3 戦場を駆ける松ぼっくり
フラーガ郊外《衛兵隊》
「盾を並べろ! 火の魔法が来るぞ!!」
衛兵隊長のエミリオ・フラーガは声を張り上げて部下を励まし続けていた。
彼は先々代のフラーガ領主の庶子、当代の叔父に当たる貴族だ。
当年44才、茶色い髪には白髪が混じり、鍛えた肉体は年相応に衰え始め、引退も考え始めた矢先のゴブリンの氾濫であった。
武人らしく堂々としたドングリ眼の下にベッタリと張り付いた隈が、彼の疲労を物語っているようだ。
そして、彼の率いる衛兵隊も、すでにかなり消耗している。
今のところ戦死者はいないが、全員が――もちろん、エミリオも例外ではなく、皆が大なり小なり手傷を負っていた。
ゴブリンの氾濫に備えて警戒していた部隊がゴブリンの大群と接触し、戦闘となった。
衛兵隊は4小隊20人と偵察に雇った冒険者パーティー3人、そして隊長であるエミリオとその副官の25人……対するゴブリンは凡そ100以上150以下と言ったところか。
いくらゴブリンが弱いからとて、この差では囲まれて石を投げられるだけで全滅してしまう。
エミリオは即座に近くの村まで退き、そこで迎え撃つことにした。
村ならば粗末ながらも柵があれば建物もある。
村人には悪いとは思いつつも、エミリオは住民を村の教会に押し込んだ。
申し訳ないことに衛兵隊たちがゴブリンを連れてきてしまった形である。
彼らが逃げる機会を奪ってしまったことをエミリオは深く悔いていた。
ほどなくゴブリンの大群が現れ、農村の粗末な柵を利用した防衛戦が始まった。
優勢に戦いを進めたのはゴブリンだ。
ゴブリンにはゴブリンシャーマンと呼ばれる魔法を使う個体が数体いる。
こいつらが火の玉を柵にぶつけたり、こちらの士気を萎えさせる不快な歌を歌ったりと実に嫌らしい。
エミリオの右手で犬人の冒険者が炎に包まれて転げ回った。
火力は大したことがないが魔法の炎はまとわりつくように燃え上がり、なかなか消えるものではない。
衛兵隊にも魔法が使える者がいないでもない。
しかし、口惜しいことにゴブリンシャーマンの攻撃魔法を防ぎ得る者はいなかった。
「耐えろっ! ここを耐えればオイエルが援軍を連れてくるぞ!!」
エミリオが吠える。
兵を励ましながら槍を振るい、柵を崩そうとしていたゴブリンを叩きのめした。
オイエルとはフラーガまで伝令として走っている副官だ。
彼はゴブリンの氾濫を報告し、援軍を引き連れてくる手筈となっている。
だが、それは数日後の話だろうとエミリオは思う。
例えオイエルの報告を聞き、即座に走り出したとしても到着は明日だ。
このままでは全滅は免れ得ない。
しかし、エミリオは高らかに「援軍が来るぞ!」と兵を励まし、自ら槍を振るう。
それは一種の自己暗示や現実逃避なのかもしれない。
「退くな! 退くな! 逃げ場なんか無いぞ!!」
エミリオが逃げ腰になる兵を叱咤した。
ゴブリンシャーマンの魔法の歌を聞けば、気分が悪くなり逃げ出したくなる。
ならば怒鳴り声でかき消してやると彼は声を張り上げた。
だが、健闘むなしく大型で武装したゴブリン――ホブゴブリンがとうとう柵を破壊した。
村に雪崩れ込んでくるゴブリンたち。
もはやこれまで――さすがのエミリオも天を仰いだ。
声が、聞こえた。
否、ただの声ではない。
バトルクライ――戦場に響かせる魔力を込めた声だ。
魔力を込めた雄叫びにより、戦場で注目を集めるだけの魔法。
それと共に飛来した矢がゴブリンシャーマンの胸部を貫いた。
「援軍――まさか」
エミリオの言葉は失言だったろう。だが、幸いなことに聞き咎める者は居なかった。
皆が、突如現れた援軍に目を奪われていた。
男が、1人。
再びバトルクライを上げながらゴブリンの群れに槍を投げつけ、男は剣を抜いてゴブリンに飛び掛かった。
たまたまそこにいた不幸なゴブリンが肩から切り下げられ、一撃で絶命した。
男が持つのは宝剣だ。
黄金色に輝く剣は恐るべき鋭さを秘めているのだろうか、次なるゴブリンも泥のように切り裂いた。
「「うおおおおおお!!」」
皆が叫んだ。
その男の勇姿を見た兵士たちは勇気付けられ息を吹き返す。
男は囲まれぬようにサッと身を返し、なにやら不思議な魔法でゴブリンたちを牽制した。
バンバンと何かが破裂したような音に驚き、ゴブリンたちの足が止まる――すると、男を狙おうとしていたホブゴブリンの胸部に矢が突き立った。
弓手だ、しかもかなりの手練れ。
エミリオが弓手を目で追うと、かなり離れた場所にそれはいた。
「森人!?」
そこにいた弓手は白い髪に長い耳を持っていた。
信じられない距離からバトルクライの男を正確に援護しているようだ。
