6 霊薬
翌朝
ほとんど寝ていない俺はファビオラと同衾したまま日の出を迎えた。
……すっかり搾り取られたな……
俺は豚人と戦い、ノエリアを担いで森を歩き、朝までエロフに絞られて精も根も尽き果てた。
気を抜けば意識を失いそうな俺に、先ほどからファビオラが口移しで何やら飲ませてくれている。
「森人の秘薬じゃ。シャッキリと目が覚めるぞ」
俺がゴクリと飲み下すと、いきなり意識が覚醒し、疲労がポンと抜けた。
明らかに異様だ。
「これ、危ない薬じゃないですよね?」
「うん? エルフに伝わる霊薬じゃな。人間が飲めば寿命が伸びたり体が丈夫になるはずじゃぞ」
何か凄い薬だった。
「そんなことよりも、もう一戦じゃ。後ろをあのように抉るとは凄いのう。もう一度しておくれ」
「いや、もう朝ですよ」
霊薬のお陰か俺は完全回復しており、太陽が真上に昇る時刻までファビオラと布団の中でイチャついていた。
それにしても、腹も減らないとは霊薬とやらの効能は凄いの一言だ。
俺は霊薬の効能で疲れを知らず、ファビオラを十分に満足させてから身を離した。
井戸を借りて身を清め、身支度を整える。
いつまでもダラダラしていては、いよいよ帰れなくなってしまう。
さすがに森の中で余生を送るのは嫌だし、のんびりし過ぎて浦島太郎になるのも御免だった。
「なんじゃ、もう行ってしまうのか? 妾と腹の子を置いていくのか? 泣いても良いかえ?」
ファビオラが「よよよ」と泣き真似をしておどけて見せた。
明るい場所で見ると、白絹のような長い髪が陽光を受け、キラキラと輝いて見える。彼女は本当に美しい。
「ファビオラ様に涙は似合いませんよ」
「小憎いこと」
俺たちは顔を見合わせて大笑いをした。
ファビオラに引き留められては冗談抜きで帰れるか自信がない。
笑って送り出して貰えるのは有り難かった。
寂しくはある。
しかし、ファビオラと一晩心を通わせたとは言え、俺と森人じゃ寿命が違いすぎる。
共に生きていけるとは到底思えないし、彼女も族長としての務めがある。
お互いに一時の感情で自らの生活を捨てるほどには若くはないのだ……これで良い。一晩の夢とするのが正解だろう。
「そう言えばファビオラ様、一宿のお礼と言ってはなんですが――」
俺にはこの森人の里に心残りが1つある。
ノエリアとシャビイのことだ。
まあ、ファビオラと2人の関係は別としても、俺は昨晩ノエリアを押し倒して泣かせてしまったし、その後は母親としっぽりと何度(たぶん7~8回。霊薬は凄い)も楽しんだわけで……何とも後ろめたいのだ。
罪滅ぼしと言うほどでも無いが、俺が潰した『特別な手柄』とやらの埋め合わせくらいはしてやりたい。
その件を俺は思い切ってファビオラに相談してみることにした。
俺の話を聞いた彼女は呆れたような顔を見せ、クスリと笑う。
「何とまあ……お節介な事じゃな。じゃが、そこまで我ら森人を気に掛けてくれるとは嬉しいぞ」
ファビオラが複雑な表情を見せ「帰すのがますます惜しくなったの」と俺の腕に絡み付いてきた。
――――――
数時間後《エルフの里》
「出会えや者共! ノエリアが拐われたぞ!!」
族長の言葉に森人の集落は蜂の巣を突ついたような大騒ぎとなった。
昨晩、族長の娘を集落に届けた人間が、何を血迷ったのかノエリアを拐い逃亡したのだ。
しかも、集落の結界を破壊しての強引さである。
「ええい、忌々しい人間腹よ! 妾が報酬を足らずと見たか娘を拐い逃げおった!!」
ファビオラの言葉を聞いた森人たちも「忌々しや」「口惜しや」などと怨嗟の声を上げる。
昨日、豚人に拐われたと思えば今日の騒ぎだ。その痛ましさにノエリアに親しい女衆には泣き出す者もいる。
隠れ住む森人は擦れておらず、基本的に素朴なのだ。
この三文芝居に疑問すら感じた様子は無い。
「今ならばまだ遠くには行ってはおらん! 憎き人間を討ち取れ!! 娘を取り戻して参れ!」
ファビオラの大喝を受け、弾かれたように男衆が走り出した。
皆がそれぞれに槍や弓を手に森に入っていく。
彼らは破壊された結界の先に我先にと散っていった。
その様子はお世辞にも統率がとれているとは言い難い。
「やれやれ、骨の折れること」
ほどなくしてファビオラが小さくぼやくと、近くの女が「何か?」と聞き返した。
「何でも無いわえ。それよりも、の。子を宿した」
ファビオラはそっと自らの下腹に手を添える。
月に数滴しか作れぬ貴重な霊薬を使い、繁殖力の強い人間と行為を成した。
先ず間違いなく受胎を果たしたはずだ。
霊薬とは本来、生殖能力の低い森人が用いる精力剤である。
人間が服用した例は少ないが、ファビオラの祖父は霊薬を飲み、世にも稀な戦士に生まれ変わったそうだ。そして人の世で功成り名を遂げたというが、森人の里にはついぞ帰らなかったと言う。
彼は人間としては異例の140才まで生きたと伝わる。
そのうち、彼女の愛しい男にも何らかの変化が生じるだろう。
そして、それは悪いモノではないはずだが……今の本人がそれを知る由もない。
「それはおめでとうございます」
何も知らない女が、嬉しげに微笑むファビオラを言祝いだ。
この森人にとっては族長の相手は問題にもならぬらしい。
「長生きはするものよ、な」
ファビオラが「ほほ」と嬉しげに笑った。
今まで彼女が一人娘のノエリアとシャビィの関係に乗り気でなかったのは2人の頼りなさが原因だ。
森の氏族は数が少なく、舵取りを間違えれば滅びかねない。
彼らに次代の族長が務まるか不安だったのだ。
しかし、事情は変わった。
新たに宿した腹の子を族長に相応しく立派に育て上げるのだ。
あの逞しい人間の子なら期待が持てる。シャビィとノエリアも族長にするには不安だが補佐役ならば務まるだろう。
彼女はそう考え、ニンマリと笑った。
「くふ、楽しみなこと。早うに出てこい。お主が次の族長じゃぞ」
ファビオラは愛しげに自らの腹を撫で「男の子ならばエステバンじゃ」と呟いた。
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霊薬
森人に伝わる奇跡の薬。
飲めばたちどころに傷は癒え病は消え失せるとされるが、本来は生殖力の低い森人の精力剤。
その効果は抜群で、繁殖力の強い人間が服用し交われば、ほぼ確実に子を成す。また、人間への副作用として寿命が延び体を強くする効果がある。
もともと森人が人目を避けるように隠れ住むようになったのは霊薬を求める人間が後を絶たず、トラブルが頻発したためのようだ。
人間のおとぎ話で『森人に愛された人間が英雄になる』と言う話のルーツでもある。