18話―魔勇者ボグリス
時は七日前にさかのぼる。必殺の一撃を受け瓦礫に埋もれたザシュロームは、気力を振り絞り懐に手を突っ込み、万が一の時のために隠し持っていた転移石を握り締める。
転移石の力によって魔界にある自身の城へ辛くも逃げ延びたザシュロームは、広間の床に寝転がり顔を覆う布を剥ぎ取る。口から血を吐きながら、憎悪に顔を歪めた。
「あのガキめ……! よくも私にこんな傷を……グウッ、クソッ……この傷ではまともに動けん……」
ザシュロームは魔力を放って城内にいる部下を呼び、自身を治療室へ運ばせる。爪による斬撃と冷気による凍傷が合わさった結果、治癒魔法を用いても傷の治りはよくなかった。
青い血に染まった包帯を部下に変えてもらいながら、ザシュロームは苛立たしげに爪を噛む。こんな状態にされてしまっては、皇帝暗殺及び帝都襲撃の計画を進められないからだ。
「このまま計画を進められぬとあっては、魔王様や他の幹部たちへの示しがつかぬ……。とは言え、重症を負った身体で指揮など……あの戦いで部下も減り、作戦を任せられる者も……うぐっ!」
身体を襲う激痛に悶えながら、ブツブツ呟きを漏らしていたザシュロームは、打開策を閃く。作戦を任せられる部下がいないならば、使い捨ての駒を当てればいいのだ、と。
そして、都合良くザシュロームの元には使い捨ての駒として使える者が一人残っていた。今もなお地下牢に捕らえられている元勇者、ボグリスである。
「ククク、すっかり忘れていたぞ。そうだ、何も私自身が動かずともいい。傷を癒している間、奴を使えばいいのだ。そうと決まれば……」
ニヤリと笑ったザシュロームは、部下に命じてベッドごと地下牢へ転送してもらう。鉄格子の向こうにいるボグリスに声をかけると、冷たい床に寝ていた彼が身体を起こす。
「……今さらなんの用だ、てめぇ。俺はオークどものせいでケツがいてえんだよ。嘲笑いに来ただけなら消えろ!」
「ククク、今の私がそう見えるか? ボグリス、今回はお前と取り引きをしに来たのだよ」
ボグリスはザシュロームの言葉に怪訝な顔付きになる。よく見れば胴体に幾重にも包帯を巻いていることに気付き、一体何があったのかを尋ねる。
タンザでの戦いの一部始終と、今後行われるアーティメル帝国の皇帝暗殺及び帝都襲撃の作戦指揮についてザシュロームはボグリスに語った。
「……つうことはアレか? お前の傷が治るまでの間、その二つの指揮を俺にやらせようってのか?」
「そういうことだ。案ずるな、部下として私のコレクションの傀儡を何体か与えよう。後ろから刺されるようなことはない。それに……」
そこまで言うと、ザシュロームは力を振り絞り身体を起こす。鉄格子を挟み、全身に拷問の痕が残るボグリスをジッと見つめ彼を魔道へと誘う。
「お前も憎んでいるのだろう? 自分を差し置き、魔王軍を退けた英雄としての栄光を掴もうとしているあの少年を」
悪魔のささやきに、ボグリスは即座に頷く。どれだけの屈辱と痛みを与えられ、絶望のぬまに沈んでも――彼の性根が変わることはなかったのだ。
彼の心にあったのはただ二つ。リオに対する筋違いな怒りと、身を焦がすほどの憎悪。ただの逆怨みでしかないが、ザシュロームにもボグリスにも、それで十分だった。
「その話、乗った。今度こそリオを殺してやる。いや、俺が受けた屈辱を全部味わわせて……生まれてこなければ良かったと思い知らせてから殺す」
「ククク、交渉成立だ……ぐうっ! 詳しくは後日話す。それまで上で待機しているがいい」
傷が疼き出したザシュロームは、再びベッドごと転送され治療室へ戻っていった。一人残ったボグリスは、復讐のチャンスが巡ってきたことに狂喜し、高笑いをする。
必ずこの手でリオを殺す。全てを奪い、どん底へ突き落として絶望を味わわせる。そんな暗い欲望を剥き出しにして、ボグリスは雄叫びを上げた。
「見ていやがれ、リオォォォォォ!! 俺は必ず……お前を殺してやる! もう勇者の地位なんざいらねえ! 俺は魔王軍の中で成り上がってやる! ヒャハハハハハハハハ!!」
◇―――――――――――――――――――――◇
それから数日後、リオを監視していたミニードバットから表彰式が行われること、式に皇帝が列席し直接勲章と爵位の授与を行うという報告がもたらされた。
