悩める古道具屋 -閻魔様も女の子-
世間一般では、仕事とプライベートというのは、分けて考えるべきことらしい。
僕の場合、プライベートの趣味がそのまま仕事となっているような状態だから、そんなことは考えたこともなかった。もちろん、僕と同じタイプの者も中には存在するだろう。もっともそれは少数派のようである。
―カランカラン
誰か来たようだ。おっ、見かけない女の子だな。・・・?いや、違う!
「こんにちは」
凛とした少女の声が僕の耳に入る。紺色の着物を着た少女である。緑色の髪は、右側が左側に比べて長いという特徴的な髪型だ。
「いらっしゃいませ。・・・驚いたね。まさか君がここに来るとは」
香霖堂に閻魔大王、香霖。もとい降臨か。しかし普段の閻魔の服を着ていないと、ぱっと見ではすぐに判断できなかった。
「今日は非番ですからね。たまには気分転換でもしようと思ったんです」
楽園の最高裁判長も、こうして見るとごく普通の女の子だ。それでも、普段の毅然とした、いわゆるオーラのようなものはなんとなく感じられる。
彼女の場合、非番であっても大抵閻魔の姿で行動しており、幻想郷のあちこちを見周りのように周っては、様々な人物に対して説教を行っている。
だからこのような姿の彼女を見るのは本当に久しぶりのことだ。
「相変わらず、本当に様々なものが置いてありますね。ふふ、見ているだけでも面白いです」
「お褒めに戴いて、光栄だね」
なんだかすごくほっとする。ここに来る者のほとんどは、およそ客とは言えない者ばかりだから、数少ないこういうやりとりは商売人としては心が落ち着く。・・・こういう機会がもっと増えればいいのに、とは常々思ってはいるが、そのためには外来本で読んだ「企業努力」とやらが必要だ。
「手に取って見てもよろしいですか?」
「ん?どれをだい?」
「この置物です。綺麗・・・」
「ああ、構わないよ」
ああ、久しぶりに普通のお客さんが来てくれて本当にありがたい。ただ、結構こういう普通のお客さんというのは・・・
「あ、何ですかあれ。不思議な形ですね」
「おっと」
僕は彼女の前に慌てて先回りした。
「はい、ストップ」
「えっ、あの・・・」
「あれは商品じゃないんだよ」
「違うんですか」
映姫は信じられないという表情で僕を見つめる。
「そうなんだ。非売品扱いにしてるんだ。申し訳ない」
・・・普通のお客さんたちは、高い確率で非売品や僕のコレクションに興味を持つ。そしてそれらが売り物でないことを知り、皆一様に失望する。・・・まあ、店の中を十分に整理しないで、普通の商品と一緒にごっちゃにして置いてあるのはちょっと問題ありだな。しかし、整理しよう整理しようと考えてはいるものの、中々踏ん切りがつかないものではある。
「・・・いいですか」
映姫がキッと僕の顔を睨み付ける。うわ、これはまさか。非常に嫌な予感が・・・
「非売品と普通の品物を同列の場所に置くなど、普通はまず在り得ないでしょう」
「・・・ごもっとも」
「それとこの店、最後にきちんと掃除したのはいつなのか、覚えていますか?」
「えーと・・・」
「すぐに答えられない辺り、長い時間清掃は怠っているようですね」
映姫は鋭い目つきで店内を見回す。
「はっきり言わせてもらいますが、不潔です」
・・・思いっきり言われてしまった。参ったな・・・
「女性が一番嫌がりますよ、こういうの」
「・・・」
魔理沙や霊夢は特に気にはしてない様子だけど・・・いや、そういう問題じゃないな。
「古道具を扱うプロのあなたからすれば馬鹿馬鹿しい言いがかりに聞こえるでしょうが・・・これはあくまでも私の意見ですよ。私は、ここに置いてある商品が可哀想に見えます。乱雑で、何の脈絡も規則性もなく適当に置かれているようにしか見えません」
「・・・色々と商品の整理をするのも大変なんだよ。壊れやすい貴重品とか、簡単に動かせない品物も多くてね」
「・・・聞いて呆れますね」
映姫は軽蔑の眼差しで僕を見つめている。
