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【 春の章 : 卯月 ・壹 】

  運命(さだめ)交わりし邂逅が瞬間(とき)

  そは遥かなる過去(いにしえ)よりの約束(きまりごと)


「ソウア、本当にその話を受けたのか?」

 二人の青年が酒を酌み交わしていた。容姿の印象は全く異なる二人ではあるが、どちらも整った顔立ちで、優雅な雰囲気を漂わせていた。

「あぁ…受けた。どうせ、つまらん毎日だ。長老衆のお偉い連中の言い出したことだが、暇潰しくらいには…ちょうどいいからな」

 ソウアと呼ばれた青年は、ちらりと視線を相手に向けて答える。低めの、抑揚の感じられない声である。聞く者によっては冷たさを感じるだろう。

 それほど広くもない室内。これといった装飾もない。その部屋の主の人柄であろうか、部屋には全く無駄なものは存在しない。あるのは二人の脇にある脇息と、その空間を照らすほの暗い光を放つ明かりくらいである。

「なぜ、そんなことを…長老衆の言うあの“白き魔物”なんて、得体の知れないものを狩りに行くなど」

 ゆったりと脇息に凭れ、崩した膝の上にある手の中の盃を見つめつつ、呟いた言葉には苦い思いが滲んでいた。

「お前だって知ってるだろう? 今までにあれを狩りに行って、無事に帰ってきた者がいないということを…それを知っているお前が、あえて狩りに行くなんて」

 盃から、語りかける相手に視線を移す。相手の方は肘をつき、手の甲にその怜悧な顔をのせ、伏目がちに盃を弄んでいる。

「死にに行くようなものじゃないか。私の父もそれで命を落としたんだ…これ以上、私の周りの人をこんなことでなど、失いたくないぞ」

 形容し難い感情を語る言葉に乗せつつ、まっすぐに相手を見据える。一方、当の相手は。くい、と盃を空けると、静かに言葉を口に乗せた。

「トウジョウ。別に俺は死にに行くとは言っていないが?」

 彼の人の少々の苛立ちぶりとは対照的に、ソウアは無表情に答える。

 仄かな香りを漂わせる香炉から立ち上る細い煙が、まるで二人の感情の流れに反応したかのように、風も無いのに揺らめく。

「同じことだ。……第一、よくそんなことを疾風の君は許したな。お前は“疾風”の跡取なのに」

 トウジョウの言葉にますます、冷ややかなものを漂わせつつソウアは相手を見、虚空を見遣る。

「ふっ…あいつは俺のことなど、何とも感じていないんだ、当然だろう? それに俺が死ねば死んだで、もう一人子をつくる権利が与えられるんだ…むしろ喜ぶだろうよ」

「そんなこと……」

「ない。と言えないことは、お前も知ってるだろう?」

 ソウアの冷めた態度は、特にトウジョウにとって苦になるものではない。しかし彼の言うことは恐らく間違いないだけに、トウジョウはいたたまれない気持ちになり、二の句を次げなかった。

「気にするな。嫌なことを話題にしてしまったな…とにかく二、三日以内には行くつもりだ」

「そうか…宮古も静かになるな」

「知っている者自体、ほとんどいない。それはないだろう」

 軽く目を伏せて、空いた盃にソウアは酒を注ぐ。淡々とした彼の様子を見て、眉間に深い溝を刻みながらトウジョウも盃を干す。

「そうだ。お前、出立前に月読の御方の元へも行ったらどうだ? 何か助言になるような託宣を頂けるんじゃないか?」

 改めて本来の温かみのある声音による彼の言葉であったが、ソウアは軽い溜息を洩らして酒を新たに注いでやりながら答えを返す。

「あぁ…御方の元なら、もう伺ってきた。『失せものは見つかりんしたかぇ?』だそうだ。何時行っても、変わりなしだ」

「また同じか。流石というか…お前の癖を何故かご存知だよな。ごくたまにしか、やらないんだけどな」

 懐かしいものでも見るように少し目を細め、口元を緩めたトウジョウである。見られたソウアは横を向いて、盃を傾けた。

「ふん…大方、何かの席で見かけたくらいだろう。何か解ればと行ってみたが、当て外れだったな」

「それでも…行くのか」

「こうやって飲むのも、しばらくおあずけだな、トウジョウ」

 黙り込んでしまったトウジョウを見て、少し表情を和らげ、ソウアは盃を持ち上げる。それに応じるトウジョウは、苦い表情を変えることなく、ゆっくりと応えるのだった。




 『ハリに在りて麗しき

  そは光輝(ひかり)

