人畜に多大な被害を及ぼす強大な魔物。その名はゴブリン
(この、おてんば姫が……)
執事長は天を仰いだ。
「少し遊びに行きます。夜までには帰ります――」
そうメモを残してジア姫は屋敷から消えた。
心配はしていない。同時に消えた、裏で鍛えているリナが側に付いている。
というかある程度情報は受けていた。
冒険者ギルドの関係からリナを通じて情報は筒抜けになっていたのだ。
本当に実行するとは考えていなかったが。
リナの実力は、執事長から見ても折り紙付きであり、誰かに負けるといったことは想像もできない。
それに、ジア姫の足では大して遠くにはいけないハズだ。
徒歩しかない。
馬車等を使えば一瞬で足が付く、などとリナがジア姫を説得することだろう。
(さて、どうしてくれようか…)
執事長としてはジア姫が消え去った事実を隠蔽しつつも、一部には情報を流すという高難度の作業をしないといけない。
そして帰って来てから適度に怒ることも必要だ。
しかしそれは2度と出かけたくない、とは思われない程度の怒り方であることが必要だ。
執事長はエンパイヤ帝国の間者だった。
万が一エンパイヤ帝国にスルターナ公国が歯向かった場合、ジア姫を拉致し手駒にし、かつ、間者であることがバレないようにするための『土壌』を準備できるのであれば、それは結構なことなのだ。
さすがに軍事をほぼ捨てエンパイヤ帝国内の諜報関係に特化したスルターナ公のガードは硬い。
しかしジア姫の周辺はザルなのである。
だが、執事長は知らない。
リナが全てを語っていないことを。
執事長が想像を絶するほどの『足』をジア姫が有していることを――
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キルフィア侯国はエンパイヤ帝国の東部に位置する属国の一つだ。
最近は戦争もなく比較的平和な部類ではあったが、広い土地面積故に魔物との争いも多い。
そんな属国の地方都市に、ジアとリナの姿はあった。
キルフィア侯国の地方都市。
冒険者ギルド・フィアの街支部――
「まぁ、この街の郊外にはゴブリンさんが出没するそうですわよ」
「人畜に多大な被害を及ぼす強大な魔物と聞き及んでいますわ。ジアさま。これなんて如何でしょう?」
「あら。ゴブリンさんてそんなにお強いの? 怖い……」
どことなくしらじらしくセリフっぽい。
見た目は質素だが可愛らしいドレス姿のジアとお付のメイド姿のリナ。
それを見た瞬間。
フィアの街支部の受付内は騒然となる。
「どこぞの貴族様だよありゃ」
「いや、ギルドカードの名前だけでは分かりませんね。ただランクはBだと…」
「はぁぁぁぁ。あれがランクB? うそだろ? ゴブリンもまともに見たことがないようなのがか?」
「しっ。声が大きい。冒険者の連中に聞こえちまうだろうが。そして分かってるんだろう?」
ギルドカードにはギルドの人員しか知らない機能がいくつかある。
偽造防止のため、という表向きの理由でカードの端に刺繍された『秘密の暗号』。
しかしそれほど多くの情報は書けない。量が多いと冒険者に不審に思われる可能性があるからだ。
暗号を紐解いて分かるのは彼女らはギルドに対する出資がかなり多いスポンサーである。ということだ。
丁重に扱うようにしなければならないのは言うまでもない。
だがどこの国の誰なのかは分からない。発行元は分かる。スルターナ公国。たしか最西端に位置する国だ。
ドレスも確かに西部の雰囲気がある。
しかし東部地域に属するキルフィア侯国とはあまりにもかけ離れている。
そしてなによりもこのギルドカード。まるで作ったばかりであるかのように真新しい。
怪しい。どこをどう考えても怪しい。
その一言に尽きた。しかし、なんの証拠もないのだ。
そしてカードの偽造なども考えづらい。
偽造防止技術は冒険者ギルドが発祥であり世界の最高峰技術。
万人が異なる魔術波長紋を用いた認証を行っているのだ。魔術波長紋がまったく同じ人は過去から現在に至るまで確認できていない。
だが、カードが完全に偽造されていないことを保証できるのは名前、冒険者ギルドの経験点 (に基づくランク)、そして『秘密の暗号』まで。
発行国などは裏技を使えばいくらでも変更は可能。冒険者ギルドのスポンサーならばなおさらだ。
ましてや記載する職業 (クラス)、得意とする武器などは自己申請。極論すれば何を書いても良い。
うっかり書いた職業で強者と間違えられ、間違った適正の討伐クエストを受けて死んだとしてもそれは自己責任だ。
そんなことも露知らず、ギルドの壁に掲示されている討伐系の依頼をゆっくり見ながら談笑を続ける2人。
1つ1つ吟味しながら。楽しそうに。そこだけ世界が違うように感じられるほどに。
しかし見ているそれは、派手に見える素人受けする高難易度のものではなく、D,Eランクの下位に属するモンスターの項目だ。
それを見て受付側では安堵の声が広がる。
下手に間違ってA,Bランクのクエストを受けられて死んだりしたら何が起こるか分からない。だからA,Bランクの高難度クエストに興味を抱かれたらたまったものではないのだ。