陽光を背にした美しき森人の女――その姿は神々が我らを救うために遣わした戦士だと言われたら納得してしまいそうなほど、美しい。
たった2人である。
だが、絶妙のタイミングで割り込んだ2人の戦士、バトルクライの豪傑と森人の弓手は確実にゴブリンの群れを怯ませ、戦場の空気を変えて見せた。
恐らくは魔族と戦い慣れた1等か2等の冒険者――オイエルのヤツ何て援軍を連れてきたんだと、エミリオは感激で足が震えた。
「押し返せっ!! 援軍が来たぞ!!」
この降って湧いたような好機を見逃すわけにはいかない。
エミリオは「援軍だ! 援軍だ!」と叫びながら目の前のホブゴブリンと槍を合わせた。
ホブゴブリンは手強い相手だが、戦場の空気を察し逃げ腰だ。
ゴブリンは知恵がある。
それが厄介な相手ではあるのだが、知恵があるだけに自らの不利を悟ればすぐに逃げ出してしまう。
この場合がそれだ。
ゴブリンたちは援軍に驚き、生き返った衛兵隊の勢いに怖じ気づいた。
こうなると、もう駄目だ。
戦場とは『水もの』で、一旦傾けば高きから低きへ流れる水のように止めることはできない。
100体以上はいたであろうゴブリンたちは我先にと逃げ出した。
「追撃だっ!! 追い首を稼げ!!」
エミリオも激を飛ばし、目の前のホブゴブリンを槍で突き伏せる。
逃げる敵の背を突くのは容易い。
衛兵隊は武者押しの声も勇ましくゴブリンの群れを蹂躙し尽くした。
――――――
追撃していた兵も足を止め、パラパラと帰還を始めた。
ゴブリンたちは一目散に逃げ、もはや追い付くことはできない。
戦は終わった。大勝利だ。
「勝ったのか、まさかな」
エミリオはその場でへたり込む。もう喉はカラカラ、1歩も歩けないほどに消耗している。
その彼の頭上から、声が掛けられた。
「指揮官とお見受けしました。お疲れとは思いますが、先ずは勝利の閧を上げなければ。村人が不安そうに見ていますよ」
仰ぎ見れば、それはバトルクライの男だった。
服の上からでもハッキリと分かるほどに鍛え抜かれた肉体……優れた天稟に加え、練りに練り上げであろう分厚く威圧感のある肉体だ。
濃密な武の気配にエミリオは圧倒された。
どうやら男は追撃には加わらず、こちらに向かってきたらしい。森人も一緒だ。
恐らく、彼は我らに手柄を譲り、村を守りにきたのだろう。
何と奥ゆかしい人柄だろうと感心し『この恐るべき戦士はゴブリン退治ごときで名を売る必要も無いのだ』と感嘆した。
「かたじけない、ならば共に」
男に声をかけ、エミリオは力の限り叫んだ。
「勝鬨だ!! 勝利の閧を上げろ!!」
この声に応じ、衛兵たちが声を揃えて歓喜の叫びを爆発させた。
バトルクライの男も、森人の弓手も、見れば村人たちも教会から出て来て勝鬨に加わっている。
勝てるとは思わなかった。死を覚悟した戦いだった。
生き残った安堵だろうか、エミリオの目からは止めどもなく涙が溢れた。
どれ程の時が経ったものか。
我に返ったエミリオは援軍の2人に礼を述べねばと姿を探すと、彼らは「尻を撫でるな」などと呑気にじゃれあっていた。年が離れているようにも見えるが夫婦者なのだろう。
「助かりました。ご助勢が無ければこの村はゴブリンの巣になっていたでしょう。私はエミリオ・フラーガ、フラーガの町で衛兵隊長をしています」
エミリオが名乗ると、2人の冒険者はばつが悪そうに痴話喧嘩を止め、居住まいを正した。
そのユーモラスな姿に兵士たちから明るい笑いが漏れ聞こえる。
「失礼しました。我らは冒険者パーティー『松ぼっくり』私は3等冒険者エステバン。こちらは――」
「森の狩人、10等冒険者のシェイラ」
その森人の名乗りを聞き理解が追い付かないエミリオに、シェイラと名乗った森人は「どうだ」と言わんばかりに胸を張った。
「10等だって!? 何てこった!」
エミリオは驚きの声を上げ、口をあんぐりと開けた。
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衛兵
町の治安や防衛に携わる常備兵力。
領主の私兵であったり町で雇われていたりと、色々なケースがある。
町によって装備も組織の形態も様々ではあるが、フラーガの場合は領主の私兵扱い。装備は硬革製の頬まで守るヘルメットに肩無しの硬革製ラメラーアーマーが支給されている。武器はそれぞれの得物を用いるようだ。
また水運の町であるフラーガは、川の警備のために蜥蜴人の衛兵も多い。
女性衛兵も散見できるが、大抵の場合は魔法使いである。
衛兵隊は対人戦を主としているため、モンスター戦はやや苦手。
あくまでも町を守る兵士であり、衛兵隊が出征することは稀。戦争時などは領主が新たに募兵・徴兵をする場合が多いようだ。