「そうやってお客様相手に必死に言い訳するのは、非常に見苦しいですよ」
「・・・おっしゃる通り」
「そう、あなたは商売というものに対しての本気の意欲が無さすぎます」
映姫はすっかり、いつもの閻魔様モードになってしまっている。ああ、結局こうなってしまうのか・・・
「いいですか、あなたのお店は決して評判が悪いわけではありません。お得意様もそれなりにいますし、古道具のスペシャリストとして、あなたの名は幻想郷中に知れ渡っています。それなのにあなたは、現状でよしと胡坐をかいて、店を積極的に改善しようとすることはしない・・・」
ああ、とても耳が痛い。口を挟む余地が無い。だが、これは事実なんだ。事実だからこそ、聞いてて非常に辛くなってくる。
「改善すべき点は多々ありますが・・・まずは掃除をきちんとすべきでしょう。埃まみれで、黴臭くて、まるでどこぞの図書館のようではないですか」
動かない大図書館の盛大なくしゃみが聞こえたような気がしたが、多分空耳だろう。
「それから、先ほども言いましたが、品物の置き方が乱雑です。これは確か商品でいいんですよね?」
「・・・ああ」
「これは?」
「それも商品だ」
「ふうん・・・でこれが」
「僕のコレクション、だね」
「・・・」
「非売品だよ」
「・・・参りましたね。これじゃ初めて来たお客様は、どれが商品でどれが非売品かわからないでしょうに。メチャクチャですよ」
「・・・面目ない」
「もしもお客様が非売品と知らずに手に取って、それを落として破損したらどうしますか?あなたは弁償してくれと言いますか?大抵のお客様は、非売品と説明してくれなかったあなたが悪いと思うでしょうね」
「・・・そう・・・だね」
もはや反論も弁明も出来ないな、と僕は思った。流石は最高裁判長、とてもありがたい説教をするのは昔からずっと変わらない。
「・・・申し訳ない」
僕は素直に、映姫に頭を下げた。
「全く、君の言う通りだ。この店はたくさん改善する点がある。今までほとんど文句を言う者がいないものだから、ついそのままほったらかしにしてしまって・・・これからは、まあ、なるべく掃除は出来る範囲でしっかり行うし、商品の配置も全体的に変えていく方向でいくよ。・・・可能な範囲で」
「・・・あ、はい。そうですね」
「不快にさせてしまって、すまなかったね」
僕はもう一度、丁寧に頭を下げた。
「・・・わかっていただければ、それでいいです」
ん・・・?映姫の声のトーンが急に落ちたような気がする。
「・・・」
映姫は急に黙り込むと、
「ごめん・・・なさい。つい我慢できずに・・・色々言ってしまいました。私・・・なんでっ・・・うう」
絞り出すような声でぼそぼそと喋り出した。
「・・・」
僕は黙って、彼女に椅子を差し出した。彼女は椅子に座ると、俯いて顔を両手で覆った。
「あの、ごめんなさい」
映姫は、もう一度その言葉を繰り返した。
「なんで謝るんだい?」
僕は彼女の顔をじっと見つめた。
「君の―閻魔様の説教は、いつものことじゃないか」
「確かに、いつもはそうなのですが・・・」
映姫は恥ずかしそうに話し始めた。
「決めていたんですよ、今日は・・・いつもの説教は・・・絶対にしないと」
「ほう」
「今日は一切、仕事について考えることは絶対にしない、そう考えて過ごそうと思ったんですが・・・」
映姫はふうっと溜息をついた。
「駄目・・・でした」
僕はこのような表情の映姫を見るのは初めてだった。いつもの凛とした表情の映姫からは想像がつかない落ち込みようだ。
「・・・そこまで深刻に考える必要はないんじゃないか?君らしくもない」
「らしくない、ですか・・・」
映姫はまた深い溜息をついた。
「私だって、閻魔である以前に、一人の女性です。せっかくの休日ですから、色々な所へ行って、楽しみたいんです。でもやっぱり私は・・・駄目なんです。他の皆のように、休日を素直に楽しむことができないんです。どうしても、普段の自分の役割のことを考えてしまって、目についた方々につい説教をしてしまって・・・」