スルターナ公国ではないが、それに縁のある貴族が遊びとして討伐クエストでも受ける気だ。スルターナ公国となっているのは何らかの身分を隠すためだろう。スポンサー特権で。
それが受付側での予想。
そして彼女らにまともな戦闘力はない。そう判断される理由がある。
今までやってきたクエストの履歴を見ると彼女らは運搬しか行っていないのだ。
やがて彼女達が受付にやってくる。受付側は受付の中で最もイケメンと思われる男を受付として送り出した。
「それで、このゴブリンさんを退治したいのですが、ランクBでも受けられますか?」
「はいもちろんです。ただしゴブリンはランクEのモンスターですので冒険者ポイントは半減します」
イケメンはにっこり微笑みつつ答えた。
「それでお受けします。ところでですが。別件として依頼者として用事があるのですが、ここで受けられますか?」
横からメイド姿の女性が声を掛ける。
「なんでしょうか? 特別ですが受け付けます」
「私達の護衛をお願いしたいのです。所要でこの街の郊外に出かけます。
そうですね……。もしかしたらランクの低い……。ゴブリンなどの凶悪なモンスターが出るかもしれません」
これはモンスターを痛めつけて遊ぶ貴族の道楽である。イケメンは決め付けた。
護衛を雇ってゴブリン退治なんて聞いたことがない。
モンスター討伐任務の達成費用より護衛任務依頼の方がはるかに金が掛かるというのに。
せいぜい高い護衛任務料を取ることにしよう。
そして少しだけ遊び心が沸いた。
「これも冒険者ギルドの義務なので言わなければならないのですが、
帝国軍が今、スラッシュ王国の討伐のため民間兵を集めております。
噂ではスラッシュ王国は魔族領に手を出し堕ちたとか……
強制ではなくお勧めでもないのですが、民間兵として参加されますか。
冒険者ポイント対象ではありますが、軍関係ですのでポイントは低めとなります。
スラッシュ王国といえばスルターナ公国の隣国ですから、無関係ではないでしょう?」
おいばかよせ。興味を持たせるな。という声が奥から聞こえたがイケメンは無視する。
それを聞いた貴族と思われる少女――ジア――は目を見開いた。
何も知らなかったようだ。
メイド姿の女性――リナ――はジアに聞かれなぜか目を泳がせている。
リナは知っていたのだろう。特に動揺はない。
「お勧めでないのであれば辞退します。そうですねー。護衛の方も冒険者でしょうから、詳しくはそちらの方からー―」
「おうおう、ねぇちゃんたち。護衛がいるんだって?」
クエスト依頼の受領と護衛依頼が終わった頃、哀れな冒険者がジア達にちょっかいを掛けてきたのだ。
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1年の時を経て、ついにエンパイヤ帝国が動き出した。
エンパイヤ帝国精鋭騎士団から200。
エンパイヤ帝国戦術魔法大隊が200。
エンパイヤ帝国兵士団1,400。
エンパイヤ帝国属国各国からは1000づつで7,000の予定だ。
エンパイヤ帝国内の冒険者ギルドからはおよそ1,000。
兵力は総勢およそ10,000。
これはエンパイヤ帝国の軍としてはかなり少ない方に属する。
その必要性を感じないからだ。
今回、なぜか冒険者ギルドからの参加者の集まりが少ないのが気がかりなところではあるが。
なにしろスラッシュ王国は弱体化している。
魔族領への進行。そして内乱。粛清。
兵士を強制的に集めれば10,000に届くだろう。
老若男女。病人等非戦闘要員をもあつればさらに倍以上にはなる。
しかしスラッシュ王国は全軍を一箇所に集めることはできない。
全ての人間を集めればさらなる反乱が起きることも十分予測できる。
さらに占拠した魔族領は平定したばかりで、魔族が完全にいなくなったわけではないのだ。
そちらにも兵を向ける必要がある。
そんな国はエンパイヤ帝国の敵ではない。
「蹂躙せよ」
エンパイヤ皇帝が帝都の城で兵士達を集め、発するのはその一言。
だがその声が発せられるにはまだ時間が掛かる。
特に遠方からの兵士についてはそうだ。
人が完全に集まるのは1週間後か。
スルターナ公国に軍の移動が完了し、戦闘が開始されるのは2週後になるだろう。
そのことがスラッシュ王国に知れ渡ることも承知の上だ。
むしろ知れ渡って欲しい。
エンパイヤ帝国にとっては軍が発せられることが知れ渡り、敵軍を終結させて決戦化した方がゲリラ戦で長期化するよりも都合が良いのだ。
小出しに兵を出して括弧撃破されるのは具の骨頂であるとエンパイヤ皇帝は考えていた。
スルターナ公国がそうであったように、降伏するのであればさらに良い。
降伏せずともさらに2週もあれば敵軍を蹴散らし終結するという算段。
西側の国は概ね軟弱である。
それがエンパイヤ帝国の共通認識。
名目上は「魔族に組した王国の打倒」。
実態としてスラッシュ王国が魔族と手を組んだわけではない事をエンパイヤ帝国軍上層部は掴んではいる。
だが為政者にとっては真実よりも名目の方が優先された。
エンパイヤ帝国に慢心はない。
エンパイヤ帝国に属する人々は極まれな一部を除き誰しも、その時はそう思っていた。