神隠しの森
古来より神隠しの森と呼ばれる森がある。
「非常に独自の生態系を持っております」
生涯をかけてこの森を研究していた博士はそう語る。
「何せ、雑草一つを取ってみてもそれが新種であるなんて事が珍しくない。本来なら大掛かりな調査をするべきなのですが、困ったことに神隠しの伝説は真実でしてね。私の先達たちも数えきれないほど調査の最中に姿をくらませています」
博士が熱心に語るのには訳がある。
つまり、自分もまたこの森に挑むことを心に決めたのだ。
「きっと、私は二度と戻れないでしょう。しかし、それでも構いません。あの森の中で命を落とすならば本望です……だからこそ、私が知りえた全てをあなた方に伝えます」
自分はきっと帰ることが出来ない。
おそらく命も落とすだろう。
だからこそ、今知っている全てを伝える。
それが旅立つ前の自分の義務なのだから。
――そんな覚悟で森の中に入った博士が目にしたもの。
「こんな馬鹿げた話があるか?」
博士は思わず息を漏らしていた。
命を捨てる覚悟で訪れた森の中。
博士はてっきり未知の生物や光景が広がっているものだとばかり思っていた。
あるいは神隠しの名の通りに神様でもいるものかとさえ考えていた。
「君も来たのかね」
しかし、そこに居たのは遥か昔に森へ足を踏み入れて姿を消した先達たちだった。
「見たまえ。この場所は実に素晴らしい所だぞ」
「あぁ、まさか古代人がこのような事を考えていたとはな――」
目を輝かせながら見たこともない機械を弄りまわす先達たちに博士は今一度問う。
説明されたことを繰り返すように。
「では、この場所はただの『実験場』だったと?」
「そのように伝えただろう。ここには当代を生きる我々が遥か昔に失った生命創造の技術を始めとする、あらゆる知識が残った『図書館』あるいは『実験場』さ」
「その通り。誰一人戻らないのは単純にこの場所では学べることが楽しすぎて一分一秒たりとも元の場所に戻ろうと思わないだけだ」
博士は口を開けたまま呆けるばかりだ。
事実、彼が踵を返して来た道をそのまま戻ればいつでもよく知る場所に戻れるだろう。
実に馬鹿らしい。
とはいえ、伝説の答えなどこんなものか。
そんなことを考えながら博士は一度、自分の帰りを待っているであろう者達の下へ帰ろうと思ったが、先達の一人がぽつりと言った。
「戻るのは自由だがね。この技術が現代人に知られれば悪用の限りを尽くされるとは思わんか?」
「なに?」
「そうでなくとも当代ではタブー視されている生命創造など使えなくなるのは明らかだろうが」
そう言われてしまえば博士の足が重くなる。
確かにその通りだろう。
――ならば、少しだけここで学んでから帰っても遅くはない。
……この日、また神隠しの森に人が囚われたのは言うまでもない。




