第53話:奇跡の都市の解体(デバッグ)
大鉄橋を強行突破した王国軍の装甲列車『オオツチ』は、教国の脆弱な防衛線を紙切れのように引き裂き、国境付近の重要拠点である宗教都市『聖ザカリア』の眼前へとその巨体を滑り込ませた。
この都市は、白亜の城壁と天を突くような無数の尖塔に彩られた、一見すると天上の楽園のような美しさを持っていた。しかし、移動司令車の窓からその光景を見下ろすアルスの【掌握の刻印】が透視した実態は、あまりにも非効率で、かつ歪んだシステムそのものだった。都市の中央には巨大な大聖堂が鎮座し、そこから放出される特殊な魔力波形が、都市全体の住民に一種の思考放棄――「信仰による幸福」を強制していたのである。
教国側の司祭たちは、王国の「鉄の悪魔」に対抗するため、広場に数万の信徒を集めて声を張り上げていた。大聖堂の前に設置された大きな『奇跡の泉』からは、目も眩むような七色の光が放たれ、それに触れた負傷者たちの傷が次々と癒えていく。民衆はその光景に涙を流し、神への祈りを捧げ、王国軍を排斥するための暴徒と化しつつあった。
「……前時代的だな」
中央作戦室のホログラムディスプレイを見つめながら、アルスは冷徹に呟いた。彼の手元では、その『奇跡の泉』から放射されているエネルギーの構造が完全に解体され、ただの数値として表示されている。
「地下に埋設された高純度の光属性魔石と、地脈の循環を意図的に滞留させたことによる一時的な過負荷現象だ。あの光を浴びた者の細胞は、一時的に活性化して傷が治ったように見えるが、その代償として寿命を前借りしているに過ぎない。民衆の無知を利用した、最悪の詐欺システム(バグ)だ」
「ひどい話ですわね。神の奇跡と称して、人々の未来を搾取しているなんて」
アルスの隣に立つロザリアが、嫌悪感を露わにしながら美しい眉をひそめた。彼女はアルスの思考の負荷を和らげるため、自身の魔力を常にアルスの刻印へと同調させていた。戦場での並列演算は、アルスの脳に多大な熱量を発生させる。ロザリアはその熱を、自身の氷属性の魔力特性を応用して、極めて繊細に冷却し続けていた。
アルスはふと、自身のこめかみに走る微かな痛みが、ロザリアのサポートによって綺麗に消失していくのを感じた。
「ロザリア、お前の冷却効率がまた上がったな。私の演算速度が、通常時よりも一二パーセント引き上げられている」
「ふふ、当然ですわ。これでも毎日、貴方の隣でその思考の波形を見つめているのですもの。アルス様が世界をデバッグされるなら、私は貴方の脳内のバグを一つ残らず消去してみせます」
ロザリアはそう言って、悪戯っぽく微笑んだ。二人の視線が重なり、戦時下とは思えないほど穏やかで、しかし確固たる情愛に満ちた空気が室内に流れる。アルスは彼女の存在が、もはや自分のシステムにとっての外部機器ではなく、自分という存在の根幹を成す「不可分のパーツ」であると、改めて強く認識していた。
「よし、お前の演算領域を借りるぞ。これより、あの『奇跡の都市』の解体を開始する。ガイウス、バルド、ルナ。配置につけ」
アルスの命令の元、王国軍は武器を構えて突撃するのではなく、都市を取り囲むようにして巨大な「鉄の杭」を地面に打ち込み始めた。それはバルドが特製した、地脈の魔力流動を強制的に中立化する『接地魔導導管』だった。
アルスが【掌握の刻印】を力強く握り締めると、地面に打ち込まれた杭が一斉に起動した。
大聖堂の地下へと流れていた不自然な魔力の供給が、物理的な法則によって完全に遮断される。
その瞬間、広場で光り輝いていた『奇跡の泉』は、一瞬にしてただの濁った泥水へと姿を変え、司祭たちが掲げていた聖なる杖の光も、まるで消えかかる蝋燭のようにぷつりと途絶えた。
「な、何が起きたのだ!? 神の御加護が……消えた!?」
パニックに陥る司祭たち。民衆は、今まで自分たちが崇めていた「奇跡」が、王国の鉄の杭一本でかき消される程度の代物だったという現実を突きつけられ、騒然となった。
そこへ、アルスが手配した本命のインフラが動き出す。装甲列車の後方に連結されていた大型の給水車両から、王国が誇る最新のろ過技術によって精製された「完全に清潔な水」が、都市の全域へと張り巡らされた臨時の配水管を通じて一斉に供給されたのだ。さらに、ルナが開発した、副作用が一切ない本物の治癒薬と、バルドが運んできた大量の小麦が、飢えた民衆の元へと公平に配給され始めた。
「神の祈りは腹を満たさないが、我が国のパンは満たす。神の奇跡は命を削るが、我が国の医療は命を救う。どちらが正当なシステムか、自分の頭で計算しろ」
アルスの冷徹な、しかし圧倒的な事実を含んだ声が、拡声魔導器を通じて都市中に響き渡る。
民衆は、濁った泉の水を捨て、王国がもたらした透き通った水を口にした。その瞬間、彼らの瞳から、教国に植え付けられていた盲信の霧が晴れていく。
暴動は起きなかった。武力による制圧ではなく、圧倒的な「利便性と豊かさ」という現実の前に、聖都市『聖ザカリア』は、一滴の血も流れることなく、アルスのシステムへと完全に統合されたのである。
夜、制圧を完了した大聖堂のテラスで、アルスは一人、星空を見上げていた。
背後から、静かな足音が近づいてくる。ロザリアが、温かい飲み物の入ったカップを二つ持って現れた。
「お疲れ様でした、アルス様。都市の住民たちの心拍数および幸福度のデータは、統合前と比較して一八〇パーセントの向上を示していますわ。完璧なデバッグです」
「……いや、まだだ。これは教国の外縁に過ぎない。中央へ進むほど、彼らの盲信という名のバグは強固になるだろう」
アルスはロザリアからカップを受け取り、その温もりに指先を委ねた。
ロザリアはアルスのすぐ隣に寄り添い、その細い肩をアルスの腕にそっと触れ合わせた。
「どれほど強固なバグであろうとも、私たちはそれを解体できます。……今日の戦いで、確信しましたわ。私と貴方の回路が繋がっている限り、不可能な演算などありません」
「……お前の言う通りかもしれないな」
アルスは、繋いだロザリアの手の甲に、静かに唇を落とした。
大陸篇の幕開けは、宗教という古い幻想に対する、科学と論理の圧倒的な勝利ロードとなった。二人の絆を唯一の絶対的な定数として、アルスの新時代プロトコルは、さらに教国の深部へとその触手を伸ばしていく。




