普通の少年、普通の少女を助ける。
魔王とは。
この世界に乱立する迷宮を生み出すものにして、全ての魔物の頂点に立つもの。
大陸の最北端にあるといわれる魔王城に暮らし、その姿は極めて醜い異形であるとされている。
世界を己の手中に収め、全ての人間を惨殺することを目論んでいる。
―――そう、言い伝えられている。
パーティを追放されて、二日ほどが経った。
故郷までは約五日ほどの道のり。僕は宿を転々としながら街道をゆっくり進んでいた。
「これから、どうしよう」
口から本音が漏れる。
故郷に帰ったとて、今後の生活への見通しがあるわけではない。
僕には、家族がいない―――いるとしたら、ほんの一握りの友人くらいだ。
まぁ、前みたく一人で迷宮攻略でもして、普通の冒険者らしく普通の生活を送ろうか。
なんて考えながら、ぼーっと歩く。
その時だった。
「―――誰か、助けて―――」
不意に聞こえた悲鳴。
街道沿いの雑木林の中からのようだった。
ここで見捨てて先を進むほど、僕は冷徹ではない。
それに、道を急いでいるわけでもないし。
とりあえず、様子を見に行こうと足を向ける。
木々をかき分け、声の方向へと進む。
次第に緑が深くなり、人の気配が濃くなっていく。
そして、ぽっかりと木の屋根がとれた、開けた場所に出た。
「―――あ?」
ボロ切れを身に着け、腰からは物騒な武器を下げた男たちの集団。
彼らが賊の類であることは火を見るよりも明らかだ。
ざっと、十人程度。そのうちの一人が僕に気づき、ぎらついた目を向ける。
その男たちに取り囲まれているのは、一人の少女。
ゴスロリのような黒い服、長い黒髪は地面の上に蜘蛛の巣状に広がっている。
顔立ちは整っていて、見た感じ僕より少し年下くらいだろうか。15歳前後と見える。
少女は木に背を預け、震えながらこちらを見上げる。
どうやら、面倒な状況に巻き込まれてしまったらしい。
だけどまあ、普通の人間は美少女が困っているのにも関わらず見捨てたりはしないだろう。
「おい、なんだテメェ」
「このガキの彼氏か?」
「黙ってねぇでなんか言えや、コラ」
まくしたてるように、連中が僕に噛みついてくる。
賊というよりもチンピラに近い口調だな、とため息。
少女はじっと僕を見つめている。
その瞳の中に、不安の色が浮かぶ。
こんなに大勢の賊を、一人で相手どれるわけがない―――そう物語っている。
まあ、普通の人間ならそうだろう。
けど、僕は普通じゃない。
はっきり言って。
―――マープル、ランス、エリカ。彼らよりも、僕は異常だ。
静かに腰の剣を引き抜く。
「弱い者いじめはよくないよ」
至って普通なことを言って、彼らを挑発する。
わざとらしく、左手の中指を立てながら。
こんな簡単な挑発に乗ってくる馬鹿を、見せしめにする。
僕の思惑通りに、彼らのうちの最も頭の悪い一人が、その挑発に簡単に乗り。
「なめんなよクソガキが―――」
ナイフを引き抜いて、勢いよく飛び出してきた。
僕の剣は、決して優れた一品ではない。
ランスやマープルのような一級の代物ではなく、街の武器屋で買えるような平平凡凡なモノだ。
すぐ刃こぼれするし、切れ味もそれほど。
剣の道を志す者ならば、初心者を脱する時に手放すような剣。
だけど、僕にとってはそれで十分だった。
この程度の代物でなければ―――自分の力をセーブできない。
きっと、殺しすぎてしまうから。
賊はナイフを振りかぶり、飛びかかる。
太陽を背に、逆光を利用した攻撃。
僕は眩しさに顔をしかめながら、なるほどと感心する。
どうやら、戦闘に関してはそこまで頭が悪くないらしい。
「だからなに、って話だけど」
僕は剣を盾のように構えて、刀身を賊に向ける。
賊が顔をしかめた。
これで、刀身が太陽を反射して眩しい光を放っているはずだ。
攻撃への動きが一瞬遅れる。
僕はその隙を突いて、懐へ潜り込み―――剣の柄で、鳩尾を一突き。
「ガッ」
苦しそうに、賊が呻く。
空中で身動きが止まった的を仕留めるのは何も難しいことじゃない。
体術は、そこまで得意じゃないけれど。
右足で、上段回し蹴りを腹部へ一撃。
勢いよく地面を転がり、そのまま賊は気を失った。
あたりに静寂が訪れる。
振り向くと、ぽかんと口を開けた残党。
「おい、あいつヤベェ…」
「まともにやったら勝ち目はねぇ」
「とっととずらかるぞ!」
口々に逃げ腰の発言をしながら。
すっかり伸びきった見せしめを小脇に抱え、賊たちはどこかへ逃げていった。
「…逃げ足、早いな」
引き際を心得ている、というのは窃盗やらなんやらを生業とする賊としてはかなり優秀なポイントなのではないだろうか。
なんて、一人感心する。
まあ、全員相手にする羽目にならなくてよかった。
