気になるあの子を眼鏡っ娘にする方法
休日の図書館は粛々とした喧騒の中にある。
勉強や仕事に必要な文献をあさる者。物語を片手に自分好みの世界観の中に没頭する者。幅狭いながらも貴重なる陽だまりを見つけ、惰眠を貪る者。私と同じアカデミーの学生が必死で課題に取り組む姿も少なからず見つけられるだろう。
いつもと変わらない風景を一瞥し、きっちり結い上げていたはずの髪が解れて頬をくすぐるのを眼鏡のふちへと追いやりながら、私も自分の趣味へと意識を戻した。
大陸中の魔道書、禁書、楽譜等が一堂に会すこの魔道図書館においてさえ、書籍のデータ化の波は抑えられないものであった。
幻術士たちが編み出した“奇界”は、空間魔術でもちいる仮想空間に、人の力で顕現せしめた異界である。彼らはそこに規則性と限度を埋め込み、魔力を有する者であれば誰でも利用できるオリジナルスペース“上部催都”の設立をやってのけたのだ。
これによってある者は自社の紹介や宣伝、販促を行い、またある者は個人の趣味や、仲間たちの集う対話空間に利用した。
この魔道図書館も例に漏れず上部催都を建ち上げており、そこで閲覧できる書籍数は無限に思えるほど膨れ上がっているのである。ひとえに仮想空間であるが故の矜持だと言えるだろう。
斯く言う私もそんな上部催都を利用する者の一人であった。
催都を利用する為には補助魔道具である“魔道眼鏡”を使用する必要がある。レンズに映る情報を思念で操作できるのだ。これをかけながらであれば、歩きながらであっても情報の閲覧は可能ではあるが、注意が周囲に向かなくなり、衝突事故が起こった例も少なくない。
故に私は、この図書室の賑やかな静寂に身を委ねることが日課になっていた。最近のお気に入りは、各人で作り上げた幻術映像を上部移相し、上部閲覧者に無料で配信する催都『世を滑る会』にアクセスして、魔道眼鏡の蔓の部分から骨伝導で伝わる音楽を聞き流しながら、魔道書の文字を指でなぞる。そんな贅沢を満喫しているのだ。
「――っ」
しかし最近、酷使してきた魔法端末にはノイズが混じるようになってきた。この魔道眼鏡はもう三年以上使い続けている。そろそろ機種変更をしなければならないのかもしれないと思いながら、これまでは愛着と怠惰の導くままにしていたのである。
「どうしたのシー、浮かない顔して。『よをすべ』でグロい動画でも見つけた?」
「ユー……」
眼鏡をはずして見上げると、そこには冗談を飛ばしつつも心配顔の友人が居た。
彼女もまた重度の上部依存者だ。自分の術歌を世を滑る会|(略称:よをすべ)に上部移相している謡い人でもある。それなりに人気があるらしく、私もしばしば彼女の術歌の視聴に時間を割いていた。
「違うよ、ちょっとノイズがね」
「あー、古いもんねその機種。買い換えないの?」
「まぁ、それには先だつものが、ね……」
仕送りとアルバイトで食いつないでいる学生に、魔道眼鏡の買い替え等、必然性の高い出費は鈍い痛みのように懐具合を蝕むものである。顔をしかめる私を見て、友人は何かを思いついたように表情を変えた。
『そうだ、ちょっと待ってね……ほい』
今更ながら周囲に気を配ったように空間同意通信に切り替えて、ユーはとある催都のアドレスを私に提示してきた。
『これは?』
『今年起業した眼鏡メーカーの広告催都。その下の方を見てみて』
友人のどこか胡散臭い誘導と、やはりどこか胡散臭い広告に眉をしかめながら、私は催都の文字を追う。
そこには、新製品のモニター募集という文字が派手な装飾とともに躍っているのだった。
*
催都に載っていた住所が近所だった事もあり、半ば強引ではあったが私はおせっかいな友人に手を引かれ、件の新規眼鏡メーカーを訪れていた。シンプルな装いの建物は街中に溶け込むように慎ましやかに建っていて、さりげないセンスの良さに期待以上のものを感じた私達は魔導で開閉するガラス戸をくぐり抜け、受付へと足を進める。
「いらっしゃいませ、コバヤシテクノコーポレーションへようこそ。本日はどういったご用件でしょうか?」
どうやら眼鏡の製作会社というよりは、魔道具の技術開発を担う研究所と言ったほうが正しいようだ。受付のお姉さんの貼り付いた接客に会釈をかえしながら、躊躇する私を置いてユーが進み出る。
「モニター募集の広告を見てきました」
