落ち星の子
落ちてゆく。
星の子は、落ちてゆく。
数多の願いを、抱きしめて
ぐんぐん、ぐんぐん、落ちてゆく。
数多の願いに、たえきれず
ぐんぐん、ぐんぐん、落ちてゆく。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
目を開く。
落ちた星の子は、みな消滅するはずなのに。
どうして自分はここにいるのか。
視界いっぱいに広がるのは、緑をまとった奇妙な形の棒──折れ曲がった枝がベールのように覆いかぶさる。
これは、森と呼ばれるものだろうか。
上から見たときとは、まるで別物に思える。
葉の隙間から夜空が見える。
ああ。
もう自分は、空を駆ける星ではないのだ。
星の位置をたよりに、いつも見下ろしていた風景を思い浮かべる。
夜の闇に浮かぶ、地上のきらめき。
あちらの方向に、人の街というものがあるはずだ。
──行ってみよう。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
翌朝、星の子は街にたどり着きました。
身なりを整え、通りへ足を踏み入れます。
早朝の商店街は、活気で溢れていました。
きょろきょろと視線を彷徨わせながら、ゆっくりと歩いていきます。
広場に出ると、しばらくそこで人々の様子を眺めていました。いつの間にか、お天道様が星の子の真上までやってきています。
すると、一人のおばあさんがやってきました。
小さく丸めた背中に、柔らかな毛糸の羽織がかかっています。買い物のカゴを抱え、ゆったりと星の子の方へ歩いてきます。
「お前さん、朝からずっとそこにいるだろう? どうしたんだい」
星の子には、よくわかりません。
「おやまあ。どこから来たのかも、わからないのかい?」
空から落ちてきた。
星の子はそう答えました。
「……もしかして記憶がないのかい? そりゃあ大変だ」
こてん、と星の子は首を傾げます。
「どこに行ったらいいのかも、わからないんだろう?」
うん。
星の子は頷きます。
「なら、しばらくわしのところにいたらいい」
きょとん、としてから、星の子はもう一度頷きました。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
頭を打っていたら大変だ、というおばあさんに連れられてお医者さんへ行き、家についた頃にはすっかり夕方になっていました。
夕日に照らされた足元に伸びる長い影。
星の子はそれをぼんやりと見つめています。
「ほら、お入り。ここがうちだよ」
おばあさんの声に顔を上げると、ゆっくり一歩を踏み出しました。
居間の食卓に座ると、おばあさんが静かに二人分の食事を並べてくれました。
「夕飯だよ、お食べ。残り物で悪いね」
おばあさんが席につき、祈りを捧げてから食べ始めました。
星の子はじっと見つめていました。
そして同じように、手を合わせて食べ始めます。
「おいしいかい?」
きょとん、と星の子は顔を上げました。
そんな様子の星の子に、小さく笑うおばあさんは続けて尋ねます。
「スープもパンもまだあるよ。食べるかい?」
しばらく黙って考え込んでいた星の子は、やがてコクリと頷きました。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
何日か過ごすうちに、星の子は人の街にも少しずつ慣れてきました。
おばあさんからお使いを頼まれる日もあれば、あてもなく街を歩き回る日もありました。
商店街を歩く星の子に、果物屋のおじさんが声をかけます。
「おーい、じょうちゃん! ベルタ婆さんのとこの子だろ?」
立ち止まる星の子に、おじさんは「婆さんにはいつも世話になってるから」と果物のカゴを渡します。
星の子はおじさんに尋ねます。
あなたの願いはなあに?
突然の質問に、おじさんは目を丸くしながら答えました。
「願い? 願いかぁ……そうだなぁ、たくさん売れますように、ってな!」
どうして願うの?
星の子はさらに尋ねます。
「そりゃあ、家族にうまいもん食わせてやりたいからな!」
そこへ別のお客さんがやって来ます。
ありがとう。じゃあ、またね。
星の子は足を進めます。
てくてくと歩く星の子の耳に、かん高い声が飛び込んできました。
「わぁ! おねえちゃん、きれいな色ね! キラキラしててお星さまみたい!」
振り向くと、小さな女の子がいました。
目を瞬かせる星の子に、女の子は次から次へと質問を重ねます。
一瞬の沈黙が落ちたとき、星の子は尋ねます。
あなたの願いはなあに?