あれだけの人数だと、流石に時間もかかる。それに疲れる。
役目を終えた剣を鞘にしまい、ふっと息を吐く。
思い出したように少女を見やると、既に木陰を離れ僕の元に近づいてきていた。
「怪我はないかい?」
「はい…危ないところを、ありがとうございました」
透き通る鈴の音のような声だった。
決して声量は大きくないものの、頭の中に残る印象的な声。
「助けを呼んだのはきみだよね?」
僕の問いかけに、照れくさそうにはにかむ。
「そうです。あんなこと、初めてだったので」
無理もない。
年端もいかない少女が、あんな暴漢たちに取り囲まれたら助けを呼ぶしかないに決まっている。
僕は彼女の気を紛らわせようと、話題を変えた。
「こんなところで何をしていたの?女の子一人、こんな森の中」
「えっと…」
そう言い淀むと、彼女は僕に背を向けて再び木の根元に向かってかけていった。
まあ、木の実集めとか、お花摘みとか、そういう類のものだろう―――彼女にはよく似合う。
マープルにエリカのように、戦う女性と長い時間一緒にいたから。
彼女のように、女の子らしい女の子と触れ合うのはとても久しいことのように感じた。
いや―――感じたかった。
心の中に、どこか僕の願望というか、押し付けめいたものがあったのかもしれない。
だから僕は、戻ってきた彼女の手に握られていたものに対して、リアクションをとることができなかった。
ただただ、呆然としてしまった。
少女が、なんてことのないように言う。
「―――狩りをしていたんです」
ハルバート。
槍と斧が一体となった武器。
太陽の下で鈍く輝く、生命を奪うための獲物。
刃の部分には、べったりと赤黒い液体がこびりついていて。
彼女は慣れた手つきで、滴り落ちる血を振り払う。
「私、まだ人間と戦った経験がなくて」
恥じるように言う彼女。
先程まで抱いていた彼女に対する印象が、ボロボロと崩れていくのを感じた。
僕の目の前にいるのは、暴漢に囲まれて怯えるか弱い少女なんかではない。
己が牙を振るい、生命を刈り取る一人の狩人だ。
それも、極めて異常な。
「殺していいのか、わからなかったから―――助けを呼びました」
ぺこり、と頭を下げる。
長い黒髪が、彼女の表情を隠すように垂れ下がり。
再び顔を上げた時には、真紅の瞳を覗かせるだけだった。
「人って、殺しちゃダメなんですね」
「危うく、皆殺しにしちゃうところでした」
少女はランと名乗った。
年齢は15。僕が18なので、3つ年下ということになる。
彼女はこの近くに住んでいるらしく、僕は家まで送ってあげることにした。
奴らがまだうろついている可能性はあるし、一人で返すのは危ない。
危ない、というのがどういう意味なのかはひとまず置いておこう。
20分ほど歩いただろうか。
森が開け、街道に沿うようにちらほらと建物が立ち並んでいる。
そのうちの一つ。
小川に隣接するように、大きな茅葺屋根の、和風の家が彼女の暮らす家だった。
「ただいまかえりました」
引き戸を開け、彼女が大きな声で呼びかける。
こんな大きな家に一人で住んでいるわけもないか、と一人納得。
家の中に入ると、まず土間と整理された台所が広がっていた。
彼女は背負っていたハルバートを下ろして、立てかける。
台所に武器が置いてある光景があまりに異様で、少し居心地の悪さすら感じた。
「―――帰ったか、ラン」
土間に隣接した居間から、低い男の声。
彼女の父だろうか。僕はそちらに視線を向ける。
「はい。お客人をお連れしました」
「お前が?珍しいな」
「危ないところを助けていただいたので」
二人のやり取りを耳にしながら、僕の視線は囲炉裏の向こうへ座るその男へと注がれていた。
ぱっと見て、30歳中盤くらいに見える。
短く整えられた黒髪に、精悍な顔立ち。髭も生やさず、透き通るような白い肌。
紺色の和服から伸びた細長い手足。
はっきり言って―――印象が薄い。
恐らく、3日も経てば僕は彼の顔を思い出せなくなるだろう。
どこにでもいるようで、どこにいたかは思い出せない。
その程度の薄さが、ひどく不気味で。
正直、僕はこの男を怖いと感じた。
意味も理由もなく、ただの直感で。
「ようこそ、少年」
男の呼びかけで僕は我に返る。
小さく頭を下げて、名を名乗った。
「シャーロックです。冒険者やってます」
「ほう、その見た目で」
その見た目で。
それは、どっちに対してかけられた言葉か―――名前か、それとも冒険者か。
ひどくその一言が引っかかったものの。
次に男が口にした言葉によって、そんな小さな疑問は吹き飛ばされてしまう。
「俺の名はモリヤ―――」
なんてことのないように。
僕が冒険者であると素性をさらしたのと同じように。
男は、言った。
「人からは魔王と呼ばれている」