「かしこまりました。ただいま担当の者をお呼びいたしますので、待合室にてお待ちください」
やや礼節に欠けるユーの態度が受付嬢の笑顔を揺るがすことも無く、私たちは簡素な一室に通され担当者を待つ事となった。程なくして現れたスーツ姿の男性は私たちを油断の無い瞳で観察した後、その切れ長の目に営業スマイルを貼り付ける。
「お待たせして申し訳ありません。ワタクシ、新商品開発担当のオギと申します。今回はモニターを引き受けて下さるとのことで、まことにありがとうございます。先ずはお名前と、ご職業もしくはご所属を教えていただけないでしょうか?」
あきらかな年下相手に対しての丁寧すぎる言葉遣いが、私の警戒心に拍車をかけてくる。しかも先ほどまで勢いのあった隣の友人までも、なにやら萎縮してしまっているようで、意図してかどうかはわからないがそれなりの効果があったのだろう。
「シー・クエンス。メビウスアカデミーの二年生です」
「あ、同じくアカデミー二年のユー・ジュアルです。よろしくお願いします」
後半の声をフェードアウト気味にしてどうにか自己紹介を終えたユーの姿に溜め息をこらえながら、私は対面の男性『オギさん』の様子にも注意を忘れなかった。彼の営業用の笑顔に作り物らしからぬ意思が宿るのを微かに感じたのだ。
「ほう、アカデミーの学生さんでしたか。失礼ですが何か証明できるものはお持ちですか?」
「ああ、はい。学生証で良いでしょうか」
「ええ、かまいませんよ」
私たちが学生証を提示すると、その写しを作成するとの事でオギさんは一時的に席を外す。イチイチこちらに許可をとるという丁寧な姿勢は相変わらずだ。
緊張気味の相方に声をかけ、その緩和に努めているとオギさんが戻ってきた。
「失礼ながら控えを取らせていただきました。こちらはお返しいたします。お二方とも大変優秀なご様子なのでこちらとしても喜ばしい限りですよ」
「いえ、所詮学生の身ですので」
「これはご謙遜を。先ほどからの対応一つ一つにも優秀さが現れておりますよ。それに……失礼ですがユーさまはもしかして『詠い人』では?」
「えっ、ご存知なんですか!?」
「はい、いつも拝聴させていただいております。先日上部移相された『異次元ドリームフィーバー』は素晴らしい出来でした」
先ほどまでおとなしかった友人が身を乗り出すようにして会話を始める。彼女の緊張を緩和させるための話題だったとしても、オギさんの抜け目の無さは侮れないものだといえるだろう。もちろんただ彼女のファンだったという事も考えられなくは無いが、学区内でも彼女のファンだという者を見かけることは少なかったので、その光景に違和感を覚えたのだ。
術歌に関する二人の会話を聞き流していると、オギさんの部下らしき女性が書類と小さな箱を二つ抱えて部屋に入ってきた。
私たちの前に並べられたそれらに促されるように、二人の会話は止まり、オギさんの説明が始まる。
「そちらには新製品の取り扱いについての説明とモニター試験に関する説明が書かれています。こちらが誓約書。よく読んで署名して下さい」
渡された資料をパラパラとめくる。どうやら基本的な使い方は従来のものと変わらないようだ。しかしもう一つの品はどう考えても違う。渡された箱は従来の魔道眼鏡にしては小さすぎるのだ。
「そちらの箱が今回モニターしていただく新製品になります。当社の自慢の品ですので、どうぞご覧になってください」
やはりコレが新製品らしい。訝しく思ったのは友人も同じようで、互いの顔をうかがいながら私たちはその箱を開ける。中には二つの対になったケースが入っており、それを開けた先にようやく見つけ出した新製品は、何の飾りも無い小さなレンズだった。
「これ、フレームは無いんですか?」
「はい、そちらは直接目に装着するタイプになっておりますので」
「えっ、そんな事をして痛くないんですか?」
「個人によっては痛みや違和感が発生するケースもありましたが、慣れてしまえば問題ないようです。もちろんそのあたりは実証済みですので、ご安心ください。簡単に説明いたしますと、直接装着する事で、ご覧になった情報を素早く、そして大量に脳へと送ることが可能になったのです。上部催都の閲覧の他、目の前で展開される魔術や魔力のこもった現象に関しても情報を表示できるようになっています。そちらのケースには浄化の魔方陣が仕組まれていますので、就寝時に外していただいて洗浄なさるのがよろしいかと思います」