「うーん・・・」
結構深刻な悩みだな、と僕は思った。いわゆる仕事人間、もとい仕事閻魔である彼女なら、休日を持て余すだろうなとは思っていたが、ここまで悩んでいるとは想像できなかった。
「そうだね、ここは単純に、思いっきり羽目を外すしかないんじゃないかな」
直感で思いついた考えである。・・・もっと上手い言い方はあるのかもしれないが、真っ先に思いついたのだから仕方ない。
「そんなこと・・・」
映姫の顔が、少し赤くなった。
「しかし、閻魔である私が、羽目を外すなどと・・・」
「決めていたんだろう?今日は一切仕事について考えないって」
「まあ、確かにそう言いましたけど」
「だったら、一切気にしないで、普通の女の子として過ごしてみればいい」
「うう・・・そうは言われても」
映姫の顔の赤みが濃くなった。
「私、全然遊び方というか、地上での過ごし方というか、そういうのがいまいちわからないんです。ここには以前来たことがあったので寄ってみましたが・・・それ以外は行く場所を特には決めていなくて・・・」
「うーん、いつも仕事仕事でそういうのに慣れていないんだね」
「はい、恥ずかしながら。今日だってそうです。実は最初、普段の姿で出かけるつもりでしたが・・・小町に反対されました。『せっかくのオフなんだから、お洒落してください』と・・・」
「いやー可愛いじゃないか。なかなかお似合いだと思うよ」
「お世辞など結構です。恥ずかしいです」
映姫の顔がどんどん赤くなる。・・・先ほどの説教モードの閻魔大王とはえらい違いだな、と僕は思った。
「私はお洒落というものには疎くて、この服やら小物やら、全て小町が手配して用意したものなのですよ。着付けも手伝って頂きました」
小町か・・・あの上司思いの死神さんが一生懸命考えそうなことだな。
「いい部下を持っているね」
「いい部下・・・そうですね」
映姫は目を伏せながらゆっくり口を開いた。
「もちろん悪い部分もたくさんありますが、小町は本当に素晴らしい部下です」
映姫の顔が徐々に明るくなっていく。
「いい加減で休みたがりで、最初は見ていてとてもイライラしました。でも・・・私には無い物をいくつも持っていて・・・とても羨ましかったんです。自由奔放で、いつも明るくて、ドジを踏むこともありますが・・・いまや小町がいなければ私の仕事は成り立ちませんから」
映姫はクスリと笑った。
「今日もそうですよ。『仕事はアタイらに任せて、思いっきり休日を楽しんでください』って・・・ふふ、それでも心配してしまいますね。ちゃんと仕事を上手くやっているのかと。いつもの小町の動きでは、到底終わりそうに・・・」
「ははは、駄目じゃないか」
僕は笑いながら映姫の言葉を遮った。
「ほら、結局また仕事のことを考えてる。・・・大丈夫さ。きっと彼女は上手いことやってるさ」
「そうですよね」
映姫が満面の笑みを見せる。
その後の映姫は、あの後店を訪れた咲夜とともに、人里へ向かっていった。咲夜も今日は暇を貰ったそうで、里で色々買い物をしていく予定だという。
せっかくだから色々案内してもらうといいんじゃないか、という僕の提案で、二人は仲良く店を出ていった。思えば、滅多に見る光景ではないな、とも思った。咲夜も普段のメイド服姿ではなく、着物姿をしていたのだから。
よく考えれば、面白い話を交わせるかもしれないな、あの二人。吸血鬼に仕えるメイドと、死神の上司である閻魔。上に立つ者の苦悩と、下で働く者の苦労を語り合うことになるんだろうか。そしてお互い新たな発見をすることに繋がるだろう。幻想郷では、意外なところから結びつきや関わりが生まれることは珍しくはない。今までも、もちろんこれからもだ。
天下の閻魔様も、一人の悩める乙女であることを思い知らされた一件だった。・・・結局二人とも、何も買っていかなかったのは残念だったけど。