に貪り食われたくはないのである。
「ああ、それとだ。もう一つ作ってほしいものがある」
「な、なんでしょう?」
「召喚状だ。盾の魔神とアーティメル帝国をハメるぞ。なんでもいい、罪をでっち上げろ。魔神どもはたっぷり褒賞をもらっているはずだ、それを示談金としてブン盗ってやる」
正気とは思えないことをのたまうドゼリーに、部下は顔を青くする。リオを敵に回す……それはすなわち、大地の全てを敵に回すのと等しいことだからだ。
しかし、逆らえば惨たらしく殺される。自分のような木っ端の代わりなど、レンドン共和国には掃いて捨てるほどいるのだ。故に、部下は頷くしかなかった。
「か、かしこまりました……三日ほどお時間をいただければ、ご用意できます……」
「よろしい! ではさっそく取りかかりたまえ! 成功した暁には、お前を宰相にしてやるぞ! ガッハハハハ!」
機嫌よく笑いながら、ドゼリーは去っていく部下を見送る。取らぬタヌキの皮算用が、後に己の身を滅ぼすことになるとは知らずに。
◇―――――――――――――――――――――◇
一方、魔界の奥深く……険しい岩山の頂きに、一人の男が立っていた。魔王軍最後の幹部……『天竜輝将』オルグラムだ。純白の鎧と白銀のマントを身に付けた男は、ゆっくりと天を仰ぐ。
そして、おもむろに腰に下げた剣の柄を右手で掴み、勢いよく引き抜いた後空高く掲げ、大声で叫びを上げる。
「今、我らの眠りが覚める時が来た! 我が元に集うがいい! 四竜騎たちよ!」
オルグラムの声が遥か遠くへこだまするなか、赤、青、黄、緑の四つの光の塊が頂きに現れる。オルグラムの配下にして魔王軍最強の戦力、四竜騎だ。
四つの光の塊はゴワゴワとうごめき、形を変えていく。少しして、四種のドラゴンに跨がった騎士たちが主の元へと馳せ参じてきた。
「四竜騎が一人、火竜騎ザラド見参!」
全身が炎に包まれた、巨大な蛇のようなドラゴンに乗った大剣を持つ男が叫ぶ。
「四竜騎が一人、水竜騎ディーナ参上しました」
青色の首長竜に跨がり、流水のようにゆらめく鎧を着たトライデントを持つ女騎士が叫ぶ。
「四竜騎が一人!! 地竜騎ノーグ見参!!」
翼を持たぬトカゲじみた巨竜に騎乗し、大斧を携えた男が大声を張り上げる。
「……四竜騎が一人、風竜騎シルティ、参りました」
大きな翼を持つ翼竜に肩を掴まれた、身の丈ほどもある大弓を持った女が気だるげに応える。
配下が揃ったことを確認したオルグラムは、四竜騎たちに向かって話し出す。
「聞くがいい、我が子らよ。グランザーム様にお仕えする幹部は、私を残し全滅した。我らは最後の剣として、盾として……その力を振るわねばならぬ」
「へへっ、つまりこうですかい? これから大地に行って、人間どもをぶっ殺せばいいんすね?」
「そういうことだ」
オルグラムは残虐な笑みを浮かべるザラドにそう答えた後、剣を鞘へしまう。懐から魔神たちの似顔絵が描かれた七枚の紙を取り出し、配下たちへ見せる。
「お前たちの相手は七人の魔神だ。それぞれがグランザーム様に匹敵する強大な力を持っている。油断はするな、心してかかれ」
「承知しました。我々にお任せください、オルグラム様。必ずや栄誉ある勝利を捧げましょう」
「ガッハッハッ!! 泥船に乗ったつもりでいてくださいよ、オルグラムの伯父貴!!」
「……ノーグ、それ言うなら大船に乗ったつもりだから。泥船じゃ沈むよ」
ディーナ、ノーグ、シルティの三人はそんなやり取りをした後、ザラドと共に再度光の塊となり消えた。リオたちのいる大地へと向かったのだ。
四竜騎を見送ったオルグラムは、頂きから飛び降り落下していく。自身も出撃するために。
「待っているがいい、魔神たちよ。眠れる竜の尾を踏みつけた者がどのような末路をたどるのか……その身をもって理解させてやる」
強大なる竜の騎士たちが、動き始めようとしていた。