ぱあっ、と目を輝かせた女の子は答えました。
「お花やさんになりたい!」
女の子は勢いよく続けます。
「あとは、ママになりたい! あと、まほうつかい!」
星の子は一拍おいて尋ねます。
どうして願うの?
「どうして? う〜ん……わかんない!」
女の子と一緒に、星の子は首を傾げました。
そこへ女の子を呼ぶ声が聞こえます。
ありがとう。じゃあ、またね。
星の子は足を進めます。
てくてくと歩いていた星の子は、突然腕を捕まれ細い路地に引き込まれます。
「痛い目見たくなけりゃ、騒ぐなよ」
低くねっとりとした男の声が、星の子の耳にこびり付きます。眼前には、鈍く光を返す薄汚れたナイフがありました。
悪党はニヤニヤと、口元を歪めたまま続けます。
「変わった色合いのガキがいるってのは、本当だったんだなぁ」
路地裏の暗がりが、ふぅ、と息を吐きました。
湿り気をはらんだ温もりが、肌にまとわりつきます。
泣きもせず、叫びもせず。
星の子はただ、じっと悪党を見つめます。
「なんだオメェ、さっきから……気味の悪いガキだな」
汗ばむ手が、ナイフを握り直します。
刃先が、ほんのわずかに震えました。
星の子はゆっくりと口を開きます。
あなたの願いはなあに?
「願いだぁ?」
バケモノを見るように顔を顰めていた悪党は、一転、口の端を吊り上げて言いました。
「そりゃあ、がっぽり稼げますように、ってな! ギャハハ!」
どうして願うの?
「……はぁ? おちょくってんのかクソガキ!」
声を荒らげた悪党は、拳を振りかざします。
ヒュッ、と拳が空を切り、星の子に迫るその瞬間──
ふっ、と音が消えました。
通りを駆ける子どもたちの足音も。
空高く歌う小鳥のさえずりも。
吹き抜ける風の音も。
誰かが落としたリンゴが、宙にとどまり静止します。
世界でただ一人。
星の子が息を吐くと、空の青と地面の茶が混ざり合い、そして──
視界の中を、虹が四方に飛び散ります。
星の子が目を開けると、そこには見慣れたおばあさんの家の扉がありました。星の子の手には、ちゃんと果物のカゴが握られています。
星の子が扉をあけて家に帰ると、いつものようにおばあさんが言いました。
「おや、おかえり」
星の子はいつものように応えます。
ただいま。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その夜のことです。
おばあさんは一人、居間の椅子に座って、ゆったりとお茶を飲んでいました。
その穏やかな目は、窓の外に広がる星空に向けられています。
いつの間にか居間にやってきた星の子が尋ねます。
おばあさんの願いはなあに?
「おや」
おばあさんは、目の前の小さな子どもを慈しむように言いました。
「そうだね。あの子たち──子どもや孫たちが幸せでありますように」
一拍おいて、続けます。
「もちろん、お前さんも含めてね」
どうして願うの?
おばあさんは、暖かな声でそっと言葉を紡ぎます。
「……人は、臆病だからね。ほんの少し、誰かに背中を押してもらいたい、そんな日もあるんだよ」
星の子は少し首をかしげながら、おばあさんを見つめていました。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
人々が寝静まった頃、星の子は一人で近くの丘にやってきました。
街のまばらな灯りが遠くに見えます。
頭の上には満天の星空。
星々がきらめき、時折光が流れていきます。
人々は星に願いを託します。
願い、
祈り、
縋り、
そうして安心する。
またどこかで、一すじ光が解けてゆきました。
夜の涼やかな風が、星の子の頬を撫で通りすぎます。
星の子は考えます。
街で会った、
果物屋のおじさんの顔。
女の子の顔。
悪党の顔。
そして、おばあさんの顔。
考えて、考えて。また、考えて。
そして夜空を見上げて、ぽつり。
「明日もいい日になりますように。」
おしまい




