黒胡麻ヘソ太郎、参る。
片付け物をしていて、小学1年生の時の作文や絵が出てきた。
懐かしかったし、何より作文を読み返すのが楽しかった。
何枚目かに、この作文があった。
「1ねん2くみ くろいわ ひでひこ
『日がえりおんけん
みんなで、おんけんに、いきました。
おじいちゃんに、おこられました。
こらっと、いわれました。
わるいことをしないでも、おこられます。
おんけんは、きらいです。』」
声に出して読むと、千倍、腹が苦しい。
身悶えて、笑ってしまう。
あの時は、爺ちゃん、災難だったろう。
我が家の爺ちゃんは、ヘソを洗うと、腹痛を起こすと、頑なに信じていたのだ。
婆ちゃんもオフクロも、迷信だと、笑うばかりだったが、爺ちゃんは黒々したヘソを洗う事はなかった。
あの日、日帰り温泉に、一家で行ったのだ。
俺は女風呂から決別して、男同士で男風呂に入りに行ったのだった。
俺は、ちゃんと綿棒で、ヘソを綺麗にしていた。
それがあたりまえだったので、マジマジと見た、爺ちゃんのヘソに、ビックリした。
それまで、ヘソなんて、しっかり見た事などなかったからだ。
俺は、1年生ながらも、これはヤバいと、おもったのだ。
水を飲むと、嘘ついて、脱衣所から、綿棒を1本、持って風呂に戻った。
そこから、なんとか爺ちゃんのヘソを、綿棒で綺麗にしようとしたのだ。
洗い場で、頭を洗ってる爺ちゃんの後ろから近づき、綿棒をヘソに刺した、までは、成功したのだが。
そこから、大変だった。
「あ、こら、なんだ、痛たたた。」
ビックリした爺ちゃんが、シャンプー中に目を開けたから、それは痛い。
あわてて、シャワーで流すと、ヘソに綿棒が刺さってる。
しこたま、怒られた。
俺は泣きながら、爺ちゃんのお腹が腐って落ちる〜と、叫んでいたと、風呂から上がって、駆け寄ってきたオヤジが、後で教えてくれた。
俺の記憶では、そんなとこは思い出にない。
怒られた、って、記憶より、アレが現れだのだから。
「ワシは、黒胡麻ヘソ太郎だ。
なんぞ、用か。」
泣いてる俺の足元に、黒々として、立派なヒゲを生やした小さなお侍が立っていた。
爺ちゃんやオヤジが、なんか言ってたが、俺は、泣き止み、そいつをマジマジと見た。
「用がなければ、御免。」
黒胡麻ヘソ太郎は、チョロチョロと、何処かに走って行ってしまったのだ。
後には、爺ちゃんのヘソに刺さった綿棒が、シャンプーの泡のまにまに浮いて、流れていったのだった。
その後、俺は爺ちゃんに謝ったらしい。
が、大人げない爺ちゃんは、家でも、俺とはお風呂に入らないと、腹をたてていて、中々収まらなかったのだ。
みんな、爺ちゃんはほって置く事にしたが、俺は少し困った。
俺はもう、オフクロや婆ちゃんと風呂に入りたくなかったのだ。
頑固さだけは、ソックリだったのだ。
次の日から、夏休みな事もあり、オヤジの帰宅を待ったが、これが遅い。
俺ら小学生には、翌朝のラジオ体操もある。
俺は、1回でオヤジ待ちの風呂は諦めた。
爺ちゃんは子供相手にまだ、腹を立ていた。
俺は、そこから、1人で入る決心をした。
1人で入る家の風呂はデカく感じた。
チョイチョイ覗きに来るオフクロを蹴散らしながら、どうにか身体は洗ったが、頭が残った。
よくわからないまま、頭のてっぺんに、シャンプーをかけて、ガシガシ洗い、とにかくシャワーを出して、頭を突っ込んだ。
オフクロが湯船に入る前によく、お湯をかけなさい、と、言ってたので、三杯かけた。
ちょっと目がシバシバしたが、タオルでぬぐって、なんとかなった。
ザブンと、湯船につかると、楽しい。
鼻歌なんか出てくる。
「耳の後ろに泡がついとるぞ。」
爺ちゃんだ。
戸の方を見たが、影も無い。
湯船の淵に乗せてる風呂の蓋の上に、黒胡麻ヘソ太郎が、いた。
「用がなければ、さらばじゃ。」
あっという間に消えていった。
俺は手を伸ばして、後ろ頭の泡を掻いた。
泡は、タオルで拭いてごまかした。
風呂から出ると、俺に甘々な婆ちゃんが、褒める褒める。
オフクロも、麦茶なんか出してくる。
まだふてくされてる爺ちゃん以外は、俺の1人風呂デビューを、讃えてくれた。
爺ちゃん、お腹、痛くならなかった事もあって、中々曲がったヘソがもどらないのだ。
それから、洗い残しや、泡が尻や肩に残ってる時、黒胡麻ヘソ太郎は、律儀に現れ、御免、とか、さらばじゃ、とか、言って消えていたったのだが、俺がちゃんと風呂に入られる様になると、出て来なくなった。
俺も段々と、黒胡麻ヘソ太郎を忘れていったのだった。
思い出に浸っていると、下からオフクロに呼ばれた。
風呂が湧いたのだ。
返事をして、風呂に入りに行くことにしたが、あの作文やらは、元の箱に戻して、押入れに、また仕舞った。
泡つけて、湯船に入ってみようかな、と、思いついてニヤける、黒岩英彦、26歳の春だった。
今は、ここまで。