ボグリスはザシュロームの命を受け、アーティメル帝国皇帝、アミル四世を暗殺するべく表彰式の会場へ潜り込むことに成功する。人間である彼なら、帝都を覆う結界を無視出来るからだ。
しかし、現実は甘くなかった。リオの活躍によって皇帝の暗殺に失敗し、護衛の騎士たちに捕らえられるという失態を犯してしまった。目の前にいるリオを見上げ、ボグリスは唸る。
「よお、リオ……。久しぶりだな、あの時お前を殺せなくて残念だったぜ」
「どうして、ここに……!? あなたは、ザシュロームに捕まったはずなのに!」
騎士たちに両腕を拘束されたボグリスに、リオはそう問いかける。その問いに答えることなく、ボグリスはチラチラとホールの中を窺う。
護衛の騎士は四人。うち二人は脱出するアミル四世の両脇に控えて彼を守り、残り二人は自分を拘束している。そして、目の前にはリオとその仲間らしき美女が二人。
「フン、だいぶ偉くなったなぁ、リオ。そんなイイ女を二人も連れやがっ……!?」
途中まで行ったところで、カレンの蹴りがボグリスの顎を砕いた。死刑台に登る罪人を見るような底冷えする目でボグリスを見下ろしながら、静かに話し出す。
「……てめえがボグリスか。てめえのことはリオから聞いたぜ? いろいろな。今のはリオを可愛がってくれたことへの礼だ。このゴミが」
「ふむ、なら妾も礼をしてやるとしよう。……キツイ礼をな」
今度はアイージャが右足を振り上げ、ボグリスの脳天に踵落としを炸裂させた。リオと騎士たちが固まっているなか、二人は冷徹な笑みを浮かべる。
ボグリスがしてきたリオへの仕打ちに、二人は腸が煮え繰り返るような思いを抱いていたのだ。二発も蹴りを食らったボグリスは、口から血を吐きながら笑う。
「へっ、いい蹴りだな。だがよぉ、そんなもんじゃ俺は死なねえぜ。今の俺には……魔の力が宿ってんだからなあ!」
「! 危ない!」
リオは不壊の盾を二つ呼び出し、カレンとアイージャを守るべく腕を広げる。直後、ボグリスの身体から闇の力が放たれ、リオや騎士たちを吹き飛ばす。
騎士たちは避難していた貴族たちのほうへ吹き飛び、パニックがさらに加速してしまう。ボグリスは貴族たちのほうへゆっくりと振り向き、右手をかざした。
「うるせえ奴らだな。まずはてめえらから死ね。ダーク……」
「させない! シールドスタンプ!」
舞台の奥側へ吹き飛ばされたリオが立ち上がり、ボグリス目掛けて飛び上がる。盾による押し潰しによって魔法の詠唱を食い止めたリオは、アイージャに向かって叫ぶ。
「アイージャさん! 貴族さんたちが逃げられるように壁を壊して!」
「任せよ。本物の闇の力を見せてやろう。ダークキャノン!」
アイージャはホールの壁に向かって闇の砲弾を撃ち込み、出口を増やして貴族たちがスムーズに逃げられるようにする。それを確認したリオはボグリスから飛び退き、今度はカレンを呼ぶ。
「お姉ちゃん!」
「任せな! おらあっ!」
カレンは金棒を呼び出し、ボグリス目掛けて飛びかかる。金棒を振り下ろして叩き潰そうとするも、ボグリスは腕を伸ばして金棒を掴み取った。
「んなっ!?」
「調子に乗るなよ、ゴミどもが! ザシュロームの力で生まれ変わったこの俺……魔勇者ボグリス様の力を舐めるな!」
そう叫ぶと、ボグリスは片手でカレンを投げ飛ばす。空中で受体勢を整え舞台に着地したカレンは、チッと舌打ちをする。
「あいつ……人間とは思えねえパワーしてやがるな。ザシュロームの野郎に何をされたんだ?」
「さあな。それは分からん。だが……一つ言えるのは、遊びでは勝てぬということだ」
カレンの横に並び、アイージャはそう口にする。リオは不壊の盾を消し、両腕に飛刃の盾を装着しボグリスを睨む。挟み撃ちにされる形になったボグリスは、顔を歪め笑う。
「さあ、来いよ。お前たちに思い知らせてやる。俺の怒りを、憎しみを、痛みを、屈辱を……その全てをな! そして、ぶっ殺してやる! リオ、てめえをなあっ!」
そう叫ぶと、ボグリスは空間の歪みの中に手を入れ、ザシュロームから与えられた身の丈ほどもある漆黒の大剣を手繰り寄せる。ホールの天井から放たれる光を浴びて、大剣の刃が不気味に輝く。
リオとボグリス。二人の因縁の戦いが、始まろうとしていた。