  そは雪

  久遠なる鏡花水月』


 ハリの宮古――周囲が緑深い山々に囲まれるという天然の要害をなしている為、外敵の襲来の恐れはなく。(きん)の地に位置するので冬が長く。訪れる人もほとんどない、鎖された宮古である。

 その土地柄の故か、あるいは乾坤を統べる尊命(かみがみ)等の気紛れか。この宮古における女性の出生率は極めて低い。その為この地に生をうけた少ない女性たちは、とても貴重な存在であった。故に、それは自然な成り行きであったかもしれない。この宮古では、男性たちが戯れに交わりを持つことが常となって久しいのだった。

 斯様なハリの宮古にも名家と言われる家筋が、数少ないながら存在する。“御三家”と呼ばれる三家。やや明るい色合いで緩く波打つ髪をもつ“碧樹(へきじゅ)家”。この宮古において唯一、女性の出生率の高い“月読家”。そして美しい黒く癖のない髪をもつ“疾風家”である。

 この三家に生まれる者は、何時の頃からか整った顔立ちを持つのが常となり。彼等のその、生まれながらに持つ冒し難いまでの高貴さ。その、漂う気品。

 御三家に生まれる男子は宮古の男性たちにとって彼らの容姿のみならず、その優雅な身のこなしや高い教養などあらゆる面で憧れの対象となっているのであった。




「お方様、ソウア様が取次ぎをとおみえになっておられますが。いかがなさいますか?」

 まだ年若い少年が廂に控え、御簾の中に訊ねる。

「まぁ…珍しいですわね。すぐにお通ししてちょうだい」

 返答は待つこともなく、少年の耳に届けられた。落ち着いた、やさしい声音である。

 間もなく、ひそやかなざわめきが彼の訪れをいち早く告げていた。ソウア自身はそんな静かな囁きには全く関心を示す様子もなく、寝殿の母屋へと案内されると。俯きがちに伏せていた目をゆっくりと部屋の主へと向けた。

「お久しぶりです…母上」

 日中の陽が直接入り過ぎないように御簾が少し下ろされているので、ここ母屋は心地よい空間になっている。そんな穏やかな光が戯れる中、部屋の奥で脇息にほっそりとした手を置いて扇で口もとを隠しつつ、にっこりと笑顔を向ける邸の主であった。

「あなたも一応、言うべきことはわかってくださってるのね。それなのにこのところ全く、こちらへは来てくださらないのですから…。元服の儀の折以来かしら? 他の息子たちはもっとこちらへ、顔を見せに来てくださるんですのよ」

手を差し出して座るように進めながら、少し困ったような、拗ねたような表情を浮かべて話すこの邸の主である。この女主人であるソウアの母。人々からは“疾風の御前”と呼ばれる彼女は、年齢を感じさせない美しい容姿の持ち主である。長く、さらりとした明るい色調で癖のない髪は見るからによく手入れが行き届いている。そしてどこか夢見る雰囲気を持ち合わせたかんばせなど、どこにもまだ忍び寄る老いを感じさせない。敢えて挙げるならば、若者には持ち得ない落ち着いた物腰なのである。

「そうですね…以後、気をつけましょう。それより今日は、母上にお訊ねしたいことがあって参りました」

 御前の言葉はまるで聞いていないかのように、勧められるままに座ってもそれ以上に反応は返さず。顔は見るとはなしに庭に向けられているが、その目には何も映していないのはその表情に明らかである。

「ソウアさんはそういう理由がありませんと、こちらにはいらっしゃってくださらないのかしら? 少しは妾の気持ちも察してほしいですわ」

 御前は溜息混じりに言いながらも、相手の反応はさして気に留める様子もない。

「わかりました……で、お訊ねしたいことですが。よろしいですか?」

「そろそろ、お茶を運んでくださるはずですわ。リョウレイほどソウアさん好みのお茶を淹れることはできませんけど、きっと美味しいですわ」

 ソウアの答えに滲む冷ややかさなど全く構わずに、にこやかに妻戸の方を見遣る。

「…母上、私は飲み物など…」

「そんなに急いで本題に入らずともよろしいでしょう? 久しぶりなんですもの」

 不意に、にこやかな笑みはそのままに声音も変えず、鋭い視線をソウアに送る。が、それもほんの一瞬のことだった。

 間もなく待ち構えたように、一人の少年がお茶を運んできたのである。

「ありがとう。皆にしばらく退がっているように伝えておいてくださる?」

 お茶を置いて退がろうとした少年に、御前は優しげな笑みをたたえて告げる。そして足音が遠ざかるのを聞きながら、口を開いた。

「ソウアさん。こちらのお庭、いかがかしら? 美しいでしょう?」

 御前は茶碗を手に問いかける。先ほどまで手にしていた扇はすでに置かれているので、顔を隠すものはない。

「母上。貴女のことだ。既に、私の訊ねようとしていることは、御存知でしょう? どのような些細なことでも、知っておられましたら……」

 手にしていた茶碗を置き、御前は再び扇を手にすると大きく広げてあらぬ方を見遣りながら、静かに言葉を紡ぐ。先ほどまでの生き生きとした調子は失われ、淡々としたそれは祝詞を読み上げる巫女のように。