目蓋の中に異物を仕込むというのには少し抵抗を覚えるが、言っていることは確かに納得のいくものだった。さらに、一週間試験的に着用し、その感想や問題点などをレポートで提出すれば、その後このレンズは私たちの私物として使ってもかまわないという。機種交換が必要な私にとっては願っても無いことだ。
「ただし、モニター中のレンズの破損、紛失には相応の金額をもって責任を取っていただく事になります。また、何らかの犯罪に関わるトラブルにはこちらは関与できませんのでご了承ください。あとは、周りの方に商品の宣伝もしてくださるとありがたいのですが、その辺りは任意でという事でお願いします」
要するに、盗まれたりすると双方にとっての痛手だという事を理解した私は、了承の合図として首を縦に振る。ユーも「わかりましたっ」と元気に返事を返して、その場はお開きとなった。
こうして、私たちは最新型の魔道眼鏡『コンタクトレンズ』を手に入れたのだった。
*
かくして私はまた、図書館の粛々とした喧騒の中にいる。
はじめは装着や目蓋の裏の異物感に戸惑ったものの、慣れてしまえばどうということも無かった。図書館に来る顔見知りに、魔道眼鏡の有無をたずねられるたびコンタクトレンズの事を説明するのは少々大変だったが、二三日すればそれもおさまってくるだろう。
しかしこのレンズは非情に優秀な機能を持っている。上部催都の情報はレンズに映すだけで、一瞬にしてその内容を全て把握できてしまうのだ。魔道書など枚数のかさむ教本も、数秒で読破できてしまう。物語を読むときは少し物足りなく感じてしまい、結局一文一文目で追う事になるのだが、それも下手をすれば作者の意図する読ませたい部分やそこに込めた感情にまで理解が進んでしまうため、ストーリーそのものを楽しむ事が困難になるほどだ。
よをすべ等から流れる音楽は直接脳に届くため多少違和感があるものの、使い勝手は概ね悪くないものだと言えるだろう。目をつぶり、その特異な感覚に身を委ねる。
このレンズの優位点はまさにここにあるとも言えよう。魔道眼鏡では考えられなかったが、目を閉じたままで催都の閲覧が可能なのだ。更にこのままで、周囲の状況も魔力の探知で有る程度把握できる。だから、後ろから驚かそうと友人が近寄って来たとしても、動じる事は無い。
「何か用? ユー」
「あれ、わかっちゃったか」
振り向いた先でユーは、決まり悪そうに頭をかく。
私との付き合いでコンタクトレンズを手に入れた彼女は、しばらくの間は「私とのおそろい」をよろこんでいる様子であったが、その顔に今は魔道眼鏡が備わっている。いわゆる伊達眼鏡らしい。コンタクトレンズの説明が面倒だし、何も無いと落ちつかないのだとか。その気持ちはわからなくも無いが、宣伝にはならなそうだ。
その友人が何かを話したそうにモジモジしているのだが、こちらからきっかけを与えるべきなのかは悩みどころだ。
「あ、あのさ、シー。ちょっとこれを見てくれないかな」
「どれ?」
どうにか声を振り絞ったユーが提示してきたアドレスにあったのは、この図書館の蔵書の一冊で、私は何も疑問に思うことなくそれを開いた。
「あんた、これ禁書じゃない! 私たちが閲覧する許可がおりるわ、け……?」
小声で叫ぶ声さえもかすれて出てこなくなってしまう。私のレンズには本来閲覧が許されるはずの無い、禁術が載っている魔導書の一頁が何の警告も無しに展開してしまったのだ。
「どう、して?」
「たぶん新製品だからかな? 規制の対象になっていないのか、規制をかいくぐれる仕様なのかはわからないけど。すごいよね、コレ!」
すごい、どころの話ではない。今の一瞬見ただけで私の脳には禁書に書かれていた魔法が焼きついてしまっていた。そして流れ込んでくる、この書の製作者の意図と思想。
「これ、転移魔術? なんで禁書に……え、転移先の制限無し!?」
「あはっ、覚えたんだね。これで、わたしと同じだ!」
嬉しそうに笑う友人の言葉に、顔を上げ目を見張る。それはつまり、彼女も禁じられた術を覚えているという事。しかしそんな事は後回しで良い。彼女は笑っているのだ。もし誰かに知られたら厳しく罰せられてもおかしくない状態に友人をおとしいれてなお。
「どういう、つもり?」
