ヒーローははた迷惑!
半ば無人の一帯。立ち並ぶ建物に正規の住人など誰もいない区画。いわゆる再建設区で、塔が一つ崩れ落ちた。
倒壊していくビルが煙をどこまでも上げている。
それを行った白衣の女科学者は眼鏡の奥で目を煌めかせた。
建設途中で放棄されていたビルであるため、直接の被害者は見た目ほどにはいないが……それでも一人ぐらいは巻き添えを食ったかも知れない。
時刻は昼間。やりやすい夜中などではなく、わざわざ日中を選んで行われた。
『磨けば光りそうな外見なのに勿体無い』、『研究の事以外興味のない女』というのが関わりのあった者達からの評価であるが、このビル崩壊は実は単純に彼女の趣味である。
別に恨みがあった者が所有していたとか、環境問題がどうとか、そういった高尚な理由があるわけではない。ただ昔から何となく許せないのだ。
作りかけて放置してある模型などを見れば吐き気がする。どうせ完成しないのならいっその事壊れてしまえ。女科学者を悪役として見れば、それが彼女のポリシーと言えるのかもしれない。
しかしボサボサの黒髪に丸メガネ。そして地味なセーターに豊かな体を包んで白衣を上に羽織っただけの姿同様、美意識とは無縁である。ゆえになのか、やり方に美学と言ったものも無く……選ばれる対象も総てがバラバラ。
共通項はただ一点『未完成のまま、放置された』それあるのみ。
日頃の彼女の姿も相まって官憲は未だその正体を突き止められずにいる。それは公が無能なのではなく、むしろ優秀だからだろう。ビルから手作りの細工までと狙う幅が広すぎて、理由がまっとうな人間には理解できない。
なにせ女科学者の破壊衝動は彼女本人にも良くわからないのだ。
「ああ……またやっちゃった。どうしてこうなのかなぁ?」
門限を破った童子のように途方に暮れた顔で、己が所業を眺める。そこに善性は無いが、同時に悪性もない。どうして良いのか分からない。困惑だけがある。
自分が分からないということはつまりは他人も分からないということに通じる。
科学文明が爛熟期へと移行し始めて、過去の少年たちが夢見た未来予想図に限りなく近づいたこの時代。なぜ〈作りかけ〉が溢れるのか、彼女には理解できない。
こんなものはどうとでもなる。現に彼女がたった今自力でビルを解体したように。完成させるのは容易いはずで、むしろ放置のほうが手間がかかる。
なぜ他の人は平気なのだろう? 中途半端に描かれた絵。続編の出ない小説。出来不出来は二の次のことで、まずは完成体を見せるべき。
そう心の底から思うから――犯罪者〈クラッシャー〉が生まれたのだ。
「それでも……」
「それでも、これが間違っていると思うのだね。だから君はこんなことをした。君一人ではどうやろうとも、未完成は無くならない」
「……誰?」
空に向けた独り言に応えがある。
それはあり得ないはずだ。クラッシャーに気付く者もいるかもしれない。そしてその正体まで突き止める者もだ。
だが、そこまで行った人間にとってもクラッシャーは度し難い破壊魔に過ぎないはずだ。その内心を理解し、対話を試みる者など……いや、いる。
「実在したの? キミがヒーローってわけかい?〈説得者〉」
「人はそう呼んでいるらしいが、ボクは単なる君と同じ穴の狢に過ぎないよ。だが一人で泣いている子供がいれば、大人は駆けつけるものさ」
都市伝説に曰く、悪事働く者の前に現れて理解を示す者がいる。その男は悪者に対して、共感と納得だけして……その後に犯人をボコボコにして去っていく。
救われた者がいるとも聞かない。悪事を止めたという話も皆無。犯人を捕まえる役には立つので、警察の暴行の理由付けと疑われる架空の怪人。
「そしてボクも……君が助けを求め、居場所を告げる狼煙を目指して駆けつけただけだ。己の嘆きを表現する術を持たない君を……ボクが殴る」
「……」
特徴など無い。少しだけ背が高い青年……格好もただのフライトジャケットだ。それが大真面目に語っている。
クラッシャーは思う。説得者という名は絶対に皮肉だ。
ふざけている。こちらはこれでも真剣に悩んでいるというのに……!