「先頃……長老衆の方々より命が下されたとか。“白き魔物”を狩るように、と」

「少しくらいなら、御存知なのでしょう? その“白き魔物”と呼ばれるものについて。……大体、それに関わって行方不明になってしまった人もいるというのに、宮古でそんなもののことは、噂にもならなかった。全くどういったものか正体も明かさず、狩りに行けと言われまして」

「この幾年…睦月の賭弓(のりゆみ)ではソウアさんが一の位でいらしたわね……」

 卯月も清明を過ぎたこの日、かの庭では寝殿近くに植えられた沈丁花が白や紅の可憐な小花を咲かせていた。良い天気であるので、彼らが今対面している母屋へもその、春を一番に告げる薫りが届けられている。その他ここ、()の庭には小さいながら中島を持つ池も造られ、その周囲を様々な花木が飾る。(こん)の対岸には早咲きの桃が鴇色の花で枝を埋め尽くす勢いで咲き競い。(そん)の対岸では長閑な春の青空に映える柔らかで暖かみのある乳白色の花びらを持つ白木蓮や、目にも鮮やかな臙脂色の木蓮が灯火を模ったような形の花を咲かせている。中島には櫻の木が控えていることからも、この庭は春に眺めて楽しむために造られていると知れる。

 常とは違う様子の御前をその瞳に映しながら、ソウアの表情には何の感情も浮かんではこない。

 ソウアがこの母屋に通された刻から、光の具合が変化を見せていた。彼は脇息を引き寄せて座っては、いる。しかし、寛いだ気配は一向に見せてはいなかった。

 普段ならそんなことにも目敏い御前だったが。特に人払いをした後は、どこか心此処にあらずといった様子である。

 暫し、重い沈黙が部屋に漂う。

 が、それも一時。御前は再びにこやかに微笑を浮かべて沈黙を押しやった。

「一つ、昔話をして差しあげますわ。ソウアさん」

 この言葉にそのまま立ち上がろうとしたソウアは。向けられた視線にそちらを見遣り。御前の瞳に在る何かに制せられていた。

 そんな息子を見、またあらぬ方を見遣りつつ、御前は独り言のように語り始めた。

「昔・・・宮古でも一、二を競う当代随一と言われた美しい娘と、(みこと)の寵を一身に受けたような美しい男が恋をしたそうよ。間もなく娘はその男の子を宿したわ。でも・・・幸せは長くなかったわ。命がその男を渡すまいとしたのかしら。急な病で、男はすぐに帰らぬ人になってしまいましたの。娘は深い悲しみのあまり、とても弱ってしまって。子を産んで間もなく、後を追うように亡くなってしまいましたの。そしてせっかく生まれてきた赤子も、すぐに亡くなってしまったんですわ」

 淡々と物語っているが、彼女の声はどこか哀愁が漂っていた。

「その話は、どういう・・・」

「ソウア。…“白き魔物”について、長老衆の方々は何と?」

 ソウアが言いかけた言葉を半ば強引に止め、未だ物悲しさを留めたまま御前が問いかけた。

「何も。ただ、その魔物を狩れとだけ。ですから、母上にお訊きしに来たのです」

「そう。月読の御方には…お会いになったんですの?」

「…ご存知なのでしょう。伺いましたよ。御言葉も、変わらずです」

「ふふ…そう」

 ずっと視線をあらぬ方へと向けていた御前だったが、ゆっくりと目線をソウアへと泳がせるように移し。静かに、強い調子を以て言葉を紡ぎはじめる。

「白き魔物出づる時。和は乱れ、平安は滅亡(めっ)す。……こんな伝承(つた)えをご存知かしら? 一つだけ言っておきますわ。ソウア。貴方が、真実を見極めなさい。貴方が感じた真実を信じることですわ」

 それだけ言うと、横を向き。手にしていた扇を閉じながら鳴らして、邸の者たちにソウアの退出を知らせ。

 ソウアもまた、静かに案内を受けて寝殿を後にしたのだった。




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