疑問と共に素早く周囲に視線を飛ばす。こちらに視線を向けたり注意を払うようなそぶりをしている人は居ないようだ。というより、周囲の人の気配が妙に希薄に感じられる。やがてそれすら白く染まって。
気付いた時にはそこはもう、いつもの図書館ではなかった。
「気付いた? ここはわたしが創った仮想空間。一応上部の隙間にある事になっているけど、そもそもここでは厚みとか関係ないしね。思ったより簡単に出来たよ。ああ、これも禁書の中にあった魔術ね。他にもいっぱいあるし、いっぱい覚えたよ。ねえ、わたしすごくない!?」
言葉を返すことが出来なかった。確かにこの現象は普通の術者には出来ない芸当だろう。例え禁書に掲載されている魔法を覚えたにしても、一介の魔術師が、それもまだ教育を受けている段階のひよっこがだ、こんな魔術を一人でこなせるとは到底思えない。彼女には才能が有ったのだろうか。アカデミーの課題すら友人頼りにしている普段の彼女からは想像がつかない。
自分が禁書を見たときのことを思い出す。そうだ、アレを見た瞬間に覚えたのは魔術の使い方だけではない。おそらく一流であっただろう魔術師の知識。それも複数のものが彼女に流れ込んだのだとしたら? 彼女はいま、本当に彼女だろうか。
「質問に答えて。こんな事をして、いったいどういうつもりなの?」
「わからない? わからないかな。これだけの力をわたしは、わたしたちは使えるのよ? もう学生なんかで居る必要は無いわ。この力をもってすれば。世界中の禁書、魔術書を閲覧できたなら! わたしたちは無敵だわっ! 何者にも縛られず、何者にも屈さない。わたしたちは神になれるのよっ! あっはははははははっ!」
これでハッキリした。
彼女は私の知る彼女ではない。私の友人はこんな事を望むような娘ではなかった。おおらかで、お調子者で、歌が好きで、強がってはいるけれど本当は寂しがり屋で、人を思いやる事が出来る優しい子。ユーはそんな娘だったのだ。
「なぜ私をここに連れ出したの? 私をどうするつもり?」
「んふふ、わたしに賛同して、一緒に世界に干渉しようって言うのなら、連れて行ってあげても良かったんだけど。あなたってほら、クールを装っているくせに妙に正義感が強くて、暑苦しいところがあるじゃない? だからきっと反対するんだと思ったのよね。だからあなたはここに閉じ込めようと思うの。殺しちゃっても良かったんだけど、そんな事をしたらかわいそうでしょ? この空間は時間の流れの外にあるから、年もとらないし、お腹も空かない。怪我をするようなものも無いし。あ、不老不死だわ、やったね」
ぎりっと奥歯を噛みしめる音が聞こえた。
自分で思っているよりも感情的になっているらしい。当たり前だ、お前の口で私を語るなと言ってやりたかった。それは友人だからこそ許せる軽口だと。しかし現状の私には何も出来ない。抵抗できる手段も無く、反論できる持論も無い。
ただ沈黙を守る事しか出来ない私に、彼女は優しい笑顔で詠う。
「もし気が変わったら、さっきの術でわたしに会いに来たら良いよ。そしたらもう共犯者だし、仲直りしようね。やっぱり一人は寂しいもんね。じゃ、待ってるからさっ」
そう言って、彼女は虚空に消えてしまった。
彼女が私をここに閉じ込めたのは、おそらく同じ力が使える者が邪魔だったからだろう。彼女は私を恐れているのだ。しかし、一人は寂しいと言ったあのセリフはユーの本心から出たものだったかもしれない。
ここに残れば何も出来ず、ただ生きるだけの人形になる。長いだけの時間に気が狂ってしまうかもしれない。
彼女の元へ行けば、共犯者。二人で世界を動かす事はもしかしたら楽しいかもしれない。反抗勢力を禁術で叩き潰すのは痛快かもしれない。
だが彼女のように禁書の意思に精神を蝕まれ、とんでもない過ちを罪悪感も感じずに行ってしまう可能性もゼロじゃない。
たらればを言ったところで解決には至らない。
状況を打開する道筋を模索し、今出来る最善を定め――――そして私は決断する。いや、元より選択の余地など有りはしなかったのかもしれない。
大きく息を吸い込んで、私は魔力を解放した。
*
転移した先も似たような空間だった。場を安定させる為に貼り付けられたタグに、ユーの気配が匂う。どこからか聞こえてくる歌声は間違いなく彼女のものだ。先ほどの場所と雰囲気が違うのは、閉鎖されていない空間だからだろうか。
「あはっ、来たね。待ってたよ」