「ああ、そうかい。じゃあこっちも殴るよ! 善人気取りなのか、悪役気取りなのか、分からない半端な君は気に入らない!」
それが何かしらのスイッチだったのか……白衣を金属の鎧が覆っていく。鎧とは言うがウェットスーツのように細く、そしてピッタリと肢体に張り付いていく。
これこそが一人でビルを壊せた理由。未発表の最新パワードスーツである。クラッシャーはこれでビルを殴り倒したのだ。
「どうなっても知らないよ!」
声とともに振りかぶられる拳。それは学者のイメージとは違い、様になったものだ。中身が素人でも関係ない。動きをサポートして着る者の動作を流麗にする機能が備わっているのだ。
「もちろんだ! さぁ来い! うぼふっ!!?」
クラッシャーの一撃を避けもせずにパースエイダーは受け止める。細身とは言え機械で強化された一撃を受けてパースエイダーは壁へと吹っ飛んでいく。
人間を殴ったことは初めてだったが、それでも違和感を覚えた。壊すことに関しては慣れているのだ。予感した通り、パースエイダーはほぼ無傷で跳ね返るように飛びかかって殴り返してきた。
「強化人間!?」
「そう、時代遅れの骨董品さ!」
強化人間……文字通り人間の身体能力を徹底的に強化した生体兵器だ。
しかし本人が言うように今の時代ではまず見かけない存在でもある。クラッシャーが見せているようにスーツ一つで超人になれる時代で、わざわざ倫理に反してまで人体を改造する意味はない。
やや専門からは離れるものの、それを知っている女科学者にとっては完全に予想外だ。性能はクラッシャーのスーツが圧倒的に優れているだろうが、パースエイダーは明らかに訓練と実戦を積んでいると見えて、プロの格闘家めいた動きを見せていた。
技と体の差が相殺しあって泥仕合と化していく戦いだが、顔面まで金属で覆われたクラッシャーと違い、強化されたとは言え生身で拳を受けるパースエイダーの顔は段々と歪んでいく。
その中で彼は必死に叫んでいた。
「辛いよな! 作りかけで放置されるのは! 誰の役にも立てないのは単純に見てて可哀想だし……時々、我が身のようにさえ思える!」
「……!」
「でも、途中で手を入れて完成させてやることもできない! 自分の作品では無いからだ! 親でも無いのに子を弄るのは子供が辛い! 親でもどうかと思う時があるものな!」
「うるさい……!」
より一層パースエイダーの腹に食い込む拳。時間の経過とともに劣勢になるのはパースエイダーの側だ。鉄と肉では披露の蓄積速度が違う。
「その度に、何より半端なのは自分だと自覚させられる! そんな未完成な自分が嫌だから、君は物を壊す! 放置されるぐらいなら無くしてくれ。そう願っているのが他ならない自分だからだ!」
パースエイダーは腫れ上がった顔で、ビシッと倒壊したビルを指差す。未だに煙が晴れずに、もうもうと立ち上がっている。
「アレは狼煙だ! 君はボクを呼んだ! だからボクが君を殴ろう……君が満足するその時まで!」
「その顔で格好つけてるんじゃないよ! キミ、どうかしてるよ! 壊されたがってるのはキミの方だ……」
「そのとおりさ! だから、どんどん殴り返してくれ! 人の弱みを嗅ぎつける自分が嫌で嫌で仕方が無い……せめてもそれで誰かに関わろうとしたのがこの姿さ!」
顔は腫れ上がり、唇は紫に変色している。腫れから血が出たのか、左瞼は閉じて凶相のように。パワードスーツを正面から殴り続けた拳も赤紫のボールじみている。
なんと醜い……それが誰かと殴り合い続ける者の末路だった。
「……キミはわたしが何かを壊そうとするのを止めに来たわけじゃない?」
「ああ、ボクは何が正義か悪かなんて分からないから止める権利はない。何が善なのか……それを判断する機会はとうになくしてしまった」
「キミはわたしにどうして欲しいの?」
「何か、行動して欲しいわけじゃない。でも……自分を納得して欲しい。理解して欲しい。代替行為ではなく、本当の願いを……せめてそうでなければ、気晴らしにもなれない」
男は自分の体をさすった。
時代遅れの生体改造技術。同類がいないわけではないが、同年代にはおそらく皆無。若者を勝手に改造して兵とする悪事が消え失せた訳ではないが、パースエイダーのそれは古すぎる。合理性などまったくなく、元はそれこそ誰かの趣味による犠牲者だったのだろう。
「あーあ、全く馬鹿みたいだね」
小気味いい音を立てて、パワードスーツの顔が開く。
マスクとは違い、そこに傷は無く眼鏡もそのままだ。パースエイダーが手加減したのかは、本人にも分かっていないだろう。
「一番馬鹿なのは、馬鹿に感化されたわたしかね? じゃあ、本当の趣味をするけど良いの? それだって褒められたものじゃあない。少なくとも法律には違反するよ」
「法をどうこう言うなら、とっくに自首しているさ。ボクのこれだって、誰かには迷惑だし、悪そのものだろうから」
「そ。変人同士、何か分かるのかなキミには……殴ったのは別に謝らないからね」
「勝手に割って入っただけだからね、それだけは気にするものじゃあないさ」
女科学者のパワードスーツが収束して、手持ちカバン程度のサイズへと回帰する。取っ手が付いたインゴットのようなそれをクラッシャーはパースエイダーに投げはなった。
「あげる。その体……もう無理がきかないんじゃあないかい? 君こそ納得するまでやりなよ」
受け止めたパースエイダーは既に限界だったのか、それだけで崩れ落ちた。女科学者は踵を返そうとして……このままでは彼がビル崩落の犯人になってしまうな、と結局男を運んでやった。
この日から犯罪者クラッシャーの名はとんと聞かれなくなったが、再開発区のビルが独りでに完成しはじめ……それを皮切りに街の作りかけの設備が次々に完成されることとなる。
人々は怪人ビルダーの噂を口にするようになった。