途切れた歌を惜しみながら、駆け寄ってくる歓迎の声と対峙する。その言葉に嘘偽りは無いのだろう。そうでなければ、さっさと目的を果たせばいいのだ。
彼女の、ユーの意思は確かに存在している。ならばなぜこのような事態に陥っているのだろうか。
「一緒に、来てくれるんだよね?」
「申し訳ないけれど、それは出来ない」
私の返事を聞いて、彼女はこの世の終わりのような表情を浮かべる。拒絶は二人の決別を意味していたのだから。
うつむき、こぼれる言葉は涙か。
「……だったら、あなたはここで死ななければいけない。わたしを邪魔するものは、排除しなきゃダメ、だから」
小さく吐き出された言葉に、込められていたものは殺意などではなく。燃え上がるのをこらえてにじむ、悲しみ。
「無理だね」
「どうして? 禁書に書かれていた術を使えば、わたしはあなたを簡単に殺せる。だから、反対するのならあなたはあの閉鎖空間に居るしかなかった、なのにっ!」
振り絞った感情は、けれど私には届かない。彼女のその手が、身体が震えていたから。
「あんたは私を殺せない。もう、気付いているはず」
「そんな事無い! わたしは出来る、出来なきゃ、わたしはっ! ああああああっ!?」
どれだけ虚勢を張ろうと、声を張り上げようと、うまく力が制御できないのだろう。魔力を搾り出そうとする意思と、押さえ込もうとする意思とがせめぎ合っているのが、私のレンズには写っているのだが、彼女は気付いているのだろうか。
やがて暴走するように、慟哭に膨らんだ魔力が、彼女から一気に解放された。
「キャンセル」
「えっ!?」
空間をきしませるほどに膨らんでいた魔力が突然に消失し、彼女は支えを失い膝をつく。そして、今目の前で起きた現象を信じられないといった表情で見つめる。彼女には、見えているはずだから。
「コネクト。ハイパーリンク。わかったでしょ? あんたには無理だよ」
「どう、して……これ、こんな魔術シラナイ……あなたはあの禁書に載っていた魔術の他には、アカデミーで習ったものしか使えないはずなのに…………」
「あんたが見せてくれたじゃない。ココに来てからいろいろと。そこから応用して、意図と解釈から読み取って、再構築。そう、これはどこにも無い、さっき私が考えた魔術。新しい魔法。そしてこれを見せても、きっとあんたには使えない。あんたは……優しすぎるから」
力なく地面にへたり込んだ友人に優しく手を伸ばす。抱擁し、彼女の頬を伝う悲しみを全て抱え込む。きっと彼女にはもう理解できているはずだ。その瞳に映ったならば。今から私が何をするのかが。
「や、やだっ。ねえ、やめてよっ! そんなの、嫌だよっ!?」
「ごめんねユー。ばいばい」
「――――ッ!?」
彼女の懇願を聞いてさえ、私は、自分が泣いてなんかいない事に気がついていた。
「デリート」
コンタクトレンズを通じて直接つないだ回線から、彼女に送り込むのは消滅の指示。彼女は意識を手放し、力尽きる。主からの指示と魔力の供給を失って、崩壊を始めた空間が悲鳴をあげた。
目をつぶり、転移の魔法を展開しながら彼女の身体を抱きしめたのは、自分が失ったものの重さとぬくもりを感じていたかったからなのかも知れなかった。
*
図書館の定位置で、私はコンタクトレンズに関する報告書をまとめていた。
閲覧制限に対する規制の甘さを指摘しつつ、禁書に触れたこと等は秘密にしなければならず、頭を悩ませる。手元にあるコンタクトレンズのケースは二つ。自分の物と回収したもう一つを視界の端に収めながら、報告書に意識を戻す。いろいろ考えるのは後回しにしたかった。
今使っているのは使い古した魔道眼鏡だ。コンタクトレンズはコバヤシテクノコーポレーションに返却しようと思っている。私にはもう、必要の無いものだから。
報告書を書き終えた私は、二つのケースをきつく握りしめ、席を立つ。これで一先ず肩の荷を降ろすことが出来る。それでも足取りは軽くなんてなりはしないけれど。
不意に聞き覚えのある澄んだ笑い声が聞こえても、私は立ち止まる事を許されなかった。友人と談笑しながら向かってくる彼女に、軽い会釈だけ返しながらすれ違う。顔見知り程度の級友ならば、こんなものだろう。
解れた髪をかき上げて。
図書館を出るところまで歩ききった私は、そこでようやく自分の頬を伝うものが涙だったと気が付くのだった。